夢から覚めて現実

第3話 っていう夢をみたのだけど

【1】


「おかしいわ。非常におかしいわ」

 皇太子妃であるレジナ・ロークは寝間着姿のまま居間を行ったり来たりを繰り返していた。皇太子妃の奇行に長年勤めあげている侍女たちも困惑を隠せない様子で遠くで見守る。

「おかしい、おかしいのよ!」

 皇太子妃の癇癪が爆発するかと身構えた侍女だったが再び右往左往し始め緊張を解く。

「おかしいのは妃殿下では......」

「髪の毛も梳かさないで、お顔もまだ洗っていませんのよ」

 延々と終わりそうにない自問自答。おずおずと一人が踊り出た。

「皇太子妃殿下。どうされたのですか」

 カッと目を見開いた皇太子妃の鋭い眼光。他の全員が勇気ある侍女を盾に素早く隠れた。

「おかしな夢を見たのよ!」

「「は、はぁ......」」

 全員の口から呆れが半分、疲れが半分と混ざったため息が漏れる。

 それから怒鳴り散らすでもなくただただ部屋の中をぐるぐる、ぐるぐると歩き続ける皇太子妃。皆が肩の力を抜いた時だった。レジナが立ち止まった。決意めいた目を燃え上がらせふんっと鼻息荒く宣言した。

「ちょっと皇帝陛下に会って来るわ!!」

 今から殴り込みに行きそうな調子で宣言し、皇太子妃の後ろには覇気あふれる猛将の影が見えた気がした。鎧を纏ったかのような重たい一歩を踏み出した皇太子妃に侍女は一斉に飛び掛かった。

「ちょっと何をするのよあなた達!」

「それだけはなりませんっ皇太子妃殿下」

「どうされてしまわれたのですか。寝間着のままで」

「問題はそれだけではありません陛下には事前に謁見の申請を、昨日今日で叶うものではありませぬぬ......ぅ」

 何としてでも行くんだと華奢な体のどこに力があるというのか。侍女たちを扉の前までズルズルと引きずっていく。

「離しな、さい、よ......」

「い、一体。皇太子妃殿下のどこに力がっ」

「全力で皇太子妃殿下をお止めするのですっ」

「皇太子妃殿下は普段、宝石を山のように身にまとい幾重もの布を重ねた豪華なドレスを着こなし華麗に踊ってみせるかたなんですよ。これくらい楽勝ですぅっ」

「口を動かしていないで集中なさいっ」

 ギャアギャアと朝から若い娘達の綱引きが行われる。先に折れたのは皇太子妃だった。大きく肩で息をし、床にへたり込む侍女達を振り返って言った。

「何を言っているのよ。私の夫なんだから別に構わないでしょ?」

 ビシッと指を指した皇太子妃。「謎」の発言に聞いていた全員が絶句した。

「「......」」

 しーんと静まり返った室内。皇太子妃はハッと口元を押さえた。次の瞬間かぁっと頬を赤らめた。

「待って、待って。私ってまだ皇太子妃だったかしら」

 侍女は皇太子妃と目が合うと不審げに見つめ返した。

「何を当たり前のことをおっしゃるんです」

 部屋に緊張が走った。彼女たちはしつこいほどにいい聞かされた事がある。反論をするな。絶対に皇太子妃の機嫌を損なうような「特に馬鹿にした」発言は絶対にしないようにと。侍女の顔がみるみるうちに青ざめていく。皇太子妃は風を巻き起こしそうなほど勢いよく振り返った。侍女へとずんずんと一歩一歩と詰め寄る。赤い髪が烈火の如く燃える炎に見えた。

「夢では私......」

「も、もうしわけ......」

 ブルブルと震え、目に涙を溜める侍女。彼女はまだ年若かった。この先の暗い未来を覚悟して目を瞑った。

「皇后になっていたの。だから間違えよ」

 侍女を咎めるでもなく、意味の分からない奇々怪々とした言葉にざわめく部屋。皇太子妃はさらに付け足した。

「別に他意はないわ。勘違いしないでね。ただそういう夢を見たってだけ。そこでは私は皇太子殿下の事を陛下って呼んでいたんだから。さあ早く準備しなさい。皇太子殿下に言いたいことがたんまりとあるんだから」

 侍女たちはいつもと違って怒り狂わない皇太子妃を遠巻きに戦々恐々と眺めた。

 日頃、彼女たちは皇太子妃の知らぬ場所で呟いていた。皇太子妃殿下は口を開かなければ完璧な淑女だと。東洋に皇太子妃のためのような言葉がある。「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」さらに真っ赤な薔薇のように豪華で派手な見た目。

 ――まさに理想の次期皇后の姿!!

