森家 果歩の場合

 その男の人と会ったのは、友達とひどい別れ方をしたバレンタインの日のことだった。


 帰り道。通学路の途中にあるチョコレート専門店。バレンタイン当日ということもあり、店内は駆け込みのお客さんでにぎわっていた。

 はぁ、とため息を一つついて通り過ぎようとしたときだ。

 店の入り口にある看板が目に入った。


『チョコレート、当日も承りまわります』


 その下に『チョコレートの引き取りも行っています。店員までお声おかけ下さい』と小さく書かれていることに気がついた。


「引き取り……?」


 返品ではなく、本当に引き取ってもらえるのだろうか。

 導かれるように私は店内に入った。

 ケースの前の店員さんは対応に追われていて忙しそうだった。

 少し落ち着くまで待とうかな。そう思って店の隅まで移動したとき、ちょうど品出しをしに来た別の店員さんと目があった。

「何かお探しですか?」

「あ、えっと、チョコレートの引き取りって――」

 そう言いかけると、

「あら、じゃあ、こちらにいらっしゃい」

 笑顔で手招いた。


 店員さんについて行って辿り着いたのは、木製でできた扉の前。

 店員さんがノックをする。

「どうぞ」

 扉の向こうから男の人の声が聞こえた。


 扉を開けると、そこはまるで書斎のような部屋だった。壁一面が本で囲まれている。

 その部屋の大きな机の奥にはどっしりとしたアンティークの椅子。こちらに背を向けている。


「チョコレートの引き取りであってるかい?」


「え、はい。……はい!」


「私は夜野やの。チョコレートの引き取り人だ」



「早速だが、引き取る前に条件がある――」


 “話次第では引き取らない”

 その人はそう言った。

 こんな理由で引き取ってもらえるのだろうか。

 ためらいつつも私は彼に話した。渡せなかったチョコレートについて。


 ***

 絵梨奈えりなと私、果歩かほは一年のころからの友達だ。

 バレンタイン、私はその大事な親友に手作りチョコレートを用意していた。


 けれど――。


 今朝、絵梨奈の鞄から綺麗にラッピングされた箱が見えた。


 もしかして私に?絵梨奈ってば!

 私は絵梨奈から“それ”をもらうのを密かに心待ちにしていた。


 放課後。

「絵梨奈、渡したいものがあるの――」

 そう声をかけると、

「ごめん、果歩、私ちょっと急ぐ!」

 絵梨奈は走ってその場を離れた。


 急ぎの用?

 すぐに終わるかな。


 教室でぼんやり待ってると、廊下の声が聞こえた。


「ねぇ、さっきの二組の佐々木ささきさんだよねー!」

「すごいね、勇気いるなぁ~」


 ん…?

 二組の佐々木は一人だけ、……絵梨奈だ。


高橋たかはしくんだったよね、やっぱモテる奴は違うよねー」


 高橋くん、高橋くんって……え?


 頭の中でクエスチョンマークが止まらない。


 高橋くんは隣のクラスの男子だ。

 帰宅部なのに、スポーツ万能で、球技大会ではバスケでロングシュートを打ち、マラソン大会では十位以内に入っている。でもなぜ彼が運動部に入らないのか誰も理由は知らない。そんなちょっとミステリアスな感じと、飾らない人柄が人気の男子。


 あれは、彼がミラクルロングシュートをきめた球技大会の日だっただろうか。


「高橋君ってさ、どう思う?」

 体育館のギャラリーから試合を見ているとき絵梨奈が言った。

「え、絵梨奈って、あーゆうのがタイプ?」

「あ、いや、何となく気になって」

「うーん、あたしは……、なんかちょっと近寄り難いというか、苦手かな。ザ・人気者って感じが。隣にいたら落ち着かないかも」

「あー…、分かるかも。私も一緒にいたらなんか緊張しそう~」

 笑いながら絵梨奈は言った。


 しかしそんなことを言いながら、私はどこかで彼に惹かれていた。彼は気になる存在だった。

 教室であまり目立たないようにいる私にとって、眩しいくらいの存在。

 彼は何があって帰宅部を選んだんだろう、何なら興味があるのだろう、何が好きなんだろう。

 どうせ届かない存在だ。興味がないふりをして、好きじゃないふりをして、そうしてずっと過ごしてきた。


 帰ってきた絵梨奈はどこかやりきった感じが見えた。

「ごめん、遅くなって。帰ろう」

「……」

「どうしたの?」

「絵梨奈、どこ行ってたの?」

「どこって?」

 絵梨奈の目が少し泳いだ。

「正直に言って」

「えと……、ごめん」

「なんで謝るの?高橋くんのとこ行ってたんだよね?」

「……どうして知ってるの?」

「廊下で誰がが絵梨奈のこと見かけたって話聞いちゃった。言ってくれれば良かったのに……」

「でも言ったら、果歩、悲しむじゃん」

「……なにそれ」

「果歩が高橋くんのこと気になっているなって前から思ってた。だって、高橋くんと他の男子見る目、なんか違うんだもん。だから私もなんか気になってきて……、好きになっちゃった」

「でも、苦手って言っていたし、私どうしていいか分からなくて、なかなか言えなくて……、ごめん」


 私、気づかれてた。誰にも気づかれないように、密かに想っていた気持ちが。言わないでいた気持ちが。


 知ってて、告白したんだ……。


 教えてもらえなかったのと、自分の気持ちが知られていたショックで、私は何も言えずにその場を去った。

 後ろから絵梨奈の呼ぶ声が聞こえた。無視して、そのまま走って帰った。


 絵梨奈にあげるつもりだったチョコレート、自分で食べるのはなんか嫌だ。捨てるしかないか。

 そう思っていたときに、ここに辿り着いた。


 今になって思う。なんで引き返さなかったのか。

 裏切られたなんてこっちが勝手に思ってしまったことだ。

 あの子のせいじゃない。

 あの子は悪くない。

 誰にも気づかれない片思いに酔っていただけ。

 私にただ、告白する勇気がなかっただけ。


 ***

「——その後友達は?」

「LINEしようと思ったけど、なんて送っていいか分からなくて」

「……そうか」


 少しの時間を置いてから夜野さんは言った。

「よし、このチョコレート、引き受けよう」


「ありがとうご――」

 言いかけた時だ。


「ただし!」

 声を張り上げたのでビクッと震えてしまった。


「条件がある」



 彼が私に言ったもう一つの条件は――。


 ***

 帰宅後、私は絵梨奈にLINEした。

『今日はごめん。勝手に怒って勝手に帰って』

『明日、会えないかな』

 既読はつかない。


 思い切って電話した。


 出るわけないよね、ひどいことしたんだし、怒っているよね……。


 十回目のコールの後、絵梨奈は出た。

「……もしもし?」

「ごめん‼︎絵梨奈、ごめん……。あたし、絵梨奈にひどいことした。謝って済むようなことじゃないと思うけど…」

「……ううん、私こそ。正直に言えばよかった」

「ちゃんと会って話したいの。明日、うちに来てくれない?」

「いいよ、うん、行く」

「それで、その、あの、えーと、できたらエプロン持ってきて」

「エプロン??」



“その友達と一緒にチョコを作ること”


 作りながら話そう。言えなかったこと、隠してしまった気持ち、今までのこと。今度こそ、きっと。


 *

 夜野は果歩が作ったチョコレートを一口食べた。


「うぉっ、しょっぱ!!」


 あの子、砂糖と塩を間違えてるな……。


「渡さなくて正解だよ」

 苦笑いながら次の一口を食べた。

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