第75話 私の理想郷

 山のように巨大な蝗を討伐しても休めずに、私たちは忙しく各地を飛び回った。

 元凶は倒しても、蝗害こうがいの被害は今なお広がり続けているのだ。


 けれど幸いなことに、やることは虫の駆除である。

 注意して行動すれば、怪我や死の危険は限りなく低い。


 しかし、如何せん数が多すぎる。

 ノゾミ女王国の被害は北部だけで済んだが、他国はそうではなかった。


 まず被害の中心地であるエルフ連合国は壊滅し、隣接している諸外国に蝗害こうがいが拡大してしまう。

 最終的にはアトラス大陸全土が巻き込まれたが、うちだけは例外的に北部以外の被害は軽かった。




 魔素濃度に関しては一ヶ月もしないうちに百パーセントに戻ったので、魔物の活性化は殆ど起きなかったので良しだ。

 せいぜいエルフ連合国の周辺諸国に、多少の影響が出たぐらいである。


 まあそれもいなご駆除のついでに退治したことで、実害は殆どなかった。




 そしてエルフ連合国の対処だが、色々な事情があって後回しである。

 あの国には召喚魔法陣があるので、また巨大蝗を呼び出されたら面倒だ。

 万全を期すためにデウス・エクス・マキナを完璧に整備し、精鋭部隊と共にエルフ連合国に交渉に向かうつもりだ。




 なのでそれまでは会談の使者を派遣しつつ、女王として真面目に政務を行っていた。

 しかし今はこめかみを抑えながら思い悩んでいるし、周りの臣下たちも同じだ。

 苦虫を噛み潰したり、憎々し気な顔をしている者が多かった。


 そのような状況でありながら、他国からやって来た外交官は鬼気迫る表情で大声を張り上げ、女王である私に必死に訴えてくる。


「慈悲深き女王陛下! どうか我が国に、食料の援助をお願い致します!」


 ノゾミ女王国は駆除作戦が成功して被害を抑えられたので、北部以外は平和なものだ。

 しかし周辺諸国はそうではなく、国境沿いの交易都市から女王陛下に何卒と死を覚悟して涙ながらの訴えをするほどに、ヤバい状況だった。


 本来なら他国の外交官を謁見の間に入れることはないが、今は意識を現実に戻して精神的にも少しだけ余裕がある。


「この通りでございます! 何卒! ご支援を賜りたく存じます!」


 そんなことを考えている間にも、彼は豪華な絨毯に両足と両手をつけて、深々と頭を下げ続ける。

 前世で言う土下座というやつで、こっちの世界でもとても珍しい。


 けれど最近は良く見かける光景に、私は玉座にもたれて大きな溜息を吐いた。

 そしてすぐ近くで困った顔をしている宰相に、おもむろに声をかける。


「パトリック。彼は何人目ですか?」

「しばらくお待ちください」


 そう言って彼はノートパソコンを開いて、十秒経たずに答えを口にする。


「本日は五人目で、合計すると二十三人目でございます」

「ふむ、ここ最近は特に増えていますね」


 蝗害による被害はアトラス大陸全土に及び、季節が夏から秋にかけての収穫期だったのも悪化させる要因となった。

 なので現在は、世界的な食糧危機と言っても過言ではない。


 けれどいくら困っているとはいえ、誰も彼も助ける気は起きなかった。


「宰相、もしここで彼の国を支援した場合、他国はどうなりますか?」

「第二、第三のいなごの群れになり、我が国に食糧支援を求めてくると思われます」

「……でしょうね」


 パトリックの言うことは正しく、未来予測でも同じ結果が出ている。

 海で溺れている人を船に乗せれば、他にも沈みかけている人々が見過ごすはずがない。

 誰も彼もが亡者のように群がり、救いを求めてくるはずだ。


(しかし、このままじゃ埒が明かないなぁ)


 ノゾミ女王国に食糧支援を求める国々は、日に日に増加している。

 おまけにアトラス大陸の三大国家の一つである、聖国からも大使が来たのだ。

 あそこは人間至上主義だからか最初から最後まで上から目線だったが、各国が色々限界なのは良くわかった。


 そして人は魔物に襲われなくても物を食べなければ死ぬため、このままでは餓死者が大量発生するのは目に見えている。


(だからと言って、一文の得にもならないのに食料支援はしたくないなぁ)


