だからせめて、私にもセレスと同じ罪を背負わせて!

 私たちは地図を参考に魔王城へと向かった。太陽が沈み、月が昇るのを五回繰り返したころ、私たちはようやく魔王城とその城下町と思しき場所にたどり着いた。


 城下町の入り口に近づくと、門番が槍を突き出して警戒心をあらわにしていた。


「貴様。人間か? しかし隣の貴様。その魔気の量は……」


「私たちは魔気を譲渡するためここまで来ました」


 門番は悩ましい表情をしていた。だけどしばらく沈黙を保ったあと、槍をこちらに向けたまま、こんなことを告げる。


「魔気がある方は通れ。だが人間。お前を通すわけにはいかない」


「だったら私の魔気は諦めてください。私の恋人を通してくれないのなら、あなた方は魔気を手に入れられないし、ただ、人間に滅ぼされるのを待つだけです」


 セレスは真剣な顔つきで私の手を握った。私は横目でセレスの表情を伺う。凛としたセレスは可愛いし、かっこよかった。


 門番はううむと唸っていた。そんなとき、門の奥から勲章のようなものを大量に衣服につけた男がやって来た。それに気づいた門番は敬礼をしていた。


「ウォ、ウォルターさま!? どうしてこのような場所に」


「凄まじい魔気を感じたがゆえに魔王さまが帰還したのかと思ったが、誰だ貴様は」


 ウォルターと呼ばれた男から放たれるのは凄まじい殺気だった。もしもこの男と戦えば、私は容易に敗北を喫するだろう。その圧力に私はひるんでしまう。でもセレスは相変わらず堂々とした態度だった。


「私は聖女です。あなたの仕える君主を殺しました」


「なんだと!? 魔王さまが貴様なんぞに?」


「戦うつもりはありません。私はもはや王国から追われる身。あなた方を殺す理由はありません」


「だが俺たちにはお前を殺す理由がある」


 ウォルターは魔王と同じように、闇から剣を取り出した。その瞬間に、私も剣を引き抜き、セレスの前に立つ。でもセレスはそんな私の肩を叩いて、前に出ていく。


「私には、ルーティアという命に代えても守りたい恋人がいるのです」


 その言葉に私は顔を熱くする。セレスは頭を下げて言った。


「私があなた達にとって怨敵であることは分かっています。でももしも今、私が死ねばルーティアが悲しんでしまう。だから死ぬわけにはいかないのです。どうか、罪滅ぼしをさせてください。あなた方が私を許してくれるまで、可能な限り協力します」


 ウォルターは聖女を睨みつけていた。だがやがては剣を闇の中に消した。


 門番は動揺していた。


「なぜです? ウォルターさま」


 ウォルターは苦々しい表情で答えた。


「かつて魔王さまは人間の男を信じ、受け入れた。その時、私もそなたらと同じ反応をした。だが信じないことは罪だと魔王様はおっしゃっていた。私は貴様のことなど信じぬ。だが魔王様のことは今も信じている。だから殺さないのだ」


 そう告げてウォルターは私たちに背を向けて、門の中へと歩いていった。私たちも後を追った。門の中の魔物たちはウォルターをみると頭を下げていたが、私たちには怒りの視線を向けていた。


 やがて魔王城の前までやって来る。堀の上の石橋を渡り、巨大な扉を抜けて城に入る。ウォルターが今の魔王城で一番高い地位にいるのか、私たちの姿をみても異議を唱える者はいなかった。

 

 やがて私たちは魔王の魔にたどり着く。そこには空席になった玉座があった。紫色の宝玉はその傍らに浮いていた。


「どうやらあれが宝玉のようね。いくつもの防御魔法で徹底的に保護されているわ」


 セレスがそんなことを口にする。私には何もわからないけど、セレスには分かるみたいだ。


「これがみえるのはお前に魔気が宿っている証拠だ。普通の人間には目視はできない」


 ウォルターがそう告げたとき、鐘がなった。


「敵襲です。ですが敵は少数です。ウォルターさまは魔気の吸収に集中してください」


 小柄な女が走ってきてそんなことを告げた。ウォルターは頷いて、宝玉を手に取る。


「まずはお前がこの宝玉に魔気を注ぎ込むのだ。ただ手に取り念じるだけでいい」


「分かりました」


「だがその大量の魔気。全てを吸収させるには丸一日はかかるだろう。王国が攻めてくる前に間に合えばいいのだが」


 セレスは宝玉を手に取った。紫色に宝玉が輝く。私はセレスと手を繋いで、その様子をじっと見守っていた。これでセレスは苦しみから解放されるのだ。


〇 〇 〇 〇 

 

