特別になれないならいらないのに

素直さなんてとっくに捨ててきた

 金曜日だというのに、すぐに捕まる男がいなかった。どいつもこいつもみ~んな未読スルー。どうでも良い時にどうでも良い連絡は寄越す癖に、こういう時に限って既読すら付けやがらない。


 恨みを込めてメッセージを早打ちしていたら、いつの間にか親指のネイルが少し剥げている。最悪……。会社のトイレで直してくれば良かった。いや、トイレでネイルなんか直していたら、何を言われるかわかったもんじゃないな。特に今日は。


 やらかした新人の女の子の隣の席だから、というわけのわからない理由で私のせいになったあの発注ミス、午前中からずっとぐちぐち嫌みを言われながらもちゃんと定時までに片づけたけど、たぶん向こう3日間くらいお局の機嫌は悪いだろう。こんなことなら、あのおばさんにもしっかり媚び売っておくんだった。いい加減自分の陰口を聞くのにも飽きたし。


 はあ、とため息をつくと、カラ、と音を立てて目の前のグラスが持ち上がった。男のくせに、オレンジ色のジュースみたいなお酒飲んじゃって。こういうところがかわいいってモテるのだろうか。一向に鳴らないスマホを机に置いて、グラスから落ちる水滴を眺めていたら、ぼんやりと浮かぶ月のような大きな目と、目が合った。


「営業メール終わった?」


「誰がキャバ嬢だよ」


「キャバ嬢ってよりはホステスかな」


 それって何が違うんだ?と考えているうちに、リョウは呼び出しボタンを押して、梅酒ロックを注文した。私も慌ててそこに生ビールとたこわさを追加する。慣れた居酒屋なので、メニューを見なくても大体頭に入ってしまっているのだ。


「今日、誰も捕まらなかったの?」


「俺から連絡することなんてないよ」


「うわ、相変わらずのモテ男」


 肯定も否定もせず、目の前のモテ男はひたすらに枝豆を食べている。180cm以上ある大男が体を縮こまらせてちまちまと殻をむいている様子は、なんだか少しおかしいけど、愛らしくもある。


はなこそ、誰も捕まらなかったんだ」


「そうだよ~金曜日なのにさ」


「金曜日って性欲強くなる日?」


「そういうわけじゃないけど……」


 次の日気にしなくて良いじゃん、とは言わないでおいた。おそらくこの男は、次の日を気にする、とかいう思考を持ち合わせていない。やりたい時にしたいことをする。それがこの男の生き方だ。あと単純にちょっと抜けている。そこもかわいいんだろうなあ、知らないけど。


「前回会ったのいつだっけ」


「えー……2週間前とか?ほら、いい感じとかで営業の、カジ?みたいな名前の人の話してた」


「ああ……仮谷かりや君ね」


「カリヤ君は花のお眼鏡にかないませんでしたか」


「性格はまあ好きだったんだけどね……エッチがちょっと……」


「ヘタ?」


「……変態系というか」


「ふぅん」


 失礼します、と引き戸が開き、生ビールとたこわさが運ばれてきた。料理が置かれ、店員が去っても、リョウは話し出さない。いつも思うけど、変態系ってどんな?とか、1回目のエッチからその変態性を出してきたの?とか、根掘り葉掘り聞きなさいよ!話しがいのない男だわホントに。


 リョウとは、大学の頃のサークルが一緒で仲良くなって、社会人になった今でもこうしてたまに飲みに来ている。お互い特定の恋人を作らないという主義も知っているし、話しにくいことでもなんでも話してきた仲だ。それこそお互いの歴代のセフレも全員知っているし、なんなら一度だけ、そういう関係になったこともある。卒業する前のたった一度だったけれど。


 あの頃からリョウは驚くほどモテていて、いつも女の子に囲まれていたっけ。あんたリョウくんのなんなのよ、の視線が痛かった。


 特定の恋人を作らないと知って去っていく女の子もいれば、いつまで経っても体の関係だけのリョウにしびれを切らして、なんというか……まあ、ストーカーのような、ちょっと厄介なことになった子もいた。本人は気が付いてないのがまた質が悪い。


