アンリエッタ出奔2

 鬱蒼うっそうとした森を切り開いてつくられた街道をひとたびれれば、道なき道のなかに細い獣道がみえた。

 南の関より先はヴァレント領だ。領主の承諾を得なければ入ることのかなわない森のために、ノーチェランド騎士団はめったなことでここに入ることはない。もっとも、出奔したアンリエッタにそんな道理は通じないのだが。


 森の奥深く……けもの道と言えど、動物ではないだろう。これは何度も人が通ったあとだ。踏み固められた土の上は草も生えない、その細い道が明かりの方まで続いている。

(……一朝一夕いっちょういっせきでこんな道はできまい。何度も往復したか、もしくはここが奴らの生命線なのかもしれない)

 剣だけを握り、ぼろを脱ぎ捨て、暗闇の中に身をゆだねる。こちらを見る目が二対、ある。

(見られている。少なくとも二人。見張りか)

 暗がりから声がかかったのはその時。

「何者だ。答えろ。さもなくば射る!」

 子供の声だった。

「――そっくりそのままその問いを返そう。お前たちは何者か」

 アンリエッタは身体の力を抜いたまま、そう大声を出した。「ノーチェランドの南、ヴァレントの北に巣くうありというのは、お前たちのことか?」

「っ、」

 すかさずアンリエッタの耳の横を、矢が通り抜けていった。アンリエッタは、ただ矢の飛んできた方へと距離を詰めていく。

「ぼくたちを愚弄するな!ぼくたちは誇り高き狩猟の民っ」

「――誇り高き狩猟の民は、街道を往来する商人の足のけんを切ったり、指を切ったりするのか?顔の形を変えてしまうくらいに殴打おうだすることも?」

「!?」

「積み荷のみを奪えばいいものを、ただの商人にそこまでするのがお前たちの流儀というわけだ」

 アンリエッタは声の主に距離を詰め――子供の肩に剣先を置いた。

「そ、そんなの、そんなの知らない、そんなの知らないよ……!そんなひどいこと!」

(知らない、か。それはそうだ。略奪りゃくだつに参加したこともなさそうだし……、)

 アンリエッタはその子供を観察した。嘘を言っている風には見えなかった。ただ刃に怯え、殺される痛みを想像して泣いているようにしか見えない。

(森の外で、男たちが何をしているのか知らないんだ……)

「お嬢さん。君たちの住処に案内してくれないか。私の名はアンリエッタ・ル・ノーチェランド」

 子供は目を見開いた。「お嬢さん」とよばれたことにか、それともノーチェランドという姓に驚いたのか。どちらでもよかった。少なくともアンリエッタには。続けてアンリエッタは、背後に向かって声を張り上げた。

「そこにいる君も一緒にだ、少年。そうかりかりするな。君たちのような優秀な戦士を殺すつもりはない。剣をおろしてくれ。──私もお嬢さんに傷をつけたくはないのでね」

 葉擦れの音がして、少年が一人木から降りてきた。鋭い眼光はひたとアンリエッタを睨みつけている。アンリエッタはようやく少女から剣を退けた。

「私もわけありなんだ。交渉がしたい。君たちのおさのところへ案内してもらえないだろうか」

「嫌だと言ったら?」

 少年が低い声で問う。アンリエッタは再び剣を持ち上げて見せた。少年はそれだけで察したらしく、泣いている少女の元へ歩いて、彼女を抱き起した。

(……ああ)

 悪役を演じることはたやすい。従順な令嬢を演じるのと同じくらい、たやすい。

けれど彼らが寄り添いあっている姿は、アンリエッタの記憶の中の少女の面影を思い出させる。


(ああ、ディア。あなたはいまどこに居るんだろう)

 ディアの消息は知れない。約束を交わした数日後、彼女は姿を消してしまった。


 アンリエッタが感傷に浸っている間、少年はようやく少女を落ち着けたらしかった。声変わりの途中らしい、かすれた声が言う。

「ノーチェランド嬢。案内する。ついてきてくれ。ただ、剣は仕舞ってもらう。それができないなら」

「わかっているよ。私も、悪人の振りに疲れてきたところだ」

 アンリエッタはすなおに、剣をさやへと納めた。少年は少女と手をつないで、アンリエッタの先を行く。




 ノーチェランド領では「蟻の巣」と呼ばれていた狩猟民族の根城ねじろは、木に張り巡らした布で囲った簡素な集落だった。かれらは多くが木の上の家に住み、煮炊きや食事は地上で行うという生活様式をとっているらしい。「誇り高き狩猟民族」。少女がそう言ったのは間違いでも誇張こちょうでもないようだ。木々の上から感じる視線は総じておびえと好奇心でいっぱいだった。

