誰かが呼んでる。
音佐りんご。
誰かが僕を。
◇◆◆
誰かが僕を呼んでいる気がする。
助けを求めるような、か細く響く誰かの声。
夏休みの終わりに聞く風鈴のような切ない震動。
けれどそれは聞けば心の内側ががりがりと削られ、むず痒く淡く痛みを発するサイレンのような音だった。
呼ばれる方に向かって駆け出さなければならない。
衝動が胸の内に沸き立つ。
鼓動が胸の内で喚き立つ。
声は、声はどこから聞こえるのだろう。
公園、空地に河川敷、用水路、溝に蓋する鉄板の下。
山に分け入り、藪を進む。
黄昏の中をかき分け、灯り始めた星空を見上げる。
その呼び声は何なのだろう。
僕は耳を
感じるのはいつだって風の音と日々の喧噪。
そこに混じる何かはどこから来るのだろう。
焦燥は内側から際限なく湧いてくるのに、僕には果たしてどうすることも出来ない。
そしてただ
その呼びかけが、どこからくるのか、何をしたいのか。
それはついぞ分からなかった。
けれども、一つだけ確信していた。
それは確かに僕を呼んでいたのだ。
◇◇◆
誰かが僕を呼んでいる。
そんな予感を覚え始めてもう二十余年。
僕は、いや俺はもうきっとお呼びでないのだろう。
その音はいつしかモスキート音のように色褪せた。
そもそもが気のせいだったのだ。
はっきりとした言葉じゃ無い。
耳鳴りみたいなものだったし、言うなればそれは、頭の中でリフレインするヒットソングのワンフレーズだ。
俺にしか聴こえない声で、俺が聴きたくて仕方ない声や言葉を勝手に聴いた気になってるだけ。
それは自分で自分を何か特別な存在に仕立て上げるためのトランスだ。
思えば、かつてを振り返ると浮かぶのは、いつだって独りぼっちの俺だ。
誰とも交わらず、独り奔走する姿。
友人も無く、遊び相手は自分の影一つ。
それは無意味に意味を付加するための儀式だ。
きっと全ては妄想だったのだろう。
はっきり言って、俺は選ばれてる感を欲していた。
何か誰かの役に立てると信じていた。
信じていたかった。
異化する為のパラノイア。
その声はだから願望だ。
俺の心が求めた、誰のものでもない声。
神様や天使や悪魔や妖怪や妖精や精霊や幽霊や悪霊や宇宙人や異界人や機械生命体や高次元生命体や不思議な力を持った少女やらなんやかやの声。
それを聴きとる主人公。
なりたかった。
あぁ、なりたかったんだよ。
今こうして真っ当とも呼べない人生を、何を為すともなく唯々諾々、清濁併せ呑むというには零れる愚痴は多いが、とりあえず曲がりなりにも一端の人間として生きるのに精一杯の何か。
そんな俺は、憧れてたんだ。
特別というものに。
無論そんな将来を予期していたかは分からない。
けれど、それこそ予感があったのだろう。
随分用意周到な現実逃避だ。
所詮妄想で空想で幻想で夢想だ。
馬鹿げた夢見心地の夢見がちな夢。
痛々しくて目も当てられない。
そう薄々は思ってた。その筈だった。
その筈だったのに。
◇◇◇
誰かに呼ばれた。
俺は困惑する。
……どうして、どうして、こんなつまらないおっさんになった俺が今、その声を聴いているのだろうか?
冗談はよして欲しい。
もうからかわないでくれ。
過去の妄執なんて冗談では無い。
それはなんて、なんて残酷で……
心地よい響きなのだろう。
だって、そんなの、期待してしまうじゃないか。
あぁ、今なら分かる。
可聴域を広げたようにはっきりと。
その呼びかけはこっちから聞こえる。
黄昏のその先に俺は、行ける。
幻でも、罠でも構わない。
だって空はこんなにも広い。
世界はだって輝いている。
俺は耳を澄ました。
あぁ、誰かが僕を呼んでいる。
そして、僕は歩きだした。
ずっと立ち止まっていたままの身体は、思いの外滑らかに動き始める。
静かに激しく、声に向かって。
それは清らかな鈴の音のような呼び掛けだった。
誰かが呼んでる。 音佐りんご。 @ringo_otosa
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