中編

 私の広告企画はそれなりに評価を得た。客足が劇的に改善することはなかったが、一定の話題作りは成功したしショッピングモールのトータルの満足度調査には貢献できたっぽい。地元のカメラマンを使った写真はどれも良く、哀愁も郷愁もある観覧車のストーリーを感じさせるものだったし、私が田荘さんから死ぬほど訂正を食らいながら書いたコピーもうまくマッチしていた。

 しかしその後、別の会社が持ってきたアニメキャラクターの等身大アクリルパネルと観覧車に乗れる企画がインターネットの話題になり、私の企画は結局その濃い味の企画に埋もれてしまった。エモが色物に。でもコラボ企画は成功して直接的に客足が伸びたらしい。この手のコラボに強い代理店がキャラクターを取っかえ引っかえ絶え間なく連れてくるので、もはや私たちの出る幕はない。観覧車がなくなるという広告案も表に出すことなく消えてしまった。

「でも良い企画でした」と言ってくれたのは担当の郷ノ浦さんで、やっぱり私たちの企画という前振りがなければコラボ企画も成立してなかっただろうと言ってくれる。郷ノ浦さん自身は私たちの企画をとても気に入ってくれていたのだ。田荘さんも「ま、努力賞ってとこ。佳作? うーん、まあ努力賞でも賞は賞だし、誇ったら?」とクソはクソなりに褒めてくれる。どーも。でも田荘さんの企画はいつも入賞という感じなのでやはり彼の評価は正しい。

 で、本当に私の広告はちょっとした賞をもらう。地元の商工会議所と自治体と広告団体が開催している地域広告賞の審査員賞だ。ノミネートをしてくれたのは郷ノ浦さんで、その審査員をしていた商工会議所の倉江さんというのが驚くことにミノリリのお姉さんだった。

「この広告には、絶対に何かを残さないとダメだと思った」というのはお姉さんの観覧車への強い感情もあったのだろう。「ありがとう、ケラちゃん」

 お姉さんにとってはもしかすると私がミノリリへの感傷を広告に込めたんだと思ってくれたのかも知れないがもちろんそんなことはない。私は観覧車に乗れないという事実を捻じ曲げて打算と計算で広告にしただけ。広告企画のプランニングとしては全く正しいが私はいつまでも観覧車から目を背けているだけなのだ。

 私の広告がなくなってから私はショッピングモールにも行かなくなるし観覧車を遠くから探すこともやめてしまう。

 結局そこにはミノリリの死があるからだ。

 観覧車に乗らなくても生きてはいける。

 あれはアトラクションの一つでしかない、人生を生きる上では取るに足らないものであるはずだ。

 はずだった。

 しかしそこにミノリリの死が埋まっているのだと思うと私にとって観覧車はデカくて高くて狭いだけではなくデカくて高くて狭くて悲しく苦しいものになる。

 だけど私の広告は小さくても賞をもらったせいで私が広告企画のプランナーとして場に出ると「ああ、あの観覧車の」と名刺代わりになってしまって私は変わらず観覧車につきまとわれている。ミノリリのお姉さんの呪いか? 呪いじゃない。私がいつまでも観覧車に目を背けたまま、しかし背けているのではなく背負っていて、背負ったことを無かった風にしているだけだ。

 ――いい加減に、この背負ったものを下ろしたい。背負うことで目を背けられていたそれを下ろして目の前に置き直して目を背けずに向き合わないといけない。

 だから、私は観覧車にのることに決めた。



 とは言えデカい観覧車に乗るのは本当に無理というか、巨大物恐怖症と閉所恐怖症と高所恐怖症を併発してるから一個ずつなんとかしないといけない。

 巨大物恐怖症は……まあ広告を作っているときに耐えられるくらいには免疫が着いた気がする。不快だけど耐えられる。見るとゾワゾワして死ぬほど鳥肌立ってるけど、まあ大丈夫っちゃ大丈夫。問題は閉所高所のそれぞれ恐怖症だ。本当はダメなんだろうけど私は私自身に荒療治を繰り返すことにした。高所については高い橋とかビルとか展望台のあるテレビ塔にとにかく外が見えて高所を感じる場所に通い詰めている。閉所恐怖症については大きなビルの大きなエレベーターから始めて古いビルの小さくボロボロのエレベーターに半泣きで震えながら乗りまくって乗りまくって半日とか乗りっぱなしにしてたら変な噂話になったりもしたけどとにかくそういった荒療治を繰り返した。最初の数か月は本当にきつくて休み休みやっていたけど次第に慣れてきて、というのは恐怖を克服したのではなく身体が震えたり恐怖するという感覚に対して「ああいま私ビビってるわ」とか「いま私怖くて震えてんだな」みたいな変な客観性が身について恐怖している感覚そのものに身体が耐えられると言う訳の分からない状態になったのだけどそれでいい。これで観覧車に乗れる! 多分!

「え、ケラちゃん知らなかった? あの観覧車、もう運転止まってるよ」

 しかし私は田荘さんにそう告げられてしばらく放心してしまう。は? 観覧車が? 止まってる? って…なに?

「結局採算が取れなかったんだってさ。アニメキャラのデート企画?も焼け石に水っていうか。知らなかった? 何週間か前に撤去も始まってるよ」

 知らなかった。

 知らなかったけど!

「資料探しに外出、直帰します!」と言って私は事務所を飛び出した。

 ショッピングモールへの道中、調べると確かに数ヶ月前の地元のニュースに観覧車撤去の記事があるしSNSでもそこそこ話題になってたしアニメオタクは長文で推しとのデートの思い出を語っている。私だけがそれに気付いていなかった。なんで! 何でもクソも、結局私は恐怖症を克服するなんて言って荒療治だなんて言って、観覧車に目を背けたままだったからだ。

 向き合う準備をしていただけ。

 私はさっさと観覧車に乗らないといけなかった。

 いつも観覧車は目の前にいたのに、こっちの準備ができたら逃げやがって。

 ちくしょう、ファッキン観覧車!

 頼むからそこにいろ、そこにいてくれ!

 しかし観覧車はいない。

 ショッピングモールの前、工事のフェンスで観覧車は囲まれている。観覧車はゴンドラの多くが外されて骨組みだけの貧相な姿になっていて、足場やクレーンがその横にそびえている。そしてその天辺にあるゴンドラは――24番のゴンドラだ。

 私はミノリリが死んだあの日以来、始めて観覧車の天辺をしっかりと見た。相変わらず巨大なその姿に背筋がぞわぞわとするのが分かる。工事のフェンスが観覧車と私を隔てる。もはや動かない観覧車に、私の手が届くことはない。あそこにはもう、辿り着けない。

 観覧車に乗ることは、私にはもう叶わなくなってしまったのだ。

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