第43話 プチ・フルール

 マリアンヌは例の件で出入り禁止になった。お母様は「騙された」とカンカンに怒っていて誰にもどうしようもない。


 でも本当はお母様はドレスの値段なんて確認したこともないんだ。まして予算も組んだことがない。

 マリアンヌに勧められるまま、気の向くままにドレスを何着も何着も作って、衣装部屋はいつも小物からドレスまででパンパンだ。

 ⋯⋯ドレスに罪はない。綺麗なことに変わりはない。


 ◇


 そんなお母様は最近、キャロルに教わったお店でドレスを仕立てることにした。

 キャロル御用達のお店は皇都にあるけれど、ライオネスに支店を持っていた。


『ローズ服飾品店』という素朴な名前のその店はいま、皇都のレディたちを騒がしている。今までにない、クラシカルな決まりに外れることのない、それでいて目の付け所が違う斬新なデザイン。

 お母様はひと目でデザインを気に入り、ぜひ店を紹介してほしいとキャロルに頼んだ。


 プライドの高いお母様はその時、平民上がりのキャロルに「ベリー男爵夫人」と声をかけたので、わたしはぽかんとしてしまった。


「夫人がいらしてからニィナはパーティーのことに関心を持つようになりまして、わたしにいろんなことを相談してくれますの。今まではドレス一着仕立てるにも自分の意見の言えない子でしたのに、夫人がいらしてから勉強したんですね。

 今まで教師を何人つけても興味を持つことがなかった社交界に最近目がいくようになったのは、夫人のお陰ですわ。お陰で私も楽しくて」


 ほほ、とお母様は普段見ない母親の顔をして、紅茶のカップを片手に笑った。


「そうですか? お嬢様は大変趣味がよろしいように思いますが。奥様の趣味の良さを隣で見ていたからでは?」


 その言葉に、お母様はなお一層うれしそうな顔をして、カップを目の高さに持ち上げた。


「このティーセット、とても趣味がよいと思います。私は評判のいい店のものを使えば間違いないと思っていたんですが、愛らしいピンクの薔薇のワンポイントにゴールドのライン。とてもいいわ。若い子だからこそ、見栄に左右されずに選べるのね」


「奥様、こちらはローズ服飾品店で扱っているプチ・フルールというシリーズです。皇都でも流行り始めていると聞いておりますわ」

「まぁ、そうなの! 私、流行に遅れていたわね」

「最もプチ・フルールはブルーレースに比べると価格が非常に安価なのです。ですからお値段で言えばブルーレースの方がやはり上ですわ」


 キャロルはなにを考えているのか、にこにこしてカップを見ているお母様の姿を見ていた。そのにこにこが怖い。

 しかも今の発言も、ちょっと嫌味が⋯⋯。


「⋯⋯私も少女の頃はこういう絵付けのカップが欲しかったのよ。可憐で上品な。それでニィナ、なんのお話?」

「あ、お母様ももしかしたらお気づきかもしれませんが、わたし、ここの製品をパーティーで使いたいなと思ったんです。

 夫人は実は『ローズ服飾品店』のオーナーのローズさんとは古い付き合いだそうで、わたしの希望のティーセットを用意していただけることになって」


 さっきまでの笑顔はどこに消えたのか、お母様の顔は一瞬にして曇った。

 ほら、やっぱりそんなに簡単にお母様の趣味、つまり主義を変えることなんてできないのよ。

 お母様にとってパーティーはお母様のもので、わたしのデビュタントは口実ですもの。


「それは、どんなものなの?」


 キャロルはわたしの方を見て、「大丈夫ですよ」と言うように一度、深く頷いた。

 そして彼女の隣にあった小さな箱を持ち上げると、お母様にそっと渡した。

 お母様は疑い深い目でその箱を見て、それから中を確かめた。そこには――。


「まぁ、かわいらしい! 菫の花の絵付けなのね。さっきのカップに似てるけれど」

「花の部分だけ、特別に変えさせてもらったんですの、奥様。薔薇のカップに多少お値段を上乗せして、オリジナルにしてもらったんです。ローズも企画を話したらノリノリで。お嬢様にお似合いでしょう? もしOKをいただけたら、急いで数を作らせるそうですがいかがですか?」


