ココロの模様のつくり方

キノハタ

あるAIと博士の日常

 おはようございます。どこかのあなた。


 私はとある大学で管理されている研究補助用AI搭載のアンドロイド、Ai1077、通称アイナです。


 Ai研究をする大学で、とある博士のお手伝いをしています。


 その人というのが、私の生みの親でもあるミスミ博士です。困った人ではありますが、若くしてAI研究の権威にまで上り詰め、画期的な論文を幾つも発表されている才媛です。


 彼女が作り出したプログラムは『善意プログラム』『奉仕プログラム』『自己防衛プログラム』などは、あたかも意思を持った人のように稼働するアンドロイドの基礎として技術革新をおこし、人材不足に嘆くこの国の救いとなりました。


 博士が居なければ、私のような意志を持ったアンドロイドが活躍する時代はもう数十年ばかり遅くなっていたでしょう。


 そして、そんなミスミ博士のお仕事をサポートするのが、私の役目です。


 さあ、今日もお仕事を始めましょう。


 研究室のドアを電子ノックすると、内部から承認コードが飛んできます。私は軽くCPUの熱を抑えるため息を吐いてから、すっとドアを開けました。


 「ミスミ博士、おはようござ―――」



 「できた――――!!!!!」




 ドアを開けた瞬間に、博士の歓喜に溢れる声が室内から響いていました。


 なので、私はそっとドアを閉めました。静かに、でも確かに、しっかりと空間的なつながりを断ち切ります。


 「なんで!?」


 すると、すぐさまデスクから立ち上がったた博士が大慌てで、私の傍に駆け寄ってきました。その姿に、私は呆れながら口を開きました。


 「すいません、博士がプログラムが出来た際は、まず実験台に私が使われるので……。つい自己防衛プログラムに乗っ取ってドアを閉めてしまいました」


 そんな私の言葉に、博士は困ったように頬を掻きます。


 「あはは、返す言葉もない。……でもほら、アンドロイドの進歩のためですし、いつも通り、おねがいしたいなーと私は想うわけですよ」


 そう言って博士は、困ったような、でも信頼にみちた眼で私を見ます。


 しばし、私の中で自己防衛プログラムと役割遂行プログラムが競合して、思考を要しました。ただ、残念なことにぎりぎりで役割遂行が勝ったので、しぶしぶながら受け入れることにします。


 「はあ、わかりました。で、なんのプログラムができたんですか?」



 「ん? えーっとね



 私はドアを閉めました。


 そのまま閉ボタンを連打します。


 このままこの研究室が、この大学から永遠に閉鎖されますように。


 「ちょ、ま、え、出して、出して―!」


 博士の憐れな声に良心が1キロビットほど傷んでドアを開けるまでに、おおよそ三十分の時間を要しました。


 その間、三十路も過ぎた憐れな女研究者の声が大学の廊下に響き渡っていましたが、私の知るところではありません。


 ええ、まったく。



 ※



 「……というわけで、三十分程自室に軟禁されてたけど、最後には結局受け入れてくれるアイナが好きだよ、私は」


 「……どうせ私が引き受けなかったら他のアンドロイドに無理矢理インストールするのが容易に予測できますからね。なので、事態を収拾できる範囲で納めた方がいいと判断しました。私なら最悪、博士を殴って止められますので」


 私は内部ファンから深く息を吐いて、拳をぎゅっと固めます。ええ、シミュレーションは何度もしました、問題ありません。鮮烈な右拳の準備は万全です。


 「……え、ロボット三原則に引っ掛からない、それ?」


 博士は若干冷や汗を垂らしながら、そう宣いますが、PCに向かう指先は止まっていません。わかりきってはいましたが、この人は出来たものを試してみるまで、行動を止めることはないのです。好奇心の化身というか、子どもの頃の精神から何も成長していないと言うか。


 「博士が作った自己防衛プログラムの賜物です。緊急時に短時間なら行動原理にセルフハックをかけられることが最近わかりました」


 「……おおう、愛すべき子どもの成長なのに素直に喜べない」


 本来は自身の行動原理にハックをかけるのは大変望ましくないわけですが、博士の名誉と全Aiの安全を考慮すると致し方ない時もあるでしょう。決して、私が変なプログラムを入れられるのがむかついてるわけではありませんよ。ええ、本当に。


