反転

 ハッピーバースデーの歌を歌ってから、私はろうそくの炎を消した。お姉ちゃんと二人のリビングで、お姉ちゃんは「おめでとう」と拍手をしてくれる。私は「ありがとう」と告げて、お姉ちゃんのほっぺに手を当てた。


 お姉ちゃんはドキドキしているのか、ほっぺはとても熱い。私は顔を近づけて、お姉ちゃんとみつめあった。私がさらに顔を近づけると、お姉ちゃんは目を閉じた。私はそっとお姉ちゃんの唇に口づけをする。


 顔を離すとお姉ちゃんは瞳をうるうるさせていた。ケーキを食べるのは後回しにして、お姉ちゃんを食べちゃおうかな。そう思ってしまうくらいに、お姉ちゃんは可愛かった。


 私は我慢しきれなくて、お姉ちゃんの唇に何度もキスをした。でもそのたび、私は自分たちがまだ付き合っていないのだということを思い出して、寂しい気持ちになってくる。

 

 お姉ちゃんはまだ私を信じてくれていないのだ。だから今日の夜中、私はお姉ちゃんの心に巣くう悪意を倒さなければならない。私はお姉ちゃんを抱きしめた。


 夕食を終えて、お風呂にも入って、お姉ちゃんはベッドに入った。私は動きやすいジャージ姿で、お姉ちゃんの部屋の椅子に座っていた。眠りにつく前、ベッドで横になったお姉ちゃんはこんなことを告げた。


「理性に制御されていない悪意はとても手ごわいよ。もしかすると傷だらけになるかもしれない」


 私は幼いころ、お姉ちゃんが傷だらけで帰ってきていたのを思い出していた。


「でも最近のお姉ちゃんは傷なんてなかったよね? 小さなころは傷だらけになってたけど」


「「心の剣」は大切な人を思う気持ちが強まるほどに強くなるんだ。だからみやびに恋をしてからは、少しも傷つかなくなった」


「それなら私も大丈夫だよ。私、お姉ちゃんのこと大好きだもん」


 するとお姉ちゃんは微笑んで、目を閉じた。私はキスを落としてから、じっとお姉ちゃんをみつめる。可愛いなぁって思いながら微笑んでいると、やがてお姉ちゃんはすやすやと寝息を立て始めた。


 すると突然、巨大な悪意が出現した。それは巨人のように大きな足だった。部屋の天井を貫通するほどに巨大なそれは、全体像をうかがい知ることができないほど。


 私は外に出た。夜の街は静かで人気がない。街灯が遠くでちかちかしているのがみえた。肌寒い街をしばらく歩いて私は振り返る。するとそこには、夜空を背景に山のように巨大な人影がいて、白い目と白い口で私を睨みつけていた。


 私は思わずひるんでしまいそうになる。お姉ちゃんはもしかすると私のことを全然信じてくれていないのかもしれない。だってここまで大きな悪意だ。お姉ちゃんを苦しめていた悪意たちはみんな小さかった。一太刀で両断できる程度の大きさだった。


 でも目の前の悪意はこんなにも巨大だ。


「……なんで、こんな」


 私は呆然としていた。


「あなたの考える通りです。お姉さんの心の中はあなたへの不安で満ち溢れている。信じたいけど信じられない。昔のように戻りたいけど、戻れない。なぜならあなたを信じれば、またあなたに裏切られてしまう可能性が生まれるから」


 声の方を振り向くと、ローブ姿の少女がいた。


 私は顕現せよ、と念じて「心の剣」を呼んだ。でもその心の剣は前にみたときよりもずっと弱々しい光しか放っていなかった。光の刃は木刀くらいの長さと細さだ。


 少しは私を信じてくれたのかと思ってた。でもお姉ちゃんは私に裏切られることばかり考えてるんだ。私だって、そんなお姉ちゃんを信じることができなくなっているのかもしれない。


 動揺していると、少女の声が聞こえた。


「かわしてください!」


 巨人がその巨体を家々にめり込ませながら、私の方へとやってくる。巨人は大ぶりで私に殴り掛かってきた


 私は「心の剣」を右手に、走ってそれをかわす。「心の剣」は身体能力を強化してくれるみたいだけど、その機能自体も前と比べると弱まっているようだった。風のように走れたのに、今は普段よりも少し早いくらいだ。


 それでも私は二階建ての家くらいに大きな拳をかわして「心の剣」で切りつけた。キラキラした光が舞うけれど、巨人の拳にほんの少しの傷がついただけだった。


 突然、巨人は雄たけびを上げた。かと思えば凄まじい速度で、私を蹴り飛ばそうとした。私は目を閉じて「心の剣」でガードしようとする。無謀だと分かっていても、そうするしかなかった。


