明日、他人になれるかな。

桑鶴七緒

明日、他人になれるかな。

僕は明日、彼女あいつと別れる覚悟をした。


異性間の20年にも及ぶ腐れ縁というものは、

周りから見たらどのように思われるだろうか。


色々壁にぶち当たる事もまあまあそれなりにあり、周囲に期待され認められる事もあった。

僕としても申し分ないくらい世話になった事も礼をしたい事だって覚えてある限り、よくもまぁここまで付き合ってきてくれたものだ。


いや、逆か。


付き合わされた割合が7割以上が彼女の独占権の方が強かった。

ただこっちだってヒモみたいなぞんざいな扱いにされてきたわけではない。

確かに社会的地位や経済面の安定もこちら側の方が水準としては高い。


一時いっとき残業もあり時間がうまく合わなくてせっかくのデートも台無しにしたこともあったが、向こうは向こうで適当に飲むから気にしないでと何かを紛らわせるかのように気を遣わせた事もあった。


じゃあなぜ今回別れる話をする事にしたか。


あいつの元彼のもつれが未だに知らぬ間に続いていたのである。


僕に会う前の中校生の頃に恋人になったのだが、たった2年で別れたようだ。

その後お互いに社会人になってから同窓会をきっかけで再会し、気がつけば相手から結婚してほしいと告白してきたようだ。


それについて彼女も承諾しようと考えているというのだから呆れた。

と、いうか、僕のこれまでの存在は投げやりだったのかと言わんばかりに声を大にして叫びたいくらいだ。


今でも心に突き刺さる事柄を体に巡り巡って離れない彼女からのあの言葉がある。


何かの拍子抜けだったと思うが、


"お前の頭は成熟前の鉄並みに硬固なアボカドだ"


と、言われた事がある。

要は経験が少ない腐った男子と同等だという。


酷すぎる。心がカスカスになるくらい折れまくって夜中1人でベッドの中で泣きまくった事もあった。


また、よく当たると噂されるどこかの怪しい霊媒師に僕らの将来を占ってもらった時に、


"良くない霊が憑いているから、お互いのために別れなさい"


