第45話 鳶色の瞳

『ティーパーティー』というかわいらしい名前がわたしには重い。

 同世代の女の子の友だちと言えば、アンしかいないんだけどアンは侍女だからこの際、頭数にならない。そうなるとまた、パーティーでひとりぼっち、となる可能性が高い。


 この前のパーティーは大人のものだったので、ひとりぼっちでも仕方ないと思ったけれど、今回は同世代のパーティーだと聞いているので······。

 上手くやれるか、まったく自信がない。どうしたら他の令嬢たちの中に入れるのか、不安で仕方ない。


 キャロルには、若い人たちのパーティーにも序列があること、それからはじめは聞き役になること、笑顔を絶やさずマナーに気をつけること、と三つのポイントを教えてもらった。

 聞き役でいるのはできると思う。大人しいとよく言われるし。

 笑顔とマナー。これを守らなければ。


 それで新しい女の子のお友だちを作ってデビュタントに招待できたら······なんて、夢みたいなことを思っているうちに馬車は領地を出て、パーティー会場のある公爵夫人のための邸に着いた。

 ここが例の赤薔薇の、だ。

 まだ咲いてるのかな、とぼんやり思う。


 ◇


「ねぇ、時間まで一緒に街に出ない?」

 ロシナンテは「無理ですよ」と首を縦には振らなかった。


「ウェーザーほどではないにしても、公爵領でも半獣はあまり歓迎されませんから。でなければパーティー会場でお嬢様をおひとりにしたりしなかったですよ」


 なにも言い返す言葉はない。


 公爵領では半獣でも知恵のあるもの、力のあるものと取り立てられることはあるものの、パーティーなど公の場で出られることはない。

 ロシナンテなどはパーティーの間、言わば半獣専用の部屋で主人の帰りを待つ。

 それを考えると、オースティンはおおらかだなと思う。自分の領地に良いところが見つかるのはうれしい。


 ◇


 街に出るならアンとはぐれないように、という約束で、わたしも町娘の服を着てカゴを持って遊びに出る。

 城にばかりいるわたしにはなにもかもが新しく見えて、珍しいもので溢れている。


 城で食べるクッキーと、街で買って食べるクッキーはなにかが違って同じようで味が違う。城のパティシエの腕は確かなんだから、楽しさが調味料なのかな、と思う。自然、足取りも軽くなる。

「お嬢様、あれ!」とアンがわたしの袖を引いて歩く。「ちょっと待って」と言いながら、わたしも貴族でなければなぁなんて、甘い夢を見る。


「見たこともないブロンドだ」

 手作りアクセサリーを売っている露店でアンとお互いになにか買おうと見ていた時、後ろから声をかけられた。

「こんなブロンドの巻き毛は見たことがないなぁ」

 聞き覚えのあるセリフに振り向くと⋯⋯この人はどうして。


「お離し下さい、で⋯⋯」


 そっと唇に人差し指が触れる。一瞬で頬が染まる。まるで秋なのに、一気に春になったような心地になる。


「ここではそれは禁句なんだよ。ほら」


 指を差されて殿下の瞳を見ると、瞳は赤ではなく鳶色だった。輝くほどの金髪も帽子の下に隠されている。


「どうしてここへ?」

「ニィナこそ。僕は父上に呼び出されない限り、ほとんどこっちで過ごしてるから。想像通り、母方の、ね。そうそう、僕はここでは『レイ』って呼ばれてるんだ。覚えておいて」