 とんでもない衝撃を受けたかと思うと、私の体は宙を舞っていた。サッカーボールのように夜の街を吹き飛んでいく。家々が吹き飛び、電柱がへし折られていく。だけどそれらはすぐに何もなかったかのように、元通りになっていく。


 私はアスファルトの地面を何度もバウンドしてから、ようやく止まった。その瞬間、私の頭の中に、かつての記憶がよみがえる。


 お姉ちゃんを裏切った記憶だった。いじめに耐えかねて、お姉ちゃんに悪意を向けた記憶。それに苦しむお姉ちゃんの記憶。そして引きこもってしまったお姉ちゃんの記憶。長い長い時間、悪意たちに苦しめられてきた記憶。


 私はなんとか立ち上がった。でも体中が傷だらけで、ひどい痛みを感じた。


「普通なら心にダメージを受けるだけなのですが、悪意があまりに強大だと体にまでダメージが及ぶのです。だからやめた方がいい。今のあなたでは、この悪意には絶対に勝てませんから!」


「……だったらどうすれば」


 巨人がまた私の所へと、走ってくる。私は絶望的な気持ちで、それをみつめていた。お姉ちゃんを助けて少しは心の距離が縮まったと思っていたのに、現実はこれだ。私は、どうすれば。いったいどうすれば。


「「心の剣」を消してください! 念じれば消えてくれます! そうすれば悪意はあなたへの敵意を失います!」


 少女は必死で叫んでいる。でも今諦めたらお姉ちゃんの願いを裏切ることになってしまう。私は少女の声を無視して「心の剣」を構えた。


 そして切りかかる。だけど巨人の動きは信じられないほど俊敏だ。


 また蹴りが飛んできた。私は全く反応できなかった。もうダメだと思ったそのとき、突然、巨人はしぼんでいった。しぼんでしぼんで、目の前には堕天使のような黒い翼を背中につけたお姉ちゃんが現れる。


 いったい、どういうことなんだろう。考えていると、堕天使みたいなお姉ちゃんは黒い「心の剣」を呼びだして構えた。それをみた少女は告げる。


「きっとお姉さんはあなたに勝ってほしかったんでしょう。全部元通りにしてほしかったんです。「心の剣」で。でもあなたにはそれだけの力がなかった。お姉さんの根深い恐怖を前にひるんでしまった。本当に自分にお姉さんを助けることができるのか、と」


 私は私の「心の剣」をみつめる。とても弱い光の筋だった。


「そのことを知ったお姉さんの無意識は、またいつか裏切られるかもしれない、という恐怖を抱えるくらいなら、いっそ全て壊してしまえ。そう考えたのでしょう。いまや、お姉さんの「心の剣」は悪意ではなく善意を断ち切る剣に変質してしまっています」


「善意を断ち切る剣?」


「もしもあなたがあの剣に切られたら、もう、あなた方は一生仲直りできないでしょう」


 額を嫌な汗が流れる。堕天使のようなお姉ちゃんは私を睨みつけて口を開いた。


「希望なんて持たせないでよ。なんであのとき、私を殺してくれなかったの?」


「お姉ちゃんが私に助けを求めたから。それになにより、お姉ちゃんは私にとってこの世界で一番大切な人だから!」


「なのに私を裏切ったんだ」


「……っ」


「その上、確信ももてないのに、私に希望を抱かせた。また裏切るかもしれないのに、私を助けようとした。そんなのいらないよ。私はみやびのことを本当に大事だって思ってる。だから、もう二度と、裏切られたくなんてないんだよ!」


 深い失望が伝わってきて、私は何も言い返せなくなってしまう。大切な人なのに、私はお姉ちゃんを助けるどころか傷付けるようなことをしてしまったのだ。これまでずっとお姉ちゃんは一人で戦ってくれていたのに、私は……。


 黒い翼を広げた姿勢で、お姉ちゃんは涙を流しながら突撃してきた。悲しみに任せるように乱暴に真っ黒な「心の剣」で切り裂こうとしてくる。私は白い「心の剣」でなんとかそれをいなす。お姉ちゃんは全く攻撃の手を休めてくれない。


