第28話 プレゼント
「佐藤隊長!!」
その声は管制室の中でひと際大きく、気迫に満ちていた。
血獣が討伐され、安堵の声が聞こえてきた管制室内で突如として叫ばれた声は皆を静まらせた。
「どうした?!」
佐藤もその声で異変が起きたことをすぐさま理解した。
「香月隊員の存在値が異常増大しています・・・」
「!!そうか・・・!
現在の相当ランクはどのくらいだい?」
「計測します!・・・!!
計測値、出ました!
香月隊員のランクは『
「まじかぁ・・・。成長しすぎでしょ、アラヤ君。
仕方ない。
ただいまより、香月アラヤを『ネームド』として認定し、対応に当たる!
とはいえ、こちらで打てる手は限られてる。とにかく、時間を稼ぐしかない。負傷者を後退させよう」
その言葉とともに管制室は再び緊張感に包まれる。
皆疲れ切っているが、気持ちを切り替えられたことはさすがプロであるといえる。
「支援部隊をすぐに動かして負傷者の回収に当てよう。アラヤ君もとい『ネームド:コウヅキ・アラヤ』は小型スレイプニルを作動して鎮静化を図ってみる。スレイプニルの起動と鎮静剤が効き始めるまで多少時間がかかる。それまで僕が声をかけてみよう。万一の事態に備えて、僕の武装を用意しておいてくれ!」
アラヤのことを信頼している佐藤であるが、最悪の事態は想定しなければならない状況であることは確かだった。
そして、佐藤はアラヤの精神力を信じるしかできないこの状況をとても歯がゆく思ってしまったのだった。
***
『ぐっ、あああああぁぁあっぁあっぁぁぁ!!!」
アラヤの全身を激痛が駆けずり回る。脳のてっぺんから足の指の先まで余すことなく痛みに浸されてしまったアラヤの精神は今にも壊れそうになる。
この痛みは『
現在アラヤが感じている痛みは、外傷による痛みとは別の痛みだった。
アラヤが感じているのは、内側から張り裂けて爆発しそうな痛みだ。アラヤ自身からあふれ出しそうな何かが、アラヤの体を内から蹂躙しようとしているのだ。
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!)
痛みの原因をアラヤは、思考ではなく感覚で理解していた。
内からあふれ出ようとしているのは、他でもないアラヤの血獣の血だ。そして、痛みが発生しているのは、それをアラヤが全力で抑えて、理性を保っているからだ。
《おいおい。早く僕に体を渡せよ。そうしないと精神が壊れるぜ?》
「出て、来る、なぁぁぁ!」
頭を搔きむしるように抱え込んでうずくまる。
全身から血が溢れだそうとしている。それが内臓を傷つけ、肉を切り、骨にひびを入れ、細胞を壊していく。
《わかってるんだろ?簡単なことだって。力を抜くだけでいい。それだけでお前は痛みから解放されるんだ》
(黙れ!)
《痛みから解放されたいだろ?》
(黙れ!)
《さぁ、意識を手放せって。早く》
「だまれぇ!!!!」
決して意識を飛ばさない。
決して理性を手放さない。
決して体を明け渡さない。
それはアラヤが人であるため。
たったそれだけ。
だが、たったそれだけの理由が多くの人を結果的に救うことになる。そうアラヤは思っている。だからこそ、絶対に屈しないのだ。
「あああぁぁぁぁぁ!!」
「アラヤ!」
「アラヤさん!!」
遠くで二人の声が聞こえる。
(早く離れて、くれ)
痛みというノイズで遮られる思考のほんの少しの合間を縫ってつぶやく。だが、言葉に出せるほどの余裕などはなく、ミハルとリュウヤにアラヤの気持ちは届かない。
(あぶ、ない、ぞ。離れ、ろ)
『アラヤ君!!』
アラヤの思考の片隅に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
(なん、だ?)
『アラヤ君!!』
鼓膜を裂くかのような大きな声はアラヤの思考の中で輪郭を形作っていく。
「さ、とう、隊長?」
『・・・!
