第17話 恋じゃなくても

 数日後、たった二人で結成した俺たちのバンドはつたない足取りでスタートした。

 ほぼ初心者同然のギターと、まだまだ未熟なボーカル。

 とてもじゃないがライブを開催するレベルには達していない。

 なんなら練習さえおぼつかないくらいだ。


「吉永君が練習している間、ずっと見ているだけってのもね。だからさ、私もやってみることにしたんだ」


 と言って、最初の練習会に彼女が背負ってきたのは古びたギターケース。

 どうしたの? と聞くと、どうやら孝之さんが中学生のころに買ったはいいものの、ベースに転向して以降は使わなくなっていたギターを借りてきたらしい。


「でもどうやって練習しよう。先生になってもらって吉永君の練習を邪魔するわけにはいかないし、困ったな」


「孝之さんは教えてくれなかったの?」


「ベースなら教えるけど、ギターならお断りだってさ。私が手を出したのがギターだったから拗ねてんの」


「ああ……」


 容易に想像できる。実際には心配しているに違いないから、今度こっそり俺のほうからもエミさんの練習に付き合ってもらえるよう頼んでおこう。

 左手の指先で弦を適当に抑えて、右手のピックでギターをジャカジャカ鳴らしていたエミさんが、それだけで満足したみたいに前を見る。


「まあ、いっか。今日は一日目だもん。これからはこんな感じでやるぞ! って気分でギターを抱えてるだけでもいいかな。そうやっていつかギターを弾きながら歌えるボーカルになるんだ」


 そう語るエミさんの目は夢に向かって生き生きと輝いている。

 もっとも、今の俺たちが歩き出した地点を思えば果てしなく遠く思える目標だ。どれほど歩いても簡単にはたどり着けず、何度となく挫折しそうな道だ。

 けれど、そんな俺たちを励ましてくれるような朗報もあった。


「そういえば岸村さんに例の曲の使用許可をもらったんだ。俺たちが歌詞を作るならって」


「本当? あのラブソングだよね? 嬉しいけど、でも、いつの間に……」


「実はこの前さ、たまたま岸村さんと二人で会ったときに連絡先を教えてくれてね。ちょくちょくスマホでやりとりをするようになったんだ。ほら、ついさっきも曲の弾き方のアドバイスをくれてる」


「私抜きで仲良くなってる……」


 苦笑したエミさんは言葉ほどには寂しがっていない。むしろ自分のことが原因で俺と岸村さんの仲が引き裂かれなかったことを安堵しているようだった。

 感謝しているんだ、と嬉しそうに語る。


「きちんと歌詞を作って曲が完成したらさ、ちゃんと練習して弾きながら歌えるようになって、今までの恩返しも兼ねて岸村さんにも聞いてほしいな」


「だったら俺も聞いてほしい人がいるんだ。完成した歌詞を楽しみに待ってくれている先輩がいてさ」


「それじゃあ、その時が来たらみんなを呼んで二人でライブだね」


「うん、そうしよう。今年は難しくても、来年の文化祭とか!」


 まだまだ気が早い気もするけれど、すでにバンドとしての目標を定めた俺たちだった。





 練習場所にしていた公園を出て少し山道を登ったところに、平べったい石のベンチとテーブルが置かれているだけの街を見下ろす展望台がある。朽ちかかっている木で作られた階段が急で大変だから、普段はほとんど人が来ない場所だ。

 せっかくだから一緒に演奏しようと、誰にも迷惑が掛からないであろう場所を探してきた俺とエミさんである。


「ドレミファソラシドの音階なら弾けるよ」


「そうなんだ。じゃあ簡単な曲がいいね……何がいいかな」


 これから一緒に頑張っていくための景気づけのためでもあるのだ。難しい曲に挑戦してまともに弾けなかったら意味がない。

 ちょうどいいレベルの曲がないだろうかと記憶の中のライブラリーを参照しながら考えていると、遠くから心地よい音楽が聞こえてきた。時刻は午後六時。街の人々に夕刻が来たことを知らせる防災無線から流れる音楽だ。

