後編 居着いた野良猫

 自分は、彼女にとってなんだ?


 そんな疑問が、当然のごとく湧く。

 彼女は新しい男性と付き合うことになって、それでいてこうして気まぐれに部屋に来て料理を作って一緒に食べて……なんだかよく分からない。

「あの……新しい彼氏さんにはここのことは?」

「もちろん、黙っとく」

「どうして?」

「だって言う必要ないでしょ?」

 彼女はさも当たり前のような顔をして言った。

 食事は終わり、後片付けをすると彼女はテレビを点けた。

「行人君は、あれから誰かと付き合ったりした?」

 彼女はソファに座りながら言った。

「いえ、全然……」

「付き合えばいいのに」

「それは……僕にはそんな器用にできませんよ。仕事だって、まだ十分じゃないのに……」

「今日のミスのこと、気にしてる?」

 今日のミスとは、僕が発注した数量が間違っていたことだ。間違って10倍の個数を発注するところだった。

「はい、少し……」

「そんなの、気にしなくていいわ。間違ったって、どうせ支払うのは会社なんだし」

「でも、それで皆さんに迷惑をかけたら――」

「あなたは会社に命を懸けて忠誠を誓ってるの? 仕事なんて、生活のための手段なんだから……それ以上気にしたってしょうがないでしょ?」

 僕は言葉に詰まった。

 所詮、会社勤めは生活のための手段――正論だが、僕よりも仕事ができる彼女から聞くことになるとは思わなかった。

「北見さん、そう言っておいて仕事はできるじゃないですか?」

「ん、まあね……何年も続けてたら、慣れでなんとかなったというか。ほら……なんていうか、昔のテレビみたいに……」

「なんですか、それ?」

「昔のテレビって、叩くと直るなんてよく言ったじゃない。あれは叩くことで偶然にも接触不良が直ったかららしいけど、そんな原理なんか知らなくても叩いて直してた。

 それと同じことで、なんとなく経験から分かるようになることもあると思うの」

「はあ……」

 なんだかしっくりこない。

「だからね……適当でもしていれば分かることってあると思う。悩んだってしょうがない、試し続けていればいい――そんな感じかな?」

「そんなもの……ですかね?」

「そう、深く考えたってしょうがないわ」

 この会話はお終いというように、彼女はテレビに視線を向けた。


 ある日、帰るとダンボール箱が届いていた。

 送り主を見ると大学の友人だった。

 実家が農家だから、また野菜を送ってくれたらしかった。

 僕は早速、スマホから友人に電話した。

「ああ、久しぶりだな」

 友人は相も変わらずという調子で言った。

「また送ってくれたんだな。ありがとう」

「いいっていいって。どうせ余ってるんだ。出荷できない形の悪いのや生産調整で要らなくなったのは捨てちまうんだから」

 友人は軽い口調で言った。

 彼は大学を卒業後、実家に帰って家業の農家の手伝いをしているはずだった。

 ふと、思った――この友人ならば、彼女のことを相談してみても良いのではないか、と。

 幸い、友人の実家はここから離れており、周囲に漏れる心配はない。

「あのさ……ちょっと相談したいことが――」

「おっ! 堅物のお前にもとうとう彼女ができたか?」

「おいおい、茶化さないでくれよ。……まあ、それに近いのかもしれないが」

 僕は順を追って説明した。

 彼は軽いところもあるが、その分自分より恋愛経験は豊富だ。僕と彼女がどういう関係なのかも結論を出してくれるかもしれない。

「それはお前が、その気になるのを待ってるんだろ」

 彼は聞き終えた後、少し間をおいてそう言った。

「その気に? どうしてそう思う?」

「じゃあ聞くが、なんでもない関係だったら、その女はお前の所に何度も泊まっていくか?」

「それは……確かにそうだが……」

「深く考えるなよ。お前は昔から、考え過ぎなんだよ。ヤッちまって既成事実を作ってしまえばいいんだ」

 それは確かに簡単だが……それでいいのか?

「でも、相手には彼氏が居るって――」

「それなら、その彼氏とやらに会ったことはあるか? 架空の彼氏をでっちあげて、お前を嫉妬させようとしてるんだよ」

「確かに、会ったことはないが……」

 彼氏自体が架空――そんな可能性、考えたこともなかった。

 だが、実在する可能性も捨てきれない。

「いいか、狼になれ! 深く考えず勢いで行け!」

 そう締めくくって、電話は切れた。

 僕はスマホを手にしたまま、たたずんでいた。


 その翌日も彼女はやって来た。

「今日はパスタにするね」

 彼女はそう言って台所に立った。


 僕は彼女を背後から抱きしめた。


「きゃ! ……ちょっと、何?」

「すいません。嫌だったら言ってください」

 僕は絞り出すような声でそう言った。

 これが僕にできる精一杯だ。

 たとえ友人の言う通りだとしても、ベッドの上で彼女を襲う気にはなれなかった。

「嫌じゃない……けど、でも……」

「でも、なんですか?」

 僕は抱いていた手を離した。彼女がこちらに向き直る。

「でも、こういうことをしてくるとは思ってなかったわ」

 彼女はそう言うと悪戯っぽく笑った。

「僕では、あなたと付き合うには不釣り合いですか?」

「ううん……違うの。なんていうか、最初は気まぐれで――」

 彼女は話し出した。

 最初彼女が来た時は、なんでもない気まぐれだったという。彼氏との関係にも疲れてきていたし、襲われたらそれでもいいかといういい加減な気分だったそうだ。

 だが、何度も訪れて僕に会っているうちに変わってきたのだという。

 「変わった」というより「気付いた」らしかった。

「あなたと居ると『自分』で居られる気がした。なんていうか、無理しなくてもいいって言うか――」

 そうして、彼氏と居る時は「無理して」自分を良く見せようとしている、それがストレスになっていると気付いて別れた。

 そして、今度は別の人と付き合うと嘘をついた。お互いを意識したら、この関係は終わってしまう。それが怖かったのだという。

「大丈夫ですよ。このままで……このままのあなたが好きなんです」

 今度はすらすらと言えた。

 そうだ、これ以上は望んでいない。ただ、彼女と一緒の時を楽しみたい。

「じゃあ、このままでいいんだね。……良かった」

 彼女の目尻に涙が浮かんだ。


 傍から見たら幼稚な関係かもしれない。だが、今はこの時を大事にしたい。

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まるで迷い込んだ野良猫のように 異端者 @itansya

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