死都フランシーヌ
綾波 宗水
What is salvation?
二月に入って間もなくの頃は、わりと天気は安定していて、去年はクリスマスを境に降りだした美しくも厄介な雪なるものを、気象予報士の口から聞くことも近頃はなかった。
「落ちてるよ」
椅子の上で伸びをしたために、室内ではひざ掛け代わりとなっている彼女のマフラーが床へ流れた。
「もにょ」
ホントだ、ともありがとうございます、とも続かぬ、意味不明な感嘆詞でもって、僕の手から、再び彼女の太ももから膝にかけてを赤いチェック柄のマフラー。
それに、スカートとタイツを着ているとひざ掛けの有無が分からないことがある、という知見を得られので、僕はあくまでポジティブに微笑み返す。
哀しいかな、僕の周りにはあまり女友達とよべる人は多くなく、それ故に、スカートを愛用する子も社会風俗と比例するように、あまり見かけない。否、デートやオシャレの道具であって、僕と出会う時に着るものではないという見解ゆえであろうが。
でも二階堂
僕も相当こだわりが強いと言われてきたが、それはある意味で理論武装の結果に過ぎない。何と戦うためかはまだ分からないけど。だが、玲奈の場合、天然なのか、感性というべきか、そういった理屈は特になく、これはこれ、という類のこだわりを多く持っていた。それこそ、もにょという鳴き声が記憶に新しい。
窓を叩く寒風が彼女の瞳を向こうへとさそう。
その土地はいつしか『死都』と呼ばれていた。
かつてはその頽廃の影も今よりかはゆるやかで、せいぜい廃市といった程度であった。その人口力学に反した社会の在り方をこの目で観察し解き明かさんとした学者は数知れない。
自然科学の他に、経済学や社会学に文化人類学、哲学者まで訪れたこともあった。各々の専門分野を死の都へ引っさげてきたが、彼らもありし日の民と同様に、日に日に別の土地へと移っていく有り様。
時には酔狂な貴族や詩人が長期間滞在することもあったが、酸素濃度が薄いのか、あるいは日照度に周辺地域と差があるのか、ともかくこの環境に長く根差すことは、まるで塩をかぶった田畑のように、元来、あり得ないことの一つとしてその街を知る者は認識を共有していた。税金によって悪魔祓いを雇ったことだってあったか。
効果もむなしく、まさしくゴーストタウンと化したその地には、朽ちようともただちに自壊することはない、重厚なゴチック建築の数々が、まるで鬱蒼たる木々のようにそこここに立ち並ぶ。
それらの日陰に少しはシダ植物も生えてはいるが、生命を感じさせるものはほとんどなく、気温も年中、低いためにここへ越境する鳥もいない。
ここでは日々は円環するものではなく、ただ消耗されるものである。
故に、ここになにがしかの一次史料が存在しようとも、誰が史実と断定できるだろう。儚さを追体験したとして、その者が死の都の至る所に発布された王令の如き、陰気で寒々とした空気に、己の肺を開くことはできない相談なのである。
政府へのレジスタンスが隠れ家にすることも僕の知る限りでは行われておらず、今では生来、孤独に親しみを覚える僅かな人々が、『非社交クラブ』のように集っているのが、ここフランシーヌの実態だ。
その中でも特に若く、また比較的外の人と似た、ある程度のコミュニケーション力を備えているのが、玲奈と僕、
「たー君、午後からの天気しってる?」
「さぁ、何か予定でもあるのか」
「それはひみつ」
「あいにくだがこれから雨らしいぞ」
「むー」
少し頬を膨らまし、どこか拗ねた様子。何に怒ってるのやら。それに晴れていたって、ここでは健やかに過ごせるような場所でもない。
「病院にいくの。だから晴れてたらいいなって」
街そのものが墓場なフランシーヌに病院はない。
彼女は外へ行く日だったのだ。みたところ問題はなさそうだが、行くに越したことはないと思う。どうして僕らが未だにここに残っているのかも、ついでに解明されれば、生きる目的もハッキリするんだけどな。
