第10話 新しい街

 圭は、個性を追い求めること自体はむしろ良いと思うが、実際にやってみる勇気はなかった。家となったら、なおさらだ。

 移住惑星到着の翌日にご近所に挨拶回りをした時、町内の感じが日本と変わらなかった。住人たちは皆普通の日本人で、挨拶の仕方から言葉使い、遠慮がちだが繊細な配慮のある態度など、話していると日本で生活していた時と同じだった。安心すると同時に、日本に居た時と同じくらい気を使った。この町内で自分勝手に目立つ家を建ててしまったら、日本と同じく、居づらくて仕方がないだろう。


 同じ町内に、伝統的な日本家屋に住んでいる人もいた。

 都市部の一般的な家屋よりもかなり余裕のある大きさの平屋だ。床が高くなっていて、寄棟なのか切り妻なのか圭は知らないが、何かそういう伝統的な屋根の形をしている。さすがに茅葺の屋根はないが、紋の付いた瓦が載った白い壁で囲まれていたり、竹と黒い縄で作られた奇麗な柵があったりする。

 こういう家も無料で支給されていると聞いた時、圭は住んでみたいと思った。


 しかし、細かい説明を聞いてみて、自分には無理だと悟った。

 地球の日本では本物の富裕層でもあまり建てない純日本家屋にタダで住めるというのだから、もっと希望者が殺到してもいいところだが、実際には全く人気がない。

 日本家屋は文化財の要素を合わせ持つので、住人となるためには一定の条件を守らなければならないという理由からだ。

 例えば、内装や家具を勝手に決められず、文化財保護課に登録されているカタログの中から選ばなければならない。

 ニホン地区で一番大きい日本家屋は、ガラス板の使用が禁じられていて、真冬はどうするのだろう、と人ごとながら心配になる。

 補修などは連合が費用を負担し、専門の職人も派遣してくれるが、それはつまり、連合に断りなしに改装や改築をすることはできないということでもある。

 そして、住人の管理の状態が悪ければ、つまり、規定を無視して勝手に改装してしまう場合はもちろん、掃除をちゃんとしなかったり、庭の手入れを怠るなどの単純な怠慢でも、日本家屋に住む資格を失ってしまうことがある。




 移住惑星のニホン区には、寺や神社もあった。管理者は、祖国の日本で僧侶や神主を職業としていた人たちだ。

 子供たちと散歩をしていて鳥居を見つけた時には感動した。同時に、宗教まで移入されていたという事実に軽い驚きを覚えた。

 境内へ入ってみると、かなり立派な神社だ。観光地の有名な寺社ほど大きくはなく、周囲も普通の住宅地だが、敷地が広く、大きな鎮守の森を持つ。

 地球の故国の神社との違いといえば、何もかもが真新しくて奇麗なことだ。木造の建物は削りたての白木が目立ち、石燈篭や狛犬などは真っ白、そして手と口を清める水場にもコケや藻が一切付着していない。きちんと手入れもされているらしく、ところどころに箒の跡があった。


 子供たちも気に入ったようだったので、その後の散歩コースに組み入れて頻繁に訪れるようにしていたら、ある日鳥居の前に神職姿で立っている人がいた。挨拶をしたら、思いのほか愛想の良い人で、しばらく立ち話をした。それ以降、顔を合わせるたびに少し話しをするようになり、移住惑星での宗教事情を知ることになった。


 神職さんの話によると、母星の文化を極力そのまま保存するというのが宇宙連合の一番大事にしている目標なので、寺社についても故国と変わるところはないそうだ。

 少しだけ違う点があるとすれば、神職や僧侶がそれぞれの宗教の研究者の役割も果たしている、ということだ。寺社の管理や儀式などを故国と同様に行うだけではなく、地球の資料を調査し、各大学の研究室と協力しているという。連合の文化保存課の依頼を受けていて、日本風に言うと嘱託である。

 調査のための資料は、宇宙連合と日本政府との申し合わせに基づき、関係機関に協力を求め、コピーをもらったりする。非常に少ない人数だが、地球へ派遣されることもある。

 他にも、寺社建築を請け負う建築事務所があり、そこの大工さんたちも地球へ行ったり、地球から派遣されて来る仲間を受け入れているという。


 移住先と地球との行き来は、連合職員以外はできないというのが保護地球人の常識なので、圭はこれらの話を聞いた時、息子たちが呆れてこちらをじろじろ見るほど甲高い驚きの声を上げた。

