明日を探す手紙

もりひさ

明日を探す手紙


その本を最初に選んでいたのは、カーテンの隙間から差し込む陽だまりだった。降り注いだ日が背表紙に当たって、千里眼の兵達という毛筆書きの文字が輝いていた。私は背表紙に手をかけて、抜き出すのを手伝ってあげようとした。しかし私が本を抜き出した途端に陽だまりは本棚を通り抜け、図鑑のある書架の方向へと通り過ぎてしまった。私の手元に残ったのは、微かな日の温もりとずっしりと重く、分厚いその本だけだった。

 ここは図書室の奥の方にあるということもあり、放課後になると私以外にはあまり生徒が入らない場所だった。この書架の本達は一から九まで分けられた種類別の本棚には入っていない。図書室にあるパソコンで検索しても見つけることはできなかった。他の本棚と比べても明らかに古びていて、ここに入ってくる本は数日後に処分される本なのだと噂する生徒もいた。

 ざらついた表紙の感触が手の平に残る。ページを上から下へペラペラと落としていくと古紙の独特な匂いが鼻に付いた。背表紙も裏表紙もタイトル以外には何も描かれておらず、ただ紺色の生地が広がっているばかりだった。

「その本は登記制なの」

 司書の先生にそう告げられて、本の最後のページを見る。確かにそこには古い黄色の貸し出し名簿があった。言われてみればバーコードはどこにもない。私は二番目の枠に必要なことを書き込んだ。名前、生年月日、借りる日にち。そこまで書いた時私の右手は不意に立ち止まった。

「あ、同じ番号」

 私は思わず声を出した。司書の先生はこちらを向いておらず、私が口に出した言葉は誰の耳にも届かず、図書室の静寂に引き取られていく。一番目の欄に記入した人と私の生徒番号には一つも違う数字がない。

 一瞬は書き間違いだろうと思った。一番目の人の記録を目で追っていく。借りる日にちは空白になっていた。生年月日は一九二五年八月十五日と丁寧な文字で書き込まれていた。名前の欄には飯田トネとある。

 つまりこの本を最初に借りた人は何十年も昔に卒業していた。私の生徒番号は彼女のおさがりということだった。私も彼女が書いた丁寧な文字に合わせながら、少しだけ顔も知らない彼女について考えた。

 正確な年月までは覚えていないが、彼女が生まれてからおおよそ十六年後に太平洋戦争が始まった。つまり戦時中にこの学校にいたのだろう。空襲から逃れてか、あるいはこの学校にずっといたのか、薄汚れたページと凛とした文字からは判別することはできない。しかし彼女の指の感触やページを捲る感覚は既にそこにあって、私はそれについていきながら文字を追っているような気がしていた。

 捲るたびに紙の匂いが私の鼻から、口元へ微かに通り抜けていく。帰り道の空は冬の冷気に透かされて、雲一つなく澄んでいた。どこかで子供達が遊んでいる声がする。その声に振り向きもせず、文字の中の太平洋戦争は動き出していく。まずは当時の戦況が語られ、空襲の現状が克明に描かれる。瓦礫、避難、防空壕、疎開先。私はそういった文字の隙間にいる彼女を探すことに必死になっていた。しかし彼女はどこにもいない。

 息が一つ白くなって伸び、私は文字から視線を外して今日に戻る。白い息の行く末を少し見た。そしてもう一度文字に目を当てて、彼女の無事を密やかに祈った。

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