第44話 菫とピンクの薔薇
デビュタントに向けての準備に追われる。
食器が決まったからと言って、全部が終わったわけじゃないから。 お料理や、会場の飾りつけ、それから楽団、大変なのは招待状のリスト作りと手紙だった。
なにからなにまでひとりで決めなければいけないわけじゃないのだけど、目を通していないとどこかで不正が働くかもしれない。
リゲルや、ほかの信用のおける人にも手伝ってもらって、予算内での出費に抑える努力をする。
それをしないと、ヒューズ様にもガーラント様にも顔が立たない。
とにかく招待状を書く。
リストの上の方から順番に。
何回サインしたかわからない。
礼儀の上から、殿下にも招待状を書いた。
ほかの方と同じ文面のものを書くのに、なぜか個人的な手紙を書いているような気持ちになってふわふわしてくる。
殿下は約束を守ってワルツを踊ってくれるかしら?
◇
ホーネット公爵夫人のパーティーが近づいてきて、想像以上に緊張してきた。
なにしろわたしは今まで領地にこもっていたし、お母様主催のパーティーには「まだ若いから」という理由で出席させてもらわなかったし、自分もそれでいいと思っていた。
同世代の女の子たちには興味があったけれど、ロシナンテがいつもそばにいてくれて話し相手にもなってくれていたのでそれ以上望むのはやめた。
お母様はわたしを華々しくデビューさせるために、深窓の令嬢でいさせたいと思ったようだ。
でも今回はなぜかすんなり「いっていらっしゃい」とお返事をいただき、なんだか拍子抜けで。
そこにどんな意味があるのか、考えてもよくわからなかった。
◇
「うわぁー! お嬢様、とてもキレイです!」
「⋯⋯そうかな?」
「そうですとも! お嬢様に敵う方はいらっしゃいませんよ。アンが保証します」
キャロルはソファにゆったり腰をかけてわたしを遠目に見ていた。
仮縫いができあがってきたドレスの試着だ。
ドレスは真珠色で袖が短く、白いロンググローブをつける。手袋はデビュタントの決まり。
「お嬢様の肌は陶器のように白いですから、真珠色でも濃いくらいですわね」
ローズ夫人は、ふふふ、と微笑んだ。
彼女はキャロルの幼なじみでなんでも相談できる仲だという。だから多少の無理も聞いてくれるし、キャロルも彼女の仕事に惜しみない援助をしているらしい。要は信用なのだと言う。
「食器の件も承りましたよ。カップとスプーンに菫の意匠を入れようと思いますの。スプーンには持ち手のところに菫の絵付をした陶磁器を嵌め込んで、全体的には金色のスプーンになります。その他はやりすぎになるといけませんから、シンプルなものにいたしましょう。大皿などにはこちらの家紋をお入れしようかと」
「まぁ! そんなにしていただくわけにはいきません。こんなに急に頼んだのに」
「キャロルはお嬢様を娘が孫のようにかわいがってますわ。キャロルには男の子しかいませんから、きっと自分の娘のデビュタントを見るような気持ちなんでしょう。それから――」
ローズ夫人はもう、おかしくてたまらない、といった様子で思い切り笑った。途中から笑いが咳き込みに変わって、心配になるほどだった。
「あの伯爵様が私のような平民に、わざわざ頭を下げてお願いしてくるんですもの! いつもは服を仕立てても、気に入ったんだかそうじゃないのかまったくわからないし、興味もございませんのよ? なのに、お嬢様のこととなると」
夫人はくつくつとお腹を抱えて笑い続けた。目尻には涙が浮かんでいる。
キャロルはそれを見て、ため息をひとつついた。
「なんでしょうね? 初恋でもあるまいし。十も年の離れたお嬢様にすっかり心奪われてしまって。確かにお嬢様は外見はもちろん、大変努力家で勤勉でいらっしゃいますから、惹かれるのは無理もないと思いますが。
早くご結婚なさればいいとは思っておりましたけれど、こんなに入れ込むとは。⋯⋯こほん、あまり適切な言葉ではありませんでしたね」
形の決まった真珠色のドレスの仮縫いを脱いで、気楽なものに着替える。緊張がふっと切れる。
あんなに素敵なドレスに似合う、わたしになりたいと思う。
「これから装飾をつけますから。今考えているのは、スカートの裾に花の刺繍を施そうかと思ってますの。菫ならなおよろしいでしょう? それから襟元にも下品にならない程度に宝石をつけましょうね。あえてシルクの張りのあるドレスにして、身頃はシンプルに、スカートは可憐にいたしましょう」
笑いの止まったローズ夫人は人の良さそうな笑顔で、銀色の仮止めの細いピンを手に持って微笑んだ。ここへ来て、自分は恵まれているという気持ちを感じる。
コンコンコン、といつものノックが鳴って、ロシナンテが現れた。すっかり着替えた後だったので、そのまま部屋に入ってもらった。
ロシナンテは――ピンクの薔薇を抱えていた。
「お嬢様、皇室よりこちらが届きました」
薔薇は言わば付属品で、Rの封蝋の手紙と青いビロードの箱が届いた。
みんなの目が集中していたので、ビロードの箱を開ける。更に目線が集中する。
「まぁ! ドレスにぴったり! ⋯⋯なんだか悔しいですわね。私の作ったドレスですのに、それを上回る目利きですわ。まさかほかの者に選ばせるわけにもいかないでしょうから、趣味がよろしいんですのね」
「ローズもそんなことで張り合わなくても。これはピンクダイヤですね。なかなか見られない宝石です。しかも、可憐な仕上がりで確かに小憎らしいですわ。
しかもわざわざピンクを避けてきた私たちにこんなに堂々と胸元につけろとは。殿下からのいただきものですから、つけないわけにいきませんものね」
それは見事なネックレスで、ピンクダイヤをメインに、地金の金に細かいダイヤが雪のようにキラキラ輝いて全体を飾っていた。
ドレスがシンプルな分、相当目立つに違いない。
「やられましたわ。どうしてプラチナじゃなく、わざわざ金を選んだことがバレたのかしら?」
「殿下の密偵がこの城にはいるみたいですね」
ふたりは余裕の笑みで、まるで面白いサプライズだというように、貴人からのプレゼントを楽しんでいた。
そして「つけて見せてくださいよ」とふたりに背中を押され、鏡の前に座った。ネックレスは手に取ると、ずっしり重かった。それはなにか別の重みがかかっているようだった。
まぁ、と同じタイミングでふたりはため息をもらした。鏡の向こうの新名も同時に。
そのネックレスは金なのに丁寧で繊細な作りになっていて、つけてもいやらしさを感じさせなかった。
お揃いの髪飾りとイヤリングも箱には入っていた。
わたしのことを思いやってくださるそのお気持ちのうれしさと、叶わぬ恋に違いないのに、という悲しさが同時に頭をよぎる。
いつか皇帝となるあの方の隣にいられるほど、わたしは上等なレディじゃない⋯⋯。
殿下のことを思うと、すっかり自信がなくなった。
「まぁまぁ、そんなに重く考えないことですよ。皇室とオースティンの繋がりが少し強くなるくらいに思えばいいんです。⋯⋯恋と政治は別ですよ。わたしだって自分がまさか男爵夫人になるなんて思っておりませんでしたし。思えば若かったんですわ」
確かにキャロルは平民から男爵夫人になったわけだから、その道行きは平らなものではなかったに違いない。
わたしの道行きは⋯⋯想像もつかない。自分の未来なのに、なんの設計図もないなんて。
「殿方たちにはハラハラしていただきましょうよ」と、キャロルはウインクして見せた。
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