野薔薇の花束

巡り、廻って。

 彼、織斑おりむら紡希つむぎは昔から、人ならざる者に好かれる傾向があるらしい。


「狐……の子供?」

「くぅん……」


 そこは森林の果て。

 紡希は状況を探るなり、その正体について問い掛ける。小学校低学年のような幼い外見と、触り心地良さそうなふわふわとした三角形の耳に身体を覆いそうな大きな尻尾が特徴的な――小さな妖狐。


 そう、青年は人間。一人前の画家を目指す、売れない作家の卵。


「怖がらなくても大丈夫だよ。うーん……もしかして親とはぐれたのかな。でも、こんな森の奥に一人で居るなんて」


 謎が新たな謎を呼ぶように、彼の中で疑問符が幾つも浮かぶ。人里から離れた場所に妖怪が紛れて、悪戯程度に訪れた人を脅かすのはザラにある。紡希もその程度なら絵を描きながら旅をしているとよくあることだが、まだ未成熟の小さな妖怪が独りで居るのは珍しいと感じた。


 して、恐る恐る妖狐が紡希に近づくと。


「くんくん……ふにゅー? むむぅ。きゃんきゃん!」


「おや、匂いを嗅いで認められたってことは……触ってもいいのかい?」

「きゅるきゅる!」


 言葉は互いにわからない。でも不確かながら彼らの心は繋がっていた。


「……師匠に――親元から離れたのに、独り立ちがまだ出来ていない者同士だね、なんて言ったら君は怒るかな? 可愛い、子狐さん」

「ひゅんひゅうん、ぐるるるる」


「ふふ。どうやらボクたち、とても気が合いそうだね。名前は……ああ、安直で申し訳ないけど狐々ここ、はどうだい?」

「きゅるるるん!」


 妖狐――狐々と名付けられた少年は、全身を使って喜びを表現する。


 そして、種族も体格も年齢さえ違う彼らはその後も意気投合して……出逢って約九年の年月を共有する頃には狐々は人の言語を理解して、拙いが話せるようになっていた。



 織斑紡希、二十七歳。狐々、推定十代前半。

 彼らの住処は人里から離れた年季の入った納屋。青年は絵を描き続けながらも、畑仕事に勤しんで生活をしていた。


「つむぎ、はやく、はやくきてー!」

「はいはい。そんなに慌てなくてもボクは逃げないよ。……ここに座ればいいのかな?」


 そう、と言いたげな期待に満ちた眼差しで狐々は何度も頷く。


 あの小さかった子狐はほんのり身長が伸び、すくすくと育ての親に似た好奇心旺盛な性格を見事に宿しながら順調に育っていた。


 あの日から紡希は滞在中だけと、心に決めながら様子を見に来る程度だったが、妖狐は彼の優しさに触れて惚れては自ら逢いに行こうと何度も無茶を試みた。時に崖から落ちて、時に川に流されては傷だらけになってもやめることはなく。そんなやんちゃぶりに見兼ねた青年は、流浪の旅人を休止して世話を焼く道を選んだ。


「狐々、一体どうしたというんだい? あ、何か披露をしてくれるのかな」

「うん、だいせいかい! いまからココ、つむぎのモノマネする。れんしゅう、いっぱいした!」


「物真似……?」


 紡希は首を傾げるがすぐに理解した。まるで人間の子供のようだが、目先の存在は化け妖怪――宗旦狐の類いが居るのだから。


「みててね。いまつむぎのモノマネを、マネをしてみせ……あれ、できない! なんで、なんでなんで。いつもなら! つむぎ、ココいつもならできるよ。でもいまはできなくて」


