第12話 パッと咲いて散って灰に 終


 強い向かい風が吹き、グラウンドの土埃を巻き上げた。大輔は、ディスクが風にあおられ、大きく軌道を変えるのを見た。同時に、踏み切ったサクラがバランスを崩し、地面に転がるのも。

「サクラ!」

 大輔は思わず駆け出しそうになるが、視界に入った白線を見て、踏みとどまった。一度競技が始まったグラウンドに、キャッチャー以外が踏み込めば、演技は無効となる。

 周囲の観客もざわついていた。審査員たちは身を乗り出して、控えていた救護班らしい人員に指示を飛ばしている。彼らが立ち入った場合でも、当然演技は無効だ。

(どうすればいい。サクラは大丈夫なのか?失格になったらどうする?俺は――)


 ディスクはどこだ?


 大輔は顔を上げた。錯綜する思考の中で、唯一明確に、それが必要な思考だとわかった。

 ディスクはまだ、飛んでいる。空中を力なく漂い、落ちていく。まだ、続いている。だとすれば、大輔がサクラに届けるべき言葉は、一つだった。



 真っ暗で、何も見えなかった。どれだけ時間が経ったかも、一瞬わからなかった。頭をつよくぶつけたようで、キンと耳鳴りがする。

 ちょうど踏み切るときに、風が吹いて、ディスクがぶれた。目に砂が入って、うまく踏み切れずに、全身を打ち付けた。そこまではわかった。

(ああ――あたし、こんなふうに終わるのかな)

 情けない。みっともない。これだけ頑張ってきて、風が吹いただけで終わるなんて。笑い話にもならない。最悪だ。あたしは体を丸めた。


「サクラ、跳べ!!」


 声が聞こえた。ダイスケの声だ。ダイスケが、あたしに飛べと言っている。はっきり聞こえる。


「サクラちゃん、跳んで!」


 エリの声だ。


「サクラ!ディスクは生きてるぞ!」

「手を伸ばせ!上空1メートルだ!」

「がんばれ!」

「跳べ!」


 ミカド、明、観客たちの声。あたしの耳がみんなの声を捉える。


「サクラっ……!」


 パパの声だ。まだ、あたしを見ている。応援してくれている。ディスクは生きている。見えないけれど、だったら、こんなところで寝ていられない。

 全身に力をこめる。痛む体を起こし、足の筋肉に指令を飛ばす。目を見開き、涙で歪んだ視界を探る。


 ある。そこに。


「跳べっ!!!」


 もう一度、ダイスケの声が聞こえた。

 あたしは、両足にありったけの力をこめて、ディスクに手を伸ばし――跳んだ。


 ぶかっこうなジャンプだったと思う。ただ飛び上がっただけで、ディスクだって勢いを失ってへろへろだったから、手応えもぜんぜんなかった。それでも、ディスクは、あたしの手の中に収まった。


 捕った。


 視界が戻る。歓声が聞こえる。あたしは、また地面に倒れ、泥だらけの手のなかのディスクを空に掲げる。


 捕った。あたしが。ダイスケの投げてくれたディスクを。


 良かった。今はそれしかなかった。満足だった。案外、ざまあみろとも、見返してやったとも、思わなかった。点数も気にならなかった。あたしは、走って、捕った。それでよかった。


 雲の切れ間から、オレンジ色の夕日が注いでいた。もう一度、あたしはグっとディスクを掲げた。大輔に、みんなに、見えるように。



 捕った。サクラがディスクを捕った。

「よしっ!」

 大輔はガッツポーズをしてから、すぐに倒れているサクラのところに走っていった。サクラは大輔を見て、泥だらけの顔で笑って、拳を突き出した。大輔はそれに自分の拳をあわせた。

 同時に駆けつけた救護の担当がサクラの体をチェックし、ひとまず問題がなさそうだとわかると、大輔は胸をなでおろす。

「ダイスケ、あたし、やったよ」

「本当にすごかったぞ、サクラ。これなら、もしかしたらディアナにも……」

 距離的にはギリギリ足りるか足りないかというところだ。サクラが安全策をとって早めにジャンプしていても、失敗したあとに再びジャンプできなくても、この結末はありえなかった。

