第25話 エピローグ

 帰ってきた。なんだか久しぶりな気がする実家だ。


「兄上ぇ〜、しばらくダラダラするからヨロシクぅ〜」


 実家の家長は兄上だ。メイドたちも兄上に雇われている。兄上がもてなすと決めればもてなし、追い返すと決めれば追い返す。弟だからといって、自由に振る舞う権限はない。


「好きにしろ。大仕事を終えたばかりだ、1年ほどダラダラしても誰も文句は言うまい。なんせ、世界を救った英雄だからな」


 俺も鼻が高い、と兄上。

 この手の「身内が凄い」という話は、そのまま貴族同士のマウントの取り合いに使われる。兄上本人の功績ではないから、陛下から褒美が出たりはしないが、発言力は間違いなく強まった。


「だが、関係者たちにお礼参りだけはしておけよ?」


「おっと、それがあったか」


 慣れるほど死にまくって、精神的にかなりのダメージを受けている(はず)とはいえ、本人にほとんど自覚がなく、普通に受け答えができるのだから、お礼をサボる理由にはならない。


「じゃあ、先に済ませてくるか」


 エリンにお礼を言って、星の魔女を褒めて、受付嬢をねぎらって、そのあとで寝る。


「依頼料は貰ってるから、大丈夫さ。

 あたしはあたしの仕事をしただけ。あんたはあんたの仕事をしただけ。そうだろ?」


「今度ばかりは星の動きを疑いました。

 無事のご帰還、おめでとうございます」


「せっかく手を広げていましたのに、今度のことで何棟か売り払いました。まったく、悪魔というのは余計なことしかしませんね。

 とにかく、お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」


 と、3人から返事をもらって、いざ食っちゃ寝生活のスタートだ。

 ちなみに売り払った不動産の半分は、エース卿が買い戻してくれた。「世界を救った無二の友に何か祝いでもせねばな」と笑って権利書をくれたときには、もう名義が俺になっていた。

 よーし、寝るぞぉ!



 ◇



「ふん! はっ! ふんっ! はっ!」


 常人には目で追うことも難しいが、俺にとってはゆっくりとした速度で、剣術の型をなぞる。

 型というのは、そのまま実戦で使える技ではないが、完全に実行するためには無数の注意点――立ち方、歩き方、握り方、視線の向け方などなど――がある。つまり多数の公式を詰め込んだ教科書なのだ。

 それらの公式は、別の動きをするときにも共通する部分が多く、別々の動作が実は共通の公式で成り立つのだと発見したとき、剣術は上達する。ただ型の動作を上達しようと務める時間も必要だが、そのままではいくら上達しても「術」ではない。

 実戦では必要に応じて、使うべき公式だけを使う。つまり型を崩すわけだ。だが似たような相手とばかり戦っていて使う技術に偏りがあったり、そもそも「想定し訓練するけれどもめったに使わない技術」があったりして、復習が欠かせない。

 1日休めば、取り戻すのに3日かかると言われている。文字を書くのと同じように、ペンの握り方や動かし方は覚えていても、しばらく書いてない字は忘れてしまうものだ。


「おいおい……休むんじゃなかったのか?」


 声に振り向くと、


「兄上」


 通りかかった兄上がいた。

 実家の庭で素振りをしていたら、通りかかることもあるだろう。


「いや〜、暇で暇で」


「勤勉なやつだと褒めるべきか、休むべきときに休めない奴だと叱るべきか……」


 ため息混じりに兄上が言う。


「ぜひ褒める方向で。

 今は精神を緩めることに注力しておりますので」


「なれるほど死ぬというのは、俺には想像もできんことだ。お前が廃人のようになって帰ってくることも想定していた。まったく身動きが取れない重傷で、今後一生、日常生活に世話が必要な後遺症だってあるかもしれないと……」


「でも生きて帰ることは疑わなかった、と?」


「それだけは疑ってはならないと自戒していた。

 家族としても、伯爵としても。お前が死ぬときは、王国の最強戦力が敗れるということ。すなわち王国として打つ手がなくなることを意味する」


「陛下に忠誠を尽くし、家族の役に立ちたいと思っていただけなのに、いつの間にか責任重大ですね」


「まったくだ。

 とにかく、よく帰ってきたな」


 兄上は俺を抱きしめ、男泣きに泣き出した。

 なるほど、兄上も不安だったのか。いや、考えてみれば当たり前のことだ。しかし考えていなかった。いつの間にか、一番大変なのは自分だと、他の人の苦労を軽視していたかもしれない。


「兄上、ご心配をおかけしました。

 ことが落ち着いたら、父上の墓前に手を合わせにいきましょう」


「うむ。そうしよう」


 俺は暇になったが、兄上は貴族として忙しくしている。戦後復興というやつだ。

 兄上は、ランバー伯爵として丸太の輸出で忙しい。各地の、破壊された建造物を再建するために使われるのだ。

 ランバーの意味は「丸太」である。かつて王城の建築に良質な丸太を献上したことで、当時の陛下から「ランバー」の名前と爵位を賜った。今再び丸太の輸出で王国を支える兄上の働きぶりは、まさにランバー一族の面目躍如だ。

 その丸太の輸出先は、東西南北の公爵たちがメインである。いくらランバー伯爵領といえども、国中の需要を満たせるほどの生産量ではない。まして復興のために一時的に需要が高まっている状態では、なおさらだ。そこで公爵たちが、各派閥の中で丸太の配分を調整している。

