決意

 目を覚ますと、私はお姉ちゃんにおんぶされていた。お姉ちゃんのいい匂いがしてくる。お姉ちゃんの体の熱が私を温めてくれている。夜の街は寒いけど、お姉ちゃんと一緒なら気にならなかった。


 でも通りがかる人たちがちらちら見てくるのは、ちょっと恥ずかしいかな。


「お姉ちゃん。ありがとう。もういいよ」


 私がそう告げると、お姉ちゃんは私を下ろしてくれた。私はすぐに隣を歩いてお姉ちゃんと手を繋ぐ。お姉ちゃんはちらりと私を見たけど、微笑んで恥ずかしそうに視線をそらした。


 久しぶりに間近でみるお姉ちゃんはとても綺麗で、キスしたいって思ってしまう。でも私たちはそういう関係ではなくなってしまっているのだ。私は二か月前、お姉ちゃんに悪意を向けた。お姉ちゃんを裏切ってしまった。


 でも今なら告白だって受け入れてもらえそうな雰囲気がした。


「おねーちゃん」


「どうしたの? みやび」


「好きだよ。また私と付き合って?」


 するとお姉ちゃんは難しそうな顔をした。


「ごめんね。今はまだ付き合えない」


 私は悲しくなって、うつむいてしまう。そうだよね。ただ悪意から助けただけで、私がお姉ちゃんを裏切ったっていう事実は変わらないもんね。私は少し舞い上がってしまっていた。


 失った信頼をまた取り戻すために、これからは私がお姉ちゃんを悪意から守らないと。そんなことを考えていると、お姉ちゃんは眉をひそめてつげた。


「みやび。次からは人前で「心の剣」を出しちゃだめだよ? 悪意を消すときは深夜じゃないとだめなんだ。宿主が眠ると悪意は宿主の体を離れる。それを利用して誰も見てないところで消さないと」


「どうして寝たらそうなるの?」


「ローブの子がいうには、普段人は理性で悪意を心にとどめているからなんだって。でも眠ると理性が弱くなるから心から解き放たれて、自由に街を歩きはじめるみたい」


「分かった。今度からはそうするね。私をみた人たち、みんな何かしらの悪意を抱いてたし」


 みんながどんな悪意を私に抱いたのかはしらない。でもきっとあのまま放置していたらとんでもないことになっていたのだと思う。ネットに拡散されたりとかしたら大変だ。


 顔をあげると、一瞬、悪意のようなものがお姉ちゃんの頭の上にみえた。でも瞬きをするとすぐに消えた。気のせいなのだろうと私は思って、正面を向く。だってお姉ちゃんの心に住み着いた悪意は、さっき全部倒したはずだ。


 突然、どこからか声が聞こえてきた。それは間違いなく私の声だった。


「お姉ちゃんなんて大っ嫌い。お姉ちゃんなんかと付き合わなければよかった」


 私はお姉ちゃんの横顔をじっとみつめる。でもお姉ちゃんは何も聞こえてないみたいな態度で、私に笑いかけた。


「それにしても「心の剣」を呼びだせるとはね。そんなにお姉ちゃんのこと、大切に思ってくれてたんだ?」


「そうだよ。私、お姉ちゃんのこと大好きだもん」


 私が笑うとまたあの声が聞こえてきた。


「お姉ちゃんなんて大っ嫌い」


 私は声の方を向く。でもそこには何もいなかった。悪意も人もいない。ただ店の明かりがまぶしいだけだった。でもお姉ちゃんはあからさまに表情を歪めていた。だけどすぐに取り繕ったように笑顔を浮かべる。


「私も大好きだよ。みやび。今日外に出たのは、みやびの誕生日のケーキとかプレゼントを買うためだったんだ。でも途中で辛いって気持ちに耐えられなくなっちゃって。ごめんね?」


「私こそごめんね。これまでずっとお姉ちゃんと関わろうとしなかった。お姉ちゃんと距離を置いてた。お姉ちゃんはきっといつだって助けを求めてたはずなのに」


 お姉ちゃんは私から視線を外してつぶやいた。


「もういいよ。謝らなくて」


 私たちはその言葉を境に無言になってしまう。沈黙が嫌で、私はこんなことを口にした。

 

「今日、私の誕生日だったんだね。すっかり忘れてたよ」


 お姉ちゃんを裏切ってからはずっと自責ばかりだった。誕生日なんてものも極力考えないようにしていた。だってお姉ちゃんを裏切った私にそんな資格ないって思ってたから。でもお姉ちゃんは苦しみながらも私の誕生日のことを覚えてくれていた。


 裏切り者の私を、祝おうとしてくれた。


「これからケーキ買いにいこっか。誕生日プレゼントも何でも言ってね?」


「うん。ありがとう。お姉ちゃん」


 私が満面の笑みを浮かべると、お姉ちゃんはじっと私の笑顔をみつめてきた。唇のあたりをみつめているような、そんな気がした。もしかしてキスをしたいって思ってくれてるのだろうか?