 今の諸外国が支援した食料の分を返済してくれるとしても、果たして何年かかるやらだ。

 最悪なのは借金を踏み倒すことだが、こっちでも普通にあるので勘弁してもらいたい。


(やっぱり、見知らぬ人間は信用できない)


 管理運営している国民は、プライベートが筒抜けなので問題はない。

 しかし、諸外国の人々は何を考えているのかわからなかった。


 例えば支援した食料を売って、武器を購入して他国から略奪する。

 もしくは食料を援助しても、その殆どを横流しして本当に欲しい人の元には届かない。

 もっと言えばタダで渡した物資で手数料を取り、少しでも儲けいようと考える輩もいそうだ。


(食糧支援に関しては、悪い未来予測のほうが多いや。本当にどうしたものやら)


 私は玉座にもたれて、天井を見ながら大きく息を吐く。


 この場合で優先するのは、いつだって自身の安全だ。

 次に無料の施しではなくノゾミ女王国にも利益があることだが、何より支援の目的通りに困っている人が救われるのが大前提である。


 これらのことを考えている間、現実世界では瞬きする程しか時間しか過ぎていない。

 しかし私は、かなり長く悩んでいた。


 けれどおかげでようやく結論を出たので、静かに息を吐く。

 続いて土下座をしている大使を真っ直ぐに見つめ、堂々と声を出した。


「わかりました! 支援しましょう!」

「本当でございますか!?」


 驚いて顔を上げたのは、彼だけではない。

 周りの臣下たちも意外な決断だったのか、少々戸惑っている。


 何しろ今までは、言葉を濁して右から左にやり過ごしていたのだ。

 ここに来て急な方針転換だから無理もないが、私は大使の発言に深々と頷いて肯定し、続きを話していく。


「ただし、条件があります!」


 やはりそう美味い話はないかと、他国の外交官は再び緊張する。

 けれど私も、慈善事業で女王をやっているわけではない。

 ちゃんとした見返りや利益がないと、食料支援は確約できなかった。


「食糧支援と同時に、ノゾミ女王国の統治を全面的に受け入れなさい!」

「そっ、それは!?」


 一方的な降伏勧告だが、私は引き下がる気は毛頭ない。

 なので、さらに堂々とした態度で言葉を続ける。


「貴方たちの国家体制や文明レベルでは、我が国の支援を活かしきれません!」


 現在のノゾミ女王国は街道整備による十トントラックの運輸だけでなく、鉄道網まで広げているのだ。


 他国との文明レベルの差が、ますます大きくなっている。

 交易都市からここまで来た彼なら、そのことは良くわかっているはずだ。


「私が統治すれば助かる命がある以上、見捨てることなどできません!」


 本当は別の思惑があるのだが、この場は女王らしく玉座から立ち上がり、堂々と発言しておく。

 そして、もう一度大使の顔を真っ直ぐに見つめる。


「苦しみ絶望する国民を救いたければ! 迷わずの手を取りなさい!」


 他国の外交官に、私はゆっくりと歩み寄っていく。

 周りの者たちが慌てて止めようとするが、大丈夫だと横目で合図を出す。


 それでもいざという時には瞬時に殺せる位置に護衛が待機しているけれど、安全第一なのでしょうがない。


「貴方や国王が判断に迷うたびに、国民の命が失われます!

 私も覚悟を決めたのです! 今こそ責務を果たす時です!」


 外交官の表情は真剣になり、いよいよ覚悟を決めたようだ。

 私が近づいて手を伸ばすと、彼はその場から動かずに緊張しながら大きく息を吸った。


 けれどその瞬間、あまりにも予想外の行動に驚きの声をあげてしまう。


「……えっ!?」


 大使の行動は、私の未来予測から大きく外れていた。

 何と彼は私の手を取り、甲にそっとキスをしてきたのだ。


 混乱しながらも表情には出さずに、慌ててデータベースで検索する。

 すると今の行動には、尊敬や敬愛の意味があることがわかった。


 不幸中の幸いと言うべきか、ゴーレムに転生してからは三大欲求も気迫で恋愛とは無縁な生活だ。

 外から見ていると尊いを感じたり微笑ましい気分になる以外は、これと言って何もない。


 おかげで何とか表情は変えずに平静を装うことができたが、一瞬とはいえ内心ではほんの少し動揺してしまった。


「貴方の忠誠心、見せてもらいました」


 咄嗟にそう答えるのが精一杯だったけれど、外交官は緊張しつつも嬉しそうに口を開く。


「はい、女王陛下に私の命を捧げます」


 大勢の前で女性の手の甲にキスをするのは、かなり勇気が必要だ。

 ゆえに、きっと彼の心臓には毛が生えているのだろう。


(はぁ、手袋してて良かった)


