エピローグ

 俺たちが寮へ戻れるようになったのは三日後のことだ。部屋で安静にしておくように、という注意も込みであるし、俺は後二週間は松葉杖生活を余儀なくされるらしい。

 迎えに来た一百野は、俺の姿を見るや否や


「マジか」


 と天を仰いだ。

 怪我の具合は分かっていただろうに、と思うが、改めて松葉杖を突いているのは、それなりにインパクトがあったらしい。そして、同じように衝撃を受けたのは千陽も同じようだ。


「何かあったら言ってね」


 と俺の介護に挙手するほどだった。この足の怪我は千陽のせいではないのだけれど。けれど、役得を逃がすほど、俺は欲が浅くなかったようだ。


「ありがとう。何かあったら頼る」

「うん」


 千陽がほろりと笑ってくれる。それを見ると、欲深くなっていくのも当然だというものだ。

 あれから俺は、甘やかされている。いや、実際に何かをしてもらったというわけではないが。だが、言葉の節々に優しさが滲んでいてむず痒くなる。あの夜から空気が弛んでいるのを感じていた。むず痒くって仕方がないが、心地良いものは手放せない。

 一百野がニヤけ顔でこちらを見ているのは黙殺した。一緒にやってきてくれた瀬尾は、一百野のどうしようもない態度に呆れた顔をしている。瀬尾が俺たちのからかいよりも、一百野への呆れに心を傾けてくれるのならば、この男も少しは役立っていると思っての黙殺だ。

 三日ぶりに、ぞろぞろと医務室を出る。医務室があるのは特別棟で、人通りは少ない。そもそも朝だ。部屋で寝ぼけているものも多いのかもしれない。いつもの一百野ならそちら側であるか、もしくは帰ってきてもいない時間だ。そう思うと、こうしてわざわざやってきてくれるありがたさは生まれる。


「火ノ浦は同室者に説明してんのか?」

「私、一人部屋だから」

「人数が揃ってないんだよね。女子はぽつぽつ一人部屋の子いるよ」

「マジかよ。羨ましいな~ていうか、どの子?」

「……部屋に入れてもらおうとかゲスなこと考えるのやめたら?」

「俺は何も言ってないでしょうが、蒼依ちゃんよ」

「言ってるも同じだっての」

「蒼依は? 一人じゃないの?」

「一人でも入れてやんないよ」

「なんでだよ。俺と蒼依の仲だろ? 積もる話もあるし」

「あたしはないもん……離れて」


 軽々と肩を抱き寄せてアピールする一百野を瀬尾が鋭く睨みつける。瀬尾が邪険に肩を振るうと、一百野は両手を挙げて身を反らした。

 降参とばかりの動きへのラグがまったくない。そうして戯れることまで視野に含んで楽しんでいるようなものだった。瀬尾もそれを分かっているからか。一百野の扱いがどこまでもぞんざいだ。やっぱり仲が良くて、俺と千陽は忍び笑いを交わし合った。

 和やかな日々が戻ってきたなと思う。しかし、物事は変質していて、元に戻るということはない。戻ってきたことで、それを意識する。

 人が少ないといっても、すれ違う生徒がいないわけじゃない。その瞬間。不躾な視線が俺たちを撫で去って行く。まずいものを見たとばかりの視線だ。噂にされ続けていたものだから、そこまで異質のつもりはなかった。

 だが、


「可哀想」


 という言葉が聞こえてきて、その理由に気がつく。俺たちの火傷の跡は、最終的に消えると言われた。だが、今はまだしっかり残っている。

 美麗な顔立ちをしている千陽の肌に残るそれは、確かに痛々しい。他人からすれば、可哀想と零れるくらいには。これは別に女だから、ということではないだろう。俺も大概だ。

 怪我を哀れむことはある。とはいえ、可哀想。その感想は無遠慮に過ぎた。

 千陽の眉尻が下がる。気に病むだろう。千陽はそういう性格だ。腕の中で零された本音を聞いている限り、次に出てくる言葉を予測することは容易い。


「お揃いだな」


 先んじて言葉を潰すと、千陽の瞳がビー玉のように輝いて瞬く。それから、くしゃりと笑った。


「騎士様とお揃いなんて誇らしい」


 名誉の負傷だ。俺がそう思っていることを、千陽ももう分かっているのだろう。それが届いていることが嬉しい。そのうえで、お揃いだと笑ってくれることも。


「お揃いじゃなくったって、誇っていいよ」

「そうしたら、ただの怪我だもん」


 自爆の、と。続きはしなかったが、言外に含まれていることは察した。苦笑いを察せられるほどには、俺たちの心理的な距離は近い。

 ……近くなった、というべきだろう。俺にはそちらのほうがずっと誇らしかった。


「それでも、千陽は綺麗だよ」


 自分の感情が伴うそれが気恥ずかしいものだと気がついたのは、千陽が足を止めてからのことだ。ぱちくりと瞬いた目元に、じんわりと白桃色が広がっていく。それを見ているうちに、自分の言ったことが蘇ってきて、頭に火がくべられた。


「いや、ちが……いや、違わないけど、そうじゃなくて、いや!?」

「わわ、わかった、分かったから!」


 口にしている音に意味はない。わたわたと言葉を失う。いくら千陽が分かると言ってくれても、気持ちが落ち着くことはない。乱痴気騒ぎをする脈動を収めることはできそうにもなかった。


「なーにやってんだよ、バカップル」

「か、ップルじゃ……!?」


 そこに投げ込まれた一百野のからかいに二の句が継げなくなる。馬鹿みたいな動乱だった。隣の千陽も顔を真っ赤にして縮こまっている。


「いいから行くぞ」

「いいからって……」

「どっちにしてもイチャイチャしてたのに変わりはないでしょ」


 瀬尾にまで追撃を受けて撃沈した。

 額を押さえる俺を笑った一百野は「行くぞ~」と再び緩やかに声をかけて進んでいく。続いている足音は、恐らく瀬尾だろう。はぁと吐息が零れた。

 そうして俯いている俺の肘辺りを引く指先がある。顔を上げると、赤い顔のままの千陽がこちらを覗き込んでいた。その距離感が、あの日の夜を思い出させて、頭を茹だらせる。


「迷惑?」


 それが噂に言及しているのか。カップルと勘違いをされていることなのか。騎士がどうたらということなのか。どれを指しているのかさっぱり分からなかったし、吟味する余裕もなかった。

 俺は滑稽な勢いで


「ううん」


 と首を左右に振る。

 どれを取っても迷惑じゃないのは確実で、反射だった。自分の中で確然としていること過ぎて、それ以上言葉を重ねることすら思いつかない。とても不足な反応であったような気がした。

 しかし、千陽は安心したかのようにはにかむ。怪我が残っているのは、少しは惜しいけれど。けれど、やっぱりそんなものは些末なことだ。

 千陽が生きて、こうして笑ってくれている。それだけで俺は満ち足りてしまう。色々と確かめたいことがあったはずなのに、まぁいいかとその笑みに心を弾ませていた。

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陽に焦がれる騎士 めぐむ @megumu

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