「私はお姉ちゃんと離れたくなんてない。また姉妹として、恋人として笑い合いたいんだよ!」


「私だって同じ気持ちだよ。でもまたあんな目にあうことを考えたら怖いんだよ!」


 お姉ちゃんの斬撃の嵐の中にごくわずかな隙をみつけた。


 私はお姉ちゃんに切りかかる。


「お姉ちゃんはずっと私を助けてくれてた。お姉ちゃんはこの世界でたった一人の味方なんだよ。だから今度は絶対に私が助けるよ。絶対に裏切ったりなんてしない」


 お姉ちゃんは私の剣を受け流す。そしてすぐさま切りかかってくる。


「そんなの、信じられないよ。 そんなに弱々しい「心の剣」じゃ、きっといつかみやびは私を裏切る」


 お姉ちゃんの声は悲しみに満ちていた。死角から飛んできたお姉ちゃんの斬撃に反応できなかった私は、剣で受け止めるのを諦めて左腕で受ける。すると腕を切り落とされてしまった。感じたことのない激痛を覚えて、叫び声をあげる。


「……ああああっ!」

 

 お姉ちゃんは驚きに目を見開いていた。心配そうに剣を下ろして、私の所へ歩み寄ってくる。


「大丈夫!? みやび!」


 私は痛みと罪悪感を感じながらも、その優しさゆえの隙を見逃さなかった。


 がら空きの胴体に斬撃をうつ。


 堕天使みたいなお姉ちゃんは、ゆっくりと地面に倒れた。


「ごめんね。お姉ちゃん」


 お姉ちゃんは穏やかな笑みを浮かべていた。


「……いいよ。やっぱり私、みやびのこと、見捨てられないみたい。私はまだみやびのこと、信じてないよ。でもいつか信じさせてくれるんだよね?」


 お姉ちゃんの声に頷こうとした瞬間、私も地面に倒れてしまう。


 自分の体からお姉ちゃんへの善意が抜け落ちていくのを感じていた。きっと明日から、私はお姉ちゃんに何も思わなくなってしまうのだろう。お姉ちゃんと恋人になりたいとか、そんな気持ちも忘れてしまうのだろう。


「私、お姉ちゃんのこと好きじゃなくなっちゃうみたい」


「えっ?」


「左腕、切られちゃったから」

 

「そんな……」


 堕天使になってもお姉ちゃんはお姉ちゃんだ。とても悲しそうな顔をしている。


 私の左腕は本当に切られたわけじゃない。巨人と戦ったとき、へし折れた電柱や壊れた家はすぐに元に戻っていた。だから腕もすぐに戻るはずだ。


 でもお姉ちゃんの黒い「心の剣」は確かに私の心の中の、お姉ちゃんへの善意を断ち切ってしまった。それはもう元通りにはならないのだろう。


 だけどそれでも、私はお姉ちゃんを信じてる。


 私はお姉ちゃんへの思いが失われていく苦しみに耐えながら、何とか言葉を紡いだ。


「もしもお姉ちゃんがいなかったら、私は今日まで生きてこられなかったと思う。だから私は信じてる。お姉ちゃんとならまた仲良くなれるって。お姉ちゃんならまた私を恋人にしてくれるって」


 堕天使のようなお姉ちゃんは「私」の最期の言葉を聞いて、涙目で頷いていた。私は駆け寄ってくるローブ姿の少女を見たのを最後に、意識を失った。


〇 〇 〇 〇


 明るい日差しがカーテンの隙間から差している。私は自分の部屋で目を覚ました。


「みやび! 良かった……」


 お姉ちゃんが私を見降ろしていた。私は乱暴にお姉ちゃんを振り払って、ベッドから降りた。あぁ、本当に忌々しい。どうして私は実の姉なんかに恋をしていたのだろう。


 私は一人で身支度をして外に出た。そして学校に向かおうとした。するとお姉ちゃんが慌てた様子で私の隣に走ってきて、手をぎゅっと握った。私はそれを無言で振り払った。


「気持ち悪いんだけど」


 そう告げると、お姉ちゃんはあからさまに悲しそうな顔をしていた。それでも私の隣をずっと歩いていた。早歩きしても息を切らせながら、追いついてくる。私と視線が合うだけでニコニコしている。


 本当になんなんだ。この人は。


 結局、お姉ちゃんは学校の昇降口で別れるまでずっと私の隣にいた。一人で教室に向かっている間、私はお姉ちゃんのことを考えていた。妹に恋をするなんて、異常だ。本当に。


 教室に入ると、クラスメイト達の背中にたくさんの悪意がみえた。それを無視して席に着こうとすると、乱暴な声が聞こえてきた。


「今度はお前が脅迫して記憶を消したんだってな。ちょっと来いよ。こっちに」


 昨日のをみられていたのだろうか。女子生徒たちは敵意をむき出しにして、私を睨みつけてきた。私は引きずられるようにして、人気のない女子トイレまで連れていかれた。


 そして水をかけられ、体を押されてしりもちをつかされる。女子生徒たちとその黒い悪意は私を見下ろしていた。そして色々な暴言と暴力をぶつけてきた。どうしてか、私はお姉ちゃんが助けに来てくれることを願ってしまう。あんな奴、シスコンのキモイ奴だとしか思ってないのに。