 やや反響して聞こえる旋律に耳を傾け、エミさんが目を閉じる。


「てーん、ててーん……。ねえ、今流れてる、この曲は?」


「この曲って確か……夕焼け小焼け、いや、それとは違うな。家路、だっけ。そうだね。ちょうどいいかも」


 曲名のこともあって帰宅を促す夕方ごろに流れる機会が多いからか、どことなく別れのイメージがある曲だ。

 ある意味では俺とエミさんとの関係に一つの区切りをつける時だと思えるから、新しいスタートを迎える今日という日に演奏するのにはふさわしい。


「えっと、じゃあ、これでいいかな」


 いそいそとスマホで検索して、ギターの練習のために最近利用している有料のサイトから楽譜をダウンロードする。

 初心者向けの、簡単でわかりやすい楽譜を。


「その台の上に置いたスマホの画面で楽譜を見ながら、一つずつ手元を確認しながらでいいんだ。ゆっくり演奏しよう」


「うん。歩くような速さで、ってやつだね。でもギターを始めたばっかりの私はよちよち歩きなんだ。できるなら私に合わせてほしいな」


「やってみる」


 声で歌う代わりにメロディをエミさんが。

 それを支える伴奏のつもりで、基礎的なコード進行を俺が。

 歌もなく、言葉もなく。ただ二人で寄り添ってギターを鳴らす。

 観客なんて一人もいない。自分たち以外には誰かに伝える目的もない。

 同じ曲を弾いているだけ。

 この瞬間、この場所で、この関係性の中で、心地よく音楽を響かせ合っているだけ。

 緩やかな速度で沈んでいく夕日が山向こうに隠れて、昼間に比べれば暗くなった街を照らすように街灯がついて、中学二年生の冬に初めて出会った日のことを思い出す。

 あの時は彼女の歌に感動して泣いた。救われた気分になって涙があふれた。

 エミさんと友達になりたいと思った。

 このまま終わりたくない、別れたくないと強く感じる。

 ちまちまとした速度で最後まで弾き終わって、しぶとく残っていた余韻すらも消えて、立ち上がることもできずにつぶやく。


「俺にとっての恋の詩が友達の詩みたいだったのは、今にして思えば当然だったのかもしれない」


「ん、どうして?」


「だって俺にとっての友達がエミさんだったから。初めて会ったときはそうなりたいって思っただけだったけど、一年後に高校で再会して今日までずっと、俺にとっての友達はエミさんだったんだ。だから、つまり、その……」


 思うままに口にしてしまっただけなので、うまく考えがまとまらない。

 そんな俺を見て、耳を少しだけ赤くしたエミさんが笑顔を浮かべた。


「吉永君」


「……ん、何?」


「私ね、今まではずっと岸村さんに認めてもらうために歌詞を考えてた。でも今なら正直な気持ちでラブソングが書ける気がする。大衆の心に響いてヒットするような曲じゃないかもしれないけど、私にとってのラブソングが」


「……そうだね。俺も今なら書ける気がするんだ。俺なりのラブソングを」


「じゃあ吉永君。お互いに歌詞が完成したらさ、手紙みたいにして送り合おうよ。白い封筒に入れてさ」


 そう言って彼女はまたギターを構えて、もう一度、今の曲を一緒に演奏しようと提案した。

 なんとか弾けるようになった家路。

 一日の終わりを告げるような、別れのイメージがある曲。

 それを一生懸命になって彼女と一緒に演奏していると、より強く、より激しく、どうしようもないくらいに離れがたく思えた。

 そして、こうしてエミさんの隣にいられることを嬉しく感じて、いつか彼女が言ったように胸がいっぱいで泣きたくさえなってきた。


「本気でやるって決めたんだ。明日から、もっといっぱい練習しないとな」


「うん。私も付き合う。……それで、それでさ、これから何回も練習して、ライブだって何度もやって、失敗や喧嘩もして、それでも嬉しいことがあったら喜びを分かち合ったりして、そうやって大切な思い出を刻んでいけるパートナーになっていこうよ」


「そうだね。それはすごくいい未来だ」


 この胸に満ちている気持ちが世間一般で呼ばれているような恋であったとしても、恋でなかったとしても、それはもうどうでもいい気がした。

 たとえ彼女から本物の恋愛感情が得られなかったとしても、あるいは得られたとしても、そんなのは関係ない。

 友達でも恋人でもバンド仲間でも、一緒にこうやって、同じ時間を二人で過ごしていければ。

 いつでも、いつまでも、幸せに満ちた人生を送れる。

 そんな確信があったから。

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恋はもう、いいか。 一天草莽 @narou_somo

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