そのチョコレート引き取ります

篠崎 時博

海江田 誠の場合

 その人と出会ったきっかけは、あるハッシュタグだった。


 #そのチョコレート引き取ります


 ちょうどチョコレートに困っていた僕は、発信元を探すことにした。


 辿り着いたのはあるアカウント。

 その名も『j' adore le chocolat』。


 英語でないことは明らかだけど、なんて書いてあるのかは分からない。


 とりあえず、今すぐ引き取ってほしいとアカウントにメッセージを送ると、すぐに返事がきた。

 ここにきて欲しいというメッセージと共に地図が送られてきた。

 その下に「※ただし今日に限り」と記載してあった。


 午後の授業をサボって早速その場所に向かった。


 電車で二駅。そんなに遠くない。

 指定された場所は大通りから少し外れたビル。その二階だ。

 階段で上がるとそこは事務所らしき場所だった。扉のガラスは曇っていて中はよく見えない。


 もし怪しいところだったらすぐに逃げよう。


 そう心に決めて扉を開けた。


 ガラスでできたローテーブルに向かい合うように設置された皮の黒いソファー。

 壁には太い筆で書かれたであろう、『有言実行』の文字が額に飾られている。

 奥には机。さらにその奥に偉い人が座るようなどっしりとした黒い椅子が後ろを向いていた。

 

 脳内で「ゴッドファーザー」のBGMが流れ出す。

 ……やばい、やばいやばい。きっとここヤクザの事務所なんだ。

 怪しい薬を渡されて、「売ってこい!」と言われるところを想像した。


「すみません、間違えましたぁ‼︎」

 そう言って急いで扉のほうに戻ろうとすると


「もしかして、アカウント名、エダマさん?」

 黒い椅子の方から声が聞こえた。


「はいぃぃ!」

 僕は怯えながら返事をした。


「あ、アカウントj' adore le chocolatです」

 きれいなフランス語だった。


 それがその人、夜野やのさんとの出会いだった。


「……チョコを引き取る前に、まずはここに来た理由を聞かせてもらえる?」


「それを聞いてから引き取るかどうか判断するから」

 ソファーに腰かけた僕に夜野さんは言った。


 簡単には引き取ってはくれないのだ。


「分かりました。僕は――」


 ここに来た理由、引き取って欲しい事情を話した。


 ***

 僕、海江田かいえだ まことは数ヶ月前まではだった。

 特別モテるわけでもなく、むろん誰かとも付き合ったこともない、チョコレートは中学のとき部活のマネージャーから貰ったくらいだ(ちなみにこのチョコレートは部員全員に配られた、つまり義理チョコというもの)。


 しかし、あることから注目される存在となってしまった。


 僕自身は見た目はパッとしない学生だが、一つだけ珍しい特技があった。

 それが三味線だ。

 祖母が三味線の師範しはんをしており、子供の頃から弾かされていた。物心つく頃には手元を意識せずに弾けるようになった。


 大学に進学し、たまたま仲良くなった友人を家に招いた時、三味線を弾いてよ、と言われ、流行りの曲をその場で弾いた。すごいじゃん、みんなに聞いてもらうおぜ、と言われた時にはすでにSNSに僕の動画が投稿されていた。


 つまりはそう、その動画がバズったのだ。


 以来、学校でも声をかけられたりすることが多くなった。

 そして大量のチョコレートをもらうほどにもなった。


 手元にあるチョコレートは、ざっと三十個以上はある。

 殆どが手作りだ。早めに食べないといけない。

 しかし、家の冷蔵庫には入りきらない。その上うちは基本甘いものが禁止であり(祖母が甘いものをひどく嫌うため)、持ち帰るのも難儀だ。そうして迷っている時にこのハッシュタグにたどり着いた。


 一度にこんなにもらったのは初めてだった。

 人の気持ちがこもったものだ。たとえ量が多くても決してそれを粗末にしたくはない。


***

「——ふむ、分かった」


「大量の手作りチョコをなんとかしたいが、食べる方法も、保存しておく手段もなさそうだ、ということか」 


「引き取ってもらえますか……?」

「うーん」

 夜野さんは考え込むように言った。


「ちょっと気になったんだけど……」

「気になること?」


「君、チョコもらってあんまり嬉しそうじゃないよね」

「……え?」

「君の話を聞く限り、これまでの人生チョコもらったこと殆どないんだろう?」

「まぁ、はい……」


「君さ、本当はんじゃなくて、に、――その気持ちに困っているんじゃない?」


 そうだ。


 僕は、教育学部の丸井まるいさんが好きだ。

 サークルで知り合った、おっとりとしているけれど優しくて気がく丸井さんが。

 けれど丸井さんにはもらえなかった。

 今日、丸井さんを見かけた時、高級そうなお店の紙袋を大事そうに手に持っていた。


 僕じゃなく誰かに渡すその紙袋を。


「――ひどいですよね。自分の好きな人が作ったものじゃないから、誰かに引き取ってもらおうなんて」


 最低だ。分かってる。僕は元々誰かに好かれるような人じゃない。


「バレンタインってさ、残酷だよね。もらえる・もらえなかったで好きか嫌いが分かっちゃうのが」



「……ということで、このチョコ、ぜーんぶここに置いていきなさい!」


「え⁉︎」


「チョコ、一人で食べ切るの大変だろう?」

「……えぇ、まぁ、はい。だけど――」

「でも捨てるのはもったいない」

「捨てるなんて、そんなことはしたくないですよ!」

「じゃあ、一緒に全て味わおうじゃないか‼︎」

「……はい?いや、でもこの量を今日中に食べ切るのは――」

「やだなぁ~。少しずつだよ」

「え、でもここ保管できるような場所あります?」

 そう言うと、夜野さんはテレビに出てくる悪役のような喋り方で言った。

「ふっ、ふふふ。あるんだな、秘密兵器が……!」

「何がですか?」

「巨大冷凍庫さ‼︎」

「冷凍庫?」

 この小さい事務所の一室からは想像もつかない。


「実は業務用の大きい冷凍庫がここにはある!冷やすんじゃない、凍らせるのだ‼︎」


 あっけに取られてしまった。


「——ということで、はい」

 椅子から細くて白い手がにゅっと出てきた。


「なんですか?」

「そのチョコ、受け取ろう」


「そうだ、どうせならここで一個食べちゃおう!」

 思いついたように夜野さんは言った。


「エダマくん、どれでもいいから取って」


 大きな紙袋から適当に一つを選ぶ。取ったのはピンク色のドット柄の箱。

 箱を開ける。中身はトリュフだった。


「……トリュフです」

「トリュフか、いいねぇ」


 箱の内の一つを夜野さんに渡し、僕も一口食べる。

 チョコレートが口の中で少しずつ溶けて甘みが全体に広がっていく。


 そういえばこれをくれた子は同じ学部の子だったな……。


 少し、照れながらでも渡してくれた。


 どんな気持ちで僕にくれたんだろう。

 口の中で完全に溶けたチョコレートは、わずかな甘さだけを残した。


 二週間以内に食べ切ること、そう彼と約束してまた明日来ることにした。


 僕は味わうのだ。もしかしたら僕と同じような気持ちの人が作ったかもしれないチョコレートを。


 *

「彼が来る前に食べちゃいけませんよ」

 黒いスーツを身に纏った女は夜野の近くでそう言った。


「食べたりなんかしないさ」

 夜野はニヤリと笑った。

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