第10話 在る場所

 フェイガンはドジャに植え付けた記憶が、一気に流れ込んでくるのを感じた。

 与えられた果実をすぐ食べるだとか、命令を頂けて幸せだとか、頭部を帽子で隠す等、本来の彼なら自分の中に残したくない暗示が不本意に繰り返される。


 ドジャは顔に脂汗と安堵を浮かべて微笑んだ。

 ドロシーはそれを確認すると、今度は他の少年達の木も同様に引き寄せ始めた。それらがフェイガンへと全て戻って来る。

 男の頭に14本の木が生い茂り、ピクリとしか動かなくなった。


 次の瞬間、初老の男はドロシーを軽々と跳ね除け、オリバーに突進した。

 彼は跳ね飛ばされ、床に倒れると、両腕を掴まれた。その必死の怪力と激痛で両手の砂を取り落とした。


 フェイガンは最早思考が出来ておらず、ただぶつぶつ呟きながら何重もの暗示に従うだけであった。

「私は死んでもいい。何を於いてもオリバーを生かしたまま捕まえてやる」


 ドロシーは起き上がると、男の手を剥がしに掛かるがビクともしない。殴ろうが目を潰そうが止まらない。

 やがて、オリバーの骨がみしみしと音を立て始めた。

 彼が激痛に叫んだ時に、ドジャが残りの気力を絞り切ってようやく立ち上がると、持っていたナイフをフェイガンの左喉に突き刺した。

 それが引き抜かれると、脈に合わせて勢いよく血が噴き出した。


 オリバーは事態を飲み込めなかった。しばらくして、借り物の上着と帽子が血塗れだと気づき、それを謝らなければと思いつつ辺りを見回す。

 そして、神妙な面持ちのドロシーと動かないフェイガン、血まみれのドジャが順に視界に入った。

「ドジャ。血が…」

「俺は何ともねぇ。全部奴の血だ」

 オリバーはフェイガンが死んだと、ようやく理解した。そして、彼にドロシーの声が聞こえてきた。

「ドジャ、本当に済まない」

「気にしないでください。俺も母の仇を討ちたかったんだ。オリバーも気にすんなよ」

 弟分は愕然とした。自分の所為でドジャが人を殺したと思われたのだ。

 また、彼の奪われていた記憶について、過去について何も知らないと痛感させられた。


 ドジャの母は、命と1人息子を奪われた。

 犯人は離婚した元夫のフェイガンであり、犯行の動機は好きでもない息子だろうと奪われたくないというものだった。

 ドジャは記憶のほとんどを奪われ、両親の代わりに育てる代わりに、手足となって動く様に教育されたのだった。そして、様々な家や施設から子供を連れて来ては、フェイガンの手下を増やしていた。


 ドジャは過去を語った。語る事でこれは仕方の無い事で、自分がやるべき事だったと言いたいのだった。そして、彼はさも清清しそうに言い張った。

「家族も居ねぇし、仇も討った。あいつら皆、家に帰したら自主でもすっかな。もう何も残ってねぇし」

オリバーはおもむろに口を開いた。

「俺を助け出してくれたのも、仲間にする為だったのか?優しくしてくれたのも嘘なのか?」

 ドジャは俯いたまま黙った。

 彼がオリバーを助けたのは、仲良くなった弟の様な存在を守りたかったからだ。しかし、記憶を奪われていたとは言え、彼を傷つけた今、それを言う事は出来なかった。


ドジャは頭の混乱がようやく治り、汗も引いてくるとドロシーを見て言った。

「こいつの事、頼まれてくれませんか?」

「勿論。兄貴から直直の頼みとあれば、『初志』を引き継ごう。そうだね?」

「はい。有難う御座います」

 彼は立ち上がった。ドロシーは釈然としないオリバーを連れ、ドジャと共に雑木林に戻った。

 少年達に手当ての必要があるかも知れない。


 オリバーの着る血まみれの衣服は雑木林で焼き捨てた。

 ドロシーを中心に少年達を介抱した。少年達がある程度動けるようになると、夜明け前にドジャ達はそこを去った。

 その去り際に彼は名残惜しそうに言った。

「ごめんな。行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 オリバーは反射的に答えた。


 彼が孤児院から助け出された理由に気が付いたのは、後にドロシーに「初志」の意味を訊いてからだった。


 後日、ここ半年で行方不明になっていた12人の少年達が警察に保護された。

 また、彼らを連れてきた少年は、頭に木の生えた男を殺したと自主した。それは、状況や少年達の証言から情状酌量の余地があると報じられた。

 その事件が世間の記憶からすっかり消えた頃の事だ。ある町でよく当たると人気の占い師に、当たらない砂占いをする見習いが出来たと近所で少し噂になった。

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蛙は語りて、また示す 橋元ノソレ @UtheB

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