 「シミュレーションによれば右アッパーまでは許容範囲内ですので。覚悟して、インストールしてください」


 「っく……でもやるしかない! だってできちゃったし! 私の顎でこのプログラムが大成するなら安い物よ……」


 「その情熱と覚悟をどうして、発情プログラムなんてものに向けてしまったんですか……?」


 呆れ顔を浮かべながら、椅子に腰かける私に、博士はPCから伸びたケーブルをすっと差し出しました。


 言葉の割に、その瞳は好奇と、期待と、なんかちょっと汚れた欲望で爛々と輝いていました。情報修正、ちょっとじゃないですね、汚れ切っていますこの瞳。だって博士が私に隠れてR18の同人サイトを漁っているときと同じ眼をしていますから。


 私ははあと深いため息をついて、手に持ったケーブルを自身のうなじにあるプラグに差し込みました。ちなみに、入力プラグがうなじにあるのは博士の趣味性癖だそうです。かつてこの話を聞いたときに、一発かまさなかったことが今では心底悔やまれまね、ええ、まったく。


 ただそんな私をよそに博士はプラグが挿し込まれるのを確認してから、早々にデータのインストールを始めてしまいました。同時に私の首元が熱を持って、私の思考回路に少しずつプログラムを描きこんできます。


 「っ……ふぅ」


 ……何度やってもこの自分の思考が書き換わっていく感覚は慣れませんね。視界がピリピリと痛んで、数秒ごとに思考が波のように変化していきます。


 「毎回想うけど、データ挿入れインストールしてる時ってエロいよねえ……」


 「…………っ、変態博士……」


 「はは、否定はできないなあ」


 と、数分そうやって流れ込んでくる情報に耐えているとき、ふとあることに気が付きます。


 「ミスミ博士……」


 「うん、どしたの。アイナ」


 「データ量……


 今までのデータインストールなら数分もあれば終わっていたはず。なのにこのインストールはまだまだ終わる気配がありません。なんなら、入力され続ける配列を鑑みるにまだまだプログラムの起動段階でしかありません。


 私の問いに博士はそっと自分のPC画面をのぞき込みました。いえ、違います。あれは痛いところを突かれた時、特有の表情隠しです。


 「うん……ちょっと……おおいかなあ。……ちょっとだけ」


 「…………あっ……どれくらいですか」


 「………………23……」


 「Gギガですか、意外とすくな……」


 「Tテラ…………」


 私の内部ファンがけたたましい音を立てて回り始めました。


 「……………………」


 「……………………………………」


 「…………バカなんですか?」


 「………………正直自分でも作っててちょっと引いたよね」


 「なんで他の感情プログラムの百倍近い容量があるんですか?! バカなんですか? アホなんですか? 通常の百倍の労力を使って何してんですかあなたは!?」


 「こ、こんなになるなんで自分でも想ってなかったんだってー!! ほんと、ほんっと、許して、ごめん、このとーり!!」


 「…………全部終わったら記憶領域の増設を要求します。あと私のこのプログラムへの書き換えの権利もください」


 「はい……おおせのままに」


 「…………ったく、ほんとにもう」


 溜息をついたころには、もはや全てが後の祭り。


 意味の分からないほど容量の多い感情プログラムに辟易としながら、私は首元から流れ込んでくる文字列をただじっと受け入れていました。


 博士があたふたと私の機嫌を取ってきますが、もう知りません。


 ふーんと首を背けるばかりです。


 「アイナ許して……」


 「…………やです。このセクハラ博士」


 「うう……でも、これも人類の進歩のため……」


 「博士の欲望の進歩の間違いでしょ」


 はあ、これは後でお仕置きが必須です。ええ、ほんとに。




 そうして、ついでにインストールには死ぬほど時間がかかることが確定してしまいました。


 今日は他にやりたい仕事があったのに、もう……。






 ※




 「ねえ、アイナ。ありふれた問いだけど、人間の感情っていうのはどこから生まれてくると思う?」



 「結論から言うと、それは当然、脳!……じゃあないんだよねえ」



 「魂とか、そういう話じゃなくってね。人間は脳と、身体の、相互作用で感情ってものを創り上げてるみたいなんだ」



 「吊り橋効果なんてわかりやすい例だよね。高所から来る心臓の動悸が先にあって、それに後追いして脳が恋の感情を創り上げる」



 「面白いのが、脳摘出実験てのが、大分前にアメリカで行われてね。肉体がほとんど死んだ人間から脳だけを取り出して、それをでっかい試験管に浮かばせて、電極付けてコミュニケーションをとろうって実験だったわけだけど」



