第23話 危機

 へーミシュが神殿を離れてからしばらくたった。そろそろ戻ってきてもいい頃だが、一向にへーミシュが戻ってくる気配はない。ソフィアたちは、テルースの宮殿を後にし、土精ノームの長・コルリスの屋敷で、へーミシュの帰りを待たせてもらっていた。

「へーミシュ、大丈夫かな……」

 ソフィアが心配するのも、もう今日で何回目だろうか。へーミシュが無鉄砲なのは承知の上だが、それでも今回ばかりは、皆言い知れぬ不安を感じていた。


(へーミシュ、やっぱりお母さんのことが気がかりなのかな……)


 大地の女神テルースが封印され、土精ノームの長コルリスから告げられた衝撃の事実。なぜコルリスの口からへーミシュの母親の名が出てきたかはわからないが、へーミシュはよほど衝撃を受けたのだろう。彼があんな風に取り乱すところなど、ソフィアは今まで見たことがなかった。それは、他のみんなも同じなのだろう。ランドルフに至っては、先ほどからずっと部屋の中を行ったり来たりしている。


「僕、探しに行ってくるよ」

 ウルクスがそう言って立ち上がった。ソフィアも、「私も行くよ」と言って、座っていた椅子から立ち上がる。

「私も行くのである〜」

 ランドルフが狼の姿のままついてきた。家の土精ノームに断ってから、三人で屋敷を出る。神殿の前まで辿り着くと、ランドルフがしきりに地面を嗅ぎ始めた。やがて、ランドルフは「こっちなのである〜」と言い、走り出した。


 ランドルフやウルクスに追いつこうと必死に走っていると、どんどん通りが狭くなり、人通りも減っていく。やがて、人が全く通らない薄暗い路地にたどり着いた。へーミシュは、そこで壁にもたれかかり、手に持っている何かを見つめていた。


(なんだろう、あれ……何か読んでるのかな……?)


 声をかけづらくて、三人とも曲がり角から様子を伺っていた、その時——。


(……え?)


 突然へーミシュの目の前に、黒いフードを被った人影が現れた。見間違いかと思って、瞬きしてからもう一度見る。そこには、黒いローブを纏った、まるで死神のような人影が立っていた。


「ウルクス、誰だろう、あれ……」

「誰だろうね……?」


 しばらくして、やっと人影に気づいたらしいへーミシュが顔を上げた。人影が何か話し出す。少し離れているため会話が聞き取りづらいが、どうやら人影は商人で、へーミシュに何かを売ろうとしているらしい。へーミシュは、商人を警戒しているからか、ノクスの柄を握っている。

 そうこうしているうちに、商人は手に持っていた袋から何かを取り出した。それが花だと気づいた瞬間、ソフィアの体に悪寒が走った。


(何、あれ……本物の花、じゃないよね……?)


 どうしてかはわからないが、商人が手に持っているのは偽物の花に見えた。いや、霞んで見えるその花は、本物そっくりのだと、ソフィアは強く感じた。


 人影とへーミシュの会話を途切れ途切れに聞いているうちに、へーミシュがその花を奪い取ったのが見えた。それまで片手に持っていた本が、音を立てて地面に落ちる。


(……へーミシュ、だめ……! その花は……!)


 その花に触れたら、きっと良くないことが起こる。そんな思考がソフィアの頭の中を占めていたが、声が出そうになるのをぐっと堪えることしかできなかった。


「へ、へーミシュ、どうしちゃったのである……?」

 ランドルフが戸惑ったように囁いた。ウルクスも混乱しているようだ。


 へーミシュがその花に顔を近づける。


(へーミシュ……!)


 ソフィアの声は、へーミシュには届かなかった。へーミシュの体がぐらりと傾き、へーミシュは地面に倒れ込んだ。



「それでは、どうぞ、いってらっしゃいませ——永遠の眠りへと」



 商人を名乗った人影がそう言ったのを、はっきりと聞いた。

「ヘーミシ——」

 ソフィアは物陰から飛び出しかけたが、ウルクスに引っ張られて踏みとどまった。路地の奥から、二つの影が近づいてきている。片方はかなり大きな影で、頭の上から二本の大きな角が生えていた。近づいてくると、手に持っている松明が、その牛のような頭部の輪郭を映し出した。もう片方の影は、黒いフード付きのローブを纏っている。顔も布で隠していて、表情は伺えない。

「眠ったか」

 ローブの人影が商人に話しかけた。想像していたより声が高い。女性だろうか。商人が「はい。ぐっすりと」と答える。牛頭の怪物が、「こンなやツ、いっキにくビをはネてしまエばよカッたのニ」と、片言な言葉で喋った。女性らしきローブの人影が、それを鼻で笑う。

「それができればもっと早くにそうしているよ。こいつの場合、取り巻きが厄介だからね。どうやって隙を突こうかと思っていたが……一人きりでうろついているとは、かえって好都合だ。タウロ、こいつを連れて行け。悪魔といえど、半分は人間。寝首をかけば、抵抗すらできんだろう」

「わカッた。こイツのクび、きルの、たのシみ」

 怪物がローブの人影と不気味に笑い合った。


(ど、どうしようどうしよう……へーミシュが殺されちゃう……!)


