第27話 霧とカメレオン



 ヒロカズはこの状況を想定できていた。

 この状況を予測できたのはひとえに、少年に幾度となく触れてきたためだろう。


 (やはり、あの感触は・・・)


 触れたことのあった感触は、ヒロカズに事態を予測させるに至ったのだ。

 ヒロカズがその感触を認知したのは、アラヤに初めて会ったときだった。ナイフをアラヤの首へと突き付けた時、通常の人間に比べてかなりの硬度があることをナイフ越しに感じていた。

 アラヤと少年。その二人の酷似した感触を感じていたが故に、なんとなくの予測はついていた。


 『おじさんたちのところにも一人いるよね?僕たちみたいな半端者』


 そうやって声をかける少年の腕は、赤黒く染まっている。その腕はまるで爬虫類の腕を人の腕の形にしたような異形と化していた。


 『おじさんがいくら強くても、所詮はヒトだよね。血獣である僕に勝てるのかな?』


 少年の心には慢心が宿る。先ほどまではその気持ちは薄かったはずだ。

 だが、人ならざるものとなり、人以上の存在となった今では、慢心が生まれることは仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。

 それに、少年はまだ年もあまりとっていない。自分が大人以上力を発揮できることを喜ぶというのは当たり前の感情だろう。


 「勝てるさ」


 しかしである。

 少年は知らない。目の前に相対する人間が、最強の名を関する者であることを。


 「君が本気を出すのなら、こちらも本気を出さないと失礼だろう」


 そう言いながら、ヒロカズがスーツからナイフと銃を取り出す。

 片手に刃物、片手に銃というそのスタイルは、完全にアラヤと一致している。


 『ふーん。武器を取り出したところで僕に適うのかな?』

 「やってみなければわからないだろう」

 『そうだね』


 少年は自分が勝つことを疑わない。

 それは、ヒロカズも同じだ。

 両者に違いがあるとすればそれは、油断を孕むか否かだ。

 自分の実力と相手の実力を正確に測ることができるのか。それが二人の命運を分ける大きな差だ。


 二人の戦闘が再開される。

 やはりというべきか、最初に動き出したのは少年の方だった。

 おそらく何かを投擲したのだろう。その姿勢を視界に入れた瞬間、ヒロカズの体は動いていた。前にかがむようにして、投擲された何かをよける。ヒロカズのうなじを優しく空気がなでる。


 (見えなかった。

 物体が高速移動したことによるものではない。ただ、周りに擬態した何かが飛んだのだろう)


 そう判断したヒロカズの思考は正しかった。


 『ちょっと迂闊すぎたかな。でも、避けれるとは思わなかったや。まだまだ行くね』


 次の瞬間には少年の姿が掻き消えた。

 それはさながら、コップの中の水に粉が溶けていくかのようだった。


 周囲から一切の音が消える。地に足が着く音も、風を切る音も、息遣いでさえそこには存在していなかった。


 そして。


 「・・・!!」


 ヒロカズは何もない場所で体を大きくのけぞらせる。そして、次の瞬間には体を右方向にひねり、最終的に地面に伏せる形で着地する。今度は伏せた状態から腕立て伏せの要領で跳ね起き、立ち上がった瞬間に地面を蹴ってバク宙で何かを回避する。