 でも女子トイレの扉が空いて、本当にお姉ちゃんが現れると、私は少なからず嬉しい、と思ってしまった。お姉ちゃんはまばゆいばかりの「心の剣」を右手に女子生徒達を睨みつけている。


「心の剣」は自分と世界で一番大切な人のためにしか振るえない剣だ。どうやらお姉ちゃんはあんなに冷たくされても、私を世界で一番大切だと思っているらしい。本当に変な人。


 私はぼうっとお姉ちゃんが悪意たちを蹴散らすのをみつめていた。気付けば女子トイレには私お姉ちゃんの二人きりになっていた。お姉ちゃんは「大丈夫だった?」と不安そうに私に手を差し出した。


 私はおそるおそるお姉ちゃんの手を握って立ち上がった。


「……大丈夫。ありがとう」


 するとお姉ちゃんはすぐに笑顔になって、私の唇にキスをした。私が目をぱちくりさせながらうろたえると、お姉ちゃんはとんでもないことを告げた。


「みやび。また私と恋人になってよ」


「は、はぁ!?」


 その瞬間、私の心臓は早鐘を打った。顔が熱くなる。なんでこんなシスコンのキモイお姉ちゃんにキスされて、告白されただけで、こんなになってるの!? 確かに、見てくれだけはいいけど、お姉ちゃんだよ?


 私はお姉ちゃんと見つめ合ったまま、昨日までの記憶を思い出していた。その中の私は誰よりもお姉ちゃんのことが大好きだった。今では唾棄すべき記憶のはずなのに、少しだけ、あの頃に戻ってもいいかもしれない、なんて思ってしまう。


「こ、恋人って。私、お姉ちゃんのこと好きじゃないんだけど? そもそも姉妹としてすら好きじゃないのに、恋人なんてあり得ないよ」


「だったら私、いつか絶対に姉妹としてみやびがお姉ちゃんのこと大好きになるようにしてみせるから、その時なら、告白も受け入れてくれる?」


 お姉ちゃんはとても真剣な目つきで私をみつめていた。私はどぎまぎした気持ちで、視線を彷徨わせる。お姉ちゃんは私が返事をするまで、視線を外してくれなさそうだった。穴が開くほどみつめられて、顔がさらに熱くなってしまう。


「分かった。分かったよ。もしも私がお姉ちゃんのこと大好きになったら、その時は恋人になってあげてもいいよ」


「やった。ありがとう。みやび」


 お姉ちゃんは心から喜んでいるようだった。可愛いなって思ってしまう。キスしたいなって思ってしまう。嫌いなはずなのに、変だ。なんでシスコンお姉ちゃんがこんなにキラキラしてみえるんだろう?


 私は小さくため息をついて、お姉ちゃんをみつめた。するとお姉ちゃんは目をうるうるさせて、また私にキスをしてきた。舌を入れるキスだった。私はそれを拒むこともできずに、むしろ自分も舌を入れてしまう。


 お姉ちゃんは嬉しそうに目をうるませていた。本当になんなんだろう。この気持ちは。お姉ちゃんのことなんて好きじゃないのに、心の中がどんどん好きで満たされていく。まるで生まれたときからお姉ちゃんとは、こうなる運命だったみたいに。


 私たちはほとんど同時に息が苦しくなって、唇を離した。


「みやび。好きだよ」


 お姉ちゃんはえっちな顔で私に微笑んだ。私は口から「私も好きだよ」って言葉が漏れ出してしまいそうになるのを抑え込んで、お姉ちゃんの脇を通り抜ける。


 お姉ちゃんは寂しそうな顔をしていた。きっと見捨てられたと思っているのだろう。でもそういうわけではない。


「……まずは姉妹なんでしょ? だったら早く姉妹に戻ろうよ」


「うん!」


 お姉ちゃんは本当にお姉ちゃんなんだなと思う。私からお姉ちゃんへの善意が失われても、すぐに私をこんな風にしてしまうのだから、本当にかなわない。

 

 近い未来、お姉ちゃんとまた恋人になるだろうことを予期しながら、私は微笑んだ。

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ずっと守ってくれていたお姉ちゃんが引きこもってしまったから、今度は私がお姉ちゃんを救いたい 壊滅的な扇子 @kaibutsu

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