寒い季節に彼女はそっけない態度で僕を温める

重里

寒い季節に彼女はそっけない態度で僕を温める


 ブーッ。スマホが振動した。

 画面には彼女からのライン通知が表示されている。

 おかしい。俺からは送っていないはずだが……?

 訝りながらアプリを立ち上げた。


『金曜の夜。ご飯一緒に食べない?』


「へっ!?」


 メッセージを読んで、オフィス内だというのに驚きの声を上げてしまった。同僚が離席していたのは幸いだった。

 メッセージを何度も読み返した。間違いない。そう書いてある。

 ふわふわとした高揚を覚えたが、彼女の顔を思い出して直ぐに冷静になった。

 俺はため息交じりにスマホをデスクに戻す。


 彼女――瑠莉るりちゃんのことは好きだ。

 健全な男子なので性欲もしっかりとある。

 付き合い始めて半年。お互い27歳。男女交際するなら結婚も視野に入れる年頃だ。

 しかし俺達はいまだ男女の関係にすらなっていなかった。

 未だに誘えないでいるのだ。

 なぜなら、彼女の態度がそっけなさ過ぎるから――。


 再度スマホを手にして瑠莉ちゃんからのメッセージを読んだ。続けて過去のトーク履歴を遡る。

 トークの始まり。デートのお誘い。

 見るまでもない。知っている。全て俺からだ。

 対しての瑠莉ちゃんの返事は、


「うん」「ムリかも」「わかった」「ダメかな」「いいよ」「大丈夫」


 他にもパターンはいくつかあるが、肯定か否定の短い文字が並んでいる。

 絵文字やスタンプが使われることも稀だ。

 そのような態度はデートをしている時も同じだ。

 瑠莉ちゃんから話題を提供してくれることはかなり少ない。

 自ら連絡をしてくることも、勿論無かった。


 いまになって考えてみれば、出会った合コンの時からそうだった。

 あの時も彼女は殆ど喋らず、皆が騒いでいるのを聞いているだけ。

 それを勘違いしたのだ。

 なんておしとやかな女性なのだろうと。

 「これぞ理想の女性!」とばかりに瑠莉ちゃんにターゲットを絞った俺は、合コンが終わり店を出る間際、かなり無理矢理気味に連絡先を交換し、アプローチを開始した。

 そしてやっとこぎつけたデート。

 その頃からおとなしい感じではあったが、何度も何度もデートを重ねて恋人になれた後もそのような態度はまったく変わらなかった。

 それでも舞い上がっていた俺は、なんて清楚で素敵な女性なのだと浮かれ続ける。

 しかし多少の冷静さを取り戻した今ははっきりと気づいてしまった。


 瑠莉ちゃんは俺と一緒にいても、楽しくはないのだということを。


 デート中、会話はまったく盛り上がらない。

 ほとんど俺が一人でしゃべっているだけだから当たり前だ。瑠莉ちゃんは表情を変えずに「うん」とか「そうだね」という酷く短い返事をするだけだ。

 もちろん。たまには俺の話に感情を見せることもある。

 口をほころばせ。目を細めて微笑んでくれる。

 そんな時俺は、なんて可愛い笑顔ができる子なんだろう! と思ってしまう。

 普段が無表情だから尚更だ。

 ここぞとばかりに舞い上がってしまうのだ。

 しかしそんな笑顔は一瞬で消える。

 瑠莉ちゃんはすぐにすっと表情を戻してしまう。

 その後に流れるなんともしらじらしい空気と言ったら。ついさっき見せた笑顔とのギャップが激しくて、思い出すだけで辛くなってきた。


 そんな瑠莉ちゃんから、初めてのデートの誘い。


 俺も瑠莉ちゃんも一人暮らし。時間的な束縛は普段から特にないが、やはり金曜の夜だ。良い年齢の男女なら何があっても普通の事で済まされる金曜の夜だ。

 本音として嬉しくない訳がない。

 でも俺は、


「オッケーだよ。でも仕事が立て込んでて忙しい日だから、もしかしたらドタキャンしちゃうかも。その時はごめん」


 嘘の返事をした。

 金曜は打ち合わせと外回りが一社あるだけで、比較的早く退社できるはずだ。いや寧ろ定時上がり確実と言える日だ。

 それでもそう返事をしたのは、俺だけが浮かれているようで悔しいからだ。

 瑠莉ちゃんから誘われたことは嬉しくとも、一人で舞い上がっている自分に嫌気が差していた。

 彼女は俺の事なんて本当は好きじゃないのだ。

 ただ寂しさを紛らわすために付き合っているだけだ。

 でなければ、一緒にいる時間、もっと楽しそうにするはずだと。


 疑念は大きくなり、いまや確信に近いものへと変貌していた。