「瞳の色は?」

「ああ、これ。不思議でしょう? でも、皇宮にはわずかだけどまだ魔法を使う者がいるんだよ」


 魔法⋯⋯。

 それは多分、ロシナンテをロバにしてしまったものと同じ類のものに違いない。

 わたしはその魔法についてもっと知りたいと強く思ったので、つい殿下の瞳を、遠慮なくじっと見つめてしまった。


「そんなにこの眼が珍しいの?」


 殿下は隠そうともせずに、わたしの顔を見て、至近距離で笑った。

 その姿は街の人たちにすっかり溶け込んで、殿下をいつも以上に自由に見せた。

 そうか、こういうふうに育ったから、ほかの貴族たちとはちょっと、どこか違うんだ。


 そしてその、ちょっとした違いがわたしを魅了する――。

 手の届かない人なのに、逢う度にこんなに気さくだなんて。狡い。


「お嬢様⋯⋯」とアンが後ろからボソボソ小声で話しかけてきた。そうだ、すっかり突然のことで忘れてた。そういうところが子供っぽい。もっと、余裕を持たないと。

 でも殿下の前ではとても普通じゃいられない。予測不能なことばかりだから。


「あの⋯⋯レイ」

「なに?」


 殿下がうれしそうにわたしの目をのぞきこんだ。引いてしまいそうになる。いつも、距離が近い。


「この前は、あの」

「ほら、僕たち『フランクの会』でしょう?」

「ああ、そう。それで、この前贈ってくれたネックレスのお礼を言いたくて。⋯⋯本当にありがとう。当日、必ずつけるから」

「気に入ってくれた? 急いで作らせたんだけど、ニィナのドレスは機密事項らしくてドレスに合うか、すごく心配で」

「⋯⋯ぴったりでビックリしたの」


 言ったそばからドキドキして、これで良かったのかなと不安になる。もっとなにか⋯⋯素材や細工を褒めるとか、殿下のセンスを褒めるとか、そういうの。


 恥ずかしくて顔が上げられない。

 いつも会うのが夜のせいか、それとも慣れない鳶色の瞳のせいか、その眼を真っ直ぐ見られない。

 ううん、いつだってそんなことはできなかったかもしれない。


 殿下はわたしの手を取った。そして、普通の友人同士がするように手をぎゅっと握った。


「抱きしめたくなっちゃったよ。⋯⋯僕はここでは『レイ』だからそうしてもいいんだけど、君はそういう訳にはいかないよね。明日のパーティーの話題の中心になっちゃうよね」


 なってもいいかも⋯⋯ってぼんやり思う。予想よりずっと広くて居心地のいい腕の中で、心臓の鼓動が重なるのを確かめたい⋯⋯なんて、そんなのわたしが思っていいことじゃないのに。

『殿下』が『レイ』になっても、どっちもわたしのものにはならないんだなぁ。


 はぁっと、無意識にため息が出てしまう。

 改めて、遠い人なんだなぁ。

 せめてお父様が、オースティンがもっと皇家に近ければ違ったかも、なんて馬鹿なことを考えて。

 そんなの不敬だし、気持ちが行ったり来たりする。


「ねぇ、せめて今日は楽しく歩こう。せっかくここで会ったんだし。あんまりお金は持ってないけどね」


 わたしだけじゃなく、アンもくすくす笑った。

 殿下はアンに名前を訊ねた。アンは名乗るなんて畏れ多いと言ったけど、殿下は「今日はフランクに」とヒューズ様のようなことを言った。

『政略結婚』がきっかけだけど、人の和が広がってる。


「おいで」


 レイはわたしの手を、わたしは彼の背中を追いかける。現実通り。

 彼はわたしたちを普段見たことのない、変わった食べ物や道端で行われてる寸劇、庶民が入る食堂を次々と案内してくれた。


 なにもかもが珍しくて、ピカピカに輝いて見えた。


「そろそろ時間、かな。勝手な感想だけど、この格好の時に君に逢えてよかったよ。君と僕の間にある見えないなにかがなくなるよう、僕は努力する。だからすぐに結婚相手を選ばないで――」

「⋯⋯信じちゃいますよ」

「信じてもらえなかったらさ、君にこんなことをする資格はないよ」


 人前なのに。

「あ」と思った瞬間、彼はわたしの耳元にキスをしてた。アンは真っ赤になっていた。


「ごめん、これで噂になったら責任とらなくちゃね」


 じゃあね、と彼は帽子を振って走っていった。

 鳶色の瞳が去っていく。

 ああ、このまま彼が『レイ』でいてくれたらいいのに⋯⋯。

 いつも殿下に振り回されてるけど、この気持ちを『恋』だって今も思ってていいのかしら?


 途切れないんじゃないかと思うほど、長いため息をついてアンは口を開いた。


「素敵な方ですね、殿下って。わたしのような者にも気を使ってくださるし、気さくで、それでいてお嬢様をしっかり守ってくださって」

「守る?」

「ええ、あの寸劇を見てた時にガラの悪い男の二人組が現れて、後ろからお嬢様を見てたんですよ。わたし、声を上げそうになったんですけど、その前に殿下がお嬢様の後ろに背中を守るようにそっと回られて。小説みたいでした。まだ少年のようなところのある方なのに」


 見つめてもその背中はもう見えなかった。

 ついさっきまで感激していたアンは、いつも通りのアンに戻って「さぁ、馬車に乗りましょう」と言った。





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落ちぶれ伯爵令嬢は政略結婚より政治を学んでロマンスを選ぶ 月波結 @musubi-me

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