03:世界最強の魔法使い

 

 轟音が連続していた。


 魔獣に大きくフロアを抉られ、それでもなんとか持ち堪えていた建築物の群れが、自重に耐え切れず次々に倒壊していく音だった。

 ビルが真っ二つにへし折れる。あるいは根本から崩れ落ちる。

 その振動が倒壊寸前だった他の建物に伝播して、さらに崩壊が連鎖する。道路に散乱している自動車が片っ端から押し潰されていく。




 鳴りやまない地響き。あちこちから立ち上がる粉塵の柱。

 激震に包まれる街の大通りで、猫耳カチューシャの少女は大きく口を開いた。




「それでそれでそれでー! フェグルス先輩ってば今日もきったねー格好でぇ、こーんな『ザコ』相手にバカみたいに逃げ回ってぇ、カッワイイ年下の女の子に助けられちゃってぇ、みっともねえ姿を晒しまくっちゃってるわけッスかー!? ……ぷふっ、くひひひ! ダッセー! ダサ過ぎてウケるんスけどー! ねーねー教えてくださいよぉフェグルス先輩! ザコよりザコくてぇ、か弱い女の子に助けられちゃうのってぇ、どんな気持ちなんスかあ? あは! やっぱ恥ずかしいでス? 生きてけないスよね? 家に引きこもってた方が幸せッスよねー! ……あれ、そう思いません? 思わねーか! 先輩バカだし! にひひ!」


「…………」


「は? なんスか黙っちゃって。バカ過ぎて会話できなくなりました? ……あ! 分かっちゃった! フェグルス先輩ってもしかしてぇ……年下の女の子にイジメられるの好きなんでしょー! うーわキッショ! 変態! 犯罪者予備軍! ホントにいるんスねそういうの! くひひっ! そんなにバカにされたきゃ自分がしてあげるッス! ザーコザーコ! クソカスナメクジー! 口も臭いし顔もキモーい! ほれほれどうでス? 興奮しまス? ゾクゾクしまス!? きゃー! こんなんで喜ぶとかマジもんのゴミじゃないスかー! どーせ外に出てもキモがられるだけなんで、牢屋ん中にでもぶち込まれてた方がマシなんじゃないスかね! 家畜の餌みたいなくっさーい飯がお似合いッスよ! フェグルスせーんぱいっ!」


 ……壊れていく街並みなんて、微塵も気にならないらしかった。

 激震も、粉塵も、背後に広がる地獄の光景にも一切興味を示さず、少女は魔獣の死体の上、ひたすら少年を見下して、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ、


「でもでも! 先輩がどんなにキモくても、生きる価値なくても、自分は絶対見捨てたりしないんで! 安心してほしいッス! 自分は一途に先輩一筋! ……あ、でもあんま視界には入ってこないでくださいね、キモイから! にはははははー!」


 清々しいほどの高笑いを決めてみせる。

 その罵声、その嘲笑、侮蔑を隠しもしない偉そうな態度。―――そんな少女を見上げて、褐色の肌と白髪の少年・フェグルスは、思わず眉間に深いシワを刻む。

 ムカついているのではない。「なんて奴だ……」と呆れていたのだ。


 あれほど巨大な魔獣を二体まとめて消し飛ばしたのも十分異常だが、何より彼女自身がのも恐ろしい。あのレベルの魔獣が現れるのも、そしてそれを吹き飛ばすのも、彼女の中では日常の延長線くらいの感覚なのだ。