 アンリエッタが見られることに慣れていなければ、逃げ出していたかもしれない。それほどの人が、木の上に暮らしていた。

「おばあ。ノーチェランド領のお嬢様をお連れしました」

 少年が木の上に向かって語り掛けた。すると、垂れ下げた布の間から、枯れ木のような手が伸びた。

「ノーチェランド領の。……ああ、このような姿をお見せして大変申し訳ない……」

アンリエッタは頭を垂れた。

「いえ、楽にしていただきたい。私はオルランドの娘アンリエッタ。あなたがたと交渉をしにまいりました」

 老婆はしばし黙った。そして、重々しい声音でゆっくりと言った。

「――交渉といいますと。ノーチェランドのお嬢様が訪れねばならぬような交渉事が?」

 少女が、まだ泣きべそをかきながら「おばあ」に向かって語り掛けた。

「お父さんたちが、商人の人にひどいことをしているって言うの。ゆ、指を切ったり、その……」

 アンリエッタは重ねるように問いかけた。「我々の領への客人が、盗賊まがいの者たちに暴行されるという事件が相次いでおります」

「盗賊まがいの……」

「ええ。街道沿いに住まうあなた方なら、その現場を一度でも目撃したことがあるのではと」

 アンリエッタはあくまで、そう言った。「おばあ」は考え込み、それから「うちの集落のものやもしれません」と告げた。

「若い者の動向を把握できていませんで……最近、羽振りが良くなったとは思いましたが……獣の毛皮でそれほど稼いでこれるとは、と驚いていたところでした。時には宝飾品を持ってきて……、今日は豊作であったと言って……時には高い酒や、反物たんものや……とにかく、なんでも買ってきたと言っていました」

(……なるほど。女子供にはそう言っていたのか)

 アンリエッタは得心し、それからこの集落の者たちを哀れに思った。

(誇りを捨てなければ生きていけない、のか……)

「獣の数は減ってる」少年が言う。「ノーチェランド領の猟師は、獣を獲りすぎる。だから、更に減る。獣が取れないと食料に困るから、食料の調達も、最近は父さんたちが。……まさか盗品だとは知らなかったけど」

 「おばあ」の手はしおれたように項垂れていた。アンリエッタは、毅然として顔を上げた。

「ご提案を」

「なんでしょう、お嬢様」

「あなたがたをノーチェランド領民として招き入れましょう」

「……我々を?」

「ノーチェランドの名産は、北部の山々に住まう動物の毛皮です。しかし、猟は同時に危険も伴うもの……手練れのあなた方が加わってくだされば、私どもも心強い。誇り高き狩猟の民族が、盗賊まがいのことをせねば生き延びられないというのも、心苦しいことです」

 アンリエッタはガウンの中に手を突っ込んで、ペンダントトップを引きちぎった。

「……ここに私のロケットがございます。これに私が書状を入れます。あなたがたはそれを、騎士団の兵に見せてください。そうすれば、アンリエッタのことづけとして、父オルランドへと伝わるでしょう」

「お嬢様。我々は罪に問われますか」

「おばあ」が静かに尋ねた。アンリエッタは答えに詰まった。もうすでに彼らは数えきれないほどの罪を犯している……。

酌量しゃくりょうの余地を、うったえます。そうしなければ生き延びることが難しかったことも含めて、書状に書き記しましょう。……幸い、ペンとインクはございます。紙さえあれば」

 少女はほっと胸をなでおろしたようだったが、少年は険しい顔でアンリエッタを睨みつけていた。

 そううまくいくものか。そう目が物語っていた。アンリエッタも、うまくいくとは思っていない。

 書状が偽物だと疑われたら。たとえ書状が本物として通っても、これまで積み重ねてきた彼らの罪を、父は許すだろうか。略奪りゃくだつに加えて暴行ぼうこう。先ほどの言葉をかんがみると、人身売買も……。今まで盗まれた品々の数を思えば、無罪で済むとも思えない。

 少女が紙を持ってきてくれる。アンリエッタはそれに出来る限りの言葉を尽くした。

「彼らに、私の全てを託します。これより街道は平和になる。それを約束いたします……」

 最後にアンリエッタは、少女の腰から短剣を借り、長い後ろ髪を掴むと、一思いに切った。

「ああ!」

 少女が声を上げて、はらはらと舞う桜色の髪を戻そうとするが、一度切ったものは元には戻らない。少女はアンリエッタの長い後ろ髪を押しいただくようにして、困ったような目で見上げた。

 軽くなった頭を振って、アンリエッタは微笑んだ。

「ずっとこの髪型に憧れていたんだ」

 それから、少女の肩を掴んでこう言い聞かせた。

「ロケットの書状を見せて、それでも信じてもらえなくなったなら、これを見せて。アンリエッタは目の前で自害したと言ってくれないか」

「えっ」

「……と、言っていたと伝えてくれ。そして私は生きて西へ行ったと」

「ええ!?」

 少女は目を白黒させた。「つまり、どういうこと、ぼくはどうすればいいの?」

 彼女には難しかったようだ。アンリエッタは少年を見た。

「そういうことだ。彼女を支えてやってほしい」

「言われなくとも。つまり、僕らに嘘をつくよう言いつけて西へ行ったと言えばいいんでしょう。……うまくいけばいいけどね」

 少年はまだアンリエッタを信用していないようだった。

(賢明な子だ)

「父さんたち、貴女のロケットを売るかもしれないよ。そしてまた、商人を襲うかもしれない。その方が絶対、楽だから……」

「それでもいい。だが、その金はいっとき糊口ここうをしのぐかもしれないが、このまま略奪を続ければ、君たちにはいつかがやってくるだろう。偉大なる狩猟の民としてではなく、盗賊一味としてだ。……賢い君はそれをわかっているはずだ」

「……」

「頼んだよ」

 アンリエッタは微笑わらうと、薄いガウンを翻して立ち上がった。

「衣服をくれないだろうか。馬に乗るんだ。できるだけ簡素なものがいい。代金は払おう」



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男装騎士アンリエッタと黒の騎士 エルドラ国綺譚 紫陽_凛 @syw_rin

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