どんな最期でも私は後悔しないよ。セレスと一緒に死ねるのなら、それでいい
鬱蒼とした森を歩いて、王国から魔物の領域に足を踏み入れる。夜は明けて、朝になっていた。でも今野営をするわけにはいかない。もしもセレスが世界を滅ぼしうる存在なら、魔殺騎士団はあの程度では諦めないだろう。
森を抜けると山に囲われた平原が現れる。村のようなものがみえた。魔物たちの村だろう。建物の形からして王国の文化とは違う。それにしても王国のこんな近くに魔物が住んでいるなんて。
村を避けて進みたかった。でも周囲は急斜面の山が広がっていて、王国から逃げるためには進むしかなさそうだ。できるだけ慎重に、気付かれないように村に近づく。
でも私たちは気付く。村には誰もいないのだということに。
村に入っても、村の魔物たちが着ていただろう衣服がそこら中に散らばっているだけだ。大人用と思しきものから、子供用らしきものまで。
セレスは見るからに辛そうにしていた。でもそれは身体的なものではなくて、精神的なものが大部分を占めているようにみえた。
セレスは子供用の服を手にして、心苦しそうに告げた。
「たぶん、私の人造魔法が殺したのでしょうね」
武装した魔物以外の生きていた印を見るのはこれが初めてだった。というのも人造魔法の射程は非常に長い。王国から隣国の最端。つまり魔物の国の端まで届くくらいに長射程なのだ。
「気負わないで。セレス。先に王国に攻撃してきたのは、魔物の方なんだから」
私はセレスを抱きしめた。しばらく抱きしめるとセレスは微笑んだ。
「大丈夫よ」
私も微笑み返して、村の探索をする。食料や飲み水。厩舎には馬もいた。
「これでひとまずは大丈夫だね」
「そうね」
でもセレスは目を細めてうつむいていた。
「でもきっと王国は魔物たちを滅ぼそうとするでしょうね。魔王がいなくなった今、魔殺騎士団だけで十分に対応できるもの。でも、もしもそうなったら、私たちはいよいよ終わりね」
確かにそうだ。魔王は王国最大の障害だった。でもそれはセレスが殺してしまった。そして妙なことに今、セレスには魔王の力が宿っている。セレスが世界を滅ぼすかもしれないというのが真実なら、王国に攻撃をためらう理由は全くない。
「王国が全戦力を差し向けてきてもおかしくない。今だって私たちを殺すため、そして魔物を滅ぼすために進軍して来てるかもしれないわ」
そのとき、轟音が来た道から聞こえてきた。私は振り返った。するとそこには大量の軍勢が進軍して来ていた。視界の端から端まで埋め尽くすほどの騎兵たちだった。
私は慌てて食料や飲み水が入った袋を馬にかけて、飛び乗った。
「セレスも早く!」
私が手を差し出すと、セレスはそれを掴んで私の後ろに乗った。お腹にぎゅっと腕を回して、私に密着してくる。今はそんなことを気にしている場合ではないけど、やっぱりドキドキしてしまう。
私は頬に熱を感じながら馬を走らせて、村を出た。魔物の領域を奥へと進んでいく。この調子ではやがては魔物との接触も避けられないだろう。そのとき、私はセレスを守れるだろうか。
〇 〇 〇 〇
しばらく馬を走らせると、軍勢はみえなくなった。歩幅を合わせる必要があるから、王国の進軍は私たちよりも遅いのだろう。でもいつか王国は魔物を滅ぼし、私たちから逃げ場を奪う。
山間の谷を抜けると平原が広がった。途中の小川で水を補給したり、野草を摘んだりしてできるだけ食料や水の消耗を少なくしようとしたけれど、どんどん無くなっていく。
進めど進めど、村にはたどり着かない。そもそも村にたどり着いたところで、そこに魔物が住んでいたのなら食料がなくとも避けるしかない。
あるいは、危険を承知で盗みに入るか。
時が経つにつれてセレスはまた辛そうにし始めていた。魔王を殺した直後よりはまだ穏やかではあったけれど、放っておけばまたあのようになってしまうかもしれない。
「大丈夫? セレス」
私たちはばてた馬を止めて休憩していた。日は沈みかけていて、辺りは薄暗い。
「大丈夫よ。でも少し辛いわね」
「……もしかしてだけど、またあの魔法を使えば楽になるんじゃないの?」
魔殺騎士団の追撃者たちを魔王と同じ風に皆殺しにしたあと、セレスは明らかに体調をよくしていた。精神的には最悪ではあったけど。
「使いたくないわ。私は魔王じゃない。人を殺すためだけの魔法なんて、もう、使わないわ。ルーティア。あなたが危険にさらされない限りはね」