よかった。まだ意識が残ってるんだね!』
安堵が声から伝わってくる。
「ふた、りを、離して、くだ、さい」
『わかった!まだしゃべれる余裕はあるかい!?』
「すみ、ません」
『わかった、しゃべらなくていい。今から、僕の言葉を聞くだけでいい。返事はなしだ。それより、理性を保っててくれ』
アラヤはありがたいと感じた。
なにせ、少しでも意識を持っていかれれば、取り返しのつかないことになりかねないのだ。
『アラヤ君に渡してもらったあれはつけてくれてるね。
今からそれを起動する。それは、アラヤ君用の小型『スレイプニル』だ。今からそれを起動して君の鎮静化をしてみる。
アラヤ君にしてもらうのは、スレイプニルが君を鎮静化するまで意識を保っていてもらう。それだけだ。
だが、とてもつらい戦いになるだろう。精神が壊れる前に何とかこちらでもできることを模索してみる。
君を血獣として討伐はしたくない。何とか、意識を保ってくれ。頼んだよ』
そうして通信が途切れる。
入れ替わるようにして、アラヤの耳に機械的な音声が流れてきた。その声はどうやら首につけた首輪から聞こえてきていた。
『規定以上の存在値及び、
音声が途切れた瞬間、アラヤの首に違和感が訪れる。
本来であれば痛みと呼ばれるそれは、今のアラヤが他の激痛を感じ取っているがゆえにただの違和感として処理されていた。
アラヤの首から液体が流し込まれる感覚が生まれる。
そして、刹那。
「ぐぅぅ、あぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」
先ほどよりも強烈な苦痛がアラヤの全身を襲う。
まるで神経一本一本を細かく引きちぎられているような激痛が走った。
《余計な抵抗をするからそうなるんだよ》
また、アラヤの耳元で悪魔が囁く。
「だま、れ」
今にも切れる糸のような声でアラヤが言う。
か細く紡がれた言葉はそれでもアラヤの理性を保つことには必要なことだった。
「アラヤ!絶対に血獣なんかになるなよ!!」
「アラヤさん必ず、戻ってきてください!
私たちも何かしてみます!!」
二人はそう言うとその場を去る。
佐藤からの指令があったのだろう。
リュウヤはまともに体を動かすことが叶わないため、ミハルに肩を貸されてようやく歩いていた。
その場に残されたアラヤは孤独よりも安心を憶える。
だが、気は抜けない。
だって、今にも理性のダムは決壊しそうになっているのだから。
痛みは時を刻むごとに増し、アラヤの意識を削る。
そんな中、アラヤは自然と思考ができていることに気が付いた。
そして、自身の脳裏に浮かんだ記憶を垣間見たのだった。
***
「アラヤ」
優しい声。懐かしい声。もう聞けない声。
「お前はいつだって俺たちが付いてるからな」
頭を撫でられるのは、未だ小さなアラヤだ。
大きな手。その手から伝わる大きな愛情。
それが心地よく、笑みが溢れる。
「私たちからのプレゼント。本当はこれが開けられるような状況にならないことがいちばんだけど」
「あった方がいい。絶対に」
「うん・・・。私たちの子だもん」
悲しそうな目。でも、優しい目。
今はもう、二度と見えない目。
(母さん、父さん)
寂しさを憶える。悲しさを感じる。
今のアラヤが一番欲しい人たち。
激痛を耐えるアラヤが支えてほしい人達。
自然と涙がこぼれて、その記憶は幕を閉じてしまった。
***
「痛い・・・」
体が。
でも、それ以上に心が痛い。
アラヤには支えがない。心の支えが。
ゆえに、アラヤの心は強く育った。アラヤの年の人間では考えられないほどに、孤独に耐えられる心を得た。
だが、いくら強くともその本質は、儚く脆い一つの心。一人で立っている一本の棒のようなものだ。
だから、心が折れそうになってしまうときは一気に崩れてしまう。
(最、悪だ)
アラヤは自分自身を呪う。
なぜこのタイミングなのか。なぜ今なのか。
そうしている間にも意識は削られているというのに。