人のいなくなったアスファルトに塵や埃が積もるのを視られるのもここくらいなもの。小さな彼女の足跡は、一方通行の名残を思わせる、街を出る人々のものと重なって、判別はすぐに不可能に。
だからなのか、彼女はだんだんとこの街から出るのを躊躇うようになっていった。不定期な検診であるがために、時折告げられるこの予定自体が、僕は彼女が不調な事を否が応でも悟るはめになるのだ。
彼女を引き留める権利はない。いや、むしろ彼女を大切に思えばこそ、病院には行って欲しい。なのに、矛盾した感情が霧のように漂い始める。僕を『たー君』と呼ぶのはもう玲奈だけだから。
「それ、まだ持ってたんだ」
「だってたー君からの誕生日プレゼントだもん」
古ぼけた手袋をつけた両手を柔らかそうな頬へあてる。あざといが、幼げな彼女の雰囲気に嫌味やある種の人工味もなく、贈り主の自尊心を高める効果のみを余分に発揮していた。
「やっぱり僕も一緒に行こうか?」
貴重品というイメージは畢竟、彼女へと還元される。愛おしさは淋しさへにわかに書き換えられる。
「ううん、たー君がここに居ないと、何だか戻ってこれなさそうだから」
「そっか。そうだよな」
「うん。じゃあ……行ってきます」
死都は一層、静寂が支配を強め、普段から大人しい僕らなのに、いかに音を発していたのかをことごとく知らされた。
だが、その静寂は心を鎮めてくれる類のものではなかった。
数時間が経とうというのに、彼女はまだ戻らなかった。既に日は暮れ、いつもなら体力や資源の節約のためにもうすぐ寝るくらいの時刻なのに。
当然、連絡手段は皆無だ。僕にできるのはここを出るか、それとも待つかの二つに一つ。彼女と違い、僕がフランシーヌから出るのは一年に数回程度。自分はまだ死んでいないことを、挑戦的な心拍数が教えてくれるが、今は普段通りでなく、もとから心配がこみ上げてきているので、いざ探す決意を固めようとしても、準備を変に遅らせている自分がいる。結局、厚いコートとネックウォーマーだけ着込んで、街の境へ早歩きぎみに向かう。
目線こそキョロキョロさせているが、意志は猪突猛進そのもので、見落としがあっても不思議じゃないなと、俯瞰している自分もいるなど、ともかく歩むごとにパニックは誰の目にもつくものへと増大していくかのよう。
多くの場合、探し物はみつからない。それというのも、探すべき場所を心得ていないからだ。手がかりは病院だが、その道中に彼女のマフラーなどが落ちているはずもなく。目の前には影さえないのに、探している間は常に意味もない彼女との会話が脳裏を駆け巡っていた。途轍もなく、玲奈を強く抱きしめたい。街灯が照らすのはそんな自身の切実な思いだけ。
為す術もなく、再び死都へと足を踏み入れる折、さっきは瓦礫すらなかった場所に、力なく仰向けに横たわる少女を視た。
近寄ることができなかった。
天寿を全うしたようには見えないからだ。
ビニール袋と処方箋が落ちているが、中身は空。彼女の死因はその中身を一気に飲んだからだと推測できる。しかし、フランシーヌの人間はおそらくその現場をみてはいない。ここはあまりにも外に近すぎる。
明らかに。認めたくないけれど、彼女は乱暴された後に中毒死した。きっとそうだ。
明日はいつだって来るものだと思っていた。いずれくる別れも、まだ先の事だと考えていた。けど、もう彼女の奇妙な口癖を聞くことは不可能に。彼女のように魅力的な人はこの先、出逢えるかもしれない。
あの『もにょ』というフレーズは、本当に言っていた子がかつて居たという事実すらも疑われるほどに、彼女らしさなるものを僕に与えてくれていた。
感謝を伝えたくて。お別れという気持ちには当然まだまだなれなかったが、僕は初めて彼女の唇に自分のを重ねた。いつぞやどこかで聞いた人工呼吸法のように、彼女の命を
でも、即物的かもしれないが、口づけによって少しは心が慰められた。人形となりし彼女を抱いて、独りぼっちな死都での夜を初めて迎える。
死都フランシーヌ 綾波 宗水 @Ayanami4869
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