かみかくし

星雷はやと

かみかくし



「ど、どうかな……?」


 僕は目の前に座る友達へと、恐る恐る声をかける。緊張感から声が上擦り、膝の上で握った両手が汗ばむ。高校受験の時でさえ、こんなに緊張したことはなかった。僕の心臓は間違いなく、過去一番に速く鼓動を刻んでいる。


「うん、今回もとっても素晴らしいよ! 流石は誠一郎だ!」

「……っ! よ、良かったぁぁ……」


 友達が紙の束から顔を上げ、笑顔で感想を口にする。その反応に僕は脱力し、畳へと倒れ込んだ。安堵の溜息を吐く。


「ふふ、そんなに緊張していたのかい? 大丈夫だよ。誠一郎の絵は魅力的だよ、自信を持ってくれ」

「ありがとう……翡翠」


 微笑みながら、手を差し伸べてくれる友達。僕は褒められることに慣れていない。彼の賛辞に頬が熱くなるのを感じながら、翡翠の手を借りながら体を起こした。


 僕に優しく接してくれる、彼の名前は翡翠。冬の終わりに出来た人生初めての友達だ。


 僕は小さい頃から、外で駆け回るよりも室内で絵を描くのが好きだった。同性からは男らしくないと言われ、異性からは気持ち悪いと煙たがられた。その結果、高校生になっても友達が出来ることはなかった。


 それでも僕は絵を描くのが好きだ。


 絵さえあれば、このまま友達が出来なくてもいいと思っていた。一つ問題があるとすれば、友達と遊ぶこともしない僕を両親は心配していることだ。だから放課後は近くにある、神社の隅で絵を描いた。両親を心配させない言い訳の時間潰しと始めたことだが、お社や周囲の植物とスケッチする対象は沢山あった。いつしか時間を忘れて、鉛筆を走らせていた。


 一週間ほど経ったある日、翡翠に出会った。初めは和服姿なことに驚いたが、彼は神社の息子であると知り納得した。それから彼は、僕の絵を褒めてくれた。とても嬉しく、思わず泣いてしまった。そんな僕を翡翠は笑うことなく、話しを聞いてくれて友達になろうと言ってくれたのだ。

 それからは毎日、翡翠に会いに行くのが楽しみで仕方なく。今は春休みなので、神社がある翡翠の家でお泊まりをさせてもらっている。



 〇



「……う、誠一郎!」

「うぇ?!」


 耳元で大きな声で呼ばれ、僕は飛び上がった。


「もう、何度呼んだか分かるかい?」

「あぅ……ごめん」


 慌てて、振り向くと困った顔をする翡翠が居た。如何やら僕はまたやってしまったようだ。僕は集中すると、周囲の様子に気が付かないという悪い癖があるのだ。鉛筆を置き、翡翠へと向き直る。


「誠一郎が楽しく絵を描いているのは俺も嬉しいよ? でも、休憩を摂らないのはどうかと思うよ?」

「うぅ……はい……」


 以前は集中するあまり、寝食を忘れ倒れたことが何度かあった。一緒に過ごすようになってからは、僕の悪い癖は翡翠によって調節されている。大切な友達を困らせてしまう度に、罪悪感が募る。万が一にも、折角出来た翡翠に嫌われたら二度と立ち直れない。そう思うと、視線が下がる。


「誠一郎?」

「……その……翡翠は、僕のこと面倒じゃない?」


 顔を合わせない僕に、彼は怪訝な声で僕の名前を呼んだ。十六年間の人生で初めて出来た友達である。失いたくないと思う反面、友達との付き合い方が分からない。本音が零れた。


「面倒だと思っていたら、家に招かないよ」

「でも……翡翠は優しいから……同情して……」


 温かみのある翡翠の声に、胸が軽くなる気がした。だが顔は上げられない。以前学校でクラスメイトに話しかけられたと思ったら、担任の配慮によることがあったからだ。翡翠は違うとは思いたいが、僕は臆病で弱虫なのだ。視界が滲みそうになるのを我慢しながら、畳を眺める。


「いいかい? 誠一郎」

「うぅ?」


 両頬を包まれたかと思うと、顔を上げられた。突然のことに驚きながら、翡翠を見上げる。


「俺だって好き嫌いはあるよ ?でも、俺が誠一郎と友達になりたいから、声をかけた。そして友達で居られることを嬉しく思っている。誠一郎は違うのかい?」

「僕も……翡翠と友達になれて……嬉しい」


 新緑のように輝く瞳が、噓を吐いていないことを確信させる。彼に促されて、僕も素直に気持ちを告げた。


「素直で宜しい」

「……なんだか翡翠、おじいちゃんみたい……」


 翡翠は微笑むと、僕の頭を撫でた。その感じが、爺ちゃんに褒められた時のようだった。つい、感想が零れた。


「……友達にそういうこというのかい? 折角お茶を淹れたし、桜餅もあるのに? 一緒に食べようと用意したのだけれど?」

「ご、ごめん! 違う! えっと……安心するみたいな? 意味だから!」


 小さな感想は静かな空間によく響いた。僕の言葉を聞き翡翠は目を細めると、お盆を指さした。そこには急須と共に桜餅が乗っている。気を遣ってくれた友達になんてことを言ってしまったのだろう。僕は背中に冷や汗が流れるのを感じながら、訂正する声を上げた。