 助けたくてもどうしようもできない。そんな自分がもどかしかった。怪物がへーミシュを担ぎ上げ、路地裏の闇へと消えていく。


「ど、どうしようウルクス……! へーミシュが死んじゃう……!」

 ソフィアは小声でウルクスにたずねた。

「……隙を見てへーミシュを助けよう。大丈夫」

 不安をにじませながらも、ウルクスはしっかりとした口調で言った。今頼れるのはウルクスとランドルフだけ。彼らを信じるしかない。


 ソフィアは、ランドルフとウルクスの後に続いて、怪物たちの跡を追った。



 先ほどの路地よりもさらに奥の暗がりに、怪物たちはいた。おそらくここは町外れ。助けは来ないだろう。

「はヤク、こいツの、クビ、きル」

 怪物が腰に下げていた斧を手に取り舌なめずりをしている。

「ウルクス、どうするのである……!?」

「うん。隙をついて僕が魔法で彼らを動けなくさせるから、ランドルフはへーミシュをお願い。ソフィアはここで待っていて。もし僕やランドルフが攻撃されたら、隠れながら治癒魔法で助けて」

 ウルクスの指示に、ソフィアは「わかった……!」とうなずいた。するとウルクスが、ソフィアに杖をかざし、『神々の加護アムレートゥム』と唱えた。

「一応、結界を張っておくね。ソフィアの存在は向こうからはわからないけど、念の為静かにしておいて」

 ウルクスはそう言うと、ランドルフと共に物陰から飛び出した。斧を振り上げた牛頭の怪物が、ウルクスたちに気付く。


「きサマら、なにモノ——」


地に引かれよグラヴィタス!』


 ウルクスの魔法で、牛頭の怪物と商人の足元に魔法陣が現れた。魔法陣に触れている彼らの足が、まるで石のように動かなくなる。

「おのれっ!」

 ローブの人影が、ウルクスに攻撃を放った。どうやらまだ動けるらしい。ウルクスが攻撃を防いだ一瞬の隙を突いて、ローブの人影と怪物が素早く闇の中へと消えていくのを、ソフィアは見た。

「あ……!」

 ローブの人影を追いかけようとしたが、ランドルフの声に呼び戻された。慌ててランドルフのところへ駆けつけ、へーミシュに声をかけるも、反応はない。

「へーミシュ……!」

 大きく揺さぶってみても、すやすやと寝息を立てているだけだ。

(どうしちゃったんだろう……やっぱりあの花が……)


「……がはっ……!」


 何かが倒れる音がして振り返ると、商人を名乗る男が倒れていた。男の目の先にはウルクスがいて、ウルクスは魔法陣を解除しているところだった。

「……危なかった……」

「ウルクス! 大丈夫!?」

 ソフィアが駆け寄ると、ウルクスは「うん、大丈夫」と言った。

「……お、おのれぇ……!」

 商人がうめいた。だが次の瞬間、その表情はまるで愉快だとでも言うように不気味な笑みへと変わった。

「……まあいい。そいつはもう、二度と目覚めることはないのだからな……!」

 おぞましい声にソフィアの背筋が凍った。商人は力尽きた。そして、その体は、一瞬にして崩れ去った。

「な、なに、あれ……!」

 信じられない出来事にソフィアが混乱していると、ウルクスが「それよりへーミシュを……!」と言い、近寄ってへーミシュを左肩に担ぎ上げた。へーミシュが落とした本を拾い、ソフィアもへーミシュを支える。三人は、ランドルフが持つ松明の明かりを頼りに、コルリスの館へと急いだ。


     *  *  *  *  *


「どうですか、へーミシュの様子は……」

 ベットに寝かせたへーミシュを見て、ウルクスがコルリスにたずねた。

「うむ、これはまずい……」

 コルリスはそう言って表情を固くした。

「……彼は、”夢喰いの花”に取り憑かれておる」

「”夢喰いの花”……?」

 ソフィアは聞き返したが、隣ではウルクスが「そんな……やっぱりあれは……」と呆然としている。

「うむ。お主らは見たのじゃな? ”夢喰いの花”——またの名をソヌムストルムとも言うが、これはその香りを嗅いだものを夢の中に引き摺り込む魔物の仕業じゃ」

 コルリスはソフィアの方を見て、「”慈悲クレメンスの巫女”殿はご存じではなかったか? 貴殿は植物にも詳しいと思っておったのじゃが」とたずねた。

「いえ、私は……あ、でも、その花——”夢喰いの花”は、見たときになんだか幻のような気がしたんです。なんだか霞んでいるように見えて……」

 ソフィアがそう言うと、コルリスは微かに目を見開いた。

「その通りじゃ。ソヌムストルムは、花の幻に擬態して相手を騙すのじゃ。そうして匂いを嗅いだ者の夢に住み着き、相手に夢を見させ、夢を食って生きる。じゃから、この魔物に憑かれた者は、一生夢から覚めないのじゃ」

