第6話 醍醐にて吸い込まれる?

 また、懲りずに京都へとやって来た。好きなのだから仕方がない。他の場所へと旅行に行かないわけではないけれど、私にとって京都は一番特別な場所なのだ。


 いつも通り、最寄りの駅の始発に乗って、乗り継いで、東京駅から新幹線に乗り込んだ。朝からワイルドに行きたい気分だったので、駅弁は仙台の牛タン弁当を選んだ。チケットの数字の席に座って、前の席の背中に貼りついたテーブルを下ろして弁当の入った袋を置くと、発車ベルがけたたましく唸り声を上げた。慌てて新幹線に飛び込もうとする親子が窓の外に見えた。「急げ急げ」、上機嫌にそんなことを思いながら、古都へと思いを馳せる。新幹線は発射し、あっという間に品川、新横浜を過ぎて吾妻の地から都へと登っていく。


 新横浜駅を過ぎると、名古屋まで人は乗ってくることはない。だから、車内の空気というものが落ち着く。家族旅行ではしゃぐ子どもとそれを嗜める親。今から仕事なのか、パリッとスーツを着こなして、サンドイッチとコーヒーで栄養補給するビジネスマン。その隣では、疲れた様子のご年配が欠伸をしながらスポーツ新聞を広げている。富士山の気配が少しずつ近づいてきたころ、私は袋から弁当を取り出して、黄色い紐をズズッと引き摺りだした。段々と弁当に熱が生まれ、やがて湯気が上がる。ホカホカになった麦飯を牛タンで楽しみながら、京都へ行ってからのあれこれを思案しはじめた。


 何度言っても思うが、名古屋を過ぎれば京都はあっという間だ。リニアモーターカーはこれよりもさらに速いというのだから舌を巻く。未来に感心しながらも、私の心は古に魅せられている。やがて、京都駅のホームに降り立つ。晩秋の都は底冷えとまでは行かないが、関東よりも寒い。冷たい空気に頭が冴える。さあ、今回も探訪のはじまりだ。


 ところで、この駄文をお読みになってくださっている、奇特な皆様は、旅行の計画は綿密に立てる方だろうか?ここまでで十二分にご理解いただけていると思うが、私は目的地に到着してから決める適当な種類の人間だ。京都旅行も、毎回毎回、決まっているのは、日付、電車の時間、そして、宿くらいだ。さっさとホテルに荷物を預けて、ショルダーバッグ一つの身軽さで、気分はルポライター。街へと躍り出る。


 京都市は観光都市であるから、京都駅から東西南北、どこへでも行くことができる。今回は何となく南東方面の山科やましな区が気になった。山科と言えば醍醐寺だいごじだ。そうと決まれば早い。京都駅八条口からバスに飛び乗って醍醐寺へと向かう。醍醐寺へのバスは、一日バス利用券では追加料金が発生してしまうので、地下鉄・バス一日利用券を買うのがお得だ……などと自慢げに旅のプチ知識を語ろうとしたが、今春でバス一日利用券は廃止となった。京都を訪れる際は、地下鉄も活用することをおススメしておきたい。


 なんやかんやで、醍醐寺に着いた。醍醐寺は山科に二百万坪を誇る大寺院であり、世界遺産だ。創建は今より千百五十年前の貞観じょうかん十六年。聖宝理源しょうぼうりげん大師が准胝じゅんでい・如意輪両観世音菩薩を開眼供養したことにより開創し、以来、醍醐天皇とその皇后の帰依のもと、寺領を拡大し、現在では国宝や重要文化財を含めて、約十五万点の寺宝が存在する。胸の高鳴りは避けられないことを。意を決して総門を潜った。


 一言で表せば、醍醐寺は圧巻だった。数々の寺宝はもちろんのこと、その景観が美しいのだ。総門を潜ってすぐに顔を見せる三宝院は、重要文化財に指定されている建築物だが、一歩踏み入れれば木々と庭石が調和した庭園も美しい。また、「天下の三大名棚」の一つに数えられる「醍醐棚」はこじんまりとした雰囲気の中に、威厳と壮麗さが共存して何とも言えなかった。変わり種だと、世界初の宇宙寺院、劫蘊寺ごううんじなるものがあった。なんでも、人工衛星の中に大日如来と曼荼羅図を入れて地球の周りを周回するものらしい。曼荼羅図などは宇宙に通じるものであるから、説得力はある。しかし、シュールでもある。クスリと笑ってしまった私の不敬を、お釈迦さまは許して下さるだろうか。


