18. 20年越しの想い
2020年11月。相変わらず、俺、葦山政志は、IT企業に勤めていた。務めてはいたが、何だか日々の仕事に忙殺されるだけで、達成感もやる気もなくなっていた。
(人生って何だろう?)
大学卒業後、しばらくはフリーターみたいな仕事をしていたが、結局、なんだかんだで流されるようにIT業界に飛び込んだ。だが、もはや何の彩もない、この自分自身の人生に呆れて、死のうかと思うくらい、珍しく自分が追い込まれていた。
そんなある意味、「鬱状態」で、土曜日の昼から酒を飲んでいた時だった。
―ピンポーン―
呼び鈴が鳴った。
「んだよ。どうせ、NHKか、新聞だろ。放っておけよ」
もうどうにでもなれ、と酒を煽って、つまみを食べていたら、
―ピンポーン、ピンポーン―
連続して呼び鈴が鳴らされ、さすがに少し腹が立った俺は、椅子を蹴って立ち上がり、ドアまで行って、それを思いっきり開け放った。
文句の一つでも言ってやろうと思ったが、その瞬間に、信じられない物を目撃して、固まっていた。
綺麗な女性が立っていた。それも昔の面影がある、小柄で、痩せたセミロングの髪。年齢は30代後半くらいだろうが、20代と言っても差し支えないくらいの、綺麗な肌をしていた。
そして、その彼女が2人の子供を連れていた。一人は、青色の目をした金髪の少年で、年齢が12歳くらい。もう一人は、同じく青い瞳を持つ、母親に目元がそっくりの9歳か10歳くらいの女の子だった。
「どちら様ですか?」
咄嗟に俺は、答えていたが、声は震えていた。何しろ、一目見て、もう「わかって」いたからだ。それを必死に理性で隠していた。
「変わらないのね、マーシーは」
その声は忘れられずに、耳の奥にずっと残っていた声だった。
「いや、変わっただろ。俺の方がはるかに年を取った。お前は変わらん」
「ふふふ……」
笑った顔が、あの頃と変わらない。
そう、そこにいたのは、紛れもなく、あの大門寺里美だった。年齢は俺より4つ年下だから、今年39歳だろうが、全然そんな年齢には見えなかった。
そして、感動に目頭を熱くしている俺の顔を、後方から見て、ほくそ笑んでいたのが、里美の後ろに隠れるようにして立っていた甥の海斗だった。
とりあえず、問いただす。まずは海斗だ。
「どういうことだ、これは?」
「嬉しいでしょ、叔父さん」
「嬉しいとかは、いいから、理由を教えろと言ってる」
若干、キレ気味になっていた俺に、海斗は家に入れることを提案してきたので、了承する。
ひとまず、里美とその2人の子、そして海斗を家に上げて、コーヒーを淹れて、子供たちには甘い紅茶を与えてから聞いてみることにした。
海斗の説明が始まった。
彼は、ネットの掲示板を使った、全世界に渡る「探索」、そして、彼女の生存と実態について教えてくれた。
里美の情報を知らせてくれたのは、アメリカ合衆国、ワシントン州の
近所に「SATOMI」という名の日本人の女性が住んでいると教えてくれたのだった。
そこから、海斗はその老人と、翻訳ツールを使って、英語でやり取りをして、わざわざ里美を見つけて、本人とコンタクトを取り、Microsoftのオンライン会議ツール「
結果、わかったのは、彼女はすでに15年ほど前に、現地の音楽家、サムというアメリカ人と結婚し、2児の母になっていたこと。
しかし、夫の暴力、いわゆるDVに遭って数年前に離婚。
現在は、アメリカのこのアバディーンという小さな街にある、町工場で働いているという。ビルという男は、彼女が働く工場の「雇い主」だった。
元・競馬好きのギャンブラーの割には、随分と質素で、堅実な生活を送っているようで、俺は驚かされていた。
ちなみに、このワシントン州アバディーンという街は、かの有名な80年代の世界的なロックバンド「
今でも世界中からニルヴァーナのファンが来るという、音楽にゆかりの深い街だ。
「いや、それはわかったが、お前。音楽は?」
その問いに、里美は微笑んでいたが、ゆっくりと思い出すように語り始めた。
最初はそこそこ上手く行ったらしい。
アメリカには有名な「
ちなみに、ビルボードのランキングは200位まで。
決して「有名」にはなれなかったが、まあ、それでも本場のアメリカでほんの少しでも活躍できたのは、彼女自身嬉しかったらしい。
だが、ひょっとすると、彼女が「アメリカで成功できなかった」理由は、かつて秋子に言われたように「寄り添う人間がいなかった」からかもしれない。だが、その相手に俺が相応しいと言うほど、
「なるほど。野茂にはなれなかったが、井川にはなれたか」
「いや、わかりづらいって。それに井川選手に失礼だよ!」
甥の海斗が何か言っているが、放っておこう。それより、問題は別にある。
「その子は、そのアメリカ人との間の子か?」