 大輔はサクラに肩を貸し、立ち上がる。すると、ちょうど演技の点数が発表されるところだった。

「ただいまの演技、得点は……92点です」

 審査員から点数が発表された瞬間、観客や他の選手からどよめきが起こった。ジャンプの高さと基準点からの距離を考慮しても、低すぎる点数だった。審査員は淡々と発表していく。

「内訳は距離点70点、高度点19点、芸術点3点。各審査員のつけた芸術展は、2点、3点、4点、3点、25点でした。よって優勝はディアナ・ボルゾイ選手に決定です」

 すぐに観客たちから抗議の声が上がった。

「3点!?」

「3点は少なすぎるだろ!ちゃんと演技見てたか?!」

「あんなにがんばってたのに!」

「最低限ジャンプができてれば、10点はつけるのが慣例だろ!」

 騒ぎ立てる観客に、審査員たちは煩わしそうに、あるいは不安そうに顔を見合わせている。確かに、サクラは一度ひどく転び、再度のジャンプも不格好だった。しかし、3点はあまりに低すぎる。大輔も抗議しようとしたが、サクラが服の裾をつかみ、首を振った。

「……いいのか?だって……」

「いいのよ。ディアナに勝てなかったのは残念だけど……みっともないジャンプだったのは事実だもの」

 口ではそう言っているものの、サクラは牙をむき出して、悔しさに耐えているのがわかる。大輔にも、その感覚は何度か覚えがあった。審判や審査は、それにチャレンジする制度がない限り、絶対だ。特に、競技に参加している選手にとっては。無責任に騒ぎ立てることができるのは、競技に参加していない者だけだ。

 

「待たれよ」

 場違いなほど凛とした声が響いた。

 観客も、審査員も、大輔もサクラも、声のするほうを振り向く。西日を受けてグラウンドに立っていたのは、ディアナだった。後ろでは赤毛のスロワーがあわてて追ってきている。

「シバ選手の先刻の演技は、見事なものであった」

 朗々と謳い上げるように述べるディアナに、大輔はあっけにとられてしまう。周囲の者も同じようだった。

「無論、私の演技が彼女に劣るとは一切思わぬ。しかし、自らの強みを活かし、『遠く・高く・美しく』地を駆け、ディスクを掴まんとする姿は、まぎれもなくディスクドッグ選手すべてが目指すものに他ならない!何より、あの疾風の如き走りは、スロワーへの全幅の信頼がなければ出来ぬものだ。必ず、過たず自らの下にディスクを届けてくれるという、信頼が。競技者が二人、しかも種族の違う人間とイヌ人が共にあるディスクドッグ競技において、その姿勢がいかに困難で、それゆえに尊く、美しいものであるか!この競技に携わる者であれば、誰であれ感じ入ることであろう」

 ディアナは審査員たちのほうを見た。大輔からも、審査員たちが戸惑い、顔を見合わせているのがわかった。

「それを評価せず、不必要に低い点数をつける審査員のもとで優勝したとあっては、正しくあるべき我が演技にも疑いがかかる。故に、。私が下した諸君には申し訳ないが、貴君らがディスクドッグ選手として上を目指し続ければ、必ずまたどこかで私と戦うことになろう。その時、曇りのない審判のもとで再戦できることを望む」

 そこまで言い切って、ディアナはサクラのほうにつかつかと歩み寄って、手を握った。

「ありがとう。先程も言ったが、良い演技だった」

「こ、こちらこそ……えっと、日本語喋れたの?」

 サクラはまだ状況が飲み込めていない様子だったが、ディアナの言葉に、強く手を握り返した。

「ああ、趣味で覚えたのだが、ユリウスからは人前で話さないように釘を刺されていてな。では、失礼。また、どこかの試合で」

 ディアナはサクラに一礼すると踵を返し、演技さながらの速度で駆け出す。

「ええっ、ちょっと!棄権って!?」

 一方的に言って去っていくディアナに、審査員たちと赤毛のスロワーが追いすがっていくのが見えた。会場は騒然として、拍手やらブーイングやら、写真や動画を撮影する音やらが聞こえている。