 三宝院を出て、漆黒と黄金、菊と桐の紋の刻まれた国宝、唐門の威容にに目を奪われ、ふわりと奥へ誘われる。歴史を感じさせる朱に彩られた仁王門を抜けると、すぐに五重塔の頭が見えてくる。醍醐寺の五重塔は朱雀天皇が父たる醍醐天皇の冥福を祈って建立したものである。近づくにつれて大きくなる塔のすぐ下から見上げると、それは美しい一本の古樹だ。平安最古の木造建築は伊達ではない。年輪は内側に歴史を刻むが、醍醐寺の五重塔は歴史という空気を外側に着込んでいる。心囚われながら、さらに奥へ奥へ。辿り着いたのは、弁天堂。浄土もかくや、池と寒さに彩られた木々の共演に心が洗われた。しばらく呆けて、日が傾きかけるまで過ごしてしまった。


 はっとする。山に囲まれた京都の夕暮れは韋駄天と肩を並べるほど早い。慌てて総門への引き返す。仁王門を抜け、三宝院唐門に見送られ、総門を出た。そこで、バスの時間を確認していないことを思い出す。もう暗くなり始めているが、どうだろうか。スマートフォンを取り出して、交通アプリを開くと、なんとバスは出たばかり。次のバスまで三十分はある。やってしまった。どう時間を潰したものか……と思案しようとしたその時だった。


 ふと、視界の端に出店のようなテントが映った。よく見てみると、屋根の下だけでなく、外にも広く商品を広げている。心惹かれてゆらりと近づくと、そこは陶器を扱う店であった。


 「いらっしゃいませ」


 はんなりとした声で前掛けをつけた若い女性の店主が歓迎してくれた。「あ、こんばんは」と何も考えずに応えた私を見て、店主はにこにこと愛想よく笑った。


 「もしかして、バスがいってしまいましたか?」


 図星を突かれて、苦笑いする私を見て、店主はまた、にこにこと笑った。


 「よかったら、どの子か連れて帰ってください。みんな、清水焼。いいものばかりですから」


 清水焼とは、その名の通り、清水寺の近くの五条辺りで生産される焼物だ。侘び寂びや華やかさなどの多様な魅力を持つもので、清水寺に上がっていく茶碗坂にはぽつぽつと銘品を扱う店が点在している。憧れはあったものの、おいそれと手を出せるものではないので、良い機会かもしれない。店主に言われたように、どれか一つ、吾妻の地へと連れ帰りたいものである。


 じっと、舐めるように並べられた陶器を見ていく。酒器に茶器と様々な用途の陶器が赤や青の鮮やかな色で目を楽しませてくれる。どれも魅力的で決めきれない。バスの時刻は刻々と迫っている。さて、困った。とてもじゃないが決められぬ。そう思った時、一転に私の視線は釘付けになった。そこにあったのは一つの茶碗だった。黒い茶碗、金で風にそよぐススキの描かれた茶碗、手に取ると私の両手にすぽっと嵌った茶碗。三宝院唐門を思い出させる茶碗。大袈裟に言うならば、運命の出会いだったのであろうか。私の心は、茶碗の黒にすっかり、すっぽり、すっかり吸い込まれてしまった。まるで、『西遊記』の金角大王の持つ紅葫蘆べにひさごに吸い込まれた沙悟浄や猪八戒のようであった。


 気づけば、丁寧に包装されて、箱に収まった茶碗を持って、街灯が煌々と照らすバス停のベンチに座っていた。やがて、バスがやってくる。「よかったら、また来てくださいね。いいお客さんに見つけてもらってよかったねぇ」と、茶碗に話しかける店主が印象的だった。


 そんなことを思い返しながら、この文章をしたためながら、私の心を吸い込んだままの黒い茶碗で、宇治にて買い求めたほうじ茶を啜っている。


 ときたま運命に出会う。そんな不思議な京都探訪。





 はい!ということで、今回は醍醐寺で茶碗を買ったお話でした!皆さんも、旅先で運命を感じることってありませんか?私の場合は、ビビッとくるというか、がっしり心を掴まれる感じが多いです。思わず買っちゃいます。値段が高くても……買わない後悔より買う後悔ぃぃーーーっ!!!っと、今日は件の茶碗で2024年の新茶を楽しんでおります!唯一玉に瑕なのは……黒いからお茶の色が楽しめないことかしら?あーーーー!京都行きたい!禁断症状間近です!今年も絶対行ってやるんだから!夜中のハイテンションでもうダメなので!今回はこの辺りで!またお会いしましょう!ほな、さいなら~!



 

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精神感応の不思議な京都探訪 精神感応4 @seisinkanno4

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