ごにん目 由莉
北嶋の話ですか? 彼、離婚届にサインしてくれないから困ってるんですよ。ええ、もう別れたくて。
別れたいっていうか──あなた、北嶋の知り合いですか? 後輩? じゃあ私と同学年? あ、除籍されたんですか……そう……私の周りにはあまりいないタイプですね、大学除籍……この話を誰から?
学生時代。恋人同士として交際してるあいだはまだ良かったんですよね。彼も私には特にいい顔してましたし。私から何かを借りるってこともなかったし。噂は、多少は耳にしてました。返さないって。けど、所詮噂だと思ってたし……ただ、仮に北嶋に対して悪意のある人が流した嘘の噂だったとしても、他人からそういう恨みを買う人と付き合うのはちょっと嫌かなって思って何回か別れました。その度にすごい勢いで寄りを戻してくれって言われて、土下座されて、周りからももう一回チャンスあげなよとか言われて……違う大学の友だちとか、趣味の関係とか、あと親……うち片親で母親もう死んじゃってるんですけど、とにかく外堀埋められてるのにも気が付かないまま、この人ほんとに私のこと好きなんだな〜とか思って……浮かれてますよね、こうやって喋ってみると。そういう繰り返しで一緒に過ごしてるうちに子どもができて、それで結婚。結婚自体はいやいやってわけじゃないです。式の段取りも全部彼がしてくれたし。子どもができたのは嬉しかったですし。
ただ──彼の、ご実家? に、ちょっと問題があって。
そうです。返さないんです。
息子を。
私もう3年見てないんです。実の息子、
入籍の少し前にお腹に幸がいるって分かって、式からちょっと遅れて新婚旅行に行くってなった時に彼の実家に預けて──それきりですね。どんなに返してよって言っても無駄。飛行機に乗って北海道のご実家に押しかけても「知らない」の一点張りで追い返されて……もう、息子が実在してるのかしてないのかさえ、私には曖昧です。
北嶋に至っては──「式も新婚旅行も終わったし、そろそろ真剣に子どものこと考えない?」なんて言い出すんですよ。
だから家を出ました。あの人と一緒にいたら、貸してないものまで返してもらえなくなるって思って。
息子は、いずれ弁護士を立ててでも取り戻すつもりです。でも、北嶋とやり直すつもりはもうありません。もし彼に会う機会があったら、そう伝えてもらえませんか?
……。
夏織?
彼女、私が北嶋を取ったって言ってるんですか? やだ、ひどい。言いがかりです、そんなの。私は誰からもそんな、取ったり、盗んだり、借りたものを返さなかったことなんて、ないです。
あ、この家ですか? ここは、兄の家ですね。兄と母が以前住んでた家っていうか……。母が病気で亡くなって兄がひとり暮らしをしていたんですが、彼ももう亡くなりました。向こうの──仏壇がある奥の和室で首を吊って。兄の私物はもうないです。全部借金取りの人が持っていってしまって、辛うじてこのちっちゃい一軒家だけが……。お仏壇、ですか? ええ、どうぞ。ご覧になってください。でも、母の写真も、兄の写真も、ないんです。おかしいですよね。誰かに貸したまま、返ってこないんです。
借りたものは、返さないといけませんよね。私もそう思います。
おしまい
借りたものを返さない 大塚 @bnnnnnz
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます