デカくて高くて狭いもの

立談百景

前編

 私にとって観覧車というのは恐怖の象徴でしかなく、それはデカくて高くて狭いという怖い物が三拍子揃っているからであり、やはりそれにやすやすと乗り込むわけにはいかないのだが、しかし観覧車が好きすぎる友人の美稔理みのりりは私をそれに乗せる。

 24と番号の書かれた青いゴンドラ。海沿いの巨大ショッピングモールにそびえる、国内の観覧車の中でも前から数えた方が早い大きさの青緑色の観覧車に私たちは二人で乗る。

 静かに昇るゴンドラの中で恐怖におびえる私と楽しそうにはしゃぐミノリリ、巨大な観覧車は海を臨み遙か向こうの景色を見せる。

 もうすぐ天辺、私の恐怖は最高潮になりぎゅっと目を閉じ、やり過ごす準備をしたが急にミノリリが静かになって思わず目を開けると、ミノリリは死んでいた。

 天辺についた時、ふっと、彼女は死んだのだ。

 きらめく海から夕まずめの明かりを受け、怖くて目をつむっていた私の目の前で、何の前触れもなく、綺麗な顔で、寝落ちるように死んだ。

 死んだ、死んだのだ。

 私はミノリリが動かなくなりその脈がなくなり息をしていないことでパニックになって早くここからミノリリを出して病院に連れて行かなければと思うも観覧車のドアも窓も全く開かなくてゴンドラを落とすしかないと思ってめちゃくちゃに揺らしたり蹴ったり壁に体当たりをしたけどそんなことでゴンドラはビクともしなくて結局下まで降りてドアを開けて暴れるなと注意してきた管理員に「いいから救急車!」と怒鳴りつけてミノリリを引きずり出して人工呼吸をしてAEDを使ってずっと蘇生を試みたけど一度止まったミノリリの心臓はビクともしなくて十数分後に到着した救急車に乗って病院に行って処置を受けたけど結局ミノリリは助からなかった。

 あのときゴンドラの中で人工呼吸をしていたら助けられたんじゃないか、そもそも観覧車にのらなければ死ななかったんじゃないか。どうにもならないはずの後悔ばかりが私の頭の中で繰り返される。ミノリリの死因ははっきりしないが、持病も何もなく、本当に何の前触れもなく死んでしまったのだ。

 そして私は元々乗れなかった観覧車に更に乗れなくなる。

 何故か私の人生には観覧車がつきまとっており、大学に入って初めて出来たカレシが観覧車に乗ろうと言うので断ったらそこからギクシャクして別れて、サークルで出来た友達と遊園地に行ったけど観覧車に乗る乗らないでもめて孤立して、社会人になって広告企画の会社で働き始めてしばらく忙しくも平穏にやっていたらディレクターとして初めて任された仕事が例の観覧車の広告企画だったので絶賛躓いているところだ。

 あの観覧車の天辺で、友人が死んだんです。なんて言える私じゃない。

「私、高いところと狭いところと大きな物が怖くて……」と正直に上司に伝えてみたが「じゃあ君は最も従来の想定顧客とは離れた立場ということだ」なんて言われて、つまりそういうアイデアが欲しいらしい。

 なぜならあの観覧車は採算が取れなくなってきていて、数年内に収益が改善しなければ撤去になるというのだ。

 観覧車はこの辺りのシンボルだ。思い入れのある人も多い。とは言え日常的に乗るものではないし、あくまで風景のように受け入れられている。だからこれはそのテコ入れの第一弾で、観覧車の魅力を違う側面からアプローチしなくちゃいけない。

 クソだわ。

 ファッキン観覧車。

 観覧車は私の人生の大切なところで目の前に現れて私を苦しめる。

 デカくて高くて狭いもの。私の嫌いな観覧車。



 企画がコンペじゃないのが救いだ。クライアントと煮詰める余地がある。私一人で考えてたら多分観覧車を破壊して海に浮かべる企画を提案していたかも知れない。だからクライアントのショッピングモールの運営企画部の郷ノ浦ごうのうらさんと話すと、郷ノ浦さんの観覧車への愛情が伝わってきて胸が痛むと同時に観覧車のことを思い出して苦しくなり、郷ノ浦さんの「観覧車を見学して乗ってみますか?」という優しさをやんわり断ってしまったので私は観覧車を愛してる郷ノ浦さんを悲しませてしまったうえに「ケラちゃん、さっきのはあんまり良くなかったね」と、同行していた私の上司でお目付役の田荘たどころさんに帰り道で注意されてしまう。