 そう、あくまで「姿」だけ。よく薔薇に例えられる皇太子妃。実家の姓がロードス(薔薇の庭)である理由もあるが――手に取ると鋭いトゲに突き刺され出血程度で済めば良い――程に残念な性格をしていた。

 ――だが今の皇太子妃の姿はまるで理想......?

「私たちの見ている、これこそ夢なんじゃないかしら」

 侍女の一人が思わずぽつりと呟いた。鏡の前で何度もくるくると自身の姿を確認している皇太子妃。「若いって素晴らしいわぁ」と十代とは思えない発言。部屋の中では一番若いはずの皇太子妃。

「こらぼさっとしていないで仕事よ。ただの気まぐれかもしれないでしょう」

「そう、でしょうか――纏う空気から違うような......」

 侍女たちの呟きに昔のレジナであったら一々反応して激怒していただろうが修道女として「清貧」を是とする生活を五年も送れば性格ががらりと変わり落ち着くには十分の時間だった。

「凄いわ、体が軽いっ。あら懐かしのドレスた、ち......?」

 皇太子妃は一人で持ち上げるのも一苦労で子供が五人余裕で入れそうなドレスを持ち上げ悲鳴を上げた。

「ちょっとなによこのド派手なドレスはっ。シスターアリアが見れば卒倒してしまいそうだわ。私だって気絶しかけたもの」

 次々とドレスを手に持っては、新しい流行にケチをつける奥様のようにぶつぶつと呟いた。

「ドレスは全て皇太子妃殿下が特注したものではありませんでしたか」

「そのはずなのだけど......」

 皇太子妃の奇行は留まることを知らない。

「当時の私の感覚っておかしかったのね......シスターアリアが涙を零しているわ」

「シスター、アリア......?」

 誰かが上げた疑問の声に皆が「同じく」と頷いた。皇太子妃殿下ほど「シスター」とかけ離れた存在はいないからだ。どこでシスターと会う機会などあるものかと首を傾げる。

「皇太子妃殿下に信仰というものがあったのですか」

 かなり失礼な呟きに皇太子妃は怒ることなく返事した。

「えっと夢の話よ。贅沢はいけないという悪夢、お告げを見たの。ええ、そういうことにすればいいのだわ。神の思し召し、申し訳ないけどこれ以上使える手はないわ」

 ますます奇怪さを増す皇太子妃。侍女たちは集まりひそひそと作戦会議のようなものを始める。その中で金髪の侍女だけがそわそわと香がある場所へと視線を向けている。

 ――まるで原因がそこにあるように落ち着きがない。

 そろそろと輪を抜け出し「それ」しかないテーブルへと近づこうとしていた。実は皇太子妃レジナ、ずっと彼女らの一挙手一投足を観察していた。強張った声音で金髪侍女を呼び止めた。

 びくりと肩を上下させた金髪の侍女は香を手に振り返った。

「それ――匂いが嫌いだから片付けてくれる」

「し、しかし。皇太子殿下からの贈り物でして」

 皇太子妃は不審に思った。なおも食い下がる金髪侍女にますます怪しいと胡乱気な目を向けた。

「殿下に私が直接、返しましょうか」

「い、いいえっ。今すぐに片づけて参りますっ」

 香を大切そうに胸に抱きバタバタと走り去っていった侍女。

「怪しいものを一つ、早速排除出来たわね......成分を調べたかったのだけど。もう一回出してもらおうかしら。彼に怪しまれそうな気もするし......」

 誰に聞かせるでもなくぶつぶつと呟いた皇太子妃。ただ一人、輪に加わることなくボケっと立っていた侍女を呼んだ。

「ねえ、彼女の名前。なんて言ったかしら」

 深い茶色の髪に印象に残らないような平凡でよくありそうな顔。厳めしい顔で面白くなさそうに口は固く結ばれている。目は感情を捨ててしまったかのようにただそこで視覚という最低限の仕事についている。皇太子妃宮の侍女長はじいっと名前がすぐに出てこないのか無表情で一点を見つめる。たっぷりと時間を使ってようやく気怠そうに口を開いた。

「最近入ったばかりの侍女でアニーと言ったかと。皇太子宮から移動してきた子だと記憶しています」

 単調で締まりのない声。彼女は皇太子妃宮の侍女たちをまとめ上げなくてはいけない、責任ある侍女長という立場のはずであった。二週間もあって管理下にある侍女の名前が出てこないなど即刻首にしても文句は言えない。

 ――レジナ・ロークの周りは疑わしい事で溢れていた!!