「ははっ、冗談だよ。誠一郎、必死過ぎるだろう君……」

「なっ……え?」


 焦る僕の目に映ったのは、失笑する翡翠だった。彼は笑いながら、目元を拭う。そんなに僕の焦った顔は可笑しかったのだろうか?怒られると思ったが何故か笑われてしまい、状況が分からず僕は首を傾げた。


「でも、君が落ち込んでいるよりは百倍良いよ。ほら、食べよう?」

「うん……ありがとう」


 翡翠が縁側に座布団を敷いて、隣を指差した。彼と出会って数か月だけど、新しい一面を知れて嬉しい。

 桜が散った頃には、お互いに学校に通い。こんな風に翡翠と過ごす時間は少なくなるのだろう。そう思うと、桜がずっと散らなければ良いのにと思った。



 〇



「……? あれ? 紙がない?」


 夢中で紙に鉛筆を走らせていると、次の紙が無いことに気が付いた。文机や箪笥の引き出しの中を探すが、目的の物は見つからない。


「おかしいな……」


 僕は腕を組んで、首を傾げた。先日家から持ってきたばかりで、使い切ってしまった可能性は低い。ならば、保管場所を忘れてしまったのだろうか?


「翡翠に聞いてみよう……」


 此処は翡翠の家だ。もしかしたら、彼が掃除の関係で移動させた場合もある。僕は廊下へと出た。


「翡翠?」


 台所や居間、風呂場と僕は友達を探して歩き回る。しかし彼の家は広く一向に、翡翠は見つからない。これだけ広い家だと、家の中ですれ違っている可能性もある。大人しく彼が姿を現すのを待つのが最善の策だろう。だが僕は今、絵を描きたい。一度、家に帰り紙を取ってこよう。靴を履くと、神社の門を潜った。



 〇



「……あれ? 暗い? 暑い?」


 神社の階段を降りきると、周囲が真っ暗であり気温が高いことに気が付いた。カーディガンを脱ぎ、シャツの袖を捲る。神社を出るまでは昼間だった筈だ。それに今は春で、昼間は暖かいが夜は冷える。何故、急に夜になり暑いのか分からない。異常気象の所為だろうか。


「えっと……」


 目的地である家に向かい歩いていると、知らない建物が目に映る。数日間を友達の家で過ごしただけで、知らない町に来たような不思議な気持ちになる。その所為か、家への帰り道が分からなくなった。


「どうしょう……」


 迷子のように、途方に暮れて足を止めた。高校生になっても迷子になるなんて、恥ずかし過ぎる。翡翠の神社に戻ることも考えたが、戻れる自信もない。


「何か……あ! 掲示板!」


 何か現状を打開出来るものはないかと周囲を見渡す。すると道の少し先にある、電柱の下に掲示板があるのを見つけた。昔から町を訪れた人の為に、現在位置と簡単な町の地図が貼られているのだ。それで現在位置を知ることが出来れば、無事に家まで辿り着ける筈である。


 僕は掲示板に向かって、一歩足を踏み出そうとした。


「誠一郎」

「……え? 翡翠?!」


 急に背後から名前を呼ばれた。振り向くと、月明かりに照らされた翡翠が立っていた。自分一人だと思っていた為、大きな声が出てしまい。近所迷惑になると、慌てて口を手で押さえた。


「こんな所で何をしているの?」

「えっと……紙がなくて……翡翠を探したけど居なくて。それで家から紙を取って来ようと思ったら……帰り道が分からなくて……」


 翡翠に会えて安心するが、現在の状態は非常に恥ずかしい。迷子であることは伏せて、此処に居る経緯を説明した。


「そうだったのか……ごめん。紙は掃除する時に移動させてしまってね。帰ったら渡すよ」

「いや! 気にしないで! 掃除してくれてありがとう!」


 僕の説明を聞くと、彼は眉を寄せ悲しそうな顔をした。優しい友達を悲しませるなんて、僕の行動は軽率だったのかもしれない。反省しながら、感謝を伝える。


「もう大丈夫だよ、誠一郎。俺が迎えに来たから。帰ろう?」


 翡翠が手を差し出す。僕は高校生であり、幼児ではない。だが先程、迷子になった手前断り難い。迷子に関して言及をしてこないのは、きっと彼の優しさだろう。


「うん、ありがとう。翡翠」


 僕は本当に良い友達と出会えた。幸せ者だと思いながら、翡翠に差し出された手を取った。




 〇



 ある日、面白い子を見付けた。


 絵を描く時の、その子は瞳が輝いて綺麗だった。その子と話しをする為に、同じ年頃の姿をとる。俺はその子と『友達』になった。


 その子を『家』に招き、過ごす。


 偶然にも俺のことを『年上』だと感じたようだ。脆弱で無知な存在だというのに、面白いと感じた。このまま彼に真実を話しても良いが、今はその時ではない。その時が楽しみだ。


 絵ばかりに構う為、俺はその子が必要とする紙を隠した。すると『外』へ出てしまった。俺は心が広いから、多少出歩いたぐらいで怒りはしない。『出る』ことが出来るようにしておいたのも、俺だ。しかし、面白くない。


 だから迎えに行った。


「うん、ありがとう。翡翠」


 笑顔で俺の手を取る『友達』。


 まさか先にある掲示板に、己の名前と顔が書かれた色褪せた紙が貼られているなど夢にも思わないだろう。


『大切なもの』は仕舞っておかなければ。


『家』に鍵をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かみかくし 星雷はやと @hosirai-hayato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説