 セレスが宝玉に魔気を流し込み始めてから、一時間が経つ頃、城内が慌しくなっていた。


「敵は少数です。ですが一人化け物のような強さの人間が城門まで!」


「なに? まさか騎士団長か?」


 騎士団長の噂は私も聞いたことがある。一人で百人分の戦力を誇るという正真正銘の化け物だ。もしもそんな存在が攻め込んできているのなら、魔王がいない今、ここを守れる存在はたった一人。セレスしかいない。

 

 でもセレスは、魔物も人も殺したくはないはずだ。元よりセレスは心優しい人だった。かつて聖女として活動していたときも、いつだって人の心配をしていた。誰かを傷付けることを何よりも恐れていた。


 突然、轟音がとどろいた。かと思えば悲鳴がどんどん魔王の間へと近づいてくる。


 セレスはぎゅっと私の手を握り締めていた。


 ウォルターは配下たちが殺されることを我慢できなかったようで、闇から剣を取り出して飛び出していった。


「クソ。人間どもが。なぜ俺たちを滅ぼそうとするのだ。俺たちはただ、平穏な毎日があればそれでいいというのに」


 だけど魔王の間の外に飛び出した瞬間、ウォルターは死体となって吹き飛んできた。胸に大きな切り傷ができていて、そこから真っ赤な血が溢れ出している。


 魔王の間の入り口で鋼鉄に身を包んだ騎士団長が、魔物殺しの剣を両手に私たちを睨みつけていた。セレスは宝玉から手を離し、呪文を唱えようとした。


「はっ。魔物の血も赤いのだな? 聖女よ。お主も魔物と変わらぬ。ここで死ね!」


 だが騎士団長はとんでもない速度で、突っ込んできた。詠唱はまだ終わっていない。私は何とかセレスの正面に立ち、その二刀流を受け流そうとするが、気付けば首が飛んでいた。


 奇妙なもので、首が飛んでも人はしばらくの間、意識を保てるらしい。 


 目を見開いて私をみつめる血まみれのセレス。それが私が最期にみたものだった。


〇 〇 〇 〇 


「あああああああ!」


 ルーティアが死んだ。私の、私の大切な人が。


 私は狂乱した。叫んで叫んで、人間殺しの魔法を放った。私はためらってしまったのだ。魔王の魔法なら詠唱なんていらなかった。なのに私は人造魔法の絶対の盾を唱えようとして、ルーティアを失った。


 騎士団長は跡形もなく消えた。それどころか、恐らくは近辺一帯の人間は皆殺しになったと思う。それでも私は憎しみに任せて、人間殺しの魔法を唱え続けた。


 私は膝から崩れ落ちた。首から先を切り飛ばされたルーティアの死体を抱えて、ただ茫然と、虚空をみつめていた。


 もう、生きる意味なんてない。私はルーティアの剣を手に取って、自分に向けた。でもその瞬間に、魔物の生き残りが私を呼び留めた。


「その人を蘇らせたいのなら、方法があります! だから死なないで! あなたは我々の最後の希望なんですよ!」


「蘇らせる、方法?」


 私は涙も拭わずに問いかけた。


「そうです。人間は生気からできている。だから宝玉を用いて生気を流し込めばいいのです。寿命で死んだわけではないのなら、この方法で蘇らせることができます」


「本当に、蘇らせることができるの?」


「本当です。でも、宝玉はもともと魔気の受け渡しをするようにしかできていないから、相当な量の生気が必要になるでしょう。具体的には、大都市一つ分の人間を殺せば、十分かと」


 私はルーティアの死体をそっと横たわらせて立ち上がった。宝玉を片手にウォルターの死体へ向かう。そして宝玉の魔気をウォルターに流し込んだ。するとウォルターの死体はみるみるうちに再生していき、元通りの姿になった。