 横柄で我が儘な彼女の元に残るものには何らかの理由があるのは明白で、夢でのレジナが何一つ気付かないのは非常におかしな事だった。

「そうありがとう」

 イェネア・ドリア侍女長。歳は若く二四歳。一寸の乱れもない姿に仕事が出来そうな風ではあるが、真剣に取り組んでいる姿は十年間見たことがなく今と変わらず成長していない。なぜ彼女が皇后となっても傍に仕えていたのか、レジナは謎だった。今も名前が思い浮かばなかったり雑な仕事が目立つ。今の侍女は皇后が采配した者達ばかり。全員が全員、敵ではないだろうが、侍女長は限りなく黒に近いグレーな人物だった。

「貴女もみんなと一緒におしゃべりしていてもいいのよ」

「私は侍女長であるので......」

「そうね手本として、いないといけないわね......」

 皇太子妃が急にだんまりと考え込んでいるところにドレスがガラガラ、ドンドコと大量に部屋に運ばれた。

「皇太子妃殿下、申し訳ありません。ドレスはどれも皆こちらのようなものしかありません」衣装責任者の侍女は皇太子妃の顔色を伺い伏目がちで報告した。

 色とりどりというより――目を疑うようなどぎつい色のオンパレード。皇太子妃は「はぁぁぁ......」とため息をつくと手の甲を額につけよろめいた。毒々しい紫色のドレス。金一色の目がつぶれそうなほどド派手なドレス。赤と黒のまさにおどろおどろしい魔女らしいドレス。蛇皮模様で深緑色の野性味溢れたドレス......

「ぎゃ、皇太子妃殿下がお倒れになったわっ」

「きっとお気に召したものがなかったのよっ倒れたのよっもっと凝ったドレスをもってきて今すぐ」

「うぅ......違う、わ。止めてちょうだい......もっと地味なものを......あぁシスターアリア、ごめんなさい。私はなんてっ」

「お気をたしかにっ」

 よろよろと立ち上がった皇太子妃は、太陽と見紛うほどに輝いているドレスを摘まんだ。

「あぁ嘘よ......こんな胸に大きな宝石を付けて、私ったらまるで......滑稽な格好をしていたのかしら。あれなんて袖は何段にもわたって膨らんでいるしピエロみたいじゃない」

「ピ、エロですか......?」

 存在感なく部屋の掃除をしていた下女が声を上げた。みんなが一斉に振り返って迫力に首を竦めた。下女は庶民しか知らないような言葉に思わず漏れた呟きだった。

「あら知っているのね。やっぱり皇都にもいるのかしら?」

 皇太子妃は普段、下女など空気のように扱っていた。この場の誰もが驚いた。シーンと部屋が静まり返り皇太子妃が訝しげに顔を歪める。

「ちょっとあなたに聞いているのよ?」

 本人的には優しい口調で語りかける。皇太子妃の生まれ持った鋭い眼光に叱責されている気がして下女は尻込みしバッと床に頭を擦りつけた。

「は、はい。申し訳ございません!! 高貴なる方々の会話に割り込んでしまって」

 眉根を寄せた皇太子妃はカツカツとヒールを高鳴らせ下女の前に行くと身を屈めた。肩をぐいっと押し顔を上げさせた。

 次にしゃがみ込むと下女の肩にそっと触れた。

「卑屈にならなくて良くってよ。それより質問に答えてちょうだい」

 顔を上げた下女は「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げた。毛穴の見当たらないきめ細かな肌。間近に迫る美しい顔。長い豊かなまつげ。透明で透き通る薄紫色の目。ほんのりと染まるピンク色の頬。寝起きのすっぴん姿とは思えない完璧なる素顔。ぴしゃーんと稲妻が走った。

 ――私の女神様!!