 『まじか!これも避けるの?!』


 何もないはずの空間から声が聞こえる。それはこの場にきちんと少年がいるということを示していた。


 「そこか」


 脊髄反射的に声が聞こえた方向に銃口が向けられる。躊躇することなど一切なく、二発の弾丸が発砲される。

 だが、乾いた銃声は空しく、鉛の弾丸は壁に激突した。


 『ざーんねん』


 煽るような言葉に耳を貸すことはなく、ヒロカズは淡々としている。


 「なるほどな」


 何かを察したようにぽつりとつぶやく。


 「俺も反撃しよう」


 そう言うと、ヒロカズは弾丸を無作為に放つ。

 まるでがむしゃらに、ただあてずっぽうに放たれたかのような弾丸は、やはりすべてが空間をすり抜けて壁に撃ち込まれる。


 『あは、見えないから当てずっぽうに撃ってやんの。無駄だよ、そんなことしたって』


 余裕そうな声が聞こえる方へと弾丸を放つ。もちろん、何かに当たることなく壁に激突した。


 「もうわかった」

 『何が分かったの?はったりを言う大人ってダサいね』


 嘲笑するような声は、ヒロカズの神経を逆なでしようとするものだろう。だが、ヒロカズがその程度で精神を乱すような人間ではない。


 「勝利条件」


 ぽつり。

 静かな廊下に小石でも落ちるかのように放たれた言葉は、やけに少年の耳に残る。


 そして、ヒロカズは廊下を強く強く蹴って推進力を得る。闇に包まれた廊下をわき目も降らずに全力で走る。

 最早やはりというべきか、常人では出すことはかなわぬ速度でヒロカズは廊下を駆けた。


 『!!』


 その行動に、少年は驚きを露わにする。

 いきなり走り出したその奇行故にではない。

 そもそも、奇行とは簡単に言えば、理解しがたい行動をとることである。つまりは、その行動が何を示しているかを理解できれば、奇行は奇行足りえないのだ。


 『ちぃっ!』

 「遅いぞ」


 背後に討伐者が迫る。


 『くそっ!』


 瞬間的に振り向いた少年の眼前にはすでにヒロカズが居た。

 そのまま押し倒され、首元にはナイフが突きつけられる。


 『なんで俺があそこから離れたのが分かったんだよ!』

 「勝利条件を考えれば簡単だった」

 『は?』

 「君は弱くはない」

 『そりゃどうも』


 呆れるように、苛立ったように少年が吐く。それはヒロカズの言葉が皮肉にしか聞こえなかったからだろう。


 「そんな君が、数度の打ち合いや駆け引きで俺との差に気が付かないわけがない。

 だからだ。なぜあそこで手の内を晒してでも戦闘を継続する必要があったのか。それが分からなかった。

だから、考えた。君の勝利条件を。

君は俺との戦闘を避け、そして目的を達成すればそれでよかったんだ。そのために、明らかにした自分のカードすらもブラフにした」

『やっぱあんたバケモンだよ』

「君も見事だ。だが、同時に未熟でもある。

 嘘の純度を百パーセントにしてしまった。それが君の未熟さだ」

 『そうかよ』

 「大人しく・・・」

 『それはまだ早いな!』


 刹那。ヒロカズの背後が爆ぜる。


 『罠ぐらい張るだろ!』


 ナイフを突きつけている腕を押し込み、人ならざる膂力でヒロカズの体を宙に押しのける。

 ただ、宙に押し上げられただけではない。

 宙に浮いた体を体幹を使って整える。そして、そこから正確な射撃を繰り出した。


 『ちっ!!』


 少年は未だ倒れたままの体を無理やりひねって弾丸を回避する。

 対するヒロカズは着地した拍子に煙の中に紛れるように後退した。

 すぐさま立ち上がった少年は自身の体を再び空間に溶かすようにその姿を消した。


 「やはり、厄介な能力だな」


 煙の奥からそう聞こえる。

 ヒロカズが煙の中に紛れたのは理由があった。理由がなければ自分から視界をふさぐ真似などしないだろう。

 ヒロカズがこの煙の中に逃げ込んだのは、揺らぎを視認するためであった。

 なにせ、少年は存在そのものが消えたわけではないのだから。


 煙はただゆらりゆらりと熱を帯びながら揺れている。

 そして、その煙の中にほんのわずかに揺らぎが生まれた。

 普通では視界が遮られていて気が付くことすらままならないレベルの小さな小さな揺らぎ。それが天井付近に現れていた。

 その小さな揺らぎを最強は確かに感じ取っていた。


 「そこだ」


 常人ならざる力を振るい、投擲されたナイフは煙幕を押しのけて進む。

 そして、ナイフは天井に突き刺さるその前に何かによって弾かれた。

 煙によって遮られながらも、ヒロカズの目は確かにそこにローブを着た少年の姿を見つけた。


 『くそがぁ!』


 悪態を吐き捨てながら、少年が地面に着地する。着地した少年の目の前には『最強』が迫る。


 「『朱雀』起動」


 ヒロカズの着るスーツに朱色のラインが幾本も走る。

 その瞬間、ヒロカズの速度がさらに上がった。

 少年以上に速くなったヒロカズがナイフを投擲した右手で突きを放つ。


 『がはっ・・・』


 その拳はたとえ少年が人ならざるものであろうとも、その装甲を打ち破り衝撃を内側へと伝えた。

 パンチをノーガードで受けてしまった少年の体が嘘のように吹き飛ばされる。

 吹き飛ばした少年に追いついたヒロカズが少年の横腹に強烈な蹴りを叩き込む。

 ベクトルを無理やり変えられた少年の体は壁に激突して止まる。盛大に瓦礫を生み出しながら壁に当たった少年は、いまだ意識を保っていた。


 『化け、もの・・・』

 「そうかもな」


 ヒロカズはゆったりと少年の下へと近づく。

 悪あがきに少年がナイフを放つが、無情にもヒロカズにゴミでも落とされるように振り払われる。


 「今度こそ、大人しく捕まってもらうぞ」

 『くっそ・・・』


 悔しそうに、忌々しそうに少年の目がヒロカズを睨む。

 だが、まるでロボットのようにそれすらも気にかけないヒロカズには恐怖すら生まれる。


 「いやぁ、あなた強すぎでしょ~」


 腑抜けそうな声の調子だった。

 あまりに場違いなその声はヒロカズでも、ましてや少年が放った言葉ではない。


 「?!」

 「佐藤レベルじゃないですか?」


 声のした方向に振り向く。そこには、少年同様ローブを羽織った青年が立っていた。


 「あ、そこの子は返してもらいますね~。大事な仲間なので。

 『霞大蛇』」


 刹那、ヒロカズの視界を埋め尽くすほど巨大な大蛇が現れる。

 まるで最初からそこにいたかのように、姿を現した大蛇は、ヒロカズに襲い掛かる。


 「ちっ!『玄武』!」


 瞬時に迎撃の体勢を立てたのは、さすがヒロカズだろう。


 だが、その蛇は刹那の間に存在が掻き消える。


 「それじゃ、僕たちはこの辺で」


 青年はすでにヒロカズの横、少年が激突した壁にまで到達していた。

 そもそも、青年はヒロカズと戦うことを視野にさえ入れていなかった。ただ、一瞬ヒロカズの意識を大蛇に向かせられればそれでよかったのだ。


 「逃がすか!」

 「またの機会に~」


 少年を抱きかかえた青年はそう軽々しく言うとまるで霧に巻かれるように消えていったのだった。


 後には、ただの静寂とヒロカズだけが取り残された。


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