第26話 もう一つの戦い


 「♪♪♪~」


 やけに陽気な鼻歌と、嬉しそうな足音が聞こえる。その二つは、夜の闇を明かるく吹き飛ばすような陽気さだった。

 廊下をスキップするのは、一人の少年。アラヤたちよりも身長は低く、細身な人物だった。

 着ているローブのフードを深くかぶっているため、その顔は拝めない。

 少年が、歩いている廊下。それは、血獣対策局の廊下だ。


 少年の機嫌はとてもいい。それは彼の態度からも察することができるだろう。

 彼がスキップしながら廊下を歩く様子はまるでおもちゃを買ってもらう前の子供のそれだった。年相応の喜び方であるようにも感じられ、微笑ましい。

 ただ、それが対策局の廊下でなければの話だ。

 少年は目的の物を手に入れるためにこの場へと潜入してきた。誰にもバレることがないのは、仲間が外で陽動を行っているからだ。


 「・・・?」


 少年の耳に自分とは違う靴の音が聞こえる。

 その音は自らの存在を知らせるかのようにわざとらしく音を響かせているかのようだった。

 足音は少年の方へと近づいてくる。

 だが、少年に警戒の色はなかった。それは慢心故のことだった。少年は強者である。それは間違いようがないほどに。アラヤ達よりも幼いが、その実力は場合によっては上になるだろう。

 そして、今の状況は彼にとって最高の舞台だった。少年は闇の中での戦いを好む。小柄であり、さらには彼のもつ力が起因していた。

 ゆえに、少年は気が付かない。


 近づいているニンゲンが最強の一角であることを。


 だんだんと大きくなる足音とともに闇の中から月明かりに照らされたその姿が現れる。


 「随分とご機嫌だな」


 何もない廊下に空気が揺れる。

 落ち着いた声は淡々としていた。


 ぴっしりと着こまれたスーツ。ワックスでオールバックに整えられた髪。汚れ一つ無い眼鏡のレンズ。まっすぐに歩く姿。

 すべてに雰囲気があるその男は、血獣対策局、討伐隊総隊長、日野ヒロカズである。


 「誰だって、欲しいものがすぐそこにあるのならワクワクするでしょ?」

 「そうだな。わかるよ」

 「お、わかってくれる?!やっぱりいいよね!胸が高まるその時が僕は大好きなんだ!」

 「そうか」

 「欲しいものが手に入った瞬間の感動は忘れられないね!」

 「ああ」

 「おじさんわかってる!!」


 少年はほとんどひとりでに語る。

 ヒロカズは半分耳を傾けつつ、半分は別のことに思考を割いていた。


 (やはりというべきか、どうやったのかはわからないが、警報機が作動していない。万一壊されたとしても、どこかに連絡くらいは入ったはずだ。だが、それがないということはこいつを侵入させた何かがあるな)


 ヒロカズは何者かが侵入してくることを察知していた。

 だが、すべての本部駐留中の隊員たちは現在、突然現れた血獣に手を焼いている。その応援や指令に隊長達は忙しく、現在は人手が足りていなかった。


 「ここへは一人で来たのか?」

 「うん!僕一人さ!」

 「そうか」

 「まあ、おじさんに情報を渡したところでおじさんは死んじゃうから意味ないけどね」


 余裕と油断を表に出しながらも、少年の思考は目の前にいるヒロカズの分析に当てられていた。

 なにせ、自分の侵入を見抜かれていたのだ。そのような人物を前に警戒をしないほど少年に弱さはない。


 「ところで、おじさんは、僕がここに来ることが分かったの?」

 「もちろんだ」

 「へぇ、なんでわかったの?」


 少年の目が人知れず、ヒロカズを観察し始める。


 「そうだな、強いて言うなら、お前たちのような思考を俺も持っている、といえばいいか」

 「・・・それは、どういう?」

 「しゃべりすぎたな。そろそろ大人しくなってもらおう」


 そう言うと、ヒロカズが眼鏡をはずし、スーツの内ポケットへと仕舞う。

 そうすると、あたりの空気が一気に戦場と化した。

 それを感じ取った少年も臨戦態勢へと入る。


 もう一つの戦場が人知れず幕を開けた。



 ***



 背後から仕掛けられる攻撃。

 壁を走り、天井を蹴り、縦横無尽にかけて瞬時にヒロカズの背後へとまわる。そして、闇に紛れるようにして視認しずらい攻撃をするのはローブを着た少年の方だった。

 鋭く速いがヒロカズに迫る。

 だが、その攻撃を仕掛けてくることがわかっていたと言わんばかりに、ヒロカズがただ首を傾けるだけで躱す。

 ただ、少年の攻撃は終わっていない。

 空を貫いた少年のナイフが今度は真横に振るわれる。もちろん、その刃はヒロカズに向いていた。


 (攻撃の転換が速い。一撃の重さよりも、攻撃の回数や、隙をついた致命傷を負わせることを目的に動いている?)