 するとこんな声が聞こえてきた。


「なんで裏切られたのに今も妹に欲情してるの? きもいんだけど」


 さっきから何なんだろう。この声は。お姉ちゃんは気まずそうに俯いてしまった。


「……お姉ちゃんも聞こえてるの? この私みたいな声」


 するとお姉ちゃんは頷いた。


「……うん」


「なんなんだろうね? お姉ちゃんが私に欲情してるって、そんなわけないのに」


 私がそう告げると、お姉ちゃんは顔を真っ赤にしていた。あれ? もしかしてこの反応、本当にお姉ちゃんは私を性的にみてくれてるの? だったらキスしちゃってもいいよね?


 私はずいとお姉ちゃんに顔を近づけた。お姉ちゃんはじっと私をみつめている。でも逃げる気配はなかった。立ち止まって、私を潤んだ瞳でみつめている。


 私は遠慮なくお姉ちゃんにキスしようとした。でもその時、また声が聞こえてくる。


「どうせまた裏切られるのに。お姉ちゃんって本当に都合のいい女だね」


 その瞬間、お姉ちゃんは体を引いて私から逃げてしまった。もう、何なのこの声は?さっきから変なことばかり言うし、私とお姉ちゃんのキスを邪魔するし。


 今の私がお姉ちゃんのこと裏切るわけないのに。だって私はもう二度とお姉ちゃんを失いたくない。一人にしたくない。傷付けたくない。


 私が不満げに頬を膨らませていると、お姉ちゃんは申し訳なさそうに笑った。


「今は人通りも多いし、家に帰ってからだったらいいよ?」


 私は嬉しくなってお姉ちゃんに抱き着いた。なんといっても久しぶりのお姉ちゃんなのだ。ボディタッチが激しくなってしまうのはおかしいことではない。


 お姉ちゃんもまんざらではないように私を抱きしめ返してくれる。私はお姉ちゃんの耳元で囁いた。


「今度は私がお姉ちゃんを守るからね。どんな悪意からも絶対に守るから。だから、いつか私を信じられるようになったら、その時は、私とまた恋人になってね。お姉ちゃん」


 お姉ちゃんはぎゅっと私を強く抱きしめた。愛情表現というよりは、申し訳なさゆえの行動のように私には思えた。でも今はそれでいい。信頼は少しずつ取り戻してゆけばいい。


 私たちは手を繋いだまま、夜の街を歩いてケーキ屋さんに向かった。


「みやびはどのケーキがいい?」


 お姉ちゃんはガラスの向こうのホールケーキをみつめながらつげた。


「私はチョコがいいかな」


 するとお姉ちゃんは店員さんに告げた。


「チョコレートケーキをください。誕生日ケーキで」


 すると店員さんが問いかけてくる。


「なんとお名前を記入すればよいでしょうか?」


 だから私は店員さんにつげた。


「16歳です!「お姉ちゃんが大好きな 新島 みやび」 でよろしくお願いします!」


 お姉ちゃんは顔を真っ赤にしていた。店員さんも微笑ましそうに私たちのことをみつめている。私だって恥ずかしい。でもこれくらいたくさんたくさん気持ちを伝えないと、きっとお姉ちゃんは私を信じてくれないと思う。


「承りました。しばらくお待ちくださいね」


 私はお姉ちゃんと一緒に椅子に座った。お姉ちゃんは「困った妹だ」とでも言いたげに眉をひそめて笑っていた。


「みやびが私のことを好きなのは分かったから、今度からは外でこういうのはやめてね? 恥ずかしいから」


「はーい」


「なに喜んでるの? また裏切られるかもしれないんだよ?」


 私は正体不明の声を無視しながら、お姉ちゃんの肩に頭をのせた。するとお姉ちゃんは私の頭を撫でてくれた。私はまだ自分のことが嫌いだ。でも自分を嫌いだと思うのは、自分を守ろうとする防衛機制だってローブ姿のあの子はいっていた。


 私はもう、自分を守るのはやめたのだ。これからは積極的にお姉ちゃんと関わっていく。過去を振り切るために、お姉ちゃんを信じさせるために、たくさんたくさん愛を伝えるのだ。

 