「む。……どういうことだ。俺は確かに死んだはずでは」


 私はその声を無視して、城内の死体たちに再び命を与えて回った。


 どうやら、あの魔物の言葉は本当らしい。


 私はまた、魔王の間へと戻った。


 魔物たちはお互いに抱きしめ合って喜んでいた。そしてみんな口々にこんなことを告げる。


「新たな魔王さま。ありがとうございます。あなたは私たちの命の恩人です!」


 ウォルターまで跪いて頭を下げていた。


「……感謝する。新たな魔王よ」


 命を奪った魔物たちに感謝されるなんて不思議な気持ちだった。でも今はそんなことはどうでも良い。


「人間の街を滅ぼすのに手を貸してください」


 私がそう告げると、みんな歓声を上げた。だけどウォルターだけは疑問を呈していた。


「本当に同族を殺してもいいのか? 敵意のない同族だぞ?」


 私は静かな声で答える。


「私はルーティアがいなければ、生きていけない。ルーティアがいるからこそ、私は今日まで生きてこられたのです。ルーティアを蘇らせるためなら、私は悪魔にでも、魔王にでもなります」


「……そうか。分かった。一度死んだ身だ。命尽きるまで従おう」


 私はルーティアの死体を抱えて、王座に腰を掛ける。


 その瞬間、跪いた魔物たちから歓声が上がる。


 その日、私は魔王になった。


〇 〇 〇 〇 


 私は魔王軍を引き連れて進軍した。王都に近い大都市を目指し、ひたすら馬で駆けてゆく。途中で見かけた人間は魔物たちに任せて皆殺しにした。紫色の宝玉に黄緑の光が宿っていく。


 まだまだ小さな光だ。もっと光がいる。もっと、もっと殺さないと。


 私たちは休まずに進軍した。すると平原の向こうに高い壁に囲われた都市がみえた。私は魔王と同じ魔法を使って、一人空を飛んだ。そして兵士だけを狙い撃ちして、人間殺しの魔法で殺していく。掃討し終わると、魔物たちに命じた。


「皆殺しにしてください」と。


 すると魔物たちは都市に突撃していった。


 朝日が夕日に変わるころ、都市の外に死体の山が築かれていた。私は死体から生気を抜き出して宝玉にためてゆく。あんなにも弱かった光は今はもう、まばゆいほどになっていた。


 私は袋を開き、ルーティアの死体に宝玉をかざした。するとちぎれた首は元通りになり、みるみるうちに肌の色が生き生きとしてくる。そしてついには、ルーティアは目を覚ました。


「……セレス? なんで私、死んだはずじゃ」


 私は涙を流しながらルーティアを抱きしめた。抱きしめて、何度も何度もキスを落とした。ルーティアは驚いていたけど、すぐに抱きしめ返してくれたしキスだって返してくれた。


「ありがとう。セレス」


〇 〇 〇 〇 


 セレスがどうやって私を蘇らせたのか、話を聞いて、私は心配になった。いくらセレスが私を愛してくれているとは言っても、人を殺すというのはやっぱり辛かったはずだ。


「大丈夫? セレス」


「……うん。大丈夫だよ。私はルーティアのためなら何だってできる」


 その言葉は嬉しい。でもやっぱりセレスのことが気がかりだった。セレスは一人であらゆる責任を背負ってしまっている。そんな気がしたのだ。


 そのとき、小柄な女がセレスの元へと寄ってきた。


「魔王さま! 耳に入れたいことがありまして」


「なんですか?」


「どうやら王国はまた聖女を生み出そうとしているようです。魔王さまを倒すために。命乞いをする研究者がそんな情報を漏らしていました」


「報告ありがとう」


 セレスが微笑むと、小柄な女は照れくさそうにして仲間たちの元へと戻っていった。


「……王国も滅ぼさないとだね」


 セレスは氷のように冷たい表情を浮かべていた。


 確かに私たちの幸せを絶対的なものにするためには、王国は排除されるべきだ。でも王国を滅ぼしたセレスは果たして今のセレスのままでいられるのだろうか?


