第8話


 それから数日が過ぎた。日乃輪はひたすら勧善寺で働いた。戦後処理として、まず松丸城は廃城とすること、冬月氏は一族郎党、瀬戸内の小島に追放、幽閉とすること、などが決まった、と聞いた。そして赤城玄理齋は処刑される…。その処刑の日、日乃輪は寺をあけて、刑場へ見に行った。

 磔の十字の角材の上にあげられた玄理齋は、しきりと彰久を罵っている。その玄理齋のまわりには、囲いが出来ていて、近隣の村々から人が集まっていた。

人々は、あの男が紅鬼を作らせた…、あの男が、冬月の殿さまを惑わせた…、なんでも、人を生きたままばらばらに切り刻んでしまうのだとか…、と囁き合っている。

囲いの警護をしている侍の顔に見覚えがあった。むこうも日乃輪を見ると、ああ、と言う顔をして、なぜか囲いの中に入れてくれた。まあこれで、衆人に邪魔されることなく、特等席で玄理齋が死ぬのを見守れるわけである。

「俺は神に選ばれた者だ!俺を殺せば必ず祟りがあるぞ!」

玄理齋がわめいている。人々がざわめく…、祟りだって、祟りだって…。

「物部彰久など呪われろ!俺が死ねば、秋津志摩の医学も、科学も、百年遅れるのだ!俺こそがこの乱世を終わらせる者だ!」

彰久が床几に腰かけて、玄理齋を見上げている。人々はまたざわめく…、呪われろ、だって…、なんて恐れ多い…、医学と、何が百年遅れるだと…、乱世の終わり…。

「下手な命乞いだな。」

彰久は扇子をもてあそびながら言った。服装はいつものように、黒の筒袖の上着に、鷺の柄の胸当てをしている。

「命乞いではない!事実を言っているのだ!俺が死ねば、戦乱の世が長引くだけだ!」

日乃輪がつっ…、と前に出た。

「貴方、医学と科学が、百年遅れる、と言いましたね?」

「言ったとも!俺は神の啓示を受けた者だ!俺には百年分の英知が…、」

「ではその百年、この左海日乃輪がうめてみせましょう。」

「貴様のような小娘に何が出来る!俺は…、」

「出来るんです。貴方のように、人を生きたまま腑分けしなくても、私には人の筋骨が、臓腑が、どうなっているのか、皮膚が透いて見えるように分かる。どうぞ、秋津志摩の行く末を憂うことなく…、安心して、地獄に落ちて下さい。」

玄理齋は狂ったように笑い出した。

「馬鹿め!貴様ごときが、この玄理齋の代わりになるものか!ああ、彰久は間もなく戦で死ぬぞ!この中つ国は、また分裂する!俺がいなければ、秋津志摩は永遠に乱世のままだ!」

「わしは死なん。この秋津志摩を平定し、外つ国の果てを見るまでは、死ぬことはない。そして…、」

彰久が立って、日乃輪の横に歩みよってきた。そうして軽く、日乃輪の肩に手をかける…。

「この女なら、百年の時を、一瞬でこえたとしても、不思議には思わん。」

玄理齋は笑い続ける…。それは哄笑と言うより、逃れられない死、と言うものを前にした、逃避がそうさせるのかも知れない。

「俺は神の使いだ!死んでも、何度でも蘇り、何度でも紅鬼をこの世に解き放つ!」

彰久がすっと扇子をふった。それを合図に、玄理齋の左右にいた兵達が、その腹に槍を、深々と刺した。

玄理齋は何か…、意味を成さない声を吐き出し、口角に血の泡をにじませる。しばらくぶるぶると痙攣していたが、やがてがっくりと首を垂れた。日乃輪は…、肩に置かれた彰久の手に、そっと、手を重ねる。

「死体を落とせ!」

彰久が指示すると、今、玄理齋の腹を突いた槍で、兵達がその死体をくくりつけている縄を切った。どさっと鈍い音がして、玄理齋の身体が落ちてくる。彰久はその頭を踏みつけた。

「民衆よ!聞け!例えこの赤城玄理齋なる者、魑魅魍魎の類いにして、黄泉路から何度蘇ろうとも、その度に我、物部彰久が成敗して見せよう!」

彰久は片手を胸に当て、やや芝居がかった調子で言う。

「我、物部彰久こそが、真に八百万の神々に選ばれたる者、秋津志摩の乱世を終焉に導き、汝ら民衆に、平穏と繁栄をもたらす者なり!」

 人々の間から、おお…、と言うどよめきと、それに続いて拍手がわき起こった。彰久様、彰久様…、人々が彰久をたたえる。日乃輪も拍手を贈った。まだ…、彰久と重ねた手が、暖かい…。


