後編

 私はそこから少し、日常生活に支障がない範囲で狂ってしまって、日本各地の観覧車に乗りまくるというのをライフワークにしている。休みの日は遠征して北から南へ日本のありとあらゆる観覧車に乗っている。相変わらず恐怖しながらガタガタ身体を震わせて私は観覧車に乗る。乗って乗って乗りまくる。自分でもなんでそんなことをしてるのかは分からないけど観覧車に乗ってる間はミノリリに向き合っているようなそんな気がしている。それでもやっぱりあの日の観覧車にのることは出来ないわけだけど、少し狂ってる私にはそれを正常に判断できるほどの理性はない。とりあえず乗れる観覧車には全部乗るという気持ちで、折角観覧車に乗るのだから記録をするかと思って開設したTwitterアカウントには観覧車の外観とゴンドラに乗った恐怖に震える私の自撮りと観覧車の解説と怖かったポイントを端的に投稿しまくっており、それは狂った観覧車マニアとして少しバズってしまったので私の人生はますます観覧車から逃れられなくなっている。

 観覧車から逃れられない人生。もう存在しない観覧車を追いかける日々。

 ――しかし、存在しない観覧車がもう一度私に追いついた。

「あの観覧車の移設先が決まりました」と、連絡をくれたのは郷ノ浦さんで、本当は撤去が決まったときも田荘さんに伝えていたみたいなんだけど、田荘さん経由では私まで伝わらないと分かって直接連絡をくれたらしい。本当にクソ。

「え、あの、えっと、あの観覧車って移設予定だったんですか?」

「元々予定はなかったんですが、倉江さんが音頭を取ってくださって……」

 倉江さん……つまりミノリリのお姉さんは、なるべくあの観覧車を残したくて、そのために自分とは関係の無い観覧車の移設事業に身を投じていたというのだ。

 ……それはそうだろう。妹が好きだった観覧車、その死に場所になった象徴。それを残したいと思うのは、取り分け不思議なことではない。残らなかったからといって日本中の観覧車に乗りまくってる私の方が不思議でイカれている。

 そしてその連絡の一年後に観覧車は他県の県立公園に移設され、私はその一年の間に日本の全ての観覧車に乗り尽くして貯金が底を突いた。

 私が『日本中の観覧車に乗りました。最後の観覧車に乗ってきます。これで全部です』とTwitterに投稿すると『全部って、全部……ってコト!?』『メンヘラ観覧車さん、もしかして狂いきった?』『胸アツ。止まるんじゃねえぞ』『死亡フラグか?』『え、本当に全部乗ったんですか?』『素直に怖い』なんてリプライが飛んでくる。皆さんありがとうございます。おかげさまでTwitterをやっていられてます。

 でもこれで一区切り。

 私は有休を申請して平日に観覧車に乗ることに決める。オープン日に行こうとも思ったけど、静かなときに一人で乗りたいというのが本音だ。めっちゃビビりながら観覧車に乗ってると逆に周りをビビらせることがあるから。

「ふうん、観覧車乗りに行くんだ。……あ、じゃあこれ、観覧車の中であけてみて」と言って田荘さんが少し分厚い封筒を渡してくる。

「え、なんすかこれ。恋文?」

「仕事が順調だからって、自分がモテるなんてうぬぼれていいわけじゃないよ、ケラちゃん」

 田荘さんは相変わらずクソ。

「まあでもは、同じ広告クリエイターとしての……そうだね、餞別ってとこ」

 ふうん? じゃあまあよく分かんないけど観覧車の中で開けてみます。

 私は移設された観覧車に乗るために狭いタクシーに震えながら乗って空港に行き、デカくて狭くて高くて狭い飛行機にガタガタ震えながら乗り県外に飛び出し、また狭いタクシーに震えながら乗って公園を目指す。

 タクシーは山間の県道を進み、しばらくすると見慣れない遠くの景色に、見覚えのある青緑色の観覧車が見えた。

 ――海沿いのショッピングモールにあった大観覧車。賑やかな街の中にあった、巨大なそれ。その観覧車はいま、休日も賑わう県立公園の中にあり、広い公園の中で一際に大きく佇んでいる。今日は平日でひともまばらだ。

 私は背筋をぞわぞわさせながら観覧車を見上げる。

 ……ああ、本当にあるんだ。

 違う風景の中にある、あの観覧車。

 私は券売機でチケットを買い、ヒマそうにしている係員に「あの24番のゴンドラに乗せてください」と頼むと不審そうされたが要求はのんでもらって数分後に降りてきた24番のゴンドラの扉が開かれる。