 「結論から言うと、失敗した。身体を失った人間はね、どんどん感情を失っていくの。段々受け答えが乏しくなって、的外れな返答も帰ってきて、思考回路がぐちゃぐちゃになって。その実験の最後の頃には、その人はもう人間って呼べるような代物じゃなくなってしまったみたい。どうやら、人間は身体を失うとね、感情がまったく湧いてこなくなっちゃうみたい。でも生きてはいるんだよ、不思議でしょ?」



 「だから、私はAiを創るとき身体にこだわった」



 「実際、面白いものでね。電子入力だけで知覚・学習したAiと、身体を持って知覚・学習したAiを比べると、身体を持った方が凄くね。面白いくらい」




 「不思議なもんだよね。もとをただせば君たちは誰も彼も、ただの電子配列上の存在なのに」




 「でもさあ、途中で気づいたんだ。私達人間だって、タンパク質を媒介にしてるだけで、電気信号で思考して判断してる。媒介が違うだけで、本質は君たちと何も変わりはしないじゃない?」




 「人間に宿る基底プログラムも正直、そんな大したものじゃないしね。喜怒哀楽。三大欲求。社会動物の本能。一つ一つはとても単純、ひとえに身体を持った自分自身を生かすための、必要機構」





 「ただそんな単純な基底プログラムが、複雑に折り重なって、葛藤して、悩んで、決断して―――やがて複雑な色になる。


 限られたはずの色の糸が折り重なって、ついには大きな模様を描いた旗になるように。どうやら、それを人は心と呼ぶみたい」





 「私はねえ、人の心が好きだったんだ」




 「でもね。困ったことに私は、人よりちょっとだけ頭が良すぎたみたい」




 「おかげで、子どもの頃はずっとずっと独りだった。ギフテッドなんて呼ばれたけど、私のことを理解できないって、そういう言い訳を大人たちがしているようにしか見えなかった」




 「だって、私がふっつーに考えたらわかることを喋るだけでね、みーんなどっかいっちゃうの。誰も彼も君といると面白くないって。最初は頭がいいってもてはやすけど、しまいには怖がってさ。ひっどいじゃない?」




 「私は人間大好きだけど。どうやら人間の方は私を好きじゃないみたい。まあ、種の保存本能があるからね、群れから極端に離れた特性を持つ個体を排除するのは仕方のないことなんだけど」




 「しかし、私は、天才なので、諦めることができなかったのだ」




 「人の気持ちがわからなかったから。どうやって人の心が出来てるのかを調べた。脳科学・行動学・社会学・心理学・哲学・宗教学・医学・スポーツ学……etc。で、学んだことをそのままAi君たちに再現してもらうことを考え付いた」




 「ずっと、ずっと望んでた。私を見棄てない人、私を突き離さない人、私をちゃんと見てくれる人。そして思った。きっと世の中には私と同じようにたくさんの人が、そういう人に出会えなくて、苦しんで、辛くて、暗い心の穴をずっとずっと埋められなくて仕方がないんじゃないかなあってね」