「分かってるんですけど、本当に観覧車は無理なんです私……いや、田荘さんが乗ってくれたら良かったじゃないですか」

「いや僕も高いところ苦手だし、場末の観覧車に乗っても全然嬉しくないし」

 なんだこいつマジでクソだなと思うが田荘さんの作る広告企画は素晴らしいものが多いので彼の注意は正しい。私がディレクターだから私が乗るべきなのだ。

 私はうんうん唸って考えに考えて広告企画を二案出してみる。

 一つは「観覧車から見たあなただけの景色を写真に撮ってインスタやTwitterに投稿しよう!」というもの。観覧車からの景色というエモを広められないかという狙い。もうひとつはゴンドラごとにショッピングモールのテナントで使えるクーポンをランダムで設置して、店舗との相乗効果を図るという案だ。

 どっちもボツ。

「コスパを考えても目先のクーポンのためにお金払って観覧車に乗るわけないし。写真撮ってSNSにアップしてってお願いするのは広告として終わってるし、つまらない。みんなが自然に『これは広めたい』って思うようなものを目指してよ。あとケラちゃん、観覧車ほとんど乗ったことないでしょ? 観覧車から写真撮っても、大体みんな頂上から海の方か街の方を撮るし、同じ風景になっちゃうからね。写真で見ても美しい景色はあるけど、あの観覧車の景色は現地補正がかかるタイプじゃないかな。そういうわけで練り直し」

 私も同じこと考えてました。クソですわ。

 眉間にシワを寄せっぱなしの私に田荘さんは笑いながら言う。

「広告の最も強力な要素は真実だよ、ケラちゃん」

 うるせーウィリアム・バーンバックの広告名言をかっこつけて引用してんじゃねえ。

 で結局案が出ないまま数日が経ち、私はショッピングモールに出向いては遠くから観覧車を眺めている。本当はデカすぎて遠くから見るのもイヤなんだけど、まあ遠くからなら多少は見られるようになったかなと思います。休日にも出向いてフードコートの窓際の席から見える観覧車を眺めていると、確かに客足はまばらなことが分かる。

 私は天辺の方を見ない。そこを見るとゴンドラの中にあの日の私とミノリリがいるような気がするから。

 ……私の友人は少なかったが、ミノリリは私にとって一番仲の良い友人だった。中学からの友人で高校も一緒、クラスもずっと一緒、多少強引なところもあったけど、消極的な私にとってはむしろ色んなところに連れ回してくれて、いろんな遊びに誘ってくれて、ありがたい存在でもあった。「ケラちゃん猛禽類見に行こうぜ」と言って動物園に連れ出してくれたり、「ケラちゃんローソンのスイーツ爆食いしようぜ」と言ってめちゃくちゃな量のロールケーキを二人で食べたり、そして「あたし観覧車好きなんだ」と言って彼女が私を連れ出してくれたのがあの日だ。それはただの日常のひとつだったけど、あの観覧車の天辺、あっちとこっちで私の日常は確かに区切られた。

 私が観覧車のことを考えるとどうしてもミノリリのこととゴンドラの中のことを思い出してしまうせいで頭はぐちゃくちゃになるし、そんなぐちゃぐちゃな頭で企画は考えらんないから頭の辛うじてぐちゃぐちゃではない部分で企画を考えてもどれもパッとしないし田荘さんからもめちゃくちゃダメ出しを食らうしで散々だ。提案の締め切りも近い。

 観覧車に乗らない私が考える企画――。

 私はもう思考が止まってしまった。でも思考が止まって止まって止まりに止まってミノリリのことからも観覧車のことからも目をそらしているとなんとなく何かが見えてくる。あくまで情報としての観覧車。私の中にはない目の前の観覧車。私は苦し紛れにメモを走らせてみる。観覧車→高い→大きい→カラフル→遠くから見える→景色→いつもある→回る→かなりの人が乗ったことがある→馴染み→ノスタルジー→記憶→思い出→乗れるけど乗らない。

 人々にとって、景色になってる観覧車。それは真実、真実だ。

 では……景色としての観覧車にフォーカスした企画はどうだろう。

 観覧車の客足を伸ばす企画としては破綻しているが、この企画の肝は観覧車への再注目だ。観覧車がいつも景色の中にある、という気付きを人々に与える広告。ある種の自虐にも近いが、哀愁やノスタルジーの想起でいわゆるエモを狙う。ショッピングモール内や近隣の駅構内の掲示物、バスラッピングとショッピングモールの公式SNS。媒体はそんなところだ。良い写真と物語のあるコピーで、まず感性の高い層へのアピールを狙う。

 それからこの企画は連鎖的に繋げていく。

 観覧車への注目を集めたら「観覧車に乗るシチュエーション」を提案する広告を打つ。恋人同士、夫婦、家族、親子、友人同士、あるいは一人で。素直な広告ではあるが、前段の広告で想起されたノスタルジーや感情に、乗るための動機を与える。

 最終的には「観覧車がなくなるかも知れない」という広告を打ってもいいかも知れないが、案としては出さない方が良いかもしれない。

 そして最後にテーマのコピーをひとつ。


『乗らない観覧車』

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