 これが『魔法使い』。

 あらゆる物理法則・自然現象を支配下に置いた、現生人類の正しい姿。


「……あー」


 もはや化物に次ぐ化物が現れただけのような気もするが、しかし一応、助けられた事実には変わりない。

 助けられたのなら、お礼の一つでも言っておかねば。


「あの……ありがとう、助けてくれて。ホントに。危うく潰されるとこだった」


「え、なんスか急に真面目になって。先輩が真面目だと鬼キモいッスよ?」


「…………」


 思いやりの心を罵倒で返されたら沈黙するしかない。

 これでも本心からの感謝だったのだが……なんかもう、色々とどうでもよくなってしまった。


「……もういい。今後一生お前にお礼とか言いたくない……」


「あれぇ怒っちゃいましたぁ? くひひっ。そんなにイライラしてもぉ、フェグルス先輩やっさしーッスもんねー。どうせ手なんて出せないッスもんねー」


「そりゃ出せねえよ。使


 少女もそれを知っていて煽っているのだからタチが悪い。

 助けられた立場であれこれ言い返すのは気が引けるが……ここまで露骨な悪意はさすがに見過ごせない。


「お前、相手が俺だからいいけど……さすがに心配になってくるぞ」


「は? 何がスか」


「そんな誰彼構わず煽り散らかしてたら、そのうち厄介な事にでも巻き込まれんじゃねえかって話だよ」


 ぶっきらぼうな物言いだが、これでも本心から少女の身を案じていた。

 ただでさえ路上の喧嘩が、魔法によって都市レベルの被害をもたらす時代。彼女みたいな性格の人間が街を歩いていたら、そこら中で天変地異が起こりかねない。

 が、少女はそんな心配もお構いなし。


「はあー、こりゃ全然分かってねえッスねー」


 小馬鹿にするような半笑いで、肩を竦めて「やれやれ」と。彼女は未だに血を噴き出す魔獣の死体の上で、大きめの胸部をさらに際立たせるように胸を張って、


「こう見えて自分! 使ッスからねー! 文句つけてくる奴なんか皆まとめて魔法でズドーンッスよ! むしろ自分、そういう勘違いなイチャモンつけて絡んでくるような輩を成敗しまくってるわけッスからぁ、この街の治安維持を一手に担っていると言っても過言じゃないわけでス! どでスどでス? 偉いでしょー? すごいでしょー! 褒めてくれてもいいんスよー!?」


「…………」


「なんスかその顔」


「いや別に。何も」


 逆にそのせいで街の治安が悪化しているのでは? ……などと言おうものなら、本当に魔法でズドーン! とされかねないから言わなかった。

 彼女がそう思い込んでいるのなら、そういう事にしておこう。

 これ以上は何を言っても無駄なお節介だ。


「てか、先輩こそなんで魔獣に追いかけられてたんスか? あれスか、尻尾でも踏みましたか」


「どこにあるんだよそいつの尻尾……。違ぇよ、『依頼』中だったんだ」


「依頼?」


 そう、依頼だ。

 給料が発生しない『奉仕活動』の。


「街の清掃業務。掃除してたんだ、道とか建物の壁とか色々。そしたら突然、道路の下から飛び出して来たんだよ。お前に踏まれてるソイツがな」


 少女に踏まれている魔獣の死体を指差して、フェグルスは「まったく……おかげで台無しだ」と参ったように吐き捨てる。

 本当に台無しだった。

 街が、というより、自分の仕事が。




 ―――――――『連邦統括議会』。

 世界の行政・立法・司法を管理する、各国権力者によって組織された統括機関。


 フェグルスは『とある事情』により、この連邦統括議会から直々に、が義務付けられている。




 当然、休む権利もなければ、活動の種類・規模・場所を選ぶ権利もない。

 一週間眠らず荷物を配達し続けろと言われれば、一週間眠らず荷物を配達し続けるしかないし、新型兵器の試し撃ちをさせろと言われれば、大人しく兵器の的になるしかない。

 連邦統括議会が受理した依頼であれば、どんな内容も遂行しなければならない。

 それが、フェグルスに下された命令だった。


 まるで人権を無視したような命令だが、事実、フェグルスには法的人権が適用されていない。というより、人権のないフェグルスが普通の人間と同じように生活する条件こそが、この奉仕活動への参加だった。


 死ににくい体を理由に、これまで散々理不尽な依頼を受けてきたフェグルスだが、本日の依頼はかなり易しめ―――街の清掃活動。普段から建物の壁、窓ガラス、そして道路の洗浄を請け負っている清掃会社からの依頼だった。