 国を滅ぼして正気でいられるほど、セレスは粗野ではないはずだ。それどころかむしろ繊細な人のはず。セレスの決意の強さは分かっている。死体の山をこの目でみたから。だから引き留めることなんてできない。


 でもだったら、せめて、私にも責任を持たせてほしい。


「セレス。私も戦うよ」


「だめよ!」


 でもセレスは私の両肩に手を置いて、そう叫んだ。


「私はもう、ルーティアに危ない目にあってもらいたくないの。もう二度と、死んでほしくないのよ。私を一人にしないで? お願い。ね?」


 私は頷くしかなかった。実際私は非力だ。ずっと助けてもらってばかり。何も言えないでいると、また魔物がやって来て、セレスに声をかける。


「魔王さま。今日はこの都市でみなに休息を取らせます。それでよろしいでしょうか」


「それでいいわ。明日は王都を攻める。だからしっかり休むように言っておいて」


「分かりました」


 そうして魔物はまた去っていく。


 本当に、私は情けない。私の好きな人が私のために大きな罪を背負おうとしてくれているのに、それをただ見ているだけなんて。


〇 〇 〇 〇 


 私はセレスと一緒に、大都市の長の住処と思しき豪華な部屋のベッドで休んだ。目を閉じていると突然、セレスは私の体に触れてきた。月光に照らされたセレスは、服を脱いでいた。魅力的な肢体を私に晒している。


 その瞳は潤んでいて、頬も上気している。何を望んでいるのかすぐに分かった。


 私は無力だ。だったらせめてこれくらいは答えてあげないといけない。無力な私が、そんな欲を満たしてもいいのか、自信なんてない。でも大好きなセレスが望んでいるのだ。私は無力感に苛まれながら、セレスと交わった。


〇 〇 〇 〇 


 翌朝目覚めると、セレスは隣にいなかった。慌てて衣服を身に纏い、外に出る。警備のために残された魔物たちが大都市に残っているだけで、セレスはいなかった。


 やっぱり私は耐えられなかった。昨日の記憶がよみがえる。セレスは一人の可憐な女の子なのだ。なのにセレス一人だけに王国を滅ぼす責任を取らせるなんて。


 私は魔物たちの目を盗み、馬で王都を目指した。たどり着くころになると、日は落ちていた。だけど燃え盛る王都が夕日のように眩しかった。


 私は馬を止めて、王都の中に入る。石造りの街には死体が転がっていて、血だらけだった。セレスとそれほど仲がいいわけでもない魔物たちですら、セレスと責任を共にしているのだ。なのに私が蚊帳の外でいいわけがない。


 私は王都の中を進んだ。すると中央の広場でセレスの姿を見つけた。


 セレスは小さな少女と対峙していた。その少女はかつてセレスが手にしていた銀杖を両手で抱えていた。もしかするとこの少女が新たな聖女なのかもしれない。でも魔法を唱えようとはしなかった。


 あたりを見回して、逃げ道がないことを知ると絶望したような表情を浮かべていた。


 私はその少女の前まで走った。


「ルーティア? なんでこんなところに」


 セレスはとても悲しそうにしていた。きっとみられたくなかったのだろう。人間を殺そうとしている瞬間を。言い訳みたいにこんなことを口にする。


「私にはあなたしかいないのよ。あなたと幸せになる。その為なら、どんな罪だって犯すわ」


「私も同じ気持ちだよ。だからせめて、私にもセレスと同じ罪を背負わせて!」


 次の聖女と思しき少女は体をびくびくと震わせていた。聖女は人の手によってつくられると聞いている。だとするなら恐らくは、この少女はまだ未完成なのだろう。


 私は剣を抜いて、その少女の首元にあてる。


「ルーティア! あなたは汚れなくていいのよ。汚れるのは私だけで……」


「違うよ。セレス」


 私は涙を流しながら告げる。


「私たちは一緒なんだよ。なんでも一緒じゃないとだめなんだよ。これまでだってそうだった。魔物を殺すときも、お風呂に入るときも、劇を見るときも、王都から逃げ出すときも。いつだって、ずっと一緒だったんだよ」


 セレスは涙を流しながら、私に近づいてくる。


「だからお願い。私も一緒に傷付けさせて」


 するとセレスは私の後ろから、剣を握る手を掴んだ。少女は相変わらず怯え切って、縮こまっている。私は心の中でつぶやいた。ごめんなさい。私は君を殺さないといけない。恨むならいくらでも恨んでくれていいから。


 どうか、私にもセレスと同じ罪を背負わせて。


 鮮血が噴き出した。


 燃え盛る町。広がる星空の下。


 私たちは血と涙まみれでキスをして、永遠を誓い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その日、聖女は魔王になった 壊滅的な扇子 @kaibutsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説