マラソンランナー

栗亀夏月

マラソンランナー

現在日本男子マラソン界には神童と呼ばれる選手がいる。

その名は、金迫健三(かねさこ けんぞう)。

中学生から始めた陸上競技。

当初は短距離選手だった。しかし、メンバーが足りなかったため駅伝にエントリーされると才能が開花。

初長距離で、県内トップのタイムを叩き出した。

そこから金迫の伝説が始まる。

中学二年生にして3000mは全国大会で優勝。

中学生三年生の時にはジュニアオリンピックで高校一年生に混ざり優勝。

高校は名門私立に進学し、インターハイでは5000を三年間優勝した。

全国駅伝では一年生から出場し、三年間で出場した全ての区間で区間新記録を出した。

都道府県対抗駅伝では、脅威の13人抜きをして、チームを優勝に導き。

アンダー20のアジア大会でも優勝を飾った。

金迫は早熟の選手だと言われ続けていた。

それが本人は気に入らなかった。

大学ではインカレを4連覇。箱根駅伝は4年間ずべて最長区間を任され、ずべての年で区間新を塗り替え続けた。

彼の力は日本、アジアにとどまらず。

大学在学中に開催された世界陸上では10000mの日本代表として出場し、見事に優勝した。

こうして振り返ると、3000、5000、10000の全てで中学歴代最高記録。高校歴代最高記録。大学歴代最高記録をうち立てており、様々な実業団から声がかかった。

彼は日本トップのマラソンコーチに指導を仰いだ。


彼にとってトラック種目の距離は短く感じてしまっていた。

陸上競技の競歩を除いた最長の距離それはマラソン。42.195kmしか残されていなかった。

当然彼はマラソンでも日本記録を狙っていた。

しかし、実業団のコーチは困っていた。規格外すぎて手に負えないのだ。

自分が現役時代、最も辛かったメニューをさらに過酷にしても笑顔でクリアしてしまう。

ハードな補強や体幹トレーニングを何種目行わせても翌日筋肉痛になるどころか、パフォーマンスが向上するほどだった。

コーチは迷った挙句、日本の神童をマラソン王国のケニアに任せることにした。

これは未だかつて無い挑戦だった。

しかし、彼は日本レベルでとどまっているべきでは無い。

金迫はケニアの世界最高峰のチームに加入し、当時の世界ランキングトップ10以内の選手たちと三年間修行を重ねた。


そして、帰国し初マラソンとして東京マラソンに参加した。

その日は歴史的な日となった。

外国人の招待選手と40kmまで並走し、ラストスパートで抜き去り、1位となったのだ。タイムは日本歴代2位。

インタビューで彼はこう答えた。

「前日に腰に違和感があり、招集のギリギリまで出場を辞退しようと思っていました。しかし、応援してくれる妻と息子が背中を押してくれて出場を決めました。正直本調子ではありません。あと3分タイムを縮められると思っています」

翌日の新聞各社はこの話題を一面とした。


そして今日。金迫健三にとって約1年ぶりのマラソンがある。

日本記録更新は確実と言われ、再来年のオリンピックも出場確実と言われ、メダルも夢では無いと言われ、周囲には想像のつかない重圧を受けているはずの金迫だったが、彼の異常なメンタルはそれをも成長の糧とした。


今日のマラソン大会は、金迫の生まれ育った町で行われる。

金迫はレースの準備のため早めに家を出ることにした。

ケニアから帰国してすぐ建てた家である。

大学時代から交際していた女性と結婚してまもなくケニアに出国したため、妻には息子の子育てに関して任せる過ぎてしまったと後悔している。

そんな息子も4歳を迎え。ようやく父である金迫に憧れや誇りを持ち始めたことが嬉しくて仕方なかった。

「じゃあ行ってくるよ」

金迫は妻と息子に出発の挨拶をした。

「ええ。ゴールで待ってるわ」

今日のゴールは家の目の前にある競技場である。コースを説明すると町の中心地をスタートし、折り返し地点からは競技場に向かって走ることになる。

金迫はこのコースをまるで家に向かって帰るようだと考えていた。

そんな事を考える事が出来る程彼は落ち着いていた。


今日のマラソンは非常に注目されている。

ケニアでは金迫のチームメイトであり、現役世界最高タイムを持っている外国人招待選手や、マラソンデビューの有名駅伝ランナーなどが走るからである。

しかし、人々の一番の目的は金迫健三であろう。

彼はそんな自信を持ってスタートラインにたった。


静寂と号砲。

厚底のランニングシューズを通して衝撃が脳天まで突き抜ける。

上手く反発をもらえている証拠だ。

腕振りも良いリズム、適度なリラックスを保つがスピードが遅いわけではない。

はじめの1kmを2分45秒で通過する。

ちなみに、世界記録と同タイムの場合1kmを約2分52秒のペースで走り続ける計算となる。

しかし、その日の金迫はペースなど気にしていなかった。

自分の脚の動くまま、景色が次々変化していくのに任せて走っている。

気温は低く、風はほとんどない。湿度も低くマラソンには最適な気象条件だった。また、コースのアップダウンはほぼなく、平坦なコースだった。


金迫はいくつもの大会を経験している。

その度に緊張したり、体が強ばったこともあった。しかし、今日は違う。

ゾーンに入るとはこういう事だろうか。

周りの景色はゆっくり流れており、気持ちも呼吸も余裕がある。

それなのに、ペースは落ちない。それどころか、招待選手を追い抜きトップを独走していた。


レースは進む。風を切り。地面からの力を受けて、折り返し地点を通過し、競技場に向かう。この辺りで30kmである。

金迫は日本人の課題であるロングスパートやラストスパートを得意としている。

たとえ、招待選手が追い上げて来ようと返り討ちに出来る気がしていた。


35kmをすぎた。ここで久々に時計を確認した。

有言実行。前回のタイムより3分以上早い。つまり、世界記録にも届きそうである。

この辺りから周囲の声援が聞こえ始めた。

あまりの興奮に叫び声をあげる者もいれば、親切にペースなどを教えてくれる者もいる。

後ろの選手との距離も聞こえて来る。

ずっと横にいたはずの中継車の存在にも今になって気がついた。

しかし、あと5kmを切った時、競技場の方向で花火のような音が聞こえた。

しかし、そんなことを気にしない。

金迫は自分の走りを貫くだけだった。


残り2kmを切った。後ろの招待選手の足音すら聞こえない。

金迫はラストスパートでスピードをあげた。

周囲の歓声は、怒声にも近くなっていた。

「頑張れ」ではなく。「急げ」「早く」という声になっていた。

タイムを気にする。日本記録更新は間違えない。世界記録は少し厳しい。

だが、金迫は自分が日本長距離界を大きく帰るのだと意気込んで走った。


ゴールテープのある競技場に入ると、何故かレーン上に物が散乱し、人々は叫び声をあげていた。

ゴールテープを切る。

日本記録更新。そして、世界歴代5位のタイム

を出した。


しかし、人々の叫び声は止まない。

金迫に何かを必死に訴えている。

金迫は手をあげてそれに答える。しかし、人々は競技場の向こう側を指さしている。

その時、消防車と救急車が競技場の横を猛スピードで通過した。

人々が指差す方向を見る。

立ち上る煙と家の隙間か炎も見えた。

「俺の家か....」

日本最高のランナーはインタビューを振り切り、給水の水を取ると、風を切って家の方に走り始めた。

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マラソンランナー 栗亀夏月 @orion222

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