 金曜の夜。

 バカだな俺。昨日の夜、寝付くまで今日のことを考えていた。

 ベッドの中でぶつぶつとひとりごちていた。


「明日は絶対に早く行ってやらない」


 なんなら本当にドタキャンしてやろうかと考えていたくらいだ。

 しかしキラキラと電飾輝く冬の街。吐く息は白い。

 待ち合わせ時間の10分前。

 俺はしっかりと待ち合わせ場所に着いている。


 しかし今日の俺はいつもとは違う決意をしていた。

 浮気とか二股とか、そういうだらしない事は嫌いだ。だから瑠莉ちゃんに俺への気持ちがないことを確かめるつもりだった。

 その答えによっては別れるのも一つの選択だと思っていた。

 お互い20代後半戦。俺と一緒に居ても楽しくないのなら別れてあげたほうが彼女にとっても良いはずなのだ。

 適齢期。無駄な時間を過ごさない方がいい。


「おまたせ」


 瑠莉ちゃんは時間ぴったりに到着した。

 白い息を吐き出し軽く手を上げて現れた。一瞬見せた笑顔。しかし本当に一瞬だった。すぐにスンといつもの無表情に戻る。

 胸がきゅっと締め付けられた。

 金曜の夜に彼氏と会ってする顔か? しかも自分から誘っておいて。

 若干の苛立ちを覚えたけれど、そんな内心を隠して、


「ううん。時間丁度だね。行こうか」


 笑顔で答える。


 金曜19時。

 お店はどこも混雑しており20分ほど彷徨った挙げ句、昼はカフェで夜は居酒屋というカジュアル強めのお店に入った。

 俺はビール。彼女はジュースを頼む。

 瑠莉ちゃんはお酒をほとんど飲まない。飲めないのではなく、飲まない。

 俺の前で飲んだのは1、2回程度だ。

 酔いでも回れば会話も弾むかもと思い何度も酒を勧めてみたが、飲めるけど好きではないと、断られた。


「かんぱーい!」

「かんぱい」


 できるだけ楽しい雰囲気を作ろうと、俺は声をはずませグラスを向けた。

 彼女は軽く小首を傾けてグラスをあてる。やはり表情は乏しい。

 一口飲んで会話を始めた。


「仕事は順調?」

「うん」


「土日はどうしよう? 行きたいところある?」

「特に無いかな」


「あれ? 今日の服。もしかして新しい? そのスカート見たこと無いね」

「うん。こないだ買った」

「かわいいね。深い緑が綺麗。似合うよ」

「ありがと」


 いつも通り。会話は直ぐに終わってしまう。

 がしかしだ。今日の瑠莉ちゃんはいつもと少し違うように感じていた。無表情は相変わらずだが、どこか声のトーンが明るい。

 それに笑顔というにはぎこちないけれど、普段よりも顔をほころばす事が多い。

 なんだかんだ付き合って半年経つのだ。微弱な違いも感じ取れるようになっていた。


 デートに誘ってくれた事といい。新しいスカートを履いてきた事といい。表情の緩み方といい。

 ビールで酔いが進んできた俺は、先ほどまであった決意はとっくに薄れていた。

 むしろ今日こそは、という気持ちがむくむくと湧いてきた。

 瑠莉ちゃんに対して持っていたわだかまった気持ちは、どこかに吹き飛んでしまっていた。

 だから俺は更にビールをぐびり。酒の勢いを借りた。

 そして、


「ね、瑠莉ちゃん」

「うん」

「……今夜は一緒にいれないかな?」


 耳元でささやくように。思い切って誘ってみた。


 しかしその瞬間だった。

 瑠莉ちゃんは動きをピタリと止めた。

 カチリと固まった彼女の体を取り巻く空気すら、硬く重いものに変化した。

 彼女は俯いて口をぱくぱくとさせる。そして、


「……それは出来ない」


 27歳の女性は、付き合って半年経つ彼氏からの初めての一夜の誘いを断った。

 窓の外で輝いていた夜景の電源が全てオフにされたかのように、眼の前が真っ暗になった。

 窒息するような呼吸の苦しさを覚えながら俺は、


「なにそれ」


 無意識のうちにぶっきらぼうに言い放っていた。


 今日こそはと期待をしてしまった分。アルコールも回っていた分。そして、やっぱりかと思ってしまった分。

 キツイ言葉遣いになるのを止められなかった。


 瑠莉ちゃんは無言で視線を逸らした。

 そしてしばらく後、沈黙が流れる中。

 本当にか細い声が聞こえた。


「…………だって無理」

 

 ガタン。気づいた時には席を立ち上がっていた。

 左手にカバンを引っ掴み、伏せて置かれていたレシートを奪うように右手でむしり取った。

 

