直家の敵対する者に対する謀略の手段は度が過ぎている時もある。

 しかし、結果として宇喜多に利をもたらしている。

 なおかつ直臣に対しての扱いや待遇はかなり良く、暗殺の為だけに雇った者達にも行く当てが無ければ迎え入れ、家臣として扱っている。

 実際に忠家の目の前で酒を飲む直家に普段の仏頂面は無い。緩みきっている訳では無いが、気圧されるような雰囲気は無く、むしろ接しやすい。

それでも忠家は決して油断しない。差し出された杯から溢れんばかりに注がれた酒も先に飲まず、飲みきって平然としている直家を見てからようやく飲み干した。相変わらず機嫌が良い直家は自ら酌をして杯を呷る。

 このようなところを見ていると直家も人の子なのだと忠家も胸を撫で下ろす。宿願であった備前の統一と美作の一部を治めることが出来るのだ。

三方向から攻められるかもしれない地獄がまだ終わっていない。だが、直家の余裕を見ていると忠家も安心していられる。

「ようやく備前、美作の者達がどちらに靡かんとしているのか明白にした。ようやく全力で戦えるというもの」

 口に付けようと杯を近付けていた手が止まった。つまり、今までは遊びのようなものだったのだろうか。詰め寄りたいところだが、せっかくの機嫌の良さを損ねる必要も無い。そこで忠家は当たり障りの無いところから声をかけてみる。

「宗景も早う討たねばなりませぬな」

「否、宗景はもはや生きていようが死んでいようがどうでも良い」

 直家は浦上を支持していた勢力のほとんどを滅ぼし、備前などの支配地に眠る火種を消しきったと思っている。常日頃、決して願望論を言うことは無い為、忠家は驚きを隠すことに必死だった。

「いよいよ、織田も本格的に西へと向かうことを決めたそうだ。ここで宇喜多の名を売らねばな」

 天下の趨勢が徐々に織田へ傾いて落ち着いてきている。羽柴もまた中国を任されている。これを好機と言わずにいられない。無邪気な子供のような眼で言うのだから苦笑いせずにはいられない。

「上月城の戦振りは見事だったと聞いておる。備前一国は安堵されるだろう。さすればお前の手柄だ」

「もったいなき御言葉で御座いまする」

「羽柴に降った後、毛利との戦次第では羽柴の下、更なる領地を治められるやもしれぬ。いずれお前にも褒美を与える」

「有り難き幸せ」

 口元を緩ませると直家は一気に飲み干す。

 こうして二人でのささやかな宴は直家が饒舌なまま進んだ。時折、忠家の肝を冷やすような危ない発言も出たが、酒のせいだろうと片付け、忠家も杯を何度も傾けた。にもかかわらず、なかなか酔えないのは直家のせいだとしておいた。

「さて、深酒は体に障る……私もお前も明日から忙しくなる故、これで……」

 一刻は経ったであろうかという頃に直家は腰を浮かした。

「お送り致しましょう」

「いや結構。少し一人で風に当たりたい」

「されど、危険では?」

「良い。それに、お前とでは落ち着かぬ」

 緩んでいた心が音を立てて引き締まり、心臓が一瞬だけ止まったような気がした。だが、忠家はすぐに我に返ると少しだけ痛み出した胸を気付かれないよう押さえ、直家の為に襖を開ける。

「ゆるりと休め」

 かけられた言葉に頭を下げることで応える。それから顔を上げた途端、忠家は目をはち切れんばかりに見開いた。

 部屋を辞す直家の背中一帯に赤く血走った目が見えた。こちらを見つめ、怨念を込めた言葉を無言で投げ掛けてくる。何を言っているのか分からないが、忠家は何となくそう思った。そして、襖が閉まろうとした途端だった。

『止めろ』

 反射的に忠家は後退りしてしまい、置かれたままの杯を尻で踏み、割ってしまった。当然のように盛大な音が響き、直家の足が止まる。

「……どうした?」

 まさか異様なものを見たなどと言えない。廊下の先まで響くような音を聞いても冷静な直家に忠家は何でもないと大袈裟に首を横に振る。

「……左様か。ならば、これで」

 踵を返すと今度こそ直家は出て行った。背中に先程あった大きな目は無くなっている。幻覚だと分かっていても現にあるものだと思ってしまったのだから仕方ない。だが、直家の前であのような情けない姿を見られたくなかった。

 一つ溜め息をこぼすと心臓が痛くなってきた。同時に落ち着いた思考も戻り、二人の宴を第三者の視線で思い返すことが出来、少しだけ後悔した。

 好機だったかもしれない。実行出来なかったのは予期せずして直家が部屋にいた為だが、忠家の中で決断出来なかったのが一番の原因である。恐れているのは確かだが、死に至らしめる程まで憎んでいる訳ではない。

 お鮮は宇喜多家の為と言っていたが、はたして本当にそうなのだろうか。直家のやり方は武人の道から外れているのは誰でも知っている。今まで頭の固い国人衆などからの反発も確かにあった。だが、備前の大名になれたのは直家のおかげである。