 そう思考しながら、ヒロカズの体は動く。体を腰からまげてナイフを回避しつつ、つぎの攻撃を組み立てる。

 左足を軸に右足を後方に振り上げると、そのまま高速で回し蹴りを放つ。

 その蹴りはまっすぐに下顎を狙っている。


 「ぐっ・・・」


 腕を盾に蹴りを防いだ少年の腹から、苦い呻きが漏れ出す。

 そして、ヒロカズは次の攻撃へ。ガードをしたことによって無防備にさらされた腹部に強烈な突きを叩き込む。


 「?!」


 驚きを露わにしたのはヒロカズだ。

 普段の表情を表にしないヒロカズには珍しくその顔には表情が張り付けられていた。

 その原因はなんといっても、目の前にいる少年だった。


 (なんだ?この硬さは)


 ヒロカズの神経を伝い、脳が感知したその感触は異常ともいえるものだった。

 硬い。おおよそ、人から感じ得るはずのない硬さであった。ただ、岩石や鋼鉄のように固いのではない。あくまで生物の肌が異常な硬さを誇っているという、なんとも形容しがたい感覚だった。


 「腕、もらうよ!」


 一瞬思考が異常な感触にとらわれ、少年に攻撃に転じさせる隙を生んだ。

 瞬時に逆手に持ち替えられた少年のナイフがヒロカズを襲う。


 「ちっ」


 舌打ちをしながら、ヒロカズの腕が動いた。ナイフの軌道と自分の間に腕を滑り込ませる。


 「はっ?」


 そして、その体が折れたのはナイフの方であった。


 「あまり、手の内をさ晒したくはないのだが、仕方ない」


 地面を強く蹴って、少年が後退する。それを追うことはせず、ヒロカズは悠々と構える。

 互いに睨み合い、張り詰めた空気が流れる。とはいえ、そう感じたのは少年の方のみである。ヒロカズには緊張した空気は感じられず、ただ、自分の優位性のみが感じられていた。


(技術や、スピードはかなり強いな。まあ、俺が普通にやれば勝てるが。

 問題は拳を叩きつけた時の感触だ。妙だった。何か鉄板が入っているような感触じゃない。だが、どこかであの感触に触れたことがある気がするな。というか)


 (このおじさん強すぎない?普通にあそこから反応できるって化け物でしょ。ナニモノ?

 というか、普通に服に仕込みしてたし。というか)


 ((まだなんか隠してるな))


 奇しくも二人の思考は重なる。そのことを知らずに二人が対峙する。


 満ちた緊張を切り裂くかのように投げられたナイフを機に、二人の戦闘が再開される。

 ナイフは無残にもヒロカズの腕によっていとも簡単に叩き落される。


 二人が同時に走り出し、互いの間合いを瞬時に詰める。


 少年がナイフを振るい、ヒロカズは腕を振るう。

 互いに攻撃力は低いものの、速度が異常な攻防が展開される。


 振り下ろされるナイフをスーツで受け止め、隙をさらす体にヒロカズが拳を撃ち込み、それを少年の肉体が受け止める。互いにダメージの蓄積は少ない。

 一進一退の攻防の中、ただ二人が打ち合う。


 このままでは延々と勝負がつかない。

二人がそう感じた時、状況を一転させる一手が打たれた。


「おじさん、この勝負、もらうよ」


ぽつり。まるでつぶやくように放ったその一言が始まりだった。


 少年の纏う雰囲気が一変していく。

 ただの生物、ただの人間が纏えるような雰囲気ではないことをヒロカズは瞬時に察した。


 『おじさんはヒトだから、僕に勝つことはできないよ』


 そこには人ならざる者がいる。

 ヒトの形をしたヒトならざる者は、この瞬間、最も危険な生物と化した。


 二人の戦場がたった今、一人と一匹の戦いへと変化した。



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