 ちょっと変わった男だけど、社会人になってもだらだらとその場の快楽だけを求めて日々を生きる私にとって、なんだかんだ言ってもリョウは数少ない友人だ。今日みたいに手持ちの男が誰も捕まらない日は、こうして呼び出して朝まで付き合ってもらっている。モテる割によく捕まるし、私は女友達が壊滅的に少ないので、正直だいぶ助かっているんだよね。


「花は今何人くらいなの」


「ん?」


「セフレ」


 いつの間にか梅酒を飲み終えていたリョウが、たこわさをつついていた。色白の肌がほんのりピンクに染まって、なんだか少し色っぽい。


「今は……2人くらいかな」


「へえ」


「聞いておいて何なの」


 自分から聞いたくせに、つまらなさそうにメニュー表を見始める。何だか知らないが、さっきからなんとなく不機嫌な気もするけど、なにせこの男、普段から無表情なので感情がわかりにくい。


 しかし、2人とは言ったものの、正直ここ最近連絡がつきにくく、セフレとは自然消滅のような形になっていて、ストックの男もいなかった。歯切れの悪い答え方に、リョウは気付いてしまっただろうか。


 そういえば、リョウのセフレって今どれくらいいるんだろう。いつも私の話ばっかりで、自分の話なんてめったにしない。いつも24時をまわると、私の愚痴にぼんやり眠そうに頷くだけだし。


 よし、今日はリョウの話聞いちゃおっかな、と口を開きかけた時、また大きな月と目が合う。無表情といえば同じなのだが、なんだかいつもと違う、何かを言いたげに揺れる黒い瞳に、瞬きの間に吸い込まれるような感覚がした。


「花ってさ」


「なに」


「男どうやって選んでるの」


「なに、急に」


「誰でも良い訳じゃないでしょ」


「まあ……」


「教えて」


 ふぅ、と小さく息を吐いて、じっとこちらを見つめてくる。大手の営業にしては長い前髪が目にかかりそうな位置で切りそろえられていて、それが年齢の割に幼く見える顔の一要因なのだ、と唐突に理解した。シャワーの後、髪を後ろに撫でつけていた時はもっと、大人びて見えていたことを思い出してしまう。


 いつもと違う雰囲気になんとなくうまくはぐらかせずに、天井の木枠に目を移す。


「顔と、あとは年上……かな」


「年上?」


「あと腐れない感じで別れられるから」


 実際、自分より少し年上の30代後半や40代前半の男のほうが、遊びやすかった。別に奥さんがいようがいまいが私には関係なかったし、そういう人は割り切った関係でいられてむしろ楽だった。年下や同年代と関係を持つこともないことはないけど、本気になられると後が面倒で、恋人のいらない私にとっては避けたいところではある。


 こんなこと、学生の頃から一度だって聞かれたことはなかった。どうして急にそんなことを聞くのだろう、となんとなく恥ずかしくなって隣にあったメニューを開くと、リョウが店員を呼び止めて生1つと梅酒ロックを注文した。顔を隠すように立てていたメニューを奪われ、またさっきと同じ状況になる。


「どうやって誘うの」


「はあ?」


「さすがに、ホテル行きましょ、じゃないでしょ」


 ケンカ売ってんの?と声を上げそうになったところで、お酒が運ばれてきた。机に上げて握ったままの両手を膝におろすと、リョウの視線もそちらへ動く。机の下で見えないはずの両手をじろりと見られているようで、手の置き場がなくなって太ももの内側に挟んだ。やっぱり今日は少し様子が変だ。


 私がどうやって男を誘うかなんて、どうして今更聞いてきたのだろう。意図がわからない。


 でも、どういうキスをしただとか、どこが気持ちいいとか、そんな友達以上のことばかり話してきたのに、こんな初歩の部分はお互い知らないんだ。弱くないはずのお酒が一気に全身に回って、頭がくらりと揺れているような気がする。


 目の前では、リョウが梅酒をちびちびと飲んでいる。あーなんか腹立ってきた。ホテル行きましょう、なんて、誘う訳ないでしょ。自分の性欲を満たすためにその辺の女よりかわいくしてる自信あるし、数えきれないくらいの男と寝てるのに。私のこと舐めてんのか?