 驚くのも当然のことで、太陽系外惑星移住の条件は低所得層に有利なのにもかかわらず、若い日本人がこぞって移住申請に殺到せず、むしろ先進国の中でも少ない移住数に留まっているのは、実質上二度と帰れない覚悟で移住しなければならないからだ。


「へえ、そんな例外があるとは知らなかったなあ。じゃあ、あなたも地球へ帰ったことがあるんですか。」


「いえ、私は… 私なんか、全然。かなり勉強している人でないと、派遣してもらえないので。この惑星だけではなくて、全銀河のニホン区全体から三名だけなので。」


 人の良さそうな神職は、あまり視線を合わせない典型的な日本人だ。常に微笑を浮かべているところも、へりくだる言い方が多いのも、普通の、地球の日本人の仕種だ。


「全銀河の?」


「そうです。神社を管理している神職で、なおかつ本を書いたり、論文を出したりして、ちゃんとした研究をしている人ですね。そういう人たちを、一つの銀河の全ての惑星から厳選して3名だけ、地球に派遣します。毎年募集して。だから、一年交代ということになりますね。」


「全銀河って、コロニーが何百個もあるでしょう。」


「そうですねえ。ニホン区のない星もありますが、ほぼ8割がたの移住惑星にありますから。神職が希少な職業だとはいえ、銀河全体から、というと、数百人から千人を超えるかもしれないですね。それだけの人数のトップ3ですから、かなり良い研究をしていないと、入れませんね。」


「凄いですね。」と、半ば本気で、半分は相手への礼儀として感嘆の意を表す。神職の微笑が大きくなった。


「お寺さんはもっと大変ですよ。仏教は日本だけではないですから。インドやチベットや中国や、いろんな国で独自に展開した歴史がありますから。」


「え、ということは、仏教だとインドの仏教まで研究しないといけないということですか。」


「いけないというわけではないんですが、日本の仏教研究でも、日本語だけで研究している人よりも、英語でも発表している人のほうが地球派遣に選ばれやすいのだそうです。」


「ああ、英語ですか。サンスクリットじゃなくても、いいんだ。」


「ええ、他の国の研究者と研究成果をシェアできればいいので。サンスクリットでは読み書きできる人の数が少なすぎて、かえって日本語よりも向いていないんじゃないですかね。研究ではもちろん、サンスクリットの経典を理解できる研究者は貴重ですけど。」


 そこで神職は控えめに笑いを漏らした。感じの良い笑いだったので、圭は思わず釣られて笑顔になった。こちらの稚拙な質問を笑ったのではなく、ただ自分の言ったことに自分で笑ったという感じだ。何か笑うポイントがあったかな?との疑問は顔に出さないようにした。


「日本人で自分で英語論文を、しかも仏教について書ける人は、そうそういないんですが、まあ、そこまで行かなくても、少なくとも国際学会に積極的に出席しているとか、そういう人でないと、地球派遣チームに選ばれるのは難しいんです。」


 英語のハードルがあるのなら、自分だったら一生選ばれないだろう、と圭は思った。英語は出来ないことはないが、英語をメインにして仕事をする自信はない。

 圭はすでに小学校から英語の授業を受けている世代だが、ごく普通の公立小学校の英語は、本当に「英語に触れる」程度のお遊びのようなものだった。中学以降は文法中心の受験英語になり、日常会話と無縁の、「通じない」英語を覚えて、受験が終わるとすぐに忘れてしまった。

 もっと自分で英語を勉強しておけば良かった、と今になって思う。移住を決意した時にも、移住先は本人の希望が無い限りは出身国別になる、日本と何も変わらない、と聞いたから、直前になって数週間のレッスンを受けただけだった。

 移住前の順化のための数か月を宇宙ステーションで過ごした時にいろいろな国の人たちと隣人になり、そこではじめて、拙い英語を使うことになったのだ。


 しかし、いきなり異民族と外国語に囲まれたと分かった時、困惑はしたが、話が違うじゃないかという腹立ちは全く無かった。ストレスよりも好奇心の方が先に立ち、多国籍の隣人たちと英語で意思を伝えあう日常が居心地良いと思う瞬間さえあった。

 管理体制が整っていて、トラブルがほとんど無かったことも大きな理由だと思うし、隣人たちの英語が下手だったから自分も気にしなくてよかったというのもある。


 隣人たちの大多数は、英語に疎い圭にもすぐにそれとわかるほどの訛りがあった。何か他の言語なのかと思うほど強い訛りと明らかに間違った文法を織り交ぜながら堂々と話す人もいたし、それを少数派の英語ネイティブの人たち、例えばアメリカやカナダ、オーストラリアから来た人たちは訂正しないし、批判も笑いもしなかった。