 復興支援のときには、この手の調整役が不可欠だ。どこに・どんな支援が・どれだけ必要か。手元にある資源・これから届く予定の資源・足りない資源・余っている資源はどうなっているか。それらの情報をまとめ、調整する者がいなければ、余っている物資がどんどん追加で届き、足りない物資がいつまでも届かないといった事が起きる。

 つまり、公爵たちの上に立ち国中の調整をおこなっている陛下は、もう眠る暇もないほど忙しいということだ。


『休暇だと? チッ……運搬役として期待していたのだがな。

 とはいえ、数え切れないほど死に続けて、世界を救った英雄殿に、そう無茶な要求ばかりできぬか……』


 すごく嫌そうな顔で、休暇を認めてくれた。

 空間魔法で大量の物資を収納して、飛行魔法や転移魔法で一気に運ぶ――俺なら可能だ。だが、被害を受けた国民に不便を押し付けてでも、俺がそういう事をするのは控えるべきだと反論した。


『運送業も業者がおりますれば、その儲けの機会を奪うのは、国力の低下につながるかと』


『非常事態だぞ?』


『戦時中ほどではございませぬ』


『……仕方ないな』


『ご納得いただけて何よりです』


 という会話があった。

 あの温厚な陛下が、猫の手も借りたいという顔をしていたのだから、その忙しさのほどが伺い知れようというものだ。

 しかし、陛下に忠誠を捧げるからこそ、輸送の任務は断らねばならなかった。演劇の中ですら扱いが難しいのだから、現実世界でデウス・エクス・マキナを使うのは危険すぎる。


 デウス・エクス・マキナ。

 機械仕掛けの神を意味する。また演劇において「終盤に収拾がつかなくなったところで突如として現れ、神の奇跡でなんの脈絡もなく事態を解決させてしまう演出」を指す。

 ふらっと現れた旅人をもてなした村人が、実は領主に苦しめられていた。領主の横暴はエスカレートするばかりで、村人は抵抗する力がなく、旅人も窮地に陥って、もはや為す術がない。かと思われたが、実は旅人はお忍びのデウス・旅をしているエクス・王族マキナで、その権威をもって領主を成敗した。

 勧善懲悪の物語として庶民に人気のある演目だが、こういうのがデウス・エクス・マキナの例である。ちなみに、悪役にされるせいで貴族からの評判は悪い。

 だが、これを下手に使うと、演劇全体が台無しになる。

 ふらっと現れた旅人をもてなした村人が、実は領主に苦しめられていた。領主の横暴はエスカレートするばかりで、村人は抵抗する力がなく、旅人も窮地に陥って、もはや為す術がない。かと思われたが、実は旅人は無敵超人な遊歴の騎士で、これまでは手加減しているだけだった。圧倒的な武力で領主一派をなぎ倒し、村には平和が訪れた。

 こんな展開なら台無しだ。領主の後任がもっと悪辣な人物になるかもしれないし、少なくとも政治的混乱が生じてろくなことにならない。そもそも追い詰められたのが手加減していたせいなら、別に追い詰められていたわけでもないし、もっと早くに本気を出していたら無駄な犠牲も出ないだろうに、と突っ込みどころが満載になってしまう。

 俺が輸送を担当すると、後者になるだろう。回るはずの金が回らず、王国経済がガタガタになる。建物だけ再建しても、住民に仕事がなければ生活が成り立たないのだ。

 だが、それでも俺に輸送を任せたいと思うほど忙しいのだから、陛下には少し同情する。エリンに言わせれば「それが陛下の仕事だから」ということになるだろうが。


「……で、暇だから付き合えってか」


「どうせ、やることもないだろう?」


「ないけども」


「じゃあ、いいじゃないか」


「いいけども」


「何が不満なんだ?」


「こんな絶世の美女を捕まえて、戦闘訓練の対戦相手にしようとか、頭おかしいんじゃないか、お前?」


「うっかり斬っても死なないんだから、こんな便利な相手は他にいない。実力的にも申し分ないし。

 それとも、他に匹敵するような相手を用意してくれるのか?」


「ぐぬぬ……!」


 不死王が面倒くさそうに悔しがる。


「第一、お前は戦闘狂だろう? せっかく生前の姿を取り戻したなら、思い切り動かしたらいいんじゃないのか?」


「バカを言うな。今や思い切り動くのは不可能だぞ。

 世界を侵食してしまうからな」


「なら、武術・魔術に磨きをかけることだな。

 制限がある中で工夫する。それこそが武術・魔術というものだろう? 人体の限界か、世界の限界かという違いはあるが」


 人体の限界に加えて、時代によっては「社会的な限界」というのもある。

 剣を持っていながら抜いてはいけない時代というのがあった。襲われても抜かずに勝つにはどうするか、という剣術もあるのだ。柄を使って打撃技や関節技や投げ技をおこなうのだが。


「ふむ……なら、これは私にとっても……」


「そういうことだ。お互いに切磋琢磨していこうじゃないか」


「……お前も十分に戦闘狂だと思うぞ」


 なぜか戦闘狂の不死王に呆れられてしまった。解せぬ。

 まあ、でも、色々と「強く」なった感じはある。エリンの製造開発力、星の魔女の知識と占い、受付嬢の資金調達力、そして不死王と俺の戦闘能力。これだけのメンバーがいれば、どこかに領地をもらって開拓するのも面白いかもしれない。

 とはいえ、論功行賞はまだまだ先になりそうだ。とりあえず国家機能が正常化する程度には復旧しないと、与える報賞がなかったり、報賞を与えるための手続きができなかったりする。

 それまで、せいぜいのんびりダラダラさせてもらおう。それが終われば、また国王陛下に忠誠を尽くすだけだ。

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近衛騎士団をやめても国王陛下に忠誠を @usagi_racer

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