「帰ろ」


 最低な事をしているのかもしれない。そんな事はわかっていた。

 体が目当ての男みたいで酷い男と映っているかもしれない。そんな事もわかっていた。

 でも初めての瑠莉ちゃんからのお誘いに、心のどこかでは二人の未来を期待していたのだ。出来ることなら瑠莉ちゃんともう少し先に進みたかった。


 一人で店を出て、足早に駅に向かう。

 しかも彼女が使う電車の駅じゃない。俺が使う電車の駅だ。

 バカにしているのかと。半年間俺は何をしていたのだという思いに満ちていた。

 瑠莉ちゃんと初めて出会った時に感じた、俗な言い方をすればときめいた気持ちを返して欲しいとすら思った。

 半年という無駄な時間を過ごしたことを後悔したほどだ。


 もうやめよう。こんな関係。

 27歳の男が一人で浮かれているだけの恋愛なんて辛すぎる。


 瑠莉ちゃんのことを頭の中から無理やり引き剥がして歩いた。

 駅はもう目の前だった。

 もう少し。もう少しで瑠莉ちゃんと離れられる。こんな時間を終わらせられる。

 そう思って足早に進む俺の背が引っ張られた。


「ま、まって……お願い……」


 振り向くと瑠莉ちゃんが俺のコートを小さく掴んでいた。

 手がかすかに震えている。

 俺に着いてくるべく駆け足できたのだろう。息も少し上がっていた。


「あ、あの……。待って……」

「待ってるじゃん」

「そうじゃなくて……えっと……」

「何」


 わざとつっけんどんな返事をした。

 彼女の表情は相変わらず薄い。

 しかし寒さ故か。走ったせいか。頬がやたらと紅潮していた。

 その紅さを隠すように俯く瑠莉ちゃんは、声を震わせながら話し始めた。


「あ、あの……本当にごめんなさい……」

「わかってるって。俺とは本気で付き合う気ないんだろ。だから……」

「違う」

「もう、そういうのいいって」

「……違う、違うの。私…………」


 言い淀む瑠莉ちゃんに、なお苛立ちが増して口調が強くなった。


「なんだよ、はっきり言えって!」

「…………お、男の人と……お付き合いするの……初めてなの」


 ……え?


「……何もかもが初めてなの……! だから尚くんとどう接したらいいのか全然わからないの!」


 瑠璃ちゃんは俺の目をしっかりと見詰めて、少しだけ語気を荒らげた。

 初めて? 今まで彼氏がいたことがない? 俺が初彼ってこと……?

 俺が言うのもなんだが、瑠莉ちゃんは結構な美人だ。

 愛想がない為に冷たいイメージをもたれやすいとは思うが――。


「嫌だよね……27歳のこんな女……。尚くんかっこいいし。いつも優しくて明るくて。私を楽しませようと頑張ってくれているの、凄くわかってる。でも私、男の人との接し方がわからなくて。嫌な思いさせてるよね。ほんとごめんなさい」


 こんなにも一生懸命に喋る瑠莉ちゃんは初めてだった。

 そうか――俺は勘違いをしていたのか。

 どう表現したらいいのかを知らないだけだったんだ。本当は沢山伝えたい事があったのだ。


「いや、えっと……」

「嫌いになっちゃったよね……」

「俺のこと……遊びじゃないってことでいいのかな?」

「尚くん。私……好きだよ。でも、今日はムリ……だって、あの…………女の子の日だから……」

「あ、そ、そういう……ご、ごめん……」

「……ううん」


 瑠莉ちゃんはとても恥ずかしそうに、真っ赤な顔で俯いた。

 俺はなんとも気まずい気持ちだった。そして瑠璃ちゃんが愛おしくて仕方がなかった。

 俺は頭をガシガシと搔いた。懊悩した思いを吹き飛ばす。

 彼女の肩を掴んで強引に引き寄せた。


「ひゃっ」


 突然の事に驚く瑠璃ちゃん。でも構わず強く抱きしめる。


「話してくれてありがとう。ゆっくりでいいよ」

「…………うん」


 胸に顔を埋めた瑠璃ちゃんは小さく頷いた。

 駅に電車がやってきた。騒がしいアナウンスが流れている。

 俺の視界には眩しいくらいの光が飛び込んできた。



 翌週月曜日。朝。

 瑠璃ちゃんからラインが届いた。

 

「おはよ」


 たった3文字の、相変わらずそっけないメッセージだった。

 でもいまの俺の脳裏に浮かぶ瑠璃ちゃんの頬には紅が差している。

 だから俺は、スタンプと絵文字をこれでもかというくらいに着けて返信をした。


「おはようーっ!!!」




      了

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