天正六年十二月の浦上残党の一斉蜂起は鎮圧までに数ヶ月を要したが、宗景を援助していた美作鷲山城主を討ち、宗景の領主復帰の野望を打ち砕いた。


 直家は実に上機嫌そうだった。浦上に組する者達を領内から完全に排除したのだから当然だろう。だからこそ忠家からの誘いに乗って二人で飲むことになった。

 夜ということもあって外からは虫の鳴く声しか聞こえない。大人数で大騒ぎする宴とは違い、二人で飲むには良い雰囲気だ。

「真にめでたきことよ。これで浦上はもはや座して死を待つだけよ」

 注がれる杯を見ながら笑う直家に笑みを浮かべてその通りだと頷いてみせる。

「それにしても、お前がかような澄み酒を知っておるとはな」

「此度の戦勝祝いと先の戦勝願いの御礼で御座いまする」

 直家は杯に注がれた酒をずっと眺めている。忠家はこの日の為にと摂津、伊丹より高価な澄み酒を取り寄せた。普段、あまり濾過されていない濁り酒を飲んでいる宇喜多の者達が見れば指を咥えるだろう。もちろん忠家の財力では桶一杯とはいかず、酒器数本程度だが、致し方ないことだ。

「ところで、お前は飲まぬのか?」

 直家の視線は忠家の隣にある別の酒器に移る。

「私は毒味ついでに飲み申したが、口に合わないようで……いつもの濁り酒で十分で御座いまする」

「左様か……残念なことよ」

 そう言うと直家は杯を掲げ、忠家も少し遅れて同じように掲げる。互いに一気に呷り、満足げに笑みを浮かべ、頷き合う。

 直後、直家の体が大きく左右に揺れ、倒れた。

 すかさず忠家は近付き、息の根が止まっているのを確認して安堵の息を漏らす。そして、額から流れる滝のような汗をそのままに達成感と解放感から膝から崩れ落ちた。

 思ったよりも呆気なかったが、これで頭痛も心臓の痛みも無くなる。会う度に鎖帷子をわざわざ着込む必要も無くなる。備前も家臣も恐怖から解放され、皆の心にゆとりが出来る。浦上が滅び、備前が宇喜多の下で統一された今、求めるべきものが訪れるのだ。

 予め、お鮮に根回しで直家の死を突然であるということにしてもらい、嫡男の八郎が元服するまで忠家は後見役を務める。八郎が元服すると同時に忠家は出家し、自分が直家の直系から家を取らないということを示して後事を三家老に任せる。

今後のことをより詰めて話し合おうとお鮮の下に向かう為、疲れた体に鞭打って忠家は立ち上がる。疑われない為に二人以外の部屋で飲んでいたのだから誰も疑わないだろう。三家老辺りは首を捻るかもしれないが、変わらずに良い待遇をしていればいずれ忘れてくれるだろう。

 直家の為に用意した酒器と自分の杯を持つと忠家は襖に手をかける。

「よし……」

「何が良いのだ?」

 開こうとした腕の動きが止まった。まさかと思い、振り返ると胡座をかき、口元だけ笑っている直家が忠家の酒器から酒を注いでいる。

「な、何故……」

 忠家は体を震わせながら膝を着いた。

 悪夢でも見ているのだろうか。それとも疲労が幻覚を起こしているのか。いずれにしても目の前にいる直家はこの世のものではない。忠家はそう思いたかった。しかし、体は震えが収まらず、腰を抜かしたような格好になる。

 直家は構わずに口直しだと杯を傾けると盛大に息を吐く。かかった息が嫌でも忠家に目の前の存在が現世のものであると思わせ、もう一杯飲もうと酒を注ぐ様子を黙って見ていることしか出来ない。

 直家は酒を飲み干し、小さく吐息するとどこか寂しげな表情で口を開く。

「私は毒を以て人を殺してきた。ならばその意趣返しがいつ来るか分からぬ」

「まさか……自らに毒を……」

「無論、これまでは私しか知らぬことだったがな」

 酔いが回っているのか、いつでも殺せるという余裕からか直家の口調は世間話をしているかのように徐々に楽しそうになっている。

「今宵、お前に知られてしまった」

 悪戯に成功した子供が浮かべるような笑みを見て、忠家は直家が全てを知った上でこの宴にやって来たのではないかと思ったが、それは無いと内心で首を振る。

「ま、お前にやられるとは思わなんだ」

 その言葉で忠家は自分の置かれた立場を再認識した。主殺しに身内も何も無い。謀反を企てたとなれば死罪は当然で、この状況下では逃れることも出来ない。しかし、実行しようと決めた時から腹は括っている。いつ死ぬか分からないこの時勢でよく知った者に斬られるのであれば本望だ。姿勢を正すと頭を前に出すように下げ、覚悟を示す。