 お母様はもう一度カップを手に取り、取っ手の持ちやすさ、それからカップとしての品質を見ていた。軽く指で弾き、ソーサーに戻した。

 そして顔を上げるとキャロルに友人に話すように声をかけた。


「日にちまでに間に合うかしら?」

「ええ、なにしろ特別にお願いしてありますし」

「ブルーレースじゃなくても格が落ちないかしら?」

「流行は移り変わるものですし、それにブルーレースはお嬢様には失礼ながら少し背伸びしすぎかと。プチ・フルールはまだあまり知られておりませんが、我が主も投資しておりますのよ。ですから⋯⋯少しお値引させていただけます」


 お母様は頬に手を当てて、本当に迷っているようだった。こんなふうに他人の目を気にして、他人の意見に左右されているからいるものといらないものがわからなくなるのかもしれない。

 でも今は、決断のつかないお母様が気の弱いかわいそうな方に見えた。


「お母様、わたし、ローズ夫人の作るドレスもとても気に入ってるの。もちろん伯爵家の格を示すためにはブルーレースのように名の通ったものの方がいいのかもしれないけど、でもオリジナルのものも素敵じゃない? なかなかできないもの」

「そうなの? ニィナはローズ夫人のドレスも気に入っているの?」


「ええ、だって夫人はわたしの意見をよく聞いてくださるし、それから次の提案をしてくださるでしょう? わたしにドレスを作るのは無理だけど、頭の中に理想のドレスはあるから、それを実物に仕立ててもらえるなんて夢みたいだと思ってるの」


「そうなの⋯⋯。あなたはあまり自分の意見を言わない子だと思っていたけれど、そのあなたに意見を言わせるなんて、ローズ夫人は素晴らしい人ね。私も彼女の作る洗練された派手すぎないデザインのドレスを気に入ってるわ。

 いいわ、このカップにしましょう。ねぇ、ベリー夫人、ほかの食器も絵付けは間に合わないとしてもこちらのシリーズで数を合わせられないかしら? 物が良いからシンプルなプレートでもいいんじゃない? ゴールドのラインが入ってたりすると素敵だけど」


 キャロルは待ってましたというように、ソファの横に置いてあった食器一式を、ひとつひとつ説明しながらお母様に見せた。ゆっくり、にこやかな口調で。


「奥様がお気に入りのご様子なら、一式、伯爵がお贈りいたしますと」

「まぁ!」

「どうでしょう、ブルーレースよりずっとお安くつくところか、こちらにかかる費用はありません。ローズもこれで名が売れるなら、多少無理してでも良品を用意してくれると申してますわ」


 キャロルの眼鏡の縁が、キラッと一瞬光った気がした。この商談はこれで成立。お母様は押しに弱いし、こんな好条件をみすみす見逃すほど話のわからない人ではない。


 ◇


「ふぅ、肩が凝りましたね」


 ティータイムという名の商談が終わると、キャロルは自分の肩をとんとんと叩いた。

 その様子にわたしはくすっと笑ってしまった。


「ほとんど口をつけてないでしょう? お菓子の残りを部屋に運んでもらったからゆっくりしましょう」

「あら、うれしいです! 私、イチゴのミニタルトをずっと見ていたんですけど、バレていたかしら?」


 わたしたちはその言葉でくすくす笑いながら部屋に向かった。キャロルはお母様より少し年上の分、落ち着いて理性的で、とても信用できる人になった。

 さすがヒューズ様の人選だ。


「もしも薔薇の絵付けが良いと仰ったらどうしようかしらと」

「どうして?」

「⋯⋯実はあれもまだ売り出してない製品なのです。サンプルというやつで。薔薇を選ばれてもよろしかったんですが、薔薇だとゼロからの生産なので時間がかかってしまって。――それに、ピンクの薔薇は皇室を思わせますわ。あまりよろしくありませんわね」


 確かにそうだ。

 カップひとつで人の噂に上る。

 わたしと殿下のことを知っている人は少ないけれど、だからこそ匂わせるようなことは避けなければならない。

 ⋯⋯わたしが殿下の妃候補でもないのにそう思わせる品を使えば、不敬でもある。


 あの、瑞々しいピンクの薔薇は皇室にしかないことを貴族ならみんな知っている。つまり、そういうことだ。

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