第3話 「いずれの人」とか「敵々」とは、具体的に誰のことか

① バスターミナルの掃除のおじさん

  朝8時、夜行バスから下車し、バス停のすぐ近くにいた掃除のおじさんに「霊巌洞行きのバス乗り場」を尋ねたところ、おじさんは(宮本武蔵と霊巌洞のことは知っていても)そこへ行くバスの乗り場をご存じではありませんでした。


  私は、冗談交じりに「熊本の誇る英雄が世界的に有名な「五輪書」を書いたあの霊巌洞。そこへ行くバス停(40個くらいある内のひとつ)を知らないとはいけませんなぁー。」なんて笑いながら、バスターミナル内の案内所へ向かいました。

  

  案内所でその情報を知った私は、再度おじさんが掃除している所へ行き、(若干の)罪悪感・劣等感を抱いているであろうおじさんに「バスの行き先名と乗り場、そして下車すべきバス停」を教えてあげることで、彼の暗の気持ちを陽に反転させてあげました。

  案内所で私がもらった(プリントされた)バス乗り場と時刻表を見せて説明すると、おじさんはニコニコしながら熱心に聞いていました。

  陰の気持ちを陽にしたのですから、まさに私は「武蔵二天一流」を実践したわけです。

  *「武蔵二天一流という設計思想」における特徴の一つは「敵の心を見て戦う」「心理的な操作によって物理的に人を動かす」という、心と身体という2つの要素を効果的に運用するというアルゴリズムにあります。

② バスターミナル、九州三交バス案内所の女性

③ バスの運転手さん(私鉄バス)

④ バスの運転手さん(市バス)

⑤ 雲巌寺住職

  私は当日の入場者の5人目ということでした。→ 思わず心の中で「五輪書」と同じ「五」とは縁起がいいぞ、と叫んでいました。

  帰りにもご住職と話しをさせて戴いたのですが、その内容は次回。


⑥ 宮本武蔵

  誰もいない霊巌洞で約2時間、私一人で立って佇んでいると「おれの真実を語ってくれ」という武蔵の声が聞こえたような気がしました(ちょっと、言い過ぎかもしれませんが)。

⑦ 五百羅漢

  霊巌洞へ向かう時には全く気にしていなかったのですが、帰りに彼らの前を通った時「おれたちは霊巌洞を守る為にここにいるのだ」という五百羅漢像たちの声が聞こえたような気がして、思わず何枚かの写真を撮ってしまいました。

⑧ 女子高生

⑨ ラーメン店のおばちゃん

⑩ バス乗り場にいた女性

⑪ バスターミナル案内所の女性

⑫ RFホテルのフロント女性

⑬ (バスターミナル横にある)業務用スーパーのお客さん(1)

  店に入ってすぐの所に、乾燥フルーツやナッツをチョコで包んだ棒菓子が山積みになっていました。その脇で、3本くらいのバーを握り、更に物色している中年の女性(おばちゃん)が立っていました。ところが、この菓子が山積みになった籠には値札がついていない。

  そこで、このおばちゃんに値段を尋ねたところ、「わてもようわからんのやけど、一か八かで買うたりますわ(この熊本弁というか関西弁は曖昧)。」なんて言う。

  わたしは心中思わず笑ってしまったのですが、「じゃあ、私が店員さんを呼んできましょう。」と言ってそこを離れると、少し離れたところの棚に、このチョコバーが種類ごとにきれいに並べられ金額も表示されているのを発見。

  そこで、おばちゃんのところへ戻り「おねえさん(おばちゃんなんて言ってはいけません)、あそこの棚にこれと同じ物が並べてあり、値段も書いてありますよ。」と教えてあげました。

  続けて「一か八かなんて、値段のわからないものを買うおうという気っぷの良さは、さすが熊本女ですね。」と言うと、おばちゃんは顔をほころばせて「○○○ !」と、熊本弁でなにか話していましたが、私はよくわからないので、笑顔でその場を去りました。

  彼女と話した時間はほんの10秒程度ですが、きっちりコミュニケーションは取れたわけです。

⑭ (同じく)業務用スーパーのお客さん(2) 

⑮ (同じく)業務用スーパーの店員さん(1)

⑯ (同じく)業務用スーパーの店員さん(2)

⑰ 再び女子高生

⑱ 近鉄バスの運転手さん

  朝8時から夜9時まで、18回に及ぶ彼や彼女たちとの真剣勝負(といっても、一言二言、言葉を交わしただけのことなんですが)こそ、今回の旅行に於ける「宮本武蔵的なる生き方」の実践であり鍛錬であったのです。

  武蔵の言う真剣勝負とは、彼が30歳頃までに行った60数度に及ぶ、太刀による殺し合いのことばかりではありません。むしろ、見知らぬ人との一瞬の出会い・接触にこそ「真剣勝負の醍醐味」がある。そして、そういう「日常生活に於ける真剣勝負の楽しみ」を、武蔵なりに分析したのが「五輪書」なのです。

  その意味では、ディール・カーネギーの「人を動かす」という「人間関係をうまくやる為のハウツー本」に通じるところがありますが、武蔵の「五輪書」とは、縄文人という単一民族(もしくは非常に血の濃い)人間のための書ですから、アメリカ人や韓国人のように、いろいろな血の混ざった人たち向けのカーネギー本と、匂いは似ていても味や素材は全く違う料理の如し、なのです。

  武蔵は、13歳から30歳までの間に体験した、60数度の命を懸けた戦いで身に着けた問題解決手段とプロセス(アルゴリズム)を、その残りの人生における無数の「殺し合いではない真剣勝負(日常の人間関係)」で応用し、楽しんでいたのでしょう。

<続く>

2023年2月5日

V.1.3

平栗雅人

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熊本で宮本武蔵を体験する V.1.3 @MasatoHiraguri

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