 お姉ちゃんは私の頭を撫でながら申し訳なさそうに告げる。


「ねぇ、みやび。多分だけどこの声の正体は、心に残ったみやびの悪意だと思うんだ」


「私の悪意?」


「私もよく分からないんだけど、たぶん、私はまだみやびを信用できてない。正直凄くショックな出来事だったから」


「……ごめんね」


「いいよ。みやびは私を助けてくれたから、昔のことはもういいんだ。でもこれから先のことはまだ分からない。その不安が私の心に根深く残ってるんだと思う」


 お姉ちゃんは悲しそうな表情でそう告げた。だとするならすぐにでも倒さなければならないと私は思った。でもその悪意はどういうわけか姿かたちをみせていない。


「ねぇ、お姉ちゃん。理性が薄れたら悪意は活発になるって言ってたよね。お姉ちゃんに取りついてる悪意は、お姉ちゃんの自意識が生み出したまがい物の悪意だってローブの子が言ってた。だったらそのまがい物の悪意はお姉ちゃんの制御下にあるんじゃないの?」


「……そうかもしれないね」


「お姉ちゃんは私の前だと気を使って、理性を働かせて私の悪意を抑え込もうとしている。だから姿が見えないんじゃないの? もしもそうなら、お姉ちゃんから不安を取り除く方法はある」


「寝て理性が弱まってる間なら、その悪意も姿を現すかもしれないね」


「うん。だからお姉ちゃんがいいのなら、私は戦おうと思う。お姉ちゃんには苦しんでほしくないから。嫌なことなんて全部全部、無くなってほしいから」


 そう。無くなって欲しいのだ。私がかつてお姉ちゃんに悪意をぶつけたことによる不信も、きっと私が剣を一振りするだけで消えてくれるのだから。そうなればきっと、私はお姉ちゃんとまた恋人に戻れる。


 でももちろん、無理やり不安を取り除くことに対する抵抗感もある。私がさっき取り除いた悪意は理不尽な悪意ばかりだった。大義名分もあった。でも今、私が取り除こうとしているのは、私自身の仄暗い過去だ。


 それを取り除くというのは、自分に都合のいいようにお姉ちゃんを操作するだけなのではないか。自分の気持ちを通すために、都合のいい近道へ進もうとしているだけなのではないか。


 それは果たして正しいことなのだろうか?


 悩んでいると、お姉ちゃんは微笑んだ。


「私もそれでいいよ」


 もしかすると間違っているのかもしれない。そう思っていても、またすぐに前のような恋人の関係に戻れるかもしれない。その甘い蜜に私は抗えそうになかった。


 不安を消せばもう告白を断られることもないのだ。


 私はお姉ちゃんに体を寄りかからせて、目を閉じた。


 そうして、私がお姉ちゃんの肩でうとうとし始めたころ、店員さんが「お待たせしました」とケーキをもってきた。お姉ちゃんは私のほっぺをぷにぷにして起こしてくれる。私たちは立ち上がって、レジに向かう。


 チョコレートケーキの入った箱をお姉ちゃんが受け取った。


 箱を片手に私たちは肌寒い夜の街を歩いていく。もちろん恋人つなぎで。


「それじゃあ次は誕生日プレゼントだね。みやびはなにが欲しい?」


「お姉ちゃんとお揃いの何かが欲しい」


「お揃いかぁ。それじゃあアクセサリーショップにでも行こうか」


「うん!」


 私たちは近くのお店に入って、小物をみた。流石に指輪はやり過ぎだと思うし、カチューシャとかも学校に通ってる時なんて付けられない。妥当なラインとしてはヘアピンだろうか?


 そう思って探していると、お姉ちゃんが黒色の小さなリボンが付いたヘアピンをもってきた。


「これならどうかな?」


 学校に着けていっても注意されないだろう絶妙な地味さ。おしゃれさでいえば微妙だけど、私はお姉ちゃんとお揃いならなんでもいいのだ。


「うん。良いと思う」


 私たちはそれを二つレジに持って行って購入した。さっそく頭につけて、鏡の前に二人で立った。お姉ちゃんは綺麗だ。サラサラな髪の毛は真っすぐで流れるよう。まつ毛長いし、目おっきいし、唇も可愛くてキスしたくなる。


 そんなお姉ちゃんと同じものをつけているというだけで、楽しくなってくる。私がニコニコしているとお姉ちゃんは不安そうに問いかけてきた。


「どう? 似合ってるかな?」


「お姉ちゃんだったらなんでも似合うよ」


「そっか。ありがとう。みやびも可愛いよ」


 私は笑顔でお姉ちゃんと手を繋いだまま店を出た。夜の街、帰り道でお姉ちゃんはこんなことを話す。


「私も昔のことは忘れたいんだ。みやびのことも信じたいんだ。だからみやび。お願い。不安も不信も全部取り除いて」


 私は頷いて、お姉ちゃんの手をぎゅっと握りしめた。

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