 そんなわけで、今日のフェグルスは朝から張り切って、街のあちこちを掃除していたのだ。


 ……が、結果はこの通り。

 せっかく綺麗にした場所が魔獣のせいでメチャクチャになり、これまでの働きが全て水の泡と化したのだった。


「ほへー。んで、優しい優しい先輩は、近隣住民の避難する時間を稼ぐために、自分から囮になって逃げ回っていたと」


「そうそう、そういう事」


「で! 困ってる先輩のもとへ、カワイイ後輩が颯爽と駆けつけたと!」


「そうそう、そういう……」


 頷きかけて、「は?」と。フェグルスは信じられないものを見る目で少女を睨む。

 しかし少女は、一人でペカーッと笑顔を輝かせ、


「なーんだやっぱりご褒美案件じゃないスかー! ささ、どうぞ先輩、遠慮はいらないッス! このカワイイ後輩にとびっきりのご褒美を!」


 呆れ返るとはまさにこの事だった。

 あれだけ罵倒した相手から、今度は褒美までせしめようというのか。ほとんどカツアゲだ。法治機関は何をしている。この横暴は法で取り締まるべきじゃないのか。

 というか、そもそもの話。


「……世界最強が、これ以上何が欲しいんだよ」


 魔法の実力は、イコールでその人間の社会的価値だ。


 上位数パーセントは、世界中のあらゆる企業からオファーがひっきりなし。

 当然のように破格の待遇を用意され、信じられないような報酬金額を提示され。

 挙句に生きているだけで国から『支援』という形で資源だの土地だのが舞い込んでくる始末。


 つまり、世界最強の魔法使いである彼女は、まさに圧倒的富裕層。

 そんな少女が、今さら何が欲しいと言うんだ。

 それこそ、命が保てるギリギリの報酬しか貰っていない自分から。


「助けてくれたのに悪いけど、お前にやれるようなものは何も持ってねえんだ。家の冷蔵庫には卵一個と薄いベーコンしかねえし、金もなけりゃ金になる物もねえ。できる事っつったら、お前んを掃除してやるくらいしか―――」