 ディアナが棄権したため、サクラが優勝者となる。優勝できたこと自体はよかったが、サクラは複雑な気持ちじゃないか。大輔は、サクラの表情を伺った。

「『また、どこかの試合で』、か……」

 しかし、それは大輔の思い過ごしのようだった。サクラの黒い瞳は、すでにこの先に向けられていた。湿った鼻を鳴らしながら、サクラはディアナのつかんでいた手を、何度か閉じたり開いたりして、感触を確かめていた。

「ダイスケ、ありがとう。ダイスケがあたしを信じてくれたから、あたしは『また』ディスクドッグができる」

 サクラのまっすぐな言葉に、大輔は少し照れくさくなって、目線を外しながら答えた。

「俺も、ありがとう、サクラ。その、いろいろ」

「いろいろって何よ、締まらないわね」

 サクラは笑って、大輔の背中を叩いた。

 日はほとんど暮れかけ、群青色になりつつある空に、ゆるやかに桜の花びらが舞っていた。大輔は、また野球をやってみてもいいかもしれない、と思った。今なら、きっと全力で、投げることができるだろうから。


「サクラちゃーん!大輔さーん!」

 遠くでエリが、小さな体をいっぱいに使って、ぴょんぴょん跳ねている。目元の毛皮が少し濡れているように見えた。


「……さ、いきましょ。エリにも心配かけちゃったし」

「そうだな。歩けるか?」

「痛みはないけど、もうヘロヘロよ。さすがに疲れちゃった」

「ああ、今日はゆっくり休まなきゃな」

「うん。それで、また明日からは練習ね。ダイスケも……」

 そこまで言って、サクラは口ごもった。もともと、大輔との約束はこの競技会までだったからだろう。

「……ああ。投げるよ、どうせ暇だしね。最初に会ったときと同じく」

「あっはは、何それ」

 サクラは大輔を見上げ、にっこりと笑った。真っ黒な鼻先に、漂っていた花弁がひとつ、ふわりと舞い降りた。




― ディスクドッグ=ガール ―

― パッと咲いて散って灰に ―




「増田、今月末の試合来るの?」

「行くつもり。お前のサークル、ピッチャー俺しかいないじゃん。新入生来るのに、まともに試合できなかったらダメだろ」

 大学の構内を、大輔は石川と並んで歩いていた。新歓シーズン真っ只中で、放課後のキャンパスは熱気に満ちている。

「新入生かー、カワイイ子いるといいな。プードル系とかの!お腹撫でたい!」

「お前、そんなだから彼女できないんだぞ」

「それとこれとは別だし!」

 大輔たちは学食を目指し、多くの生徒でごった返すキャンパスの中心部に進む。新入生にビラを渡そうと、様々なサークルの上級生たちが道を埋め尽くしている。

 どこか空いてる道はないか、と大輔が見回していると、ドン、と体に何かが当たった。

「あ、すんません」

「ちょっと、どこ見て、わむ、むぎゅ」

 大輔に何事か抗議しようとした小柄な人影は、すぐに人波に埋もれもみくちゃになっていく。かろうじて人の間から抜け出ていた腕を、大輔は掴んで、こちらに引っ張った。

 茶色い毛皮に覆われた、イヌ人の腕だった。

「ぷは。すごいわね、大学の新歓って」

 小柄なイヌ人は、ぶるぶると全身をふるわせ、揉まれて癖のついた毛並みを整える。

「ふふ、でもちょうどよかったわ。あんた、図体がデカいから見つけやすくて」

 彼女は、人懐っこく笑って、カールした尻尾を振った。

「ダイスケ、またあたしのスロワーになってくれる?」

 サクラは大輔を見上げ、ディスクを差し出した。

 人混みの間を風が吹き、宣伝ビラと桜の花びらを、青い空に強く舞い上げた。


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ディスクドッグ=ガール 獅子吼れお🦁Q eND A書籍版7/25 @nemeos

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