「斬れと申すか……」 

 この期に及んで躊躇うことは無いだろう。直家は手に負えない者をことごとく殺してきたのだから。

忠家は目を瞑り、その時を待つ。だが、いっこうに首に何かが当たる感覚どころか刀を抜く音すらも聞こえない。恐る恐る目を開けてみる。足が間近にあり、顔を上げてみると立ち上がっていた直家がこちらを見下ろしている。肝どころか他の臓腑さえも冷やしてしまいそうな目。普段なら恐怖のあまり腰を抜かすか小便を漏らすかしたが、どうせ今宵死ぬのだからその目を忘れないように見ておこう。

 そう思い、忠家は直家から視線を外さずに早く斬れと目で訴える。だが、直家はいっこうに刀に手を掛けない。それどころか鼻で笑うと屈んで衝撃を与える言葉を発した。

「斬らぬ」 

「……」

 驚く忠家をよそに直家はその理由を話し始めた。

「お前は私のことを恐れ続けてきた。されど、此度は違う。私への恐れを撥ね退け私を殺そうとした」

 一つ息を吐くと呆然としている忠家の横を通り、僅かに開いていた襖を閉めた。

「他に誰が知っておる?」

 冷たい言葉が刀となって忠家の首を撫でた。

「……と、問うても言わぬか。別に構わぬ」

 背中に何か重いものが圧し掛かる。人肌の温かさが伝わり、直家に抱きすくめられていると分かる。

 触れているにもかかわらず不思議と恐怖を感じない。むしろ心地よさがあり、まるで親や細君に癒されているようだ。

 しばらく互いに口を開かずにいたが、破ったのは直家だった。動かしたのは口ではなく、体。見事な体捌きで忠家を組み敷いてしまった。直家の口元が歪んだのを見て油断したと忠家は再び目を瞑る。

 首か、心の臓か。鎖帷子を着込んでいるからおそらくは首だろう。いずれにしても痛むのは一瞬のはずだ。しかし、何かが触れた感触はどちらにも無い。

代わりに唇に優しい感触があり、忠家が目を開いてみる。すると、少しでも顔を上げれば当たってしまいそうな距離に直家がいた。

「愛い奴よ……」

「なっ……」

 目元までもを笑わせる直家を見て、感触だけで嘘だと思っていたことが本当であると教えられる。

表情を強張らせる忠家を不思議そうな顔で直家は見てくる。自分がしたことを分かっていないのかと問い詰めたかったが、愚問だと出かかった言葉を引っ込める。

「良い機会であるが故……否、もはや言葉も足りぬ」

 意味深だが、何を言いたいのか忠家は大方悟った。確証するかのように腕を押さえた手の力がより強くなる。

 衆道はどの大名家でもあると聞いているし、宇喜多の家臣の間でもそのような関係を持っている者がいるという噂も聞く。しかし、直家と忠家は決して超えてはならない理由がある。

「わ、我等は兄弟ではありませぬか?」

「されど、血は繋がっておらぬだろう?」

 直家の母と忠家、春家の母は違う。直家も同じ腹から生まれたのであれば抑えることが出来たのだろう。今まで見たことの無い欲望を剥き出しにした顔が少しずつ近付いてくる。忠家が逃れようにも顔を後ろに下げられない。横に背けようにも顎をしっかりと押さえつけられてしまっている。

「神道では親子の契りは禁じておる。されど、同胞

はらから

の契りは禁じておらぬ。そして、我等は兄弟だが、同胞にあらず……」

 耳元で声を発する度にかかる直家の息がくすぐったく、身じろぎしてしまう。それが直家の欲を昂らせるのか、息遣いが少し荒くなる。

「残念だったよ。今まで我が想いを伝えようとしても私を恐れて逃げてばかりの弟には……されど、私はお前を見捨てようとはせぬ。出来ぬ」

 ここまできて逃れられると思っていない。殺そうとしたのだから猶更だ。しかし、忠家は分からないことが一つだけあった。何故、長い間くすぶらせてきた欲望を今解放しようとしているのか。今までにも好機があった。久松丸暗殺の際など。

「お前が私を殺めんとした。されど、そのおかげでたかが外れた。故に、私も抑えきれぬ」

 直家は昂った感情を抑えきれないと顔を震わせながら近付けてくる。嫌な予感を抱いた忠家は最後の悪足掻きだと気付かれないよう脇に差していた鉄扇に手を置く。だが、直家によってその手を押さえられてしまった。動きをほぼ封じられた状態を利用され、そのまま勢い任せに押し倒されてしまった。抗おうにも心臓の痛みが再び蘇ると同時に体が硬直する。以前とは違い、胸の奥が熱くなるような感覚と共に。

「如何なる所へお前が逃れようとも私はお前を捕らえる。たとえ地獄でも、畜生に成り果てようとも」

 言葉を区切ると直家は耳元に近付き、囁いた。

「お前は私を唯一惑わす毒故に」


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

至高の劇毒 北極星 @hokkyokusei1600

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