 職場のイライラと相まって、もうどうでも良くなってきた。どうして今日はこんなことばかりなのだ。机を両手でバンッ!と叩くと、暑くなって少し汗ばんだ肌を見せつけるように、右手で左の髪を耳にかけた。挑発するように、さっきより少し赤い顔のリョウと目をあわせる。


「私、リョウのこと好きなんだよね」


 いつもより少し遅めの口調で口にすると、大きな月がまた少しだけ揺らいだ気がした。ムカついているはずなのに、私も相当酔いが回っているのか、その反応に少し胸が疼くのがわかる。


「いつも私の話聞いてくれて、ホント感謝してる」


 リョウは何も言わずこちらを見つめている。その瞳に、いつものお決まりの言葉を投げ捨てた。


「私友達いないし、リョウだけなの」


 ねえ、2人きりでお話したいな。にこりと笑顔を添えて。


「こんな感じ。ご満足頂けた?」


 ふん、なにやらせてんだか。なんの反応もないし。空になったジョッキをドン、と音を立てて置くと、何も置かれていない陶器の箸置きがチン、と鳴った。どうせ私は箸置きを使うようなお上品な女じゃないですよ。だからといって、好きな男に素直に告白できるようなかわいい女でもなかった。好きなんて言葉、使いすぎてもう味がしないんだから。ちょっと飲みすぎたかな。目の前にあるはずのおしぼりが滲む。


「ごめん」


 悔しくて鼻をすすると、大きな手が目の前から滲む視界に入りこむ。ゆらゆら揺れる肌色が、視界から消えて私の右腕に温度を移した。


「ごめん」


「なにが」


「泣かせた」


「そうやって、女誘ってんの」


「違う。ごめん」


「うそつき」


 こんなかわいい女みたいなセリフ、言いたくなかったのに。特にリョウには。どうしてこう、上手くいかないのかな。先週会った名前も忘れた男には、いくらでも言えるのに。


 袖を引っ張って目をこすり、珍しく下がったリョウの眉を見たら、どこにでもいる量産型の、替えのきく女になんかなりたくなかった、そんな風に思っていた時のことを思い出す。随分昔に忘れていたはずなのに、どうして今になって出てきてしまうのか。今日会ったのが間違いだったのかもしれない。


「俺、花のこと好きなんだよね」


「……なに、モノマネ?」


 ふふ、と無理やり笑ってみたけど、全然面白くない。こんなこと、私はいつも口にしていたのか。まるで凶器だ。痛くてとても触れない。


 ぐっとカーディガンの胸のあたりを握ると、その手を両手で包まれた。顔を上げると、リョウが机の向こう側から身を乗り出している。不安そうに月が揺れて、前髪の隙間から、私の目を見据えていた。


「好きなんだ。花のこと」


 息が止まる。2回目は、とどめになるのだろうか。こんなに殺傷性が高いなら、私も乱用せず大事にとっておけば良かった。


「いいよ、お返しに実践してくれなくて」


「俺、自分から誘ったことないってば」


「誘われれば誰とでもするのに」


「もうしない」


「うそ」


「うそじゃない」


「リョウのセフレなんて嫌」


「俺も、花のセフレは嫌だ」


 ああ、これが学生の頃なら。リョウと会ったばかりの、あの頃の会話なら良かった。まだ男を知らないきれいな私なら、リョウも私のことを本当に好きになってくれていたら。今の私じゃ、リョウの全てを知っている私では、素直に信じられない。信じたいけど、男の人の言葉なんてどう信じて良いのかわからなくなった。強がること以外のやり方を知らない口が、余計なことを吐き出す。


「セックス、しないと生きていけないの私」


 呻くように吐き出してから、自分の言葉に気持ち悪さがこみ上げる。これではかまってちゃんだ。本当なら反対のことを言うべきだった。リョウがあんなことを言うから、頭が学生の頃に戻ったのだろうか。カーディガンの上の手は、変わらないまま。


「付き合ったらしないの?」


「……え?」


 さっきより開かれた瞳が、不思議そうに私の顔を見ている。一瞬手が離れたと思うと、体ごとこちらへ回り込んで私の体と自分の体が向き合うように動かされた。


「満足してくれるまで、尽くすよ」


 だめだ。ずぶずぶとハマっていくような感覚がする。これではたくさんいる女たちと同じになってしまう。


 それでも、目をそらせない。


「好きだ」


 3回目のそれは、もう治りそうもないくらい深く私に突き刺さった。なんとか見据えた目の前には、嘘みたいに愛おしそうに、月が細く弧を描いていた。











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