「あーいいッス。卵欲しいなら養鶏場ごと買いまスし。肉食いたいならレストランごと『呼び』まスし。てか掃除用のメイドも一〇人ぐらい雇ってまスし」


「あーはいはいはいそうですか。すげえや世界最強。感動した。最高」


 格差社会もここまで露骨だと文句も出て来ない。フェグルスは思わず心にもない賛辞を送る。

 が、少女はそんなおべんちゃらなど微塵も意に介さず、


「てか、先輩から貰いたいもんは他にあるんで」


 そう呟いたかと思うと、彼女は唐突に、右手を頭上に掲げてみせた。

 太陽を眩しがるような動作に見えた。だが違う。すでに異変は起きていた。

 ……少しずつだが確実に、見えない『何か』が少女の右手に集結していく。


「『龍脈りゅうみゃく』。地球に流れるエネルギーみたいなモンなんスけど……知ってるッスよねー? フェグルス先輩なら」


「あ?」


 その『何か』は少女の右手を中心に渦を巻き、広がり、膨れ上がり、周囲の空気を赤く染めるほど強大に成長していく。

 と思った次の瞬間だった。



「真域解放」



 少女の口が、決定的な『合図』を告げる。



開闢ひらけ//『龍宮宝具タマテバコ』」



 ガカァッ!! と、少女の手の中で強烈な光が炸裂した。

 直後にはすでに、彼女の手に何かが握られていた。赤と黒が不気味に輝く、全長五メートルは超える長大な『剣』だ。


 それだけじゃない。


『剣』を握る手から、『光る模様』が少女の全身を駆け巡った。腕から首へ。首から体へ。その模様は制服の上からでもハッキリ視認できるほど大きな光を放つ。

 荒々しくも美しい、まるで龍の爪痕のような模様。

 魔法使いが一定以上の魔力を消費する際に浮き出る刻印―――『魔力回路』。


「自分の魔法、めーっちゃ簡単なんスよ。地球から龍脈をテキトーに取り出して、テキトーにぶん回すだけなんで」


「……待て、何するつも」


「で、先輩って体頑丈じゃないスかぁ」


 フェグルスの言葉など丸ごと無視。少女は『龍脈の剣』を頭上でブンブン振り回しながら、嫌らしい笑みを浮かべて言う。


「『これ』を先輩にぶつけたらぁ、さてどーなっちゃうんスかね? ……にひひっ」


 嫌な予感がした。

 というか、確実に嫌な事が起こりそうだった。

 得体の知れない危機を察して、フェグルスは「なん……」と言葉を詰まらせながら後ずさる。


「待て……冗談だよな……? マジでやるつもりじゃないよな!? いやお前! ここ普通に街ん中―――」


「大惨事にしたくなきゃ本気で受け止めてくださいね! フェグルスせーんぱい!」


 少女は『龍脈の剣』を両手で握り締め、思い切り振り上げる。


「ほいじゃ、行くッスよ!」


「よせ! 来るな!」


 制止の言葉なんて何の意味も成さなかった。

 もはや大地を叩き割らんばかりに巨大化した『龍脈の剣』を。




「ゾディアック・スコーピオン! 龍姫鈴りゅうひめりん! ―――押して参るッス!!」




 猫耳カチューシャの少女・龍姫鈴は、フェグルスに向かって全力で叩き付けた。

 それだけで。


 ズンッ!!!!!! と。

 小惑星でも激突したかのような衝撃が都市全体を揺さ振った。


 とんでもない衝撃が席巻した。

 蜘蛛の巣のような亀裂が大地を駆け巡り、アスファルトが一斉に捲れ上がる。『龍脈の剣』の圧力に耐えかねて、少女の足元の死体が木端微塵に弾け飛ぶ。発生した衝撃波は爆風の壁となり、地表を舐めるように吹き荒び、見渡す限りの車も瓦礫も標識も街路樹も何もかもを一気に薙ぎ払う。


 巨大な魔獣を二体もまとめて消し飛ばすほどの、常軌を逸した威力の魔法。

 それが、たった一人の少年目掛けて、真正面から振り下ろされた。

 ほとんど虐殺だった。そう思えるほどの惨状だった。

 にも拘らず、龍姫鈴の顔は不満げに歪む。


「……マジでどうなってんスか、先輩って」


 明らかに彼女の魔法は、街一つを呑み込まんばかりだった。

 だというのに。

 次第に粉塵が晴れ、辺りの景色が鮮明になったその時。




「―――お……ま、えは何してんだよ! マジで大惨事になるとこだったぞ!?」




 龍姫鈴の視線の先には、無傷で地に足をつけるフェグルスの姿があった。


 振り下ろされた『龍脈の剣』は、本質的にはあの二体の魔獣を消し去った魔法と同質のもの。それを少年は、高密度のエネルギーの塊をそのまま握り潰す。パァン!! という破裂音と共に『龍脈の剣』が弾け飛ぶ。

 世界最強と称される少女の魔法。

 それをいとも容易く。まるで子供が振り回す木の棒を受け止めるような感覚で。


「……はーん」


 龍姫鈴はグルリと周囲を見渡す。

 嘘みたいに波打つ地面。基盤から屋上まで亀裂が入った建築物の数々。あちこちに突き刺さる普通乗用車。まるで竜巻でも通り過ぎたような状況だった。


 いいや、違う。

 この程度で済んでいる事が、そもそもおかしいのだ。


「今の一発、この辺丸ごと更地にできたはずッスけど……先輩の体が衝撃をぜーんぶ吸っちゃった感じッスかね? いやーさすがフェグルス先輩ッス!」


「誰に解説してんだお前は! てか更地!? マジで言ってんのか!? お前っ……ほんっとシャレになんねえからな!?」


「大丈夫ッス! 先輩なら受け止めてくれると信じてましたから!」


「良い関係性みたいに言うな! 殺す気か!?」


?」


 あまりに、呆気なく。

 日常会話みたいな適当さで放たれた返答に、もっとツッコミを入れようとしていたフェグルスは口を半開きにしたまま、思わず言葉を詰まらせる。

 一方で、 


「……あれ、どうしました? まさか忘れてたとかじゃないッスよねー? 連邦統括議会と結んだ『三つの契約』」


 龍姫鈴の声音は、至って普通そのものだった。

 彼女は一瞬、固まるフェグルスを不思議そうな目で見て……すぐに「くひひっ」と悪戯っ子みたいな笑顔に戻り、




「契約対象:『




 ビシッ、と真正面からフェグルスを指差した。

 そして言う。

 それこそ普通の会話でもするように、気楽な声で。


「一つ目。当該人物の基本的人権を、半永久的に剥奪する」


 足元の魔獣が砕け散り、土が丸出しになった地面に立つ少女は、一歩、二歩と、ゆっくりフェグルスに近付いていく。


「二つ目。当該人物に、全人類への無条件の奉仕および協力を義務付ける。当該人物が一般的な社会生活を送るにあたっては、当義務を遵守している場合にのみ許可されるものとする」