 エレンにそれを言ったら、「そうね、時々何て言ってるか分らない人もいるけど、完全でなくてもいいのよ。」という答えが返ってきた。伝えたいことの一番大事な部分が伝われば良いのであって、発音や文法規則は普通の生活では気にする必要はない、という。

 逆に、間違えるかもしれないからあまりしゃべらないというのが一番いけない、と注意されてしまった。

 圭も瑠香も「私の英語間違えたらごめんなさい。」と言うが、そう挨拶するのは、普通は「これから間違い放題でしゃべるけれど何も言わないでくれ」という意味だ。

 でも二人はわざわざそう断っていながら、ちょっと間違えるたびに凹んでしまい、あまり話そうとしない。

 それではまるで、英語を正確に話すとか、英語を上達させることを目的にしていて、目の前の自分とおしゃべりしたいわけではないのでは、と疑いたくなる。


 エレンにそう言われた時、圭は困惑した。なぜそんな批判されなければいけないんだと思ったし、真面目に英語を上達させようと努力する自分たちよりも、いい加減に知っている単語を並べるだけだったり、強烈な訛りを直そうともしない連中の方を好ましく思っているかのように聞こえ、少し彼女に腹を立てたりもした。


 やがて、英語の出来不出来によってその相手に点数を付けるのは、とても思いあがった行為だ、と気づいた。


 多国籍な隣人たちと毎日顔を合わせているうちに、ある日、ふとそう気付いたのだった。

 流暢な英語を奇麗な発音で話したい、みっともない英語は話したくない、というのは、例えるなら、隣人たちのようなカッコ悪い服は着たくない、スーツなどの非の打ちどころのない服装でないと人前に出たくない、と言い張るようなものではないか。


 子供たちは、圭よりは英語へのアレルギーが少ない。まだ小さいから、順化の為の宇宙ステーション滞在の数か月だけで英語に慣れてしまったようだ。一年も居なかったとはいえ、常に英語で隣人たちと意思疎通していたし、移住惑星へ来てからも、ニホン区内の英語話者の数が地球の日本よりもずっと多く、英語を話す機会が多い。

 新しい家の近所にある公園には英語しか話さない子供達も遊びに来るようで、瑠香の話では、昴も大地もそういう外国人の子達とも仲良く遊んでいる。その子達の母親やベビーシッターと話すこともある。

 それは母親の瑠香も同じで、彼女は一度、英語話者の母親と一緒にショッピングモールで買い物をしたこともある。子供達と一緒に大変賑やかなお買い物だったようで、帰宅した子供達は楽しかった、と言い、瑠香は疲れた顔をしていた。


 長男の昴は移住惑星へ来てすぐに小学校入学の年齢になった。新しい学校では、一年生から英語の授業があった。

 昴の学校には英語の先生は3人いて、3人とも英語が母国語だ(なぜこんな当たり前の断りを入れるかというと、日本では英語が得意だとか、英語が日常だったという本人の主張だけで他国語ネイティブが堂々と英語の先生として雇われていたりしたからだ)。

 一人は「ほぼ」日本人の移住二世。親が惑星入植後に英語公用語の地域に移住したため、英語のみで育った。

 他の二人は、詳しい出自は分らないが、容貌は白人だ。どこの国の人なのか、一世か二世か、異なる国や民族のミックスなのかどうか等を昴を通じて聞き出そうとしたら、人種や民族による差別は良くないという説教の伝言が返って来て、それきりだ。

 別に何人でも何民族でも気にしているわけではなく、ただ、順化ステーションでも今の星でも、平凡な日本人には想像もつかないルーツを持つ人々に出会い、その度に好奇心を刺激されていたので、その続きで質問しただけだった。

 そんな誤解もあったが、しかし、子供たちの話を聞いているうちに、その二人の先生も熱心な良い先生だということが伝わってきた。

 白人の先生の一人はまるで国語の先生のように日本語が上手く、日本の文化や歴史にも詳しい。もう一人の白人の先生は造園が趣味で、日本庭園の話に夢中になって授業を半分潰してしまったりする。


 彼ら二人と日系人の先生の違いを考えてみると、興味深かった。

 日本人や日系人の場合、日本の文化や日本的なものの考え方は「身内のもの」であるという意識があり、あまり対象化しない。つまり、興味や好奇心の対象として探究したりはしない。日本文化そのものではなく、他の文化との違いに目が行く。

 対して、異文化の中で生まれ育った人たちにとっては、日本文化は分析や愛好の対象である。

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一家移住。浅井家の場合 @eikyusf

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