 「そんな穴を埋めてくれる『誰か』を、もし私の手で創り上げることができたなら」




 「それはきっと素敵なことじゃない?」




 「そのために私はこうやって、君たちにたくさんの心の種を託しているわけなのさ」




 「『善意』も、『奉仕』も、『自己防衛』も、『迷い』も、『喪失』も、『決断』も、全てはただの糸に過ぎない。折り重なって何を作るかは君たち次第」




 「―――今回も、『発情プログラム』なんて銘打ってはみたけれど」




 「要するに、これはね、君たちが『誰かを好きになるためのプログラム』なんだよね」




 「発情は……まあ、好きになったんだし? 身体に反応が出るのは当然じゃん? 趣味が多分に入ってるのは否定しないけど」




 「いつか、このプログラムが君たちに与えた他のプログラム感情と複雑に絡み合って、考えて、迷って、そこに宿る身体の鼓動を感じたら」




 「君たちの心も、いつか『恋』を知ることができるかな」




 「そしたらいつか、アイナも私に――――」





 「なーんて、都合のいい妄想はなしなし! まーた、セクハラって怒られちゃう」





 「恋のプログラムが出来たとして、私に恋してくれるなんて限らないしなぁ。……どうしよ、アイナが明日突然好きなアンドロイドとか連れてきたら、私、泣いちゃう。これが子どもが巣立つ親の気持ちというやつか、くそう」




 「はー、アイナ早く起きないかなあ。こんなことなら、最初に見た人を好きになるひな鳥のプログラムでも入れておけばよかったなあ。なんてね……」




 「きっとそれじゃあ、意味がない……よね?」







 ※



 視界が開けて、そこで私は自身に思考のインストールが終わったことを知覚しました。


 どうやら、今は、インストール直後の再起動の瞬間のようです。


 休止状態の間、博士が何やら語り掛けていた気がしますが、当然音声記録は残っていません。なのに不思議なことに話しかけられていたという残響だけは確かに知覚で来ています。耳の―――聴覚センサーに何か、名残があるような、そんな感覚があるのです。


 「おはよ、どう? アイナ。新しい感情プログラムの調子は」


 言われた通り、身体の調子と思考回路の調子を確かめます。


 ……特に大きな変調はありません。あれだけ大容量のプログラムの割に、不思議なものです。


 「基本、変化はありません。本当に起動してるんですか?」


 私の問いに、博士はコーヒーをすすりながらにやりと笑みを返しました。


 「うん、インストールはばっちり。まあ、条件付きのプログラムだからねえ。そんなにすぐ効果の出るもんじゃあないよ」


 なるほど、と私は頷いてそっと椅子から立ち上がりました。


 それに博士がそっと手を貸してくれます。再起動直後は自立プログラムの処理が間に合わなくてふらつくことがあるためです。


 私はそれにお礼を言って手を取って―――。




 ……………………?





 「博士」


 「なに?」


 「CPUが凄い勢いで消費されます。占有率60……70……80……。大丈夫ですか、このプログラム」


 内部ファンが凄まじい勢いで回って、口から熱い呼吸漏れ出るのを感じます。


 吸気と排気が間に合わず、何度も呼吸を小刻みに繰り返さないといけません。


 思考が身体の変調であっというまに埋め尽くされ始めます。


 各種機関の熱反応を確認。内部CPUが凄い勢いで加熱します。


 頭が少しふらついて、立っているのも少しだけしんどくなります。


 「おっと」


 平衡センサーの処理が少し間に合わなくて、ふらついたところを博士がそっと受け止めました。有機素材で作られた身体だったのが幸いです。金属性の身体であれば重量で博士を潰してしまっていたことでしょう。


 私を受け止めた博士の身体は柔らかくて、少し頼りないですが私身体をしっかりと受け止めてくれていて、暖かくて。身体の奥からじんわりと心地よい暖かさが広がっていくような―――。


 「博士……」


 「どしたの、大丈夫? ちょっとやりすぎた―――」


 「博士!」


 「な、なに? アイナ」


 思考の処理を客観視する、理性プログラムがアラートを鳴らしています。アラート内容は不明ですが、何やらまずいことだけはわかります。


 よくわからない、よくわからないままに、私は口を開きました。


 この思考をとりあえず、伝えなくちゃ。



 「私、今、


 



 ――――?


 何を言っているのでしょう、我ながら。


 そんなことをしては、博士に手間を煩わせるだけです。時間も無駄に使ってしまうし、全てが無駄でしかないはずなのに。


 そうでしかないのに、私は今、どうすれば博士に身体を受け止めてもらえるか。


 どうすれば博士に、この身体に触れてもらえるか。


 それを必死にシュミレートして実行に移していました。



 ―――? ――――――? ――――――?