 フェグルスに突き付ける指を二本に増やしながら、龍姫鈴は語る。

 徐々に近付いて来る少女に謎の圧を感じ、咄嗟に後ろに下がろうとしたフェグルスだったが、


「そして三つ目」


 言いながら、龍姫はフェグルスに向けて、デコピンでもするみたいに指先で何かを弾いてみせる。

 次の瞬間、ズドッ!!!!!! と『赤黒い閃光』が一直線に放たれた。


「どぉあっ!?」


 ほとんど稲妻のような速度と勢いだった。

 直撃寸前で反応したフェグルスは、咄嗟に手を振って『赤黒い閃光』を上空に弾き飛ばす。が、その衝撃でフェグルスの体も真後ろに弾かれた。勢いを殺し切れず、足がもつれて背中から地面に倒れて「あがっ!」……後頭部を強く打つ。


「ってええぇぇ、なん―――」


「えいっ」


「おわ!?」


 体を起こそうとした途端、すぐ傍まで近付いていた少女に肩を軽く蹴られ、再び倒れる。

 少女が、フェグルスの体をまたぐように立つ。

 それを真下から眺めるフェグルス。

 まず視界に入るのは、割と大きな二つの膨らみ。そしてその膨らみの向こうに、嬉しそうにニヤニヤ笑う龍姫鈴の顔があった。


「三つ目。当該人物の、魔法をはじめとする活性化魔力を用いた一切の行為を固く禁ずる。当該人物がこの事項に違反、あるいはそれに準ずる行為に及んだと確認された場合―――」


 この期に及んでも、彼女の声に深刻さはない。

 普段通り、相手を煽るみたいに生意気に笑って。


「―――速やかに、当該人物の生命活動を停止させるものとする」


 その、どうしようもない事実を告げられて。

 フェグルスは、龍姫鈴の股の下で、ゴクリと大きく息を飲む。

 別に変な意味はない。改めて、自分の置かれた立場を分からされただけだ。


 そして。

 フェグルスがあらゆる権利を奪われた立場であるのと同時に、この少女は。


「って事で! フェグルス先輩が契約を破ったらソッコーで殺せるように派遣されたのが、不肖この自分! 世界最強の一人にして、! そして先輩が愛してやまないカワイイ後輩、龍姫鈴ってわけッス!」


 思い出しましたー? と笑顔で尋ねる専属処刑人・龍姫鈴に、フェグルスは力なく「お、おう……」と頷くしかなかった。


 とてつもなく、嫌な予感がする。


 契約に違反すると殺処分命令が下るフェグルスと、その殺処分を請け負う少女。

 この二人がこうして顔を突き合わせている事実が、一体何を意味するのか。


「にひひっ、思い出してくれて何よりッス! それじゃあフェグルス先輩?」


「……なんだよ」


「思い出したって事はぁ、自分がここに来た理由も分かってるって事ッスよねー?」


 ―――やっぱり、そういう事だった。


 思えば初めから違和感があった。彼女が助けに来てくれたタイミングだ。

 二体の魔獣に挟まれ、慌てて使その直前。彼女はまるで見計らったかのようなタイミングで割り込んできた。

 勝手に偶然だと思い込んでいたが、どうやら違ったらしい。


 あくまで予想だが。

 彼女はずっと、魔獣に追われるコチラの様子を、どこかから観察していたのだ。

 危機的状況に陥っても、魔法を使わないでいられるか……その意思の強さを確かめるために。


 だがフェグルスは、その期待(?)に反し、禁止事項を破ろうとした。

 だからあのタイミングで割って入ってきた。フェグルスに魔法を使わせないために。フェグルスが魔法を使って『大惨事』になる前に。


 なおかつ。

 禁止事項を破ったフェグルスを、殺すために。


「……、……」


 フェグルスの頭の中で、色んな言い訳が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返すが、もうどうにもならなかった。

 魔力の活性化には、直前に『起こり』のようなものがある。当然それは魔力量が多いほど顕著に空気を伝わっていく。世界最大の魔力量ともなればなおの事だ。


 世界最強の彼女が、そんな大きな気配を見逃すはずがない。

 つまり、完全にバレていた。

 フェグルスは降参するように、倒れたまま両手を挙げる。


「……わ、悪かった。認める。使おうとした。魔法を……」


「にひひ! じゃあ処刑決定ッスね!」


 物騒な言動とは裏腹に、龍姫鈴はなぜか楽しげに笑っていた。ソファに身を投げる感覚で、「よっ」とフェグルスの腹の上に座る。

 低く見積もっても四〇キロはある少女のヒップドロップに、フェグルスも「うっ」と苦しそうに唸る。


「つっても、先輩って超超超超ちょーぉ頑丈じゃないスかー。魔力お化けの先輩を殺せるのは世界最強しかいない! つって自分が選ばれましたけどー、これじゃ殺しよう無くないスか?」