 いくら女性としての機能を失って恋愛感情が希薄とはいえ、私の中身は転生直後から全然変わっていないのだ。


 たとえ手の甲とはいえ、突然キスをされたら動揺や赤面ぐらいはする。

 今は純白の手袋をしているし、ゴーレムの精神耐性で辛うじて持ち堪えられたのだ。




 そのような事情はともかくとして、食料支援を行うと確約したのだ。

 ここからは速やかに仕事を片付けていくつもりで、玉座に戻りながら周りの臣下たちに呼びかける。


「今後は他国の使者にも、同じ要求をします!

 皆も、そのつもりでいなさい!」

「「「了解!!!」」」


 言うべきことを言った私は、玉座に敷いたクッションに腰を下ろす。

 そして、周りの役人たちが慌ただしく動き出した。


「貴方は急ぎ国に戻り、このことを国王に伝えなさい!」

「はっ、はい!」


 俺たちが乗った列車は途中下車できないと言わんばかりに、こうなった以上は最後まで付き合ってもらう。

 少しでも早く食糧危機を脱したいなら、ノゾミ女王国への併合へいごうを受け入れないといけない。


(大戦が起きたら、その時はその時かな)


 だが召喚魔法陣の残っている聖国が提案を受け入れるとは思えないし、エルフ連合国は相変わらず音沙汰なしで、今頃どうなっているやらだ。


 けれど世界的な食糧危機の今なら、もし大戦が勃発してもノゾミ女王国は勝てる。

 時間をかけるほど私たちに有利になるため、ただ結界を張って引き籠もっているだけで、周辺諸国は勝手にバタバタと倒れていくのだ。


 あとは荒れ地を一から耕すように統治を行い、うちに併合していけばいい。

 大局的に見れば犠牲を払ってでも私が統治したほうが、人類の損失は遥かに少なくなる。


 躊躇いなく実行に移すのは色々アレだが、私が自己中心的に動くのは今に始まったことではない。


 それにしても、支援を行うにせよ戦争に対処するにせよ、当分は仮想空間に引き籠もることになりそうだ。

 一難去ってまた一難と言うが、本当に女王は仕事が山積みで大変だと実感するのだった。







 アトラス大陸全土に広がった蝗害こうがいによって、各国の人々はその日に食べる物さえ事欠く有様だ。

 なので国王やその家臣たちも背に腹は代えられないと判断したのか、渋々ながら統治を受け入れる国がポツリポツリと出始めた。


 しかし、隣の芝生は青く見える。

 急成長していく支援国を目にすると、統治権を明け渡すのも悪くないのではと思い始めるのだ。


 だが、かつてノゾミ女王国から追放された者たちは、自由がなくなって利権を奪われるので考え直せと必死に訴え続けた。


 けれど、川に小石を投げて波紋を起こせても、流れを止めることはできない

 今はアトラス大陸全土が食糧危機に陥っていて、放っておけば大勢の犠牲者が出てしまうのだ。


 それに状況は追放者の食べる物も足りず、面倒を見るのも億劫に感じるほどである。

 一応は併合へいごうを受け入れず断固拒否する国もあったが、特権階級は飢餓に耐えられても庶民は違う。

 雑草や木の根をかじって辛うじて生き延びている状況を、良しとするはずもない。


 なのでアトラス大陸の各国で反乱が起きて統治者が変わり、ノゾミ女王国に併合されるのを喜んで受け入れた。


 そのような流れは最初こそ少数派だったが、すぐに遅れてなるものかと次から次へと名乗りを上げるようになる。

 集団心理的なものが作用しているのかも知れないが、私としては好都合だった




 やがて大陸全土を覆った蝗害こうがいが発生してから一年が経つと、エルフ連合国は、大森林がいなごに食い尽くされてしまい、種族の誇りを捨てて助けを求めてきた。


 召喚魔法陣をうっかり暴走させたせいで、災厄を招いてしまったと聞かされる。

 思わず頭を抱えたが、ギレルモ王には責任を取って僻地に隠居してもらい、一生をかけて罪を償ってもらう。


 あとの統治は私が引き継いだけれど、自分は体はゴーレムだが見た目だけならエルフだ。

 連合国の人たちは食糧危機を招いた責任もあるし、快く受け入れてもらいノゾミ女王国に併合へいごうされる。