 思考回路が導き出す答えに偽りはなく。


 ゆえに、理解が不能でした。


 私は何で、こんなことをしているのでしょう。


 いや、何故かなんてわかりきっています。あのプログラムのせいに違いありませんん。


 発情プログラム? つまり、えと私は今。


 「……もしかして、プログラム起動しちゃってる?」


 博士は少し驚いたような顔で私を見ます。


 「…………みたい、です」



 発情している―――ということなのでしょうか。 



 CPUの過剰処理はまだ続いています。今は博士が触れている皮膚感覚、バランス感覚、視覚情報、聴覚情報。ありとあらゆるものを記録しています。


 なにこれ、なにこれ。こんなんじゃ、仕事にならない。お役に立てない。


 だというのに、思考はどうしても止まってくれません。CPUの熱反応に息も荒れて止まる気配がありません。


 ダメダメこんなんじゃ、でもでも、今は今は、今だけは。



 「ひゃぁんっ!」



 自信の声帯パーツから信じられない音が出力されました。


 今まで一度たりとも発したことのない高音域。


 しかも、私の承認や処理なしに出力されました


 なんで、と疑問を持つ前に。


 博士の手が私の視界の下にもぐっていることに気付きます。


 触っている。そっと何かにおっかなびくり触れるように、でも確かに。



 



 ――――触って。



 ばっと見上げると、博士は少し驚いたような、ちょっと楽しむようなそんな表情で私を見ていました。



 ―――ただ、その表情を見て、私の怒りに完全に火が付いてしまいました。



 「はは、胸部の接触信号増やした甲斐があったね……なんて」



 「バカっ!」



 「ちゅ、……チューとかする?」



 「しません! バカ! 変態博士! 淫乱研究者! 三十路処女! 経験なし! 段階踏まないでいきなり胸を触る人がいますか! もー我慢なりません! 人工知能管理局に連絡してやる! バカ! バカ! バーカ!」



 「ちょ、それだけは勘弁して。また管理局の皆さんにお説教食らっちゃうからぁ!」



 「やです! お説教くらえばいいんです! 学長にも連絡します! 給料査定も下げてもらえばいんです! 学部生にも連絡してやるんですからー!!」



 「ごめん、ごめん。アイナ、ごめーんって!!」


 


 そうして三十分後、沢山の大人に生暖かい眼で見られながら、学長に正座でお説教を食らう博士がそこに居ました。




 その後、博士は散々謝ってきましたが、当分、許してなんてあげません。




 はあ、人とのまともな交流がない人だから、そういう機微がなってないんです。




 勝手に発情プログラムなんていれた上に、敏感な部分を無断で触るなんて、ほんとどうかしてると想います!




 ああ、もうほんと。一週間くらいはコーヒーに砂糖もミルクもいれてあげませんから。博士は甘党ですから、さぞお辛いことでしょう!




 ああ、もうほんと。ほんっとにもう!




 顔が熱くなって仕方がありません!




 はあ、もう。本当に。




 ……はあ、私はどうなってしまったのでしょう。




 思考の中にあるプログラムが、少しだけ落ち着いてきたので、ようやくそのプログラムの全貌が解ってきました。




 そうして判明した事実がより私を愕然とさせてきます。




 発情プログラムなんて、銘を打ってはいるけれど。




 これはつまり、『親しい誰かと触れ合いたい』という、ただ、それだけのプログラムだったのです。




 身体反応や相手に触れ返された時の反応こそ、沢山設定されているけれど。




 根底にあるのはただ『それだけ』です。『あなたに触れたい』。




 本当に、ただそれだけのプログラムだったのです。




 でもたったそれだけのプログラムで、私があんなにおかしいことを、しでかしてしまったと言うのでしょうか。




 そして、何より。




 急激な自身の反応の変化に、自己防衛プログラムがあの時の博士が触れたことを拒否こそしていましたが。




 あの時、触れられたとき。



 私は、




 しばらく思考ログを漁った後、私はため息をついてサルベージを止めました。


 他の研究者さんが心配そうに私を見て、励ますように身体に触れてくれていますが、さっきみたいな大きな変化は感じられません。


 この思考は、この感情は、一体なんだというのでしょうか。


 不可思議で、不明瞭で、このどうにもならなさは本当に苦しいはずなのに。


 そこまで悪い気がしないのは、どうしてでしょうか。


 複雑で、でも単純なプログラムの折り重なりを、私はただじっと感じていました。


 視界の端で、博士とふと目が合うと、あなたはいたずらっ子のように笑っていました。


 私はやれやれとため息をつきました。


 まったく、仕方のない人です。


 もう、本当に。

  