「は、はひぃ......建国祭などのお祭りには必ずといっています......!」

 とろんとした目で皇太子妃を神のように崇め見上げる下女。

「ねえ、あなたから見て似ていない?」

 ハープのように滑らかに紡ぎ出される声にうっとりと浸っていた下女は皇太子妃のビリビリと痺れるような視線に意識を取り戻した。

「は、はい。確かにフリフリ感と、膨らんだ袖が確かに......っは、申し訳ございません。妃殿下のお召し物に対して......」

「聞いたかしら?」

 くるり振り返った皇太子妃は侍女たちを見渡すと続けて言った。

「どうやら国民受けは良くないようよ。今度の建国祭用のドレスはもっとシンプルなものに変更するようにデザイナーにすぐ伝えてちょうだい。これからの衣装もよ。今回は――しょうがないから外せるだけ外して行くわよ」

 わなわなと身を震わせグッと拳を握りしめた皇太子妃――彼女はかつての自身の感性やセンスが鋭い剣となって突き刺さり苦しんでいたのだ。誰からも返事がないことに不審に思い口をへの字に曲げた。

「は、はい。私が行って参ります」

 鋭い眼光に目を覚ました侍女がさっと名乗り上げた。怒らせたら大変だと全力で部屋を出ていく。残った者たちは皇太子妃に疑いのまなざしを向けた。

「もしや殿下ではないのでは......」

「ですが、あの身のすくむような眼差しはまさしくあの方ですわ」

 疑心暗鬼になるほどに普段の皇太子妃の態度と違い過ぎた――といっても彼女らはまだレジナに仕えて二週間、最近交代した者でも三日だけである。それだけで決めつけられるほどに濃密な日々を見て――体験した。

 ――今までの振る舞いがフリなわけがないっ!!

「か、畏まりました。一番装飾が少ないもので――そのように。ほらあなた達動きなさい」

 侍女長の号令でようやく時が動き出す。

 皇太子妃は腕を組むと不貞腐れたように呟いた。

「私ったら変なこと言ったかしら」

「いいえ! 何も問題ありませんっ」

 下女はきらきらとした目で皇太子妃を眩しそうに見上げていた。レジナはふと思い出した。修道院にいた一番小さな修道女。皇太子妃はふわっとマシュマロのように甘くて柔らかな笑みを浮かべた。

「あなた、可愛いわね」

「!?」

 ――皇太子妃はとにかく美しかった。

 レジナは問題がありすぎる性格さえなければ高位貴族なこともあって誰もが求婚したい令嬢ナンバーワンであった。(性格込みでも三位)彼女の微笑みは同性をも魅了する破壊力に溢れ、普段遠目で見るだけの下女に耐性は皆無。胸に手を交差させ意識朦朧とぼやいた。

「はぁ、なんて罪なおか、お......」

 バタンと背中から倒れた下女。皇太子妃は自身に備わったある意味「凶悪な」顔(武器)が付いているとは微塵も思ってもいない。

「私、何かしたかしら?」

 きょとんと首を傾げた皇太子妃。下女の名はサラ。皇太子妃に介抱された時のことを「女神に抱かれそこは天国だった」と語った。

 この日、皇太子妃に伝説が生まれた。「下女を笑顔だけで殺すほどの美貌」が人を介すごとに歪みに歪んだ結果生まれた「下女殺し」という異名。

 皇太子妃は国民に恨まれる人間にはなるまいと努力しているところで嬉しくない異名がつけられたのだ。

 一時期、新しい下女の募集で人が全く来なくなるほどに影響をもたらした。大臣達はこれから皇太子妃が作り出した伝説に悩まされることになる。全ての始まりの原因は皇太子であって自分たちのせいもあってなんとも悔しい思いをする大臣たちなのであるが――まだまだ先の話。

「下女殺し」皇太子妃の視界に入った下女はその場で即殺される――あながち間違いでもないかもしれない。これから様々な噂を作り出すことになる皇太子妃レジナ・ローク。ここはまだその第一歩にも満たない始まりの始まりである。

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我が儘姫は未来で死ぬ夢を見る~極悪皇帝の結婚理由は私が都合がよかったからに違いない~(仮題) 紬木海花 @tsumugi_uka

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