 召喚魔法陣も二度と暴走しないように上書きしたあとに、厳重に封印したのだった。







 それから長い時が流れて、聖国は人類最後の国家と呼ばれるようになった。

 その国では相変わらず人間至上主義で、他種族は奴隷が当たり前だ。

 しかし私にとっては、存在してくれないと困る大事な国である。


 玉座にクッションを敷いて腰かけたエルフ耳の幼女は、聖国の外交官を前に堂々と言い放つ。


「聖国とは絶対に併合へいごうしません。何とか独立を維持してください」

「そっ、そんな!?」


 ノゾミ女王国の反乱分子や煮ても焼いても食えない者は皆、聖国に追放している。

 もし併合したら、うちの面倒事が増えるのはわかりきっていた。


 どんな大罪を犯しても死刑だけはしなかったので、ここまで来たらいつまで罪人を処刑せずに済むかに挑戦したい。


 なので、何処かの黎明卿のような発言をしてしまう。


「最低限の支援はしますので、なるべく耐えてください」


 既にアトラス大陸だけでなく、惑星全土が監視対象だ。

 流石にマグマや地中、深海などはまだ無理だが、人類を管理運営するのは何の問題はなかった。


「わっ、私もノゾミ女王国に生まれたかった!」


 外交官がガックリと肩を落としている。

 きっと本気でそう思っているのだろうが、聖国を地図から消すわけにはいかない。


 なので私は少しだけ考えて、おもむろに口を開く。


「では、ノゾミ女王国に滞在中に限りますが、屋敷と使用人を与えましょう」

「本当ですか!?」


 私は静かに頷き、さらに言葉を続ける。


「貴方が定年退職したら、構成員を派遣して家族と一緒させます。

 余生はその屋敷で暮らすと良いでしょう」

「ありがとうございます! 女王陛下!

 忠誠を誓います!」


 涙を流してお礼を言われたので、私は微笑みを浮かべる。

 しかし、まだ話は終わっていない。


「ただし聖国に企みが露見した場合、その限りではありません」

「はっ、はい、肝に銘じておきます!」


 聖国は人類最後の国家と呼ばれており、自由に憧れる者たちの理想郷になっている。

 ただし決して平等ではなく貧富の格差が大きく、庶民は貴族に一方的に搾取されていた。


 それに関して何も思わないわけではないが、私はあえて手を出さない。

 正義とは悪がいるからこそ輝くことができるので、悪い見本として残っていてもらわないと困るのだ。



 そして、うちの国民は私以外は平等なままである。

 効率良く人類を管理運営するために女王を務め、なるべく不満が出ずに幸福に生きられるように未来を予測しながら、適時調整するのだ。


 おかげでノゾミ女王国を健やかに成長しているが、相変わらず多忙な毎日である。

 処理能力は日々上がっているので政務を片手間で済ませることができるけれど、最高統治者を退いて隠居するのはいつになるやらだ。




 そして裏取引で聖女を呼び出す魔法陣も封じ、魔物の発生も小康状態になった。

 自分を脅かす存在は、もう随分と長い間現れていない。


 せいぜい自然災害への対処ぐらいで、そっちは未来予測で被害を最小限に留めている。

 なので聖国以外は、平和や繁栄を謳歌していると言っても過言ではない。


 転生直後はどうなることかと思ったが、何とかなって良かった。


 しかし人類の管理運営は現時点で問題なくできているけれど、どれだけノゾミ女王国が続くはかわからない。


 いつかは女王を引退して山奥に籠もり、見た目相応の幼女としてスローライフをして過ごすのが今の夢である。


 けれどまだ自分にしかできない仕事が多いし、国民の支持率が高い。

 なので最高統治者としての責務を果たして、己の身に危険が迫らないように監視を続けるのだった。

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ノゾミは無慈悲なディストピアの女王 茶トラの猫 @simaneko13

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