「足元にお気を付けてご乗車ください」

 そして私は、そのゴンドラに乗り込んだ。

 乗ったそばから膝がガクガクと震えて血の気が引いていくのが分かる。呼吸も荒くなり歯もカチカチと鳴る。それでもどうにかこうにか私は座席に座った。あの日と同じ、ミノリリの対面の席だ。ゴンドラはゆっくりと昇る。景色は巡り、地面が遠ざかる。忘れもしないゴンドラの中の様子に、私はあの日のフラッシュバックを見る。

 でも――山間の公園からは、海が見えない。

 観覧車はどんどん頂上に近づいていく。

 私はふと思い出して、田荘さんからもらった封筒を取り出して開けてみた。

 中にあったのは、写真の印刷された十数枚はあるポストカード――それは、私たちがあの観覧車の広告企画で使った写真の、ポストカードだった。地元出身のカメラマンに撮ってもらった、街中に佇む風景としての観覧車。もう見ることの叶わない景色だ。

 私は身体を震わせながらそのポストカードを一枚ずつめくっていく。

 すると最後の一枚はポストカードではなく、写真だった。

 裏返った写真をめくろうと思うが、まもなく頂上に着きそうだ。

 そして、ゆっくりと、ゴンドラは、頂上に。

 私は目を見開いて、正面を見る。

 そこにミノリリの姿はない。当然、そこにいるはずもない。

 私は外の風景を見る。

 山深く自然豊かな眺め、遠く小さく見える知らない町、深い山の向こうから走る高速道路――どれもこれも、知らない景色だ。

 私は何かを探すように、手元の裏返っていた写真をめくった。それは、ゴンドラの中から、撮影された風景。

 の頂上から見た、海の景色だ。

 ああ、私は。

 私はもう二度と。

 もう二度と、あの時の景色を見ることが出来ないのだ。

 目を背けていた観覧車は、もうここにない。

 私は遂に、やっと、ミノリリの死に向き合わなくてはならないのだ。

 身体が震える。

 まぶたが焼けるように熱を帯びる。

 窓の外から、あの時とは違う夕暮れの日を浴びる。

 私は――ああ、私は。

 そして私は、声を上げて泣いてしまった。

 ミノリリが最後に見ただろう景色を私は二度とこの目で見ることが出来ないのだと思うと、胸のなかで彼女への思いが一つ砕けたような気がした。

 ミノリリが死んで悲しい。ミノリリが死んで苦しい。ミノリリが死んで本当に本当に辛い。また私を強引に振り回して欲しかった。また一緒に観覧車に乗りたかった。今の私ならミノリリと一緒の風景を見られるだろうし、一緒に綺麗だねと笑いたかった。ミノリリと自撮りをしたかったし、ミノリリと一緒に日本中の観覧車に乗ってみたかった。

 だけどそれももう、叶わないことなのだ。

 わあわあと泣く私を乗せて、ゴンドラが小さく揺れる。

 不意に膝に乗せていたポストカードが、パラパラと足元に落ちた。私は目を擦り嗚咽しながら震える手でそれらを拾い集める。

 するとポストカードの一枚に、田荘さんの走り書きがあるのを見つけた。

『広告の最も強力な要素は真実である』

 田荘さんは田荘さんなりに、私の企画を評価して、それからやはり狂ってしまった私のことを気に掛けてくれていたんだろう。

 郷ノ浦さんだってそうだし、ミノリリのお姉さんだってそうだ。多分何かしら変になっていた私のことを見抜いて気づかってくれたのだ。この観覧車の移設を教えてくれたのだってそうだし、小さくても賞をくれたのだって、そうなのかもしれない。違うかも知れないけど、でもそれが私を支えてくれていたのは事実だ。

 私はいろんなことから目を背けるのをやめなければならない。

 ミノリリの死を、ちゃんと悲しんで、ちゃんと受け入れなければならない。

 私は顔を上げる。

 ゴンドラが地面に近づいていく。

 涙は止まらなくてどうしようもないけれど、それでも前を見据えるのだ。

 ――地上に着いて、ゴンドラの扉が開く。

「足元にお気を付けてお降りください」

 と促され、私は少しよろけながらそれを降りた。

 人の居ない24番のゴンドラが、やがてゆっくりと昇っていく。

 そして私は泣きながら、震えながら、ミノリリも観覧車もいない街に帰るのだ。

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デカくて高くて狭いもの 立談百景 @Tachibanashi_100

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