第6話
二週間ほどして、榊原美津江は留置所に戻された。結局、小西警部補の努力も空しく美津江は母君子の殺人を認めなかった。
榊原美津江は、殺人罪で検察に送検された。
その二日後、九鬼龍作が弁護士に扮し、榊原美津江に接見しにやって来た。ビビも一緒にいた。よく晴れた日で、窓の外からピックルらしい小鳥の鳴き声が聞こえて来ていた。小西警部補が用意した美津江の着替えを買い揃えていたものを、九鬼龍作が差し入れに持って来たのである。
「着替えを渡しておきました」
美津江はじっと男を見つめたまま、頷いた。
「ふっ、これで・・・いいんですね!」
殺人で送検されたことである。美津江は微かに頷いた。
しばらく二人は黙ったままだった。どのくらい時間が経ったのだろうか、最初に口を開いたのは、美津江の方だった。彼女は眼をつぶり、眼を開けた。
「何時だったか・・・新羅神社の辺りに白い亡霊の集団が出るという噂が広まったことがありました。私が十八九歳の頃で・・・私、彼らを知っているんですよ」
美津江はニコリと笑っている。透き通る笑顔だった。
「ほう、それは・・・いい体験をされましたね」
彼女は頷いた。何か・・・いい思い出を思い浮かべているようだ。
龍作は、
「その人たちと時々に会ったりしていたのですか?」
と、訊いた。彼女の話が嘘だとは思っていないようだ。というより、龍作は今彼女を信じ切っていた。
「よく、言葉は分からなかったのですが、いい人たちでした」
「そうですか・・・」
「誰かに、その人たちのことを話された?」
美津江は軽く首を振り、微笑んだ。
「やり取りは、ほとんど身振りでした。地面に気に枝で絵を描きました。それでも、どうにか意思疎通が出来ました・・・」
美津江は言葉を切った。彼女は面会の時間を気にしているようだった。その気持ちを読み取った龍作は、
「時間を気にせずに話して下さい。許可は取ってありますから・・・」
この人は、どういう人なんだろう・・・と、彼女は改めて思った。口の周りに薄くヒゲが生え、何処となく怖い印象があったか、自分を見つめて来るその眼は限りなく優しく感じられた。すると、男の前に置いたショルダーバッグの中から何かが顔を出した。
「あらっ!ビビちゃん・・・」
出した顔をぶるぶると震わせ、美津江をみて、
ニャー
と、一声鳴いた。
美津江は細い手をビビの前に差し出した。ビビは、
ニャー
と、また鳴いた。
彼女の眼が潤んでいる。
これだけ証拠がそろっていれば、本人の自供が無くても有罪にはなるのだろう。だが・・・
と、龍作は思う。
「ビビ!」
龍作はビビの頭を撫でる。
「今日は、あなたとお話に来たんです。あなたの気が休まればいいと思いまして・・・」
美津江は眼を上げた。
「白い亡霊の話を続けて下さい。それで・・・どうなりました?」
「あの人たちと同じに居たのは二か月ばかりでした。あの人たちは小さな農村で生活していた貧しい民衆のようでした。幸いにして、あの人たちの家族は殺されなかったのですが、多くの人が無残に殺され、ここに逃げて来たようです。戦争のない・・・というより闘いのない国を求めて、この国にやって来た。彼らが描く地図や絵で、そうだと分かりました。何艘もの小さな船に乗り、安寧の地を求めている途中のようでした」
「どうして、この時代に紛れ込んできたのでしょう?」
美津江はちょっと首を傾げた。
「彼らは・・・どうしました?」
「夏のある日、いつものように行って見ると、いなくなっていました」
「えっ・・・」
「また・・・元の静かな洞窟に戻っていました。ええ、それ以後、白い亡霊の出るという噂は無くなりました。私は空想も想像も出来ない女です。時間の隙間とか歪みとか・・・そんな想像は出来ないんですが、また元いた時代に戻ったのかも知れません。あの人たちはこの琵琶湖の地が気に入っていたようで、地面に描く図には一本の線で美しい琵琶湖が描かれていました。あの人たちはきっとここに住み着き、私たちの祖先になったのかもしれません」
美津江はビビを見て、泣いていた。
(この人は・・・)
もう、自分が置かれている立場を気にはしていない。なぜ、殺人を認めないのか・・・龍作にも分からない。意地を張っているのでもない。一人娘と母との間には他の人が入り込んでいく隙間はないのかもしれない。
(また、それもいい・・・)
と、龍作は納得をした。
帰り際、龍作は、
「私の知っている優秀な弁護士を来させます」
と言った。
九鬼龍作は裁判の結果がどうなったのか・・・知らない。立ち入るべきではない、と思っている。ただ、龍作は例の洞窟に行った。あの女が十八歳くらいだから、もう七八年は経っていた。雑草が洞窟を覆い、中に入るのもたいへんだったが、それらを掻き分けて中に入ると、奥にはいくつかの石が積み上げられていた。そして、その近くの地面に絵・・・らしきものが描かれていた。
「これか・・・」
龍作は口元を緩めた。滅多に笑わない男は、珍しく微笑んでいる。
九鬼龍作の冒険 湖西の亡霊 青 劉一郎 (あい ころいちろう) @colog
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