などと、告げられそれをすっかり信用してしまった彼女。


色々我慢してきたが、言い放つ言葉に気を遣えと何度も伝えても我が道を行くように、決してその我を曲げないのである。


僕の両親はあいつを快く思ってくれているが、本性がこのような小悪魔的であざとさ100%のタイプを見せつけられては、僕らの人生の後先もガタ落ちになるに違いない。


とりあえず彼女にメールをして会う約束をした。明日の向こうの反応が気になるところだが、こちらも意を決した事だ。今日は早く寝よう。


──翌日になり、待ち合わせである通い慣れたカフェに先に着いた。あと、20分後には向こうもこちらに遅れて着くはずだ。

店のドアが開く音に振り返ると彼女がやや息を切らして中に入ってきた。予測通り遅れてやってきた。


「私もカフェオレで」


いつもならドリンクを被りたくないとフローズン系統のものを注文するのに、今日は珍しいな。早速本題の話について僕から切り出した。


「あれから色々考えた。お互いのこれからの事を考えると、お前の言う通り別れる事を決めた。」

「そっか。私もそうしようと考えたよ」

「何度も言ってきているけど、後悔は…無しだぞ」

「その前に言っておきたいことがある」

「何?」


「相手側の結婚話、無しになったの」


「はっ?それさ、またお前が何かしらふっかけて脅したりしたとか?」

「おかしな事言わないで。…私の中身が見抜かれた。」

「おぉ、そうかそうか。あざといところもすっぱ抜かれたかぁ。…で、なんでそうなったの?」

「お酒の席でなんか冗談を言ったみたいなんだけど、それが間に受けたみたいでさ。わざとだって言ったのに、信用できるかって激怒された」

「お前の冗談を見抜けない相手も相手だな。俺ならいつものバカ話だってひるがえすのにな」

「そっちはわかってくれるから何かしら付き合えるんだよ。」


「結局はどうなった?」

「捨てられた。」


「ヤツも何か軽いな。もう一度話し合ったら?」


僕は何を言っているんだ。


今日別れると言いながらコイツの言い分を聞いてやっているじゃないか。こうなったら力ずくでもいいから、この場をなんとか立ち去らないといけない。

冷めかけているコーヒーの残りの分を一気に飲み込んでため息をついた。


「あのさ、悪いんだけど、これからは愚痴とかは他の誰かに当たってほしい」

「何で?」

「…俺、これ以上お前と付き合いきれない」

「そんな…そんなに皆んな私の事捨てたいほど嫌いなの?」


すると、何を思ったのか、彼女は急に泣き出して店内中にその声が響き渡っていった。


「分かっていると思うけど、人ってそれなりに距離を取って付き合っているだろ?お前にはさ、その距離の幅の取り方が下手なんだよ」

「そんなに不器用?」

「確かにそんな器用な方じゃないな。でも、負けん気はあってそこそこバランスはとれてるからいいんじゃない?」

「まだ…子どもっぽい?」

「多少は。まぁ誰だって未熟なところもあるしな。俺もそんな感じかな」


おいおいおい、慰めるな。別れるんだろ。

相手の悲観さに引きずられてるんじゃないよ。


冷徹に、冷徹になれ。


僕は頭を掻きながら窓の外や店内を見渡していた。もういい加減に見切りをつけよう。


「あのさ、もう一度言う。俺と別れてくれ。」

「どうしてもそうしたい?」

「ああ。このままずっと気持ちを引きずりながらいるのも互いのためにならない。それに、俺もいっそのこと1人になりたいんだ。」

「本気で言っている?」

「本気だ。俺さ、正直お前が他の人と幸せになる方がいい。これ以上腐れ縁も嫌なんだ。」


彼女の表情が少しずつ冷静さを出してきている。僕はこの調子でいいと考えて続けて話をした。


「これ以上どうあがいても答えは同じだ。これからは別々の新しい人を見つけて幸せも見つけることにしよう」

「どこかへ行くの?誰か好きな人できた?」

「できた。だから、俺には関わらないでくれ」


「…じゃあ会わせて」

「はい?」


「その好きな人に会わせてよ。3人で話し合って相手の本気度を見たい」

「…あのな、そこまでしなくていい。もう呆れて話しができない。…ドリンク奢るから先に帰る」


僕は席を立ち振りかえらずに会計口に支払いをして、店を出た。肝心な事を言うのを忘れた。


"元気でいろよ"

まぁいいか。こういう感じの別れ方は大人じゃないな。


まるで学生のカップルが別れたみたいな雰囲気になってしまったと少し言葉足らずなところが出てしまい、なぜか反省してしまっている。


ああもっとしっかりしろよ俺。これだとまた向こうからスマートフォンに連絡してきてダラダラと話が長引きそうになる気配だ。


自宅に着いてしばらくソファに横になって考えていた。

数時間が経ち窓の外が暗くなりかけていた頃、腹が減って再び家から出かけた。

一駅隣りの場所にある定食屋に入って、ばらついている人の背中を眺めては席についた。


注文を頼もうと店員を呼ぼうとした時、1人の女性が店の中に入ってきた。僕は目を丸くして驚いた。


「相席いいですか?」

「お前、何でここがわかった?」


彼女だった。

聞いたところ、自分の友達に夕食時に外に居そうな場所を聞きまくってここの店に来たという。先程までの泣き顔はとっくの間に綺麗に消えていた。


「お前…あれだけフっておいてまだ懲りないのか?」

「私が質問したい事があってね」

「何だよ?」

「何で未だに写真や連絡先とか消さないの?」

「これから消すところだった。」

「じゃあ私の前で消しなさいよ」

「分かった、やるよ」


僕はスマートフォンを取り出して、電話帳の連絡先を削除し、次に写真を開いてみると、思わず手が止まった。


──笑ったり、ふざけ合っている2人の顔がそこにはぎっしりと並んでいた。そういえばしばらく写真を撮っていなかった。


「ねぇ、最後にさ、記念に写真撮ろうよ。」

「何言ってるんだよ?撮りません」

「あたしのスマホでいいから撮ろうよ」

「それ、残してどうするんだ?」

「普通に残しておく。悪い?いいじゃん、友達って事でしておくからさ。ね?」

「…なら、1枚だけだぞ」


僕は彼女の向かい合わせになった体制で1枚だけ写真を撮った。


「いつまでも残しておかないで、そのうち消せ」

「分かった」

「何か頼むか?」

「そうだね…すき焼き定食にしようかな」

「すみません」


──それからお互いに無言で食事を摂り、会計もそれぞれ支払い、店を出た。

駅までの道を一緒に歩き、構内に入り左右に設置してある改札口で改めて元気でいてと手を振って別れた。


やがて、電車が到着すると乗車して反対側にいる彼女に背を向けるように座席についた。

すぐに電車は走り出して何も振り向かずに平常心を持ちながら家路へと向かった。


僕らは他人になろうとしていった。


それからというと、少しの寂しさを抱えながら仕事に打ち込んで、時を無駄にせずに過ごしていった。その間も彼女の事は考える事はなく、僕は新たな恋におちて新たな恋人と付き合い始めた。


***

3年が経ったある日、今の彼女と一緒に会う約束をし、スマートフォンをしまおうとした時メールが届いた。


"よぉ、元気?"

あいつからだった。


SNSのアカウントをブロックしたはずなのに、なぜ届いたのか返信すると、新しくアカウントを作って僕の友達から追加紹介して入ってきたと言う。


"忙しいから関わらないで"と送ると、いつかの定食屋で一緒に撮った写真を送ってきた。


"忙しいならそれでいい。私は子どもが産まれて育児に追われているけど、母親になって良かった"


"頑張れ"

と一言だけ送るとその後は返信は来なかった。


そうか。あいつ、いつの間に結婚して子どももできたのか。落ち込むと思ったけれど、逆になんだか嬉しくなってきた。


お互いに順調に成長しているならそれでいい。


部屋のカーテンの外から光が差してきていたので、窓を開けて空を見上げてみた。


久しぶりの青空だ。新緑のいい香りが鼻をくすぐってイタズラに好風が僕をよぎるように笑いながら吹いていった。


改めてあいつにありがとうと心の中で告げた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日、他人になれるかな。 桑鶴七緒 @hyesu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