そして、アラヤは察してしまう。
自分の心が一瞬にして弱ってしまったことに。
自分が理性を保つことが困難になりかけていることに。
「やばい・・・」
ジワリ。
アラヤの肌を突き破るように血液が漏れ出す。
最初は数滴。
漏れ出た血液が、アラヤの肌を這うように纏わりつく。
「あ、が、ああぁぁ・・・」
血液が漏れ出した場所には耐えがたい痛みが走り、さらにアラヤの理性を粉砕していく。
最早止めようのないほど溢れ始めた血液が、遂にアラヤの腕を覆い尽くした。
異形の腕がそこにはあった。
アラヤの意識下から外れた腕が、ひとりでに動こうとする。必死にそれを抑えようとするが、あまりに強い力を前に、動きを制限することしかできない。
アラヤの異形の腕が地面に叩きつけられる。
まるで地面が麩菓子のように半径数十メートルが破壊される。
(このままじゃ・・・)
まだ意識下から抜け出していない右手で異形と化した左腕を押さえつける。
だが、その左腕もだんだんと血液があふれ出していた。
「ああああぁぁぁぁ!!」
アラヤの精神も、肉体もすでに限界を超えていた。
そして、過去を見てしまったことでの精神的ダメージはアラヤの理性というダムを決壊させるには十分すぎたのだ。
スレイプニルはアラヤを抑えきれてはおらず、仲間も手立てを考えている途中。もしくはもうこちらへと向かっているかも知れない。
だが、もう耐えることはできない。
すべてが、遅すぎたのだ。
アラヤの意識はだんだんと薄れて・・・。
(母さん、父さん)
脳裏に浮かんだのは今は亡き両親の姿。
アラヤの意識と共に体のすべてが飲まれようとしたその瞬間の出来事だった。
「え・・・?」
アラヤは、自分の胸の中心、ちょうど核があるところが紅く紅く光っていることに気が付いた。
アラヤが意識したものではない。
これもアラヤの意識下から外れたもの。アラヤが自発的に制御を行えるような状態ではないということだ。
「これ、は?」
アラヤは混乱する。
なにせ、気が付けばアラヤの体からは痛みが全く消え去っていた。
「暖かい・・・」
懐かしい感覚だった。
それは遠い遠いいつの日か、愛しい父親と母親に抱擁されるかのような温かみを持っていた。
制御できないその光には恐怖は一切感じない。
手放しでその感覚に身を浸すことができた。
「父さん、母さん・・・」
温かみを全身で感じて悲しくもなり、そしてうれしくもあった。それはアラヤが小さな子供に返ったようだった。
血液がアラヤの体に戻っていく。
血液がアラヤの制御下に戻るまで時間もかからなかった。
『コウヅキ・アラヤの存在値低下。鎮静剤の効力を確認。鎮静化成功。スレイプニルはスリープモードに入ります』
アラヤの意識は薄れていく。そこに、怖さはない。
ただ、父と母のぬくもりに癒されて眠りにつくだけである。
アラヤの鎮静化をもって、『ネームド』討伐作戦は達成されたのだった。
***
「アラヤ・・・」
「やっぱり心配?」
仮面の男は、ハルトの顔を覗き込む。
そこに表情の現れはないが、確かに心配の色が読み取れた。
「確かに今のは異常だったね。血獣化一歩手前だとしても存在値が上がりすぎだ。そして、何より不可解なのは核の発光だね。あれは彼が意識して起こしたものではない。さらに言えば、アラヤ君の力ではない第三者の意思が介入している感じだったね」
仮面の男の話に返答はない。だが、ハルトの心配が深くなったことはいとも簡単に読み取れてしまう。
「ハルト君」
「ああ、わかっている」
名残惜しそうにハルトは眼下を見つめる。
「作戦は失敗だそうだよ」
「そうか。だが、まだ手はあるんだろ?」
「あるよ。どれか一つでも作戦が成功すれば私たちの勝ちさ」
ハルトは視線をアラヤから外す。
「じゃあな、アラヤ」
その場にはハルトのつぶやきが残された。
ブラッド・ビースト 譜凪 夕 @h-y
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