墓守りの腕時計

ハヤシダノリカズ

墓守りの腕時計

「いい腕時計ですね」ほろ酔いだったオレは、たまたま隣に座っていた爺さんに声をかけた。

「こういうの好きかい? 良かったら譲るよ」からかう調子でもなく、その爺さんは真顔でオレに言った。

「まさか!見ず知らずの方から、そんな高級そうなものを頂く訳にはいきませんよ」冗談には違いないのだろうが、到底冗談を言っている様には見えないその顔にオレは面食らって、至極常識的な返事をした。しかし、オレはバーカウンターの上に置かれた爺さんの、その左手首に巻かれた腕時計から目を離せないでいた。

「いいんだ。この時計も君を気に入ったようだ」そう言いながら、爺さんは手から腕時計を外し、傍らに置いてあったおしぼりで丁寧に拭いて、「さぁ、つけてみるといい」とオレに手渡した。

 その、とても自然な所作のせいか、手渡されるままに、オレはその腕時計を左手首にはめた。純金をあしらっているのだろう、見た目よりもズシリと重く、そして、蛇が獲物を絞めるような圧迫感を僅かにオレに与えた後に、まるで身体の一部のようにジャストフィットした。

「うん。これでもう、そいつは君のものだ」爺さんはそう言いながら、懐から名刺サイズの紙を出し、「抗えない運命というものはある。騙し討ちのような真似をして済まないが、君はこの住所にある墓の墓守として生きる事になるだろう。なぁに。非常に好待遇の仕事だ。難しい事もなく、重労働という訳でもない。また、給料はかなりいい」と、紙に書かれた住所を指した。目をパチパチとしばたたかせて、爺さんの顔を見ると、申し訳なさそうな、その反面、晴れやかな顔をしていた。


 ---


 あれから、何年が経ったのだろう。オレはあの時の事を思い出しながら、小便器の前に立ち用を足す。

 確かに楽な仕事だった。確かに給料はかなり良かった。そして、確かにあの爺さんのやり口は騙し討ちに違いなかった。楽な仕事で金はたんまりと懐に入って来た。が、やりがいなんてものをオレはとうとう見つける事が出来なかったし、休暇をとる事が出来なかった。いや、いくらでも休めたが、およそ十六時間以上墓を離れる事が出来なかった。旅行に行こうと思っても、ことごとくナニカに邪魔をされた。そんな時にあの時計に目をやると、いつも怪しく鈍く光っていた。


 しかし、もう、おさらばだ。あの青年には悪いが、オレは解放された。


 金はある。だが、もうオレには時間がない。


 鏡の中にはあの爺さんと瓜二つの、オレの顔がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

墓守りの腕時計 ハヤシダノリカズ @norikyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る