私はセレスを抱きしめて告げた。
「ありがとう。セレス」
セレスも私を愛してくれていることが嬉しかった。でも同時に疑問だってあった。
「……どうしてセレスは私の気持ちに答えてくれたの?」
セレスは美しい容姿に立派な人格を持ち合わせている。だから誰からも尊敬されていた。それに比べて私はセレスほど美しくはないし、性格だって普通だ。誰にも平等に接することなんてできない。
セレスは夜空の星々を見上げながら告げた。
「ルーティアは私を一人の人として捉えてくれていたからよ。みんな、私を守る対象だとか、崇拝の対象だとか、とにかく何かしらの属性でしかみてくれなかったのよ。でもあなたは、私を私としてみてくれた」
セレスは私の後ろ髪を撫でてくれた。
「私を知ろうとしてくれたでしょ? 好きな食べ物はとか、好きな劇はとか、好きな人はとか。あの時は誤魔化したけど、もう既に私はルーティアのことが好きだったのよ?」
その返事を聞いて、私は少し残念に思った。
「知ろうとするなら、私じゃなくてもよかったんじゃないの?」
「そんなことないわよ。どうすれば私のこと、信じてくれる?」
「だったら今度はセレスから私にキスして欲しい」
セレスは恥ずかしそうに頬を赤らめていた。でもすぐに私の唇にキスを落としてくれる。
「キスするのって、こんなに恥ずかしいのね」
「でも、幸せな気持ちになれるでしょ?」
「そうね」
私たちは抱きしめ合ったまま、横になった。綺麗な夜空だった。星がたくさん瞬いている。セレスは切なげに告げた。
「これから私たちはどうすればいいのかしらね」
人類には敵視され、魔物たちにも憎まれている。このまま逃げたところで、私たちには幸せな結末なんて待っていないのかもしれない。だったら私たちはなんのために生きるのだろう。
私は悩んで、でもそれがすぐに愚問なのだと気付く。私は少しでも長くセレスと過ごすために、生きるのだ。
「セレス。どんな最期でも私は後悔しないよ。セレスと一緒に死ねるのなら、それでいい」
「私もよ。ルーティア」
私たちはまたキスをした。横になったまま、どちらからというわけでもなく。
〇 〇 〇 〇
食料が尽き欠けたある日、私たちはようやく村を見つけた。その村には魔物たちが生きていた。もっとも魔物と言っても、その姿は人間そのものだった。
人間の姿をしているのは魔王だけかと思っていたけど、どうやら違うらしい。魔物たちは人と同じように生活を営み、笑い合っていたのだ。セレスは苦しそうな表情をしていた。
これまで完全な悪だと断じて来ていた存在が、こんな風に生活していたなら誰だって動揺する。でもそれだけならまだ良かった。セレスは身体的な苦痛にも侵されていたのだ。
また魔王の力を使わなければ、体の痛みは消えてくれない。でもセレスは魔法を使うのを拒んでいた。
「大丈夫よ。まだ耐えられるわ。どうしても耐えられなくなったら使う。死ぬようなことはないから、安心してルーティア」
セレスは顔を強張らせながらも笑った。私としてはセレスには苦しんでほしくない。でも身体的な苦痛から解放されても、また精神的に苦しんでしまうのなら、意味がない。私は自分の無力さが嫌になった。
だからせめて食料や水では困らせたくないと思って、村に潜入することを決意した。セレスは私を引き留めたいようだったけど、でもこのままだと食料が尽きてしまう。そのことも分かっていたから、セレスはこれだけ告げて私を送り出してくれた。
「絶対に無事に帰って来てね?」
「うん。分かってる」
魔物は姿かたちは本当に、人間と同じだ。だから見つかってもどうにか誤魔化せると思う。でもできるだけ見つからないように、物陰から物陰まで静かに移動する。
家の影から、魔物たちの様子を伺う。でもその瞬間に、そこら中を歩いていた魔物たちが私に視線を向けた。
「なんでこんなところに人間が!」
みんな怯えた態度で私から逃げていった。かと思えば槍を手にした警備兵が三人、私の元へとやって来る。まさか、魔物には人間を察知する何かしらの能力が備わっているのだろうか?
私は仕方なく剣を抜いた。
槍に対して剣は弱い。圧倒的なリーチの差があるからだ。それでも私はセレスの警護のために訓練を積んできた。そこらの槍使い一人に後れを取るつもりはない。でも相手は三人だ。
どうする。逃げるべきか?