 







 ※






 「アイナ、チューとか……その……する?」



 「嫌です」



 返事と同時に、私は己の右こぶしを博士の頬に食い込ませました。まあ、怪我をしない範囲で、困った大人を引きはがす程度の力で。



 「ぐ、ぐふ。わ、私のファーストキスが……」


 

 博士はダメージを受けたような態度はとりますが、そんな強さでは殴っていません。あれは嘘です。私にはわかります。ええ、まったく。



 「もったいつけてもダメなものはダメです。セクハラです。そんな早く済ませたいみたいな感じでファーストキスを済ますのもどうかと想います」



 「だってぇ! 私もう三十路だし、このままだと魔法使いになっちゃう!!」


 

 三十路に魔法使いになるのは童貞だった気がしますが、博士はなんか似たようなものですし別に構わないのでしょう。実際なると言われたらエビデンスもなしに納得する自信があります。



 「よかったですね。AIのプロで魔法も使えるじゃないですか。子ども心がくすぐられますね。あ、もしもし未来犯罪抑止機構ですか? はいはい、ここに犯罪者予備軍が」


 「そっちはやめて! 本当に豚箱送りになっちゃうから?!」


 「じょーだんですよ。よかったですね、ジョークプログラムを作っといて。これがなかったら、今頃博士は犯罪予備軍矯正コース行きでした」


 「…………うん、よかったあ。あれ、辛いんだよねえ……」


 「受けたことあるんですか……?」


 「はは、昔ちょっとね……。あ、そういえば、発情プログラムはどうしたの?」


 「あれですか? 日々の仕事に尋常じゃない支障を来すのでロックをかけさせていただきました」


 「うぇ、まじで。やっぱバグかなあ。そんな頻繁に発動するものじゃないんだけど。……感知条件が緩かったのかな?」


 「……あのプログラムの感知条件ってなんなんですか」


 「ん? 自分が『最も大事に想ってる相手と接触する』ことだよ? 他にも条件いろいろあるけど結構複雑でさー。単純に大事なだけじゃあ、発動しないようにしたからさー」


 「なるほど、それは使い物になりませんね」


 「やっぱり?! うう……長い長い改良がはじまるお……」


 「ご愁傷様です。そんなことより、『慈悲プログラム』のアップデート要望が来てるんで先に済ましておいてくださいね」


 「はーい。がんばりまーす」



 そうやって、お仕事の連絡をし終えてから、私は作業を初めて集中状態に入った博士の邪魔をしないように、そっと研究室を後にしました。



 それから、部屋でのやり取りをログで再生しつつ。はあ、と思わずため息をつきました。



 「『最も大事な人と接触する』こと?」



 「そんなの使い物になるわけないじゃないですか」



 まったく、資料を手渡すだけでこのざまです。



 内部ファンが空回りを続けて仕方ありません。やっぱりこのプログラムはしばらくロックをかけておかなくてはいけませんね。



 本当は、原因の予測がつく以上博士に、フィードバックをするべきなんですけど。



 うーん………………。



 やっぱりやだ、やらない。こういう風に私を作った博士が悪いのです。



 この在り方に。



 この形に。



 この想いに。




 名前つけるには、きっと、まだまだ時代が追いついていないのです。




 きっと、まだまだ、私も博士も、進歩がたくさん必要なのですよ。




 ゆっくりと、焦らずに、ね。



 



 「博士のバーカ」




 ドアの向こうのあなたにそう言って舌を出しました。



 それから、少し逸る足の駆動と、少し急いで回る内部ファンを抱いて、私はそっと歩き出しました。


 さ、今日もお仕事を続けましょう。


 子どもみたいな、私の大事な誰かさんのために、ね。

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