「次兄。義姉上を呼んで参りまする」

「何か申すことがあるのか?」

「次兄は無いのか?」

 当然のように頷いてみせると春家は目を見開いた。考えられないと言いたいのだろう。だが、先程の直家の考えは理に適っていておそらく考えを読めるのは備前の中にはいないだろう。首を捻っていると今度は溜め息をつかれた。

「ともかく例の部屋でお願い致す」

理由を聞こうとしたが、それよりも早く口を開かれ、去ってしまった。

後で聞けば良いかと思いながら忠家は城の奥にある部屋へと向かい、蝋燭に火を灯す。久々に来るなと思いながら腰を下ろす。ここのところは忠家も備前中を駆け回っている草達のから情報を集め、春家も各地を転戦していた為、いつも声を上げても集まれないことが多かった。

「御免」

 春家に次いでお鮮が入ってきた。少し顔色が良くない。

「義姉上。申し訳御座らぬ」

無言で頭を下げてきた為、努めて明るい口調で声をかける。少し口元を緩ませた為、おそらく久々の会合で緊張しているのだろう。

「与六殿から話を聞きたい」

 座るや否やお鮮が口を開く。忠家も視線を向けると春家は一つ頷いた。

「長兄のやり方は義に反す行い。私はそれが許せませぬ!」

 唾を飛ばされても全く理解出来なかった。直家の考えを思い返してもどこが卑劣なのか分からない。お鮮も目を軽く見開いている表情から合点がいっていないのだろう。

「毛利と袂を分かつことを承知の上で織田に対峙し、織田の者を殺める。そも、我等にとって大恩ある毛利を裏切るなど到底出来ませぬ!」

「後藤と対峙するのだから良かろう」

「織田の援軍が到来すれば如何か?」

 播磨を未だに平定出来ていない段階で有り得ないと言いたい。忠家は天を仰ぎたくなる気持ちを必死に堪えた。今の今まで春家が生粋の武人であることを忘れていた。年月が経ち少しは融通が利くと思っていたが、読みが甘かった。

「後藤を倒すことで浦上を倒せる。兄上は上月城を落とすことに貢献することで毛利への恩を返し、羽柴に降る為の支度も済ませた」

 意味の無い弁舌を聞いていても時間の無駄だと忠家は語気を強めて春家を遮り、直家の真意を分かる範囲で教えてやった。

「されど宇喜多が備前を手中に出来たのは毛利の助けがあったからこそ。一国と一城では差がありまする」

「宇喜多に新たに一国を取るような余裕があると?」

 春家は口を噤んだ。国内が乱れているにもかかわらず、新たに国盗りをするのは愚の極み。上月城の援軍もかなり思い切ったものだが、明確な意図が隠されている。決して忠家も愚かではない。愚直な春家の言うことも理解出来るが、武人の意地を通すような道を今まで宇喜多が歩んで来たであろうか。仮にそうだとしたら既に家は滅んでいたに違いない。

 忠家は無言で強く睨み付ける。春家は目を逸らし、黙っていたお鮮へと目を向けるも目を合わせようとしてくれない。

「余裕は無くとも、意地を通すべき! 私は武人として思いまする!」

 進退窮まった春家は立ち上がるとそう言って出て行った。襖も開けっ放しで。

「また勝手に……」

 春家が言うだけ言って外へと向かうのはほぼお決まりのようなものだが、こちらとしてもせめて言い分ぐらいは言わせてもらいたかった。

蚊帳の外にいたお鮮に謝るべきだと思い、そちらを向くと忠家は開きかけた口を紡いだ。考えることは誰でもするが、その際の雰囲気によって話し掛けてはならないと本能的に思う時がある。正にお鮮はその状態だ。ずっとおとがいに手を当て、下を向いたまま動かない。ようやく顔を上げたと思うと辺りを見回し、忠家を見て安堵したように息を吐いた。

「与六殿がおらず、取り残されたのかと」

 苦笑いを浮かべると同時に首を捻った。あれほど喚いた後に隣の部屋に人がいれば何事なのかと駆け込んで来そうな程、大きな音を立てて襖を開けていったのだ。よほど集中して考えていたのだろう。つまり、かなり重要で深刻なことを考えていたということだ。

 嫌な予感と共に汗が背中をつたう。何を考えていたのか尋ねてみたいが、お鮮の言葉を遮れば逆に話してくれないかもしれない。沈黙を破りたい気持ちを抑えて待っているとお鮮の口がゆっくりと開かれた。

「以前、南蛮と交易をしている商人から殿が手に入れ、私が頂いた書物のことを思い出したので御座います」

口調は小さく暗い。しかし、何か揺るがない決断を下したような、忠家に一言一句が刻まれる物言い。だからこそ嫌な予感が徐々に確信へと近付いているようで忠家の心はますます落ち着かなくなる。

「かつて、南蛮の地では『目には目を、歯には歯を』という法があったそうだ。目を傷付けられた者は傷付けた者の目を傷付けることが出来ると。一種の仇討ちのようなものだが……」

 最後だけ含みのある声で言ったお鮮の言葉が忠家の心に深く刺さった。お鮮の目をじっと見るとどこか儚げだが、一種の恐怖を感じさせる。直家と対当している時とはまた違う、言わせてはいけないことを言うのではないかという怖さ。