 必死に訴える姿は愛らしく、しょぼんとしいてる少年に悪いと感じながらも紡希はほっこりした。


「ふふ。緊張しちゃったのかな」

「ぷぅ。つむぎ、ニコニコしてる。ココ、いっぱい、しんけんだったのに」


「ごめんごめん、ついね。……おや?」


 何処からか、腹の虫が納屋中に響く。それも、そこそこ大音量にて。


「コ、ココのおなかぐーぐーないてる。いっぱいれんしゅうしたのおもいだしたら、おなかへった……」

「頑張っていた証拠だね。さて、狐々。腹ペコのところ悪いけど、ご飯の準備を手伝ってくれるかい?」

「うん! ココ、しんせんなおやさい、ザクザクしたい」


「ええっと、とても有難い申し出なのだけど……。包丁を扱うのはもう少し大きくなってから、かな?」


 頬を膨らませた狐々を宥めながら、彼らは同じ時間を過ごす。



 春夏秋冬、季節は優雅に巡って妖狐の子は穏やかにも成長を繰り返した。


 織斑紡希、三十二歳。狐々、推定十代半ば。

 ご機嫌な様子の少年は尻尾をゆらりと揺らして、携帯電話の動画アプリを起動させながら鼻歌を奏でていた。


「狐々、何を聞いているの?」

「んとね、スピカにおぼれての曲!」


「スピカに溺れて……?」


 ピンと来ない紡希にこれ、と言いながら携帯を向ける。自身の私物だったはずの液晶画面には、初めて聴くのに引き込まれる音とそれを引き立たせる美しい映像が流れていた。


「……へぇ、音楽か。曲も映像、MVも素敵だけど絵に惹かれる。ボクとはタッチが違うけれど、背景とかのイラストも綺麗で引き込まれるよ」

「うん、そうでしょー? ココね、この人が作ったの、どれも好き!」


 弾む気分に想いを乗せて、今度は歌声を響かせる。少々音程が外れていたが、我が子も同然の妖狐に拍手と団欒を送った。



 織斑紡希、三十八歳。狐々、推定十代後半。

 この時、彼らの身長は逆転を果たしていた。しかし声変わりを終えた妖狐でも、甘えたがりな人懐っこい変化はあまりないようで。


「つーむーぎー!」


「うわっ、びっくりした……こら、また急に後ろから抱き付いて」

「えへへ、ごめんね。じっとしてたけど、そばにいる紡希に触れたくなっちゃって。あ、背中凄くあったかい」


「……ふふ。まったく、もう……」


 口先では呆れに近しい物言いながらも、その中には微笑も多く含まれていた。成り行きで人生の半分以上を同じ空間で過ごせば情が湧く。贅沢や裕福とは程遠い生活だったが、織斑家は互いに尊重する立派な家庭となっていた。


「絵、描いてるの?」


 久しく見るであろう、筆を持つ紡希の姿に狐々は素直に問う。


 画家への夢は潰えたが毎年出逢った日には我が子を描くのが記念としているほどには後悔はなく。むしろ、キャンバスへと向かう良い機会と捉えていた。今回は気ままだが、独創的な絵と型破りな内容に少年の好奇心が疼く。


「ちょっとだけね。……盲目の魔女っていう題名で」


「魔女? うーん……? 魔女って女の人のことだよね。ココ、これ、男の人に見えるよ」


 狐々の指摘に彼は苦笑する。

 最大限に紙を使い、大きな鳥籠を破る魔女――男性が上へ向かって手を伸ばす、水彩画。迫力のある一枚に鮮やかな色が紡希の口を語らせた。


「ふふ。これはね、ある呪いによって目が不自由な魔女の青年が囚われた窮屈な鳥籠から脱出したっていう構図だよ。それでね、その先には……」


 好きなものを嬉しそうに語る紡希と彼の話が大好きな狐々。二人はいつまでも仲良く、会話を弾ませた。



 織斑紡希、四十六歳。狐々、推定二十歳を超えた頃。彼らは互いに生涯を意識し始めていた。


 家族から恋仲へ。否、家族かつ恋人同士の発展は狐々のストレートな告白と共に新たな関係が開始していた。


「ねえ、紡希の実家ってどこ?」


 老眼鏡を掛け、背中合わせにて読書中の彼に狐々は問う。


「んー、出身地というか育った場所は別だけど、出生地は籠池市っていう田舎だよ」

「籠池市、検索っと。……あ、本当だ。畑がたっくさんあるー。それ以外は神社があるくらい?」


 携帯電話のインターネット機能を使用して下へとスクロールを試みるが、情報はほとんど記載されていない。古典的な田舎の風景があるだけだった。


「本当だね。よく覚えていないけど……昔、神様にあったことがあるような。って、どうして急にそんな話を?」


 読書を一旦休止し、狐々と談笑するモードに移行する。既に二十年を超える時間を共有しているが、話題や会話は途切れることはない。ふわりと妖狐が意味ありげに笑う。


「ココの知らない紡希のことをもっーと知りたかったから。それに、紡希の両親にも挨拶が必要でしょ。息子さんをワタシにくださいって!」


「……もう、狐々ったら。いつの間にかそんな言葉を覚えて」


 嬉しいような、恥ずかしい感情に紡希は埋め尽くされる。こんな幸せが永遠に続けばいいのに、と二人は願った。



 ――しかし、望まない別れは種族の間では致し方なくやってくる。


 人間の数百倍も生を重ねる妖狐は、養父以上の感情を持った彼の亡骸に涙を貯めていた。


「紡希……おやすみ、なさい。いい夢を、ぐすっ……見て、ね」



 織斑紡希、享年六十歳。

 ひっそりと人里離れた地で彼は想い人、妖狐に見守られて息を引き取った。


 死因は急激な身体の衰えによるもの……。息子を独り残して再び旅に出る。


「狐々――立派に成長してくれて、ありがとう。いつまでも…… 大好き、だよ」


 次々と目から溢れる水の結晶を強引に拭き取り、墓石の前に野薔薇の花束を添える。


 これからもよろしく、そんな想いを込めて。彼の眠る墓にキスをひとつ落とした。



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野薔薇の花束 猪野々のの @inono_nono

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