公爵令嬢レツカ・イーオは婚約破棄されても一向にかまわんッッ!!ですの

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婚約破棄されても一向にかまわんッッ!! ですの。

「公爵令嬢レツカ・イーオ、お前との婚約はなかったことにさせてもらう!」

「一向にかまわんッッ!! ですの」

「ひぃぃぃっ」


 貴族学校で行われている定例の夜会での出来事である。

 王子イログールイの突然の宣告に、レツカは毅然きぜんとして答えた。返事とともに踏み出した足の衝撃により、ずうん、と会場が揺れ、天井からはパラパラと砂埃が落ちた。


 腰を抜かしてへたり込んでいるイログールイを、レツカは冷然と見下ろしている。

 長く豊かな金髪を後ろで束ねて三つ編みにしており、肌は健康的に日に焼けている。およそ貴族令嬢らしからぬことではあるが、生来の精悍な顔つきと相まって、武の女神をも連想させる勇壮さがあった。事実、レツカは一部の生徒から「武の聖女・・」として崇められている。


「しかし、理由は気になるな。わたくしに悪いことがあったのならば今後改めていきたい。参考までに、言葉を飾らず、忌憚きたんのないところを教えてくれ。ですの」

「い、いまさらとぼけたって遅い。自分だってわかっているだろうに」

「わからぬから聞いているのだ。さっさと答えんかッッ!! ですの」

「ひぃぃぃっ」


 再びの衝撃。王子の身体が床から一瞬浮き上がる。

 金髪碧眼きんぱつへきがん眉目秀麗びもくしゅうれいなはずのイログールイの美貌が、いまはすっかり恐怖に曇ってしまって見る影もない。イログールイはよろよろと立ち上がると、従者に命じて一人の少女を連れてこさせた。


「レツカ、お前がこのネトリーをいじめていたことはわかっているんだ」

「いっ、いえ。そんなことは決して!」

「いいんだよ、ネトリー。もうレツカに怯えることはないんだ。君のことは僕が守ってあげるからね」

「イログールイ様……あの……」


 連れてこられたのは、ピンク色の髪をした少女だった。

 豊満な胸をしており、困り眉で小動物のような印象を与える顔つきだ。言葉を選ばずに言ってしまえば、男の庇護欲ひごよくを誘う外見と雰囲気をしている。平民出身だが、教会学校での成績が飛び抜けて優秀だったため、特例でこの貴族学校に入学した生徒であった。


「証拠だってこのとおり! ネトリーのこの手を見ろ!」


 イログールイはネトリーの腕をつかむと、手を前に掲げさせた。

 その両手は包帯に包まれており、ところどころ血が滲み出している。


「ネトリーが両手を怪我して泣いているところを見つけたんだ。聞けば、レツカの仕業だって言うじゃないか!」

「あの、イログールイ様、それは……」

「ふむ、そういうことか。ですの」

「ははは、語るに落ちたな! やっと自分の罪を認めるか!」

「うむ、認めよう。ですの」

「貴様のような性悪女はこの学園からも追放する! 荷物をまとめてさっさと出て行け!」

「よかろう。しかし、学園を出る前にネトリーに伝えておくべきことがある。着いてこい。ですの」


 レツカはスカートの裾をひるがえすと、何の躊躇ちゅうちょもなく夜会を後にした。

 そのあとをネトリーが着いていき、そのあとにはイログールイが「この期に及んでさらにネトリーに危害を加えようなどと考えているのなら……」などと言いながら続く。さらに、事の顛末てんまつを気にした物見高い学園生たちがぞろぞろと着いていった。


 着いた場所は、学園の付帯設備である武術訓練場の一角である。

 そこにはモニュメントとして大人の背丈ほどもある巨岩が設置されているのだが、なぜかところどころに血がついていた。


「この岩の前でネトリーは泣いていたんだ! ほら、ネトリー、レツカに何をしろと言われたのか、話してごらん」

「はい……素手でこの岩を叩き、真球にしてみせろと……」

「ほら、みんな聞いたか! レツカはな、そんな出来もしないことをネトリーに命令して嫌がらせをしてたんだ!」


 イログールイは、着いてきた野次馬たちに大声で告げる。

 わざとらしくネトリーの肩を抱き、「もう二度とこんなことはさせないからね。安心するんだ」と耳元でささやいた。


「そうか、できぬのか。それは本当か、ネトリー? ですの」

「あっ、あの、レツカ様が嘘を言っているとか、そういう意味じゃないんです。でも、私には到底できるとは思えなくて……それで、諦めて泣いているところにイログールイ様が……」