 葛藤を続けていると今度は頭痛がしてきた。脳髄が焼けるように熱い。薬師に見せても原因は分からず終いで病ではないと分かっている。

逃れる方法の鍵を握っているのは忠家自身。逃れたいと思っているが、今すべきではないと思い、懐に閉まっていた包みを箪笥へ移す。

 今は宇喜多の為に備前と美作の対立する勢力を滅ぼすことを最優先すべき。羽柴が東播磨まで撤退したことで後藤は孤立無援になり、延原だけで押さえられる。そして、宇喜多は幸島と天神山城の浦上残党を全力で討つことが出来る。

 とりあえず今は宇喜多としてすべきことをし、直家のことは心の片隅に置いておくべきだ。

 そう一人で決断すると忠家は敷いてあった布団に潜り込んだ。体が疲れているはずなのに何故か寝付けない。心臓の辺りが少し痛く感じ、何度息を吐いても治らない夜を過ごした。


 翌朝、忠家は家臣からもたらされた報告で目を覚まし、直家の下に向かった。 

「兄上、毛利から兵糧と心付け三百貫文が届いたと」

「うむ。今運ばせておるが……見に行くか?」

 毛利も必死なのだろう。摂津の荒木の戦況が良くない中で中国から播磨への足掛かりと備前を治める宇喜多の存在は大きい。しかし、直家が既に決断を下しているのだから毛利の行いは戦場で敵に頭を下げるようなものだ。

 忠家は見ないと頭を振った後、かなりの量を運んできたと言う直家の残念そうな物言いに少し苦笑いをする。かなりの量が運ばれたのは心付けの値を聞いても明らかだ。毛利はよほど裏切って欲しくないのだろう。

「我が心は決まっておるのにな」

「私が察する量からすれば本来寝返ることは許されないのでは?」

「敵にとって非道でも味方にならば喜ばれる」

 まるで毛利を嘲笑するかのように直家は鼻で笑う。おそらく兵糧の一部を織田へ横流しするのだろう。

 これから中国を攻める織田への手土産に兵の命を繋ぐ兵糧がただで入る程、有り難いことはない。

「七郎兵衛、私は天神山城に向かう留守役をしかと申し付けるぞ」

 直家は備前、美作の反抗勢力が一気に蜂起したのを逆手に取り、彼等を一掃すると決めた途端に生き生きとしている。思い通りに事が運び、機嫌が良いのだろう。忠家にとってはそれが恐ろしくて堪らない。

 毛利元就や尼子経久亡き後、中国で切れ者と呼べるのは直家ぐらいしかいない。手の平で踊らされ、時が来れば弾き出される。その対象が誰なのか分かりきっていても事を成せるだけなら頼もしいで済む。しかし、身内にしてから暗殺を行う所業があるからこそ恐怖となる。

「如何程の時が掛かりましょうや?」

「春には終わるだろう」

 未だに摂津の荒木が落ちない以上、本格的な中国攻めはまだ先だろう。忠家はそう考え、頭を垂れた。

「御武運を」

「うむ」

 運び込まれた兵糧を確認しに行くと言って直家は立ち上がる。忠家は心臓が飛び出そうになった。いつも通り忠家の横を通ろうとして足音が止まったのだ。何か落ち度のあることをしただろうかと思い返しても全く心当たりが無い。

 顔を上げるべきか否か。いざとなれば着ている鎖帷子を頼りに避けることも出来る。少し腰に力を入れ、有事に備えていると肩に何かが置かれた。顔を上げて見てみると直家の手が置かれていた。表情を伺うと眉間に深くしわが寄っている。

 頭痛と胸の痛みがやってくる。直家の前で痛む箇所を押さえる醜態を晒したくない。早く治まれと言い聞かせるも目を逸らすことの出来ない現状では体も動かせない。

「頼むぞ」

 直家は穏やかな口調で言うと去って行った。忠家は返事も出来ずに呆然としてその後ろ姿を見ることしか出来ない。留守役に対する励ましのつもりだろうが、あの人を品定めするような目と険しい表情は何だ。まさかと思った忠家は慌てて外に出る。誰もおらず、気配を探るが、どこかに隠れている者もいない。

 安堵したと息を長く吐くと忠家は外へ出る。直家がいなくなった為、頭痛も心臓の痛みも消え、普通に歩を進められる。だが、先程までの見ていた直家の表情が簡単に忘れられるはずもない。頭の中で蘇り、まだ現実で疑われている目を向けられている気がしてならない。

 疑われているのであれば直家は間違いなく自分を貶めようとしてくる。ならば、未だに疑いの目を向けられている間にこちらから動くしかない。幸い、直家の方から機を作ってくれたのだ。利用しない手はない。

 不思議なことに一度決断すると今一度戻っていた頭痛も心臓の痛みも無くなり、心の中にあった塊のようなものが溶けて落ちていくのが分かる。忠家は一度大きく深呼吸をするとお鮮の下へ向かった。

 忠家が訪ねた時、お鮮はただぼんやりと外の景色を眺めていた。忠家の存在に気付くと同時に彼の表情に宿っている強い覚悟を感じたらしく、目付きが鋭くなる。一つ頭を下げ、隣に座るとお鮮が眺めていた紅葉散る庭に目をやる。この期に及んで躊躇っているのではなく、間を置いているだけだ。誰が聞いているのかも分からない状況で簡単に口を開くような愚かな真似は出来ない。

「案ずるに及びませぬ。他の者は皆下がっております故」

 忠家の前に風で流れた紅葉が一枚落ちたきた。

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