 それから数日を、日乃輪は松丸城西の丸で過ごした。彰久から、赤城玄理齋が残した書類などの整理を任されたのだ。

まず、酒漬けにされて保存されていた人の臓腑は、勧善寺に運んで、僧達に頼み、念入りに供養してもらった。心の臓や脳髄を抜かれたまま、埋葬されてしまった遺体がある…、そう思うと胸が痛んだ。

 薬品の類いは調合法を確認し、大部分は捨てた。目新しいものもあったが、どうも、人を生きたまま腑分けした、その結果生み出されたものではないか…、と考えると、引き継いで使う気にはなれない。特にあの、人を熱病にする毒、は気をつけて処理した。

あとは書類だが…、日乃輪は、紅鬼の具体的な組み立て方、鳥居左右吉が受けていた訓練の内容を記したものだけを、物部の重臣を通じて彰久に渡し、あとは内容の如何に関わらず、全て燃やすことにした。

 西の丸の一角で、火をおこす…。そこに順に、書物をくべていく…。大陸から持ち帰ったのだろう、珍しい書物もあったが、読む気になれなかった。

自身を八百万神の使いと盲信する男…、自分は特別な存在だと思い込み、人を生きたまま切り刻む…。それで何か分かったとしても、それと理不尽な暴力との間に、なんの違いがあるだろう…。

切り刻まれた人々は、自分が医学の、科学の進歩に貢献した、などとは感じない…、さぞ玄理齋を憎んだろう…。これらの書物が、燃えて消え去る事で、少しでも、浮かばれる魂があるといいのだが…。

「なんだ、焚き火か?」

後ろから声がした。ふり返ると、彰久がいくつかの帳面を抱えて立っていた。

「いえ…、お知らせしたとおり、玄理齋が残した書物を、焼いています。あの男の手によるもの、どこかから入手したもの、全てです。」

「よいのか、詳細な腑分けの図などあったのだろう?それがあれば、貴様の医術の糧になるのではないか?それとも貴様、誠に人の筋骨、臓腑が全て手に取るように分かるのか?」

日乃輪はちょっと笑った。

「あれは少々大言が過ぎました。でも私は…、これが腑分けの、正しい図だとは思わない…。外道の手による、人の生き血で綴られた、恨みの書です。そんな呪われた書物から、学ぶことは何もない…。」

「ではこれも燃やせ、貴様がわしに預けてきた、紅鬼の設計図やらなんやらだ。」

彰久が無造作に、それらを火に投じようとしたので、日乃輪はついあわてて止めた。

「わ、私が腑分けに立ち会ったり、自身の手でそれを行う機会はこの先またあるでしょう。しかし紅鬼を創造することは、もう誰にも出来ないかも知れない…。あのような兵器があれば、彰久様の天下盗りが、容易に…、」

「不要だ、貴様の言を借りるなら…、外道が、外法により作った物だ。外法の物で盗れるほど、天下は安くない。」

彰久が一気に書を投じたので、火が一度に大きくなり、火の粉が舞った。日乃輪は額に手をかざす…。

「それにな、誰かが紅鬼を作れば、やがてどこからともなく製法が漏れて、あちらにも、こちらにも紅鬼がいる、と言うことになる。そして戦が長引く、そう言うものだ。壊れた紅鬼本体も、あの百足鬼とか言うのも、全て徹底的に壊す。」

そう言うもの…、かも知れない。ただ、日乃輪は理屈より、彰久が自分と同じ思いを、紅鬼に対し、玄理齋に対し、抱いてくれているようで、嬉しかった…。

「で、どうだ、その…、この間の件だ、わしの妻になる事…、考えてくれたか?」

彰久がわずかに頬を紅潮させる…。

「…私は、武蔵に帰ります。」

「また、武蔵の海が恋しくなった、か?」

「帰って、祖母の墓前に報告してきます。私は、安芸物部氏当主、物部彰久様と、この世界の、全てを見てくると…。」

彰久が笑う。大きな手を、日乃輪にのばす。日乃輪がその手を取る…。ここからはじまるのは、二人の恋の物語か…。それとも、彰久が天下を狙い、日乃輪がそれを支える、出世物語か…。はたまた、二人が異国へと船出する、大冒険物語…。

 それらの全てかも知れない。可能性は無限にある…。そしていつでも、二人は楽しい夢を見るだろう。願いを、形に変えていくだろう。二人が、力を合わせればきっと…。

煙が、青い空に吸い込まれていく、汚れを清めるように…。秋津志摩大和国は、今日も晴天だ。


                                    了

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