まあ、明らかに青い色の瞳をしているから、間違いなく俺の子ではないだろうが、一応聞いてみた。
「そうよ。長男のGLAYと、長女のYUKI」
「90年代のロックバンドかよ!」
突っ込みどころ満載だった。まさか90年代のビジュアル系ロックバンドであるGLAYと、元JUDY AND MARYのボーカルから名前を取るとは。彼女らしいけど。
次に、もし子が生まれたら「
もっとも、この名前もハーフだからこそ許される名前とも言えるが。
「とりあえず、わかった。で、海斗」
「ん?」
「わざわざ連れてきてどうするつもりなんだ?」
「いや、どうするもこうするも。叔父さんはどうしたいのさ」
海斗ばかりか、里美や子供たちからも注目を浴びていた。どうでもいいが、この子たちは日本語しゃべれるのか、と妙な心配をしながら、俺は考えていた。
そして、結論に至るが、その結論を出した時点で、海斗には「嘘」がバレていた。
「まあ、あんなことがあった以上、俺が面倒を見るしかないが」
「あんなことって?」
「告白されたんだよ」
「はっ? 告白された?」
僕が信じ込まされていたあの場面。叔父さんは、最後に渾身の「嘘」の正体を明かしてくれるのだった。
2000年2月。
秋葉原での「電脳芸能管理事務所」からの逃走劇の後。
「里美」
「は、はい」
何故か彼女の声が上ずっている。
「一度しか言わないぞ。俺はお前のこと……」
と言った後のこと。
あの時、叔父さんは、「バイト先から電話がかかってきて、告白をせずに里美さんと別れた」と言っており、それが原因で二人の関係がこじれた、と僕は思っていた。
だが、実は真実は逆だったのだ。
「待って」
「ん?」
肩を掴まれながらも、恐れの色を見せずに、彼女は決意の籠ったような瞳の色を見せ、そして、目を見て、きっぱりと言い切ったのだ。
「私、マーシーのことが好き」
と。
「えっ。マジで? 人としてってこと?」
「ううん、異性として」
「こんな冴えない男のどこが?」
「自分で言わないでよ。なんか虚しくなるから」
「い、いつから?」
「出逢った時から」
「マジか」
「で、答えは?」
と言って、彼女が真剣な瞳を向けて詰め寄った瞬間に、あの電話が来たらしい。
だからこそだろう。里美が別れ際に、
「このバカ! バカマーシー!」
と叫んでいたのは。
つまり、あれ以来、ずっと「有耶無耶になって」20年の月日が流れていた、と。それを聞いた僕は、キレそうになって叫んでいた。
「呆れた。20年だよ、20年! 普通、そんなに待たせる? 産まれた赤ちゃんが成人する月日だよ」
叔父さんに変わって、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自然と里美さんに頭を下げて謝っていた。
「ごめんなさい」
と。
だが、里美さんは楽しそうに笑っていた。笑うと可愛らしい女性だと思うが、彼女が僕にとって「義理の叔母さん」になるかもしれないと考えると、少し複雑な気はするのだった。
「で、マーシー。答えは?」
しかし里美さんは、20年越しの回答を、しっかりと要求していた。
つまり、随分と遠回りをしていたが、この20年もの間、彼女は叔父さんのことを忘れてはいなかったのだろう。
なんという執念、いや意志の強さだろう。結婚して、子供を産んでも、彼女の根っこの気持ちだけは変わっていなかったのだ。
「ああ」
叔父さんはというと、今さらという感じだが、非常に照れ臭そうに、顔を背けたまま、
「好きに決まってるだろ……」
消え入りそうな声で呟いたが、多分その瞳からは涙が流れていた。それを必死に隠そうとしていた。
「えっ。よく聞こえない、マーシー」
里美さんは、わざとなのか、聞こえているのに、聞こえない振りをしているかのように、僕には見えた。
「だから好きだって!」
振り返って叫ぶ叔父さんは、少し泣き笑いのような表情だった。
「ありがとう」
里美さんは、やっと答えが聞けて、満足そうに微笑んでいた。
こうして、一連の事件は解決し、叔父さんは正式に、里美さんとその子、GLAYくんとYUKIさんを預かることになり、12月の誕生日を迎え、43歳になった後で、正式に結婚したのだった。
その結婚式に参列した僕は、ウェディングドレスを着た、想像以上にずっと綺麗な「義理の叔母さん」に感動を覚えつつも、反対に「冴えないところを一生懸命隠しているが、隠しきれていない叔父さん」に苦笑しながらも、内心では、思うのだった。
(がんばれ、叔父さん。青春に早い、遅いはないよ)
と。
かつて、こんな言葉を残した人がいるという。
―青春とは人生の「ある時期」ではなく、心の持ち方をいう。―
サミュエル・ウルマン
(完)
おじさんの青春 秋山如雪 @josetsu
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