「それを俺に言われても……」


「いやいや、先輩が魔力多過ぎるのが悪いんスよ? だから『危険だー!』とか言われて人権没収されるし、魔法禁止にされるし、自分なんかに殺されそうになっちゃうんスよ? くひひっ、先輩かわいそー、ご愁傷様ッス!」


「……それも俺に言われても……」


 別に好きでこういう体質になったわけではない。

 彼女もそれは分かっているだろうが、基本的に同情する気が皆無。やっぱり「くひひっ」と面白がるばかりで、


「だからぁ、こういうのはどーでス? 処刑する代わりにー、先輩が自分とデートするとか!」


「で、デート……?」


「ご褒美ッスよ! ご褒美!」


 ―――ささ、先輩! 遠慮はいらないッス! このカワイイ後輩にとびっきりのご褒美を!


 ああ、確かに。言われていた、そんな事を。

 しかしそれは……どちらかと言えばコチラにとってのご褒美なのでは。

 別にコイツとデートしても嬉しくともなんともないが。


「一週間ぐらいぃ、自分と二人っきりでぇ、いろーんな場所に行くんス! でっかい火山とかー、ひろーい海とかー、南極とか北極とか!」


「観光ツアーかよ……なんでそんな広々としたとこばっか」


「周りを考えずに魔法を使えるからッス」


 やけに低い声が降ってきた。

 予想外のトーンに、思わずフェグルスも体を固くする。

 見上げる彼女の顔は、相変わらず生意気に笑っていたが。


「自慢ッスけど自分、世界最強ッスから! 普段は本気で魔法使えないんスよー、壊し過ぎちゃいまスし!」


 その言い方は暗に、魔獣を吹き飛ばした魔法も、フェグルスにぶつけた魔法も、本気とは程遠いと言っているようなものだった。

 にも拘わらず―――蜘蛛の巣ような亀裂が走る地面。捲れ上がるアスファルト。粉々になった魔獣の死体。車の残骸。今にも崩れそうな建築物。


 手加減に手加減を重ねた一撃ですら、この有様。

 そんな世界最強が本気を出したら……そして二撃目三撃目が続いたとしたら、一体どれほどの被害になるのか。


「試したくないスか? 世界最強の魔法に、先輩がどんだけ耐えられるのか」


 フェグルスの顔の両脇に、少女の両手が落ちて来た。

 正しくフェグルスに覆いかぶさる姿勢。あるいは襲い掛かるような体勢で。

 少女は「ね、どーでス?」と、相手を挑発するみたいな表情で、




「一週間、色んな場所でぇ、……とか」




 にひひっ、と笑う龍姫鈴に、フェグルスは一度目よりも大きく息を飲む。

 嘘や冗談じゃない。本気だ。それが伝わってくる。コチラが了承さえすれば……というか、了承しなくても無理やり連れて行くぞと言わんばかりの気迫だった。


 何より……本当に殺す気だ。


 殺せない事前提のお誘い、なんて甘い話じゃない。彼女は本当にコチラを殺せる自信があり、なおかつ殺せるなら本当に殺してやろうと思っている。軽薄な態度で隠しているが……いや、隠しているつもりすらない。倫理観など元からない。


 彼女にとって、龍姫鈴にとって、魔獣を吹き飛ばす事も、そして人の命を奪う事も、日常の延長線くらいの感覚でしかないのだ。


 あまりに常軌を逸している。

 世界最強だからなのか。あるいは彼女自身が壊れているだけなのか。

 それを知る事は……少なくとも、今日はできなかった。


 突然、ポーン! という電子音が響き渡ったからだ。




『住民の皆さんにお知らせいたします。魔獣の完全討伐が確認されました。それに伴い、避難指示を解除いたします。皆さん、お疲れさまでした。今日も素敵な一日をお過ごしください』