「一生!? ほ、本当なのである……!?」

 ランドルフが今にも泣き出しそうな顔になった。

「それだけではない。この魔物は、夢を食い終わると、魂まで食い始める。この花に憑かれたのが先ほどなら、おそらく魂を食べ始めるのは一週間後……」

「そんな……何か助ける方法はないんですか……!?」

 ウルクスがコルリスに詰め寄った。

「うむ……ひとつだけ、あるにはあるが……それには植物に詳しい風精シルフの力が必要じゃ。気まぐれな彼らが協力してくれるかどうか……」


「私、行きます」


 ソフィアは無意識に言っていた。

「ソ、ソフィア……!?」

 意表を突かれた様子のアルマと目が合う。

「私が行って風精シルフの方々を説得してきます」

 アルマが、「で、でも……!」と心配そうに言ったが、ソフィアは「大丈夫」と言って見つめ返した。

「今まで私はたくさんへーミシュに助けてもらったんだもの。今度は私が助ける番だよ」

 アルマが「ソフィア……」と言って、再びソフィアをじっと見つめた。

「わ、私もいくのである〜! へーミシュを助けるのである!」

 ランドルフが手を上げた。

「俺もいくぜ。へーミシュには世話になったしな」

 ネカレウスもそう言って立ち上がった。

「も、もちろん私も……!」

 アルマが両手で弓を握りしめた。

「おお、そうか。それでは、ルペスをお供につけよう。やつは腕っぷしが強い。護衛には十分じゃ」

 コルリスの気遣いに、ソフィアは「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。それにしても、こういう時にいつも頼りになる人物の発言がまだない。ソフィアは、黙って話を聞いているウルクスに声をかけた。

「ウルクスも来てくれる……?」

 俯いていたウルクスは、顔をを上げ、「……ごめん」と言った。

「テルース様にかけられた呪いで、少し気になることがあるんだ。申し訳ないけど……」

「わかった。へーミシュのことは任せて。その代わり、テルース様のことをお願いね」

 ソフィアはそう言って、「できるだけ早く戻るから、ウルクスも気をつけて」と言いながら、旅の荷物を背負った。

「期限は一週間、ですよね?」

 ソフィアが確認すると、コルリスはうなずいた。

「うむ。我々も、魔物の夢喰いをなんとか食い止められるよう努力はしてみよう。じゃが、気をつけるのじゃ。もしかしたら、神々を封印した輩と出くわすこともあるかもしれぬ」

「わかりました。へーミシュをよろしくお願いします」

 ソフィアはへーミシュに近づいた。穏やかな表情で眠っているへーミシュに、心の中で呼びかけた。


(へーミシュ、絶対助けるからね……!)


 ウルクスとコルリスに見送られ、ソフィアは”土の街テルルプスの隠れ里”を後にした。


     *  *  *  *  *


 ネカレウスとルペスの案内で、ソフィアたちは二日たったある朝、風精シルフの住処へと辿り着いた。が、そこは、境界の中でも珍しい、木漏れ日が照らす静かな森だった。

「ここが、”風の森ヴェンティヴァの隠れ里”……?」

 辺りを見渡しても、風精シルフの姿は見えない。それどころか、今まで見てきた隠れ里にはたいていあった、精霊たちの家すら見当たらなかった。

「ああ。ソフィア、上を見てみろ」

 言われた通り見上げて、ソフィアは感嘆の声を漏らした。


 そこにあった木々の上には、それぞれ小さな家が立っていたのだ。枝の間に挟まるように立っている家々は、どれも人が届かないほど高いところにある。そんな光景が、見渡す限り広がっていた。


 ソフィアが淡い光を受けて佇む家々を見ていると、一番近い家の扉から小さな顔が覗いた。見間違いかと思ったが、扉はそのまま開き、中から人の姿をした小さな生き物が姿を現した。背中に生えている、空気に溶けてしまいそうなほど透き通った羽が、その生き物が精霊であることを伝えている。


 神秘的な姿に見惚れていると、精霊は長い髪をふわふわと漂わせながら、ソフィアたちに近づいてきた。そして、少年にも、少女にも見える服を着た風精シルフは、ソフィアの目を見て言った。


「君は、”慈悲クレメンスの巫女”なの?」


《第23話 危機 了》

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プハンタシア哀歌 〜へーミシュの旅〜 うつろそら @soraha-aoi

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