そんなことを考えていると、後頭部を誰かに殴られた。
気付いたときにはもう遅かった。私は意識を失い、地面に倒れた。
〇 〇 〇 〇
次に目覚めたとき、私は処刑台の上だった。目の前では、首を吊るための縄が揺れていた。台の下では、人間と変わらない見た目をした魔物たちが、私に罵声をぶつけている。言い方こそ違うが、みんなが口にする言葉の総意は人間への怒りだった。
「なんで人間は俺たちを殺すんだよ。俺たち何か悪いことしたか?」
「違うだろ。お前たちが私たちを先に……!」
私がそう口にした瞬間、魔物たちはなおさら怒りに満ちた声で罵声をぶつけてきた。
だけど私のすぐ横に魔物が現れると、すぐに静まり返る。
「お前はどうやら真実を知らないみたいだな。てっきり俺と同じで真実を知って逃げてきたのかと思ったが」
「逃げてきた?」
男は無精ひげを生やした中年だった。
「俺は人間だ。お前なら知ってるんじゃないのか? 王国を裏切った研究者。それが俺だよ」
「それなら、私も裏切り者だよ。助けて欲しい」
セレスを一人にしたまま、死ぬわけにはいかない。
すると男は私を見下すような表情を浮かべていた。
「その証拠は? お前は王国の偵察兵じゃないのか? その軽装備を見るに、そうだとしか思えないのだが。真実も知らないようだしな」
「私はセレスの、聖女さまの護衛だよ」
すると男は驚きに目を見開いていた。
だけど私のその言葉を聞いたらしい魔物たちはまたヒートアップして「殺せ。殺せ」と繰り返す。男は考え込むように無精ひげの生えた顎に手をあてていた。
「聖女は今どこに? 殺されたのか?」
「死んではいない。でも場所は教えられない」
もしも教えたら、すぐに殺しに行くだろう。この魔物たちも、この男もみんな王国を目の敵にしているはずだから。
「それなら、拷問でも何でもして吐かせるしかないな」
男は私を睨みつけて告げた。怖かった。でもセレスを守るためならどんな苦痛にだって耐えてみせる。私は拳を握り締めて、決意した。なのに、その決意は簡単に打ち砕かれることになる。
「ルーティア!」
処刑台の下に集まった魔物たちの後ろから、セレスが叫びながら走ってきていたのだ。
「ほぉ。どうやら本物の聖女のようだな。いや、今は聖女ではなく魔王候補、とでもいうべきか」
男がつぶやく。どういうわけか、魔物たちは敵意をみせない。中には「魔王様」と首を垂れる者さえいる。
セレスはそんなことには目もくれず、処刑台に上がってきて、私の拘束を解いた。男も魔物たちもただそれをじっとみているだけ。拘束を解き終わると、セレスは私を抱きしめた。
「なるほど。そういうことか」
男はぼそりとつぶやいていた。
「ルーティア。私、ずっと心配してたのよ? いつまで経っても帰ってこないから。死ぬときは一緒だって約束したわよね?」
「……セレス」
どうやらセレスは死を覚悟でここまで来たようだった。
「いや、俺たちはお前を殺さないさ。お前は我々の最後の希望だからな」
男の言葉に私は問いかける。
「最後の希望?」
「そうだ。魔物たちのな」
〇 〇 〇 〇
男は処刑台から私たちを下ろし、村の外れへと私たちを連れて行った。
「俺はこれからお前たちに真実を話す。まぁ驚くとは思うが、心の支えがいるなら大丈夫だろう。なぁ? お二人さん」
私たちは手をぎゅっと繋いで、男の言葉を待った。
「単刀直入にいうが、まず聖女というのは殺されるためだけに生み出された存在だ」
その言葉を聞いた私は剣に手をかける。
「待て待て。俺は殺すつもりはないって言ってるだろ。少なくとも王国は最終的には聖女を魔物殺しの剣で殺すつもりで作り上げたってことであってな」
魔物殺しの剣。それは魔物を構成する魔気を完全に、この世から消し去ることのできる剣。魔物は普通、殺しても空気中に魔気を放出する。空気中の魔気はやがてまた魔物を生み出す。だから、魔物の数を減らすことはできないものだとされていた。
でも魔物殺しの剣が王国の研究者たちによって生み出されてからは、全てが変わったのだ。
「どうして王国は私を殺さないといけないんですか?」
セレスは問いかけた。すると男は頭をかきながら答える。
「それはお前が魔気の入れ物だからだよ。要するにお前は魔気を滅ぼしたのではなくて、魔気を吸収していただけ。結局、魔気を滅ぼせるのは魔物殺しの剣だけだってことだよ。お前、魔王を殺したんだろ? それから体調が悪くなったりしてないか?」
セレスは頷いた。
「あなたのおっしゃる通りです」
「それは受け入れられる容量を超えたからだろうな。魔王の魔気は絶大だからな」
「でも魔王と同じ力を使ったら、急に楽になりました。でも時間が経ったらまた苦しくなってきて」
