三上 杏奈の場合

 彼と出会ったのは、夜の公園だった。


 その日私は、悲しくて、悔しくてやりきれない気持ちでいっぱいだった。


 自動販売機の近くのごみ箱に“それ”を捨てようとしたときだ。


「捨てるんですか?」

「え?」

 声のしたほうを見ると、黒いスポーツウェアを着た細身の男性が立っていた。

「……いや、あなたには関係ないじゃないですか」

 一旦“それ”を鞄にしまおうとすると

「家帰ってから捨てるんでしょ?」

 また聞いてきた。

「なんなんですか⁉」

「どうせなら、僕にくださいよ、それ」

「はぁ?」

「あ、でもどうせ捨てるつもりなら、一旦そこのごみ箱に捨ててください。そんで拾ってからもらうんで」

「何でそんなに……」

「チョコでしょ、それ」


 そう、捨てようと思っていたのは、チョコだ。恋人であるみつるに渡そうと思っていたチョコ。いや、元恋人か。


「早く捨ててくださいよ~。でないといつまで経っても僕もらえないんで」

「はぁ……。いいですよ、はい」

 私は箱を押しつけて投げやり言った。

「やった!」

 ……やった?

 捨てたチョコを欲しいと思うなんてよほど変な人だ。

「今、こいつヤバい奴だって思った?」

 見ず知らずの人にチョコをくれなんて言うところから、既にヤバい奴認定していたが。

「チョコを欲しがる理由を知りたい?」


「せっかくだから、くれたお礼に話してあげるよ」

 返事もしてないのに勝手に彼は話し始めた。



「――僕はね、この地区のゴミの収集業務に携わっている、いわゆるゴミ処理場の人。毎日まいにち、ベルトコンベアで流れてくるゴミを手で仕分けているんだ。なんでそんなことするのって?だって分別したもと違うものがあったり、危険なものも紛れているかもしれないだろ?でね、毎年この時期、特に十四日を過ぎるとあるものがベルトコンベアに流れてくるんだ。そう、まだ開けられていない、チョコの箱さ。僕はね、もう気づいていると思うけど、チョコが大大大好きな人間なんだよ。だからそういうのを見るたびに、「あぁ〜、もったいない!」って思っちゃうんだよね。それで僕はさ――」



「……もう帰っていいですか」

 その場を去ろうとすると、

「ちょちょちょ、待って。これから、これからだから」


「最後まで話を聞いて」

 両手を合わせながら彼は言った。


 はぁ……。これが新手のナンパなんだろうか。

 何かあったらすぐに警察呼ぼう。

 そう心に決めて、スマホを片手にベンチにいる彼の隣に座った。


「でね、捨てたチョコを見て、もったいないな〜ってつくづく思っていたの。そうして何年もその光景を見てくると、今度はなんで捨てたんだろうって思い始めるんだよね」


 捨てる人の気持ちが気になってきた。振られたのか、渡せなかったのか、そもそももらったけど食べずに捨ててしまったのか――。


「ねぇ、君はなんで捨てようとしたの?」


「……」

「まぁ、いいや。早速食べちゃうね」

 そう言って彼が箱を開けたとき、私は言った。

「……それ、恋人にあげようと思ったんです」

ってことは、?」

「……彼は、別の人といたんです」


 ――そう、彼にチョコを渡そうとメッセージを送ろうとしたときだった。

 よく通る月極の駐車場に彼と同じ車が目に入った。

 中にいたのは、彼と私の友人だった。

 物陰に隠れて、暫くそこから車内の様子を伺った。

 最悪のことは考えたくなかった。

 たまたま二人が会っただけ。きっと彼が友人を車で送っただけ。

 でも、彼とその子が車の中でキスしたとき、最悪は現実となった。


『はじめまして』

 確かあれは一年ほど前。

 彼女に彼を紹介したのは私だ。

 あのとき、どっちが惹かれたんだろう。

 あの子なのか、彼だったのか――。


 彼の留守番電話に別れのメッセージ入れて、連絡先を消した。


 そして――。


「なるほど……、それで渡そうとしたチョコは捨てようとしたってわけか」


 パクっと彼がチョコを食べる。

 オレンジピールのチョコ。


「ん……。これ、めちゃくちゃ美味しい‼︎」

 なんでこの人なんだろう。

 美味しいって言ってくれるのは。

 言って欲しかった言葉をくれるのは。

「いいねぇ〜。ビターチョコが合うね」


「……ふ、ははっ」

 気づくと、笑いながら泣いていた。

 なんで彼にチョコを作ったんだろう。

 なんで彼と付き合っていたんだろう。

 なんで彼を好きになったんだろう。

 なんで。

 なんで……。


 ひとしきり泣いたあと、彼は言った。

「実に美味しかった……。ごちそうさまでした!」

 そう言って深々と頭を下げた彼に私は言った。

「あの――」

 私は一つの提案をした。

 これが彼にとって、誰かにとっていい結果になるかは分からないけれど。


 *

 そうして現在に至る。

 私は当時勤めていた会社を辞めて、今はチョコの専門店で働いている。働きながら専門学校も通い、一昨年資格も取った。



 私の店の二階には、ある一室が存在する。

 そこでは、チョコの引き取りを行っている。

 引き取るのは、行き場の失ったチョコ。


 そう、あの日、彼が食べてくれたような。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そのチョコレート引き取ります 篠崎 時博 @shinozaki21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