 街の至る所から、事前に録音されたと思しき女性の声が飛んできた。

 ギリギリ吹き飛ばされずに残っていた街路スピーカーから。建物の中から。あるいは、この街の上空をゴウンゴウンと大きな音を立てて遊泳する、巨大な『魔力燃料式飛行船』から。


 そしてそれが合図だった。


 今までどこに隠れていたのか、プロペラを四つも付けた小型ドローンが街のあちこちから飛んでくる。まるで夕焼け空を大移動する鳥の大群のように、ドローンは一糸乱れぬ動きで自分の配置についていく。


 ドローンのお腹に設置されたプロジェクターが、何もない虚空に映像を浮かび上がらせる。

 街の中を決まったルートで自律飛行する『ホログラムテレビ』だった。

 普段はニュース番組やらビールのCMやらを映しているホログラムの画面には、今は大きく【避難指示解除】の文字。


『繰り返します。魔獣の完全討伐が確認されました。それに伴い、避難指示を解除いたします。皆さん、お疲れ様でした。今日も素敵な一日を―――』


「ありゃ、今日はここまでッスねー」


 各所のスピーカーから鳴り響く音声案内に、龍姫鈴は押し倒していたフェグルスからあっさり離れた。

 再びフェグルスの体をまたぐように立ち上がると、少女は「ん~っ!」と背伸びをして、


「んぶ!?」


 堂々とフェグルスの顔を踏みつけて、そのまま背を向けて去っていく。

 ……あれだけ粘着質に絡んできたクセに、終わる時はやけに淡泊だった。フェグルスは仰向けのまま、視線で彼女の背中を追う。

 視界の中で上下逆さまになった少女は、クルリとコチラの方を振り向いて、


「返事貰えなかったのは残念ッスけど、誰かに見られんのもメンドーでスし、自分、帰りまス! そんじゃーフェグルス先輩! 自分に殺されるまでお達者で!」


 言って、ビシッと敬礼の真似をしたと思った瞬間、ドゴァ!! と少女の足元が爆発した。

 直後には少女の姿は消えていた。舞い上がる粉塵の中に、パリパリッと静電気のように弾ける龍脈の残滓が見える。

 その龍脈の電流が、彼女の動きを明確になぞっていて―――


「せーんぱーい!!」


 今度は上からだった。

 すぐ近くにある、倒壊寸前の雑居ビルの屋上。

 その端に、大きく手を振る龍姫鈴が立っていた。


「デートの『依頼』! 自分本気ッスからー! 考えといてくださいねー! でも二人っきりになれるからって変な期待しないでくださいねー! 鬼キショいんでー! にはははははははー!」


 それが最後だった。

 相変わらずな高笑いを響かせて、少女は屋上の向こう側へ消えていく。今度こそ本当にフェグルスの視界から去っていく。


 後に残されたのは、粉々に壊れ果てた街並みと、ズタズタに引き裂かれた地面。

 そしてそこに唖然と寝転がる、ボロボロのフェグルスだけだった。


「…………………………………………………………………………………………」


 何はともあれ、まずは立ち上がる。

 土埃まみれの体をはたいて、乱れた髪を余計にガシガシと掻き乱し、去って行った少女の幻影でも追うみたいに、雑居ビルの屋上をぼんやり眺める。


 嵐のような一幕だった。

 魔獣に襲われたかと思えば、世界最強に死刑執行まで言い渡されてしまった。おそらく魔獣に追われてから三〇分も経っていない。その短時間でこの密度。一体何なんだ今日は。どうなっているんだ。そもそも最初、自分は街の清掃をしていただけだったのに。


 そろそろ避難していた人達も、この荒れ果てた大通りに戻って来る頃合いだ。すぐに復興作業が始まるだろう。

 作業は何日もかからない。魔法を使った復興作業は恐ろしいほど超スピードで行われ、今日の夕方には完全に元の姿を取り戻しているはずだ。



 誰もが魔法を使える時代。

 そんな魔法時代の中ですら、世界有数と称される魔法産業都市。

 その大通りに、ポツンと佇むフェグルスは、



「……デート……」


 見渡す限りの青空の下。

 疲れ切り、気力も削がれ、「はあ」とため息を一つ。

 そして思わず、ボソリと本音。




「……めんどくさ」




 次の瞬間、カッッッ!! と『赤黒い閃光』がフェグルスの真上から降り注いだ。

 体は無傷だったが、服が焼き払われて全裸になった。




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