「そうか、それは悪かった。ですの」

「えっ!?」


 レツカはネトリーの肩にぽんと手を置くと、真剣な面持ちで謝罪を口にする。

 予想していなかったことに、ネトリーの顔が驚きに染まった。


「弟子を取るのははじめてだったのでな。教え方が至らなかったようだ。わたくしは我が師父しふにはまだまだ及ばなかったようだ。ですの」


 レツカはそう言うと、巨岩の前に向き直り、足を軽く広げて構え、「コオォォォォ」と細く長く呼吸を整えはじめる。

 レツカの呼吸とともに、周辺の大気がぐにゃりと歪むような錯覚に襲われる。まるでレツカを中心に蜃気楼が発生しているかのようだ。何人かの生徒が、ふらふらと立ちくらみを起こしてその場に崩れ落ちた。


じゃッッ!!」


 歪んだ空気が、一瞬で弾き飛ばされる。

 レツカの手刀が、巨岩の一部をえぐり飛ばしていた。


ッッ!! ッッ!! えいッッ!!」


 手刀が、足刀が、拳打が、蹴撃しゅうげきが、一瞬のうちに数え切れぬほど打ち込まれる!

 巨岩の周囲に砂と化した破片が舞い散り、やがてそれはレツカの身体さえも包み込み、土埃で何も見えなくなる。しかし、土埃のうねり、何よりもその奥から聞こえる打撃音の凄まじさから、中ではあの神速の連打が続いていることが容易に想像できた。


 そして、静寂。


 土煙が、徐々に、徐々に晴れる。


 その中からは――軽く肩で息をする武の聖女、レツカの美しい姿と――


 ――名工が磨いたのではないかと思われるほどに、見事な真球と化した巨岩が現れたのである!


「う、う、う、嘘だろ……」


 イログールイは尻餅をつき、あまつさえ失禁した。

 野次馬たちはあまりの出来事に、感嘆の息すらつけない。


「見たか、ネトリーよ。この打岩だがん功夫クンフー、簡単ではないが決して絵空事えそらごとではないのだ。ですの」

「ご、ごめんなさい。レツカ様、私、レツカ様のことを疑ってしまって……」

「一向にかまわんッッ!! 何よりこれは、わたくしの至らなさが生んでしまった誤解だ。謝らねばならぬのはこちらの方だ。ネトリー、改めてすまなかった。ですの」


 レツカは右拳で左の手のひらを打ち、そのまま軽く頭を下げると、身じろぎひとつできない観衆をよそに悠然ゆうぜんと歩きはじめる。


「レ、レツカ様! どこに行かれるんですか!?」

「わたくしは追放された身。また、修行不足も痛感できた。諸国を巡り、改めて功夫クンフーを練り直す旅に出る。ですの」

「それなら、私もぜひお供に!」

「いいのか? 厳しい旅になるぞ。ですの」

「望むところです! もう、二度と弱音なんて吐きません!」

「ふふっ、よい心がけだ。ではすぐに荷物をまとめてこい。ですの」

「はいっ!」

「ま、待て……!」


 武術訓練場を去ろうとする二人の背中に、声をかける者がいた。

 この状況で声をかけられる勇者・・は一体何者だと野次馬が目を向けると、そこにいたのは子鹿のように足をプルプルさせながらもなんとか立ち上がるイログールイであった。


「ネトリーまで行ってしまっては話が違う! それじゃ僕の計画が……。あっ、そうだ。レツカ、そんなことなら婚約破棄はなかったことにしてやっても――」

「このレツカ・イーオ! 婚約破棄されても一向にかまわんッッ!! ですの」

「ひぃぃぃっ」


 レツカに一喝され、イログールイはついに泡を吹いて失神した。

 レツカとネトリーはそのまま旅に出て、各地で様々な逸話を残していくのだが、それについて語るのはまた別の機会に譲るとしよう。


(了)

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