「兄上は決して宇喜多に仇となるようなことは致しておりませぬ」

「されど、備前に良きことなのか?」

 慌てて諭すように言ったが、忠家は口を噤んでしまう。直家の手段を選ばない謀略は宇喜多の家臣達さえも震え上がらせている。絶対的忠誠を誓っている家臣に優しくても外で行うことが印象に繋がる。備前が平穏無事になったのは確かに直家のおかげだが、これから先はいったいどうなるのか。

直家の死後、恐怖から解放された時に直臣ではない者達は反旗を翻すかもしれない。その時に織田が動かずに浦上に再び動かれると対処出来ないかもしれない。

「良きことである……と信じておりますれば、躊躇うことではないかと」

 本音に近いことを言うと部屋の中に沈黙が落ちる。口を開こうにも忠家は言葉が見つからない。備前が荒れれば宇喜多はまた落ちぶれてしまう。天下の趨勢が定まりつつある今、また再興できるとは思えない。そうならないように直家は謀略を尽くして宇喜多が備前を治められるように努力してきた。だが、過ぎたるは猶及ばざるが如しとも言う。

「私も浦上は討つべきだと思うておりまする。されど、事が成った暁に、殿に恐れをなして下剋上を行う者がいるとも限りませぬ。さすれば我等は浦上の後塵を排すことになりまする」

「故に、兄上の如き厳しさだけでなく手懐けもいると?」

 お鮮は頷くと懐から小さな包みを取り出し、忠家の前に置いた。中身は確認するまでも無い。忠家は音を立てて唾を飲み込む。

「決断したのは私。されど、七郎兵衛殿の方が機は多いかと思いまして」

「確かに私の方が身内で御座います故。されど、私は兄上のことを貶める程、今の宇喜多を憂いてはおりませぬ」

「他の者の総意としてもで御座いますか?」

 忠家の中で何か固いものの欠片が落ちた音がした。同時に頭の中が真っ白になり、金縛りにあったように体が動かなくなった。

「与六殿、長船殿、戸川殿、岡殿。殿の行いが今後の備前に悪しき影響を与えるのではと憂いておりまする」

 確かに春家のような武人の鑑のような者に直家の謀略は受け入れ難い行いかもしれない。しかし、三家老達の口から不安を聞いた覚えはない。何故、確信しているかのような口調で言えるのか。

「真のことを申さば、七郎兵衛殿が上月城を攻めている際に私がお聞き致したので御座います」

 心臓の辺りが痛くなってきた。痛む箇所を押さえたい気持ちを堪えて忠家はお鮮と置かれている包みを見比べる。包みのことはおそらく春家や他の家臣には言っていない。忠家ならば黙ってもらえるという確信があるからだろう。

「私めも斯様なことは致したくありませぬ。されど、いずれ宇喜多や備前にとって悪しきことを殿が致すのであらば躊躇いたくはありませぬ」

「ならば、義姉上が致せば良いのでは? 私は兄上を殺めることなど出来ませぬ」

 耐え切れず、忠家は冷めた口調で言ってしまった。気付いた時には既に遅く、お鮮の表情は曇る。

「兄上に申すことは御座いませぬ。この包みも受け取っておきまする故、しばらく時を下され。今は家中で揉めている場合では御座らぬ」

「時が来れば、と私も思うておりまする」

 一先ず、その場を凌げた。忠家は安堵の息を吐きたくなるのを堪え、部屋を辞そうと立ち上がる。お鮮に頭を下げ、部屋が見えなくなると真っ先に厠へと向かい、嘔吐した。どうすればお鮮を踏み止ませることが出来るのだろうという思いと自分が直家を殺めるかもしれないという思いで頭の中がよく分からなくなっている。

 受け取った包みをすぐに捨てれば気分も良くなるだろう。しかし、忠家はそれを捨てられない。お鮮に対して義理を通す意味も無く、持っていることが知られれば自分の命も危うい。また、どうして捨てられないのかと問われ、直ちに返せる答えを持っていない。護身の為になるかもしれないが、それなら刀の方が格段に役立つ。 

 分からないものを引きずっていても仕方ないと忠家は相変わらず続く頭痛と心臓の痛みを堪えながら部屋へと向かう。集めておいた兵に対する通達や延原に送る書状を認めるなど役目があるが、それよりも今は少し休みたい。

 部屋の前に辿り着き、襖に手を掛ける。途端に襖を開こうとした手が止まった。誰かの気配を部屋の中から感じた。間者ではないと思うが、何故許しも無く入っているのだろう。誰かが訪問する予定も無い。開けるか否か迷っていると中から声を掛けられた。

「何をしておる。早う入らぬか」 

「あ、兄上?」 

 襖を開けて姿を確認するとやはり直家だった。少し気が緩んでいるのか、いつも人を睨むように吊り上がっている目が落ち着いている。

「何故に私の部屋に?」

「遅かったのでな。心配で部屋にいさせてもらった」

「は、はぁ……」

 曖昧な返事になってしまったが、無理もないと直家は笑って立ち上がる。そこで忠家は直家の手に酒器と杯が、畳の上に杯が一つ置いてあることに気付いた。

「戦勝を願い、一杯やらぬか?」

 昼間から飲むなど不用心だと諫めたかったが、せっかく機嫌の良い直家の誘いを断る理由も無い。そして、先程のお鮮との一件も少し気になる為、忠家は誘いを受けることにした

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