「そもそも魔気っていうのはな、使えば一時的に体から失われるが、でも時間が経てばまた持ち主の元に戻ってくるんだよ。人造魔法も同じ。あれは人間を形作る生気を触媒に魔法を発動させている。でもお前は死なないだろ? それはしばらく経てば生気が戻ってくるからだ」
「私がセレスの魔気を吸収するってことは出来るんですか?」
私は男に問いかける。もしもそれが可能なら、セレスから苦しみを取り除いてあげられるかもしれない。
「いいや。無理だ。そもそも人間は魔気を吸収なんてできない」
「だったらどうしてセレスは……」
「それは聖女が人間によってつくられたものだからだよ。要するにお前は人造人間なんだ。ただ魔物を楽に滅ぼすために、人工的な手段で作られた人間のエゴの塊。魔気をためるためだけの器。それが「聖女」の正体なんだよ」
セレスは目を見開いていた。そして私を不安そうに見つめた。
「どうしたの? セレス」
「私のこと、好き?」
「大好きだよ」
「でも、私、ルーティアとは違う生き物なんだよ? 人の手で作られたんだよ? 魔物を、人間と同じように生きている魔物を滅ぼすためだけに。そんな私を好きでいられるわけが……」
「正体が分かったとして、今のセレスが突然性格を変えるわけでもないでしょ? セレスはセレスだよ。嫌いになる理由なんて、どこにあるの?」
自分の正体が人工物。それも誰かを滅ぼすために、剣や槍と変わらない目的で生み出された。それは当然驚くだろう。悲しくもなるだろう。でもだからって私とセレスの関係が何か変わるわけでもない。
私はセレスを抱きしめた。セレスも私を笑顔で抱きしめ返してくれる。
「私も大好きだよ。ルーティア」
「いい雰囲気になっているところ、悪いんだが」
完全に男の存在を忘れていた。私たちは顔を赤らめながら、離れる。
「聖女よ。お前は人間達と戦う覚悟があるか?」
「えっ?」
「お前が抱えている魔気は魔王すら凌駕する。魔物側に着いた俺としては、是非ともその力を振るって人間どもを滅ぼしてほしいのだが」
セレスは首を横に振った。
「無意味な殺しなんてもう私はしません。魔物も、人間も。私が誰かを殺すことがあるとすれば、それは大切な人を、ルーティアを奪われかけたときだけです」
男は困り果てた様子で、頭をかいていた。
「それなら代替案にすがるしかないか。お前、さっき聖女を苦しみから救いたいといっていたよな。聖女が苦しんでいるのは、吸収した魔気が容量を超えてしまっているからだ。もしも魔気を他の誰かに移し替える手段があるとすれば、どうする?」
「本当にそんな手段があるんですか?」
「あぁ。魔王城にある宝玉を使えばな。あれはもともと寿命が来た魔王が次の魔王に魔気を譲渡するためのものだったんだ。魔気が魔物を形作っている。だから魔気を全て譲り渡せば、譲り渡した本人は死ぬ。でも聖女は生気で形作られているから、死ぬこともない」
セレスは魔物からすれば間違いなく敵だ。村の魔物たちはセレスを魔王さまとあがめていたけれど、それはただ魔気の量を見てのことだったのだろう。魔王城の魔王の知り合いたちがそう簡単に私たちを迎え入れてくれるとは思えない。
「まぁ、あいつらはきっとお前たちを憎んでいるだろうな。だから聖女。お前は人間を殺して味方になったのだと示すべきだった。でもそうしたくはないんだろう? だったら危険を承知で向かうしかない」
セレスは複雑な表情を浮かべていた。
「つまりルーティアを危険に晒してしまうということですね?」
「そうだな」
「……だったら、私は」
セレスは私のために非情な決断をしようとしているみたいだった。でも私が一番大切に思っているのはセレスなのだ。辛い経験なんてしてもらいたくない。ただでさえ、自分の出自が普通でないと知って動揺している所なのに、人間なんて殺せば。
だから私はセレスの頬にキスをした。
「大丈夫だよ。私は大丈夫。絶対に死なないから」
「……ルーティア」
「私が一番大切なのはセレスが苦しまないこと。私が死ねばきっとセレスは辛くなる。そのことも分かってる。だから約束するよ。絶対に私は傷つかない」
するとセレスは微笑んでくれた。
「大好きよ。ルーティア」
「私も大好きだよ」
男はそんな私たちをみて、はぁ、とため息をついていた。
「やれやれ」
私はセレスを抱きしめたまま告げる。
「ところで研究者さん。途中で、王国の軍が追いすがってきているのを見ました」
「む、そうか。ならば俺は村に残ってみんなの避難を助ける。これはここら一帯の地図だ。これを頼りに魔王城へと向かえ」
「ありがとうございます」
私たちは男に食料と水を分けてもらった。それから馬で村を後にした。
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