その日、聖女は魔王になった

壊滅的な扇子

セレスが死ぬくらいなら、世界なんていくらでも滅んでしまえばいい

 王都は火に包まれていた。それは満月の夜空に浮かぶ、たった一つの影によってもたらされた災厄だった。石造りの城下街の石畳の上に、鋼鉄の鎧と魔物殺しの剣が散らばっている。


 死体すらも残さない。こんな殺し方をできるのはたった一人だけだ。


 魔物を殺すためだけに作られた騎士団。魔殺騎士団すらもたった一人で圧倒できる存在。それは間違いなく魔を統べる者。「魔王」だった。


 私と聖女さま。そして私の同僚である聖女さまの護衛たちは、燃え盛る街を怒りと共に踏みしめて、走っていく。聖女さまは表情に影を落としたまま、煌びやかな装飾の施された銀杖を両手に、災厄の中心へと人造魔法を唱えた。


 魔物を殺すためだけに、王国の研究者たちが作り上げた魔法だ。聖女さまだけが唯一扱える王国の希望。


 聖女さまはプラチナ色の美しい長髪をなびかせながら、青空に似た色の瞳をまぶたで覆い隠した。私たちには正確に聞き取ることすらもできない呪文をすらすらと詠唱する。


 すると銀杖の先端に取り付けられた白い宝玉が光をもつ。真昼と見紛うほどの明かりが王都を包んだ。夜闇がめくられ、満月を背にした魔王が克明に姿を現す。装飾の一切為されていない黒いローブをまとっている。


 立ち止まった聖女さまは、体を踏ん張らせて全力の一撃を叩きこむ。銀杖の先端から飛び出した幾千の聖なる光が、様々な軌跡を描きながら魔王へと収束していく。


 人造魔法は絶対に外れない。必ず「魔物だけ」に命中するのだ。しかも威力も折り紙付きで死体すらも残さない。だから私たちはこれまで魔物をみたことがないし、反撃を受けたことも一度もなかった。


 攻撃されるまでに、聖女さまが全て倒してしまうのだ。私たち護衛の役割は、もっぱら人間からの護衛。かつて人間を裏切り、魔物側についた研究者がいるからだ。


 魔王は空中を自由自在に飛び、追いすがる聖なる光の線をよけようとする。だが線は決して魔王を見失うことなく勢いを失うこともない。やがて魔王は観念したのか、動きを止めた。


 夜空に閃光が炸裂する。キラキラと落ちてくる光の粉は、まるで雪のようだった。


「流石聖女さまです」


 私は聖女さまに微笑んだ。すると聖女さまも微笑みかえしてくれる。でもすぐに真剣な表情に戻って、夜空を見上げる。光の消えた夜空には未だ、影が浮かんでいた。


 私はその影を聖女さまの隣で睨みつける。


「どうやら、少量の魔気を自分の体から切り離したようです。人造魔法はそこに全て誘導されてしまったのでしょう」


 聖女さまは再び銀杖を天に掲げ、呪文を唱えようとする。だが魔王はそれを許さなかった。光が全て魔王に吸い込まれていく。町だけでなく聖女様の姿すらもみえなくなってしまう。私は必死で叫んだ。


「聖女さま!」


「私はここにいますよ」


 すぐそばから聖女さまの声が聞こえてきた。かと思えば誰かの手が私の手を握った。


「……もしかして、聖女さまですか?」


「私も何も見えないのよ。だから、あなたの手を握らせて。あの魔王に立ち向かう勇気をちょうだい」


 聖女さまの手は震えていた。聖女さまの人造魔法が通用しなかったことなんて一度もないのだ。つまりこれは聖女さまにとっても想定外だったのだろう。


「私にはあと一つ、人造魔法がある。さっきのが矛なら今から使うのは盾よ。あらゆる攻撃を遮断する。絶対の盾。あなたのことも守ってみせるわ。だからもっと強く、私の手を握って」


「分かりました」


 私からも手を握ると、何もみえないのに聖女さまが笑ったような気がした。


 すぐに聖女さまはまた聞き取ることすらできない呪文を唱えた。


 すると闇がはれてゆき、黒いローブ姿が目前に現れる。私と同僚たちはすぐに剣を構え聖女さまの前に立った。


「……小賢しい」


 だけど魔王が腕を振るっただけで、私たち護衛はみえない力に吹き飛ばされてしまう。


「ルーティア!」


 聖女さまが私に気を取られている間に、魔王は闇から剣を取り出し聖女さまに切りかかった。この間合いではどう頑張っても魔法は唱えられない。聖女さまは銀杖でなんとか魔王の一撃を受け流していた。


 でも、このままでは聖女さまは殺されてしまう。


 聖女さまに武術の心得なんてない。


 私はきしむ体を持ち上げて、魔王に剣を向けた。私以外の護衛たちはみんな気絶してしまっている。私がやるしかないんだ。大切な聖女さまを傷付けさせるものか。


「ああああ!」


 無駄だと分かっていても、雄たけびを上げて突撃する。せめて聖女さまが魔法を詠唱できるだけの時間を稼がなければ。


 魔王は嘲笑いながら闇の剣で私を剣を受け止めた。


「なぜそこまで必死になる。護衛だからか? 実力差は分かったはずだ。眠っていれば見過ごしてやったというのに」


「護衛だからじゃない。私は、聖女さまを愛している。だからっ!」


「……ルーティア」


 聖女さまが顔を赤らめながら私のことをみていた。


 すると魔王は明らかに加減した力で私を蹴り飛ばした。


「ふん。愛している、か。気の毒に。どうせ聖女は殺されるべき存在だというのに」


 私はなんとか態勢を整えて魔王を睨みつけた。


「殺させない!」


 私はまた魔王に切りかかる。


「聖女さま! 人造魔法を!」


 聖女さまははっとした表情で、呪文を唱え始めた。


「させるか!」


 魔王が私を無視して、聖女さまに切りかかろうとする。でも聖女さまに刃は届かなかった。見えない壁に阻まれたように、魔王の攻撃が届かないのだ。


「まさか、二重詠唱だと!?」


 魔王はあからさまにうろたえつつも、自暴自棄な風に笑い声をあげた。


「はは。ははははっ。まさか王国の技術がここまでだったとはな」


 聖女さまの銀杖から眩しい光が溢れ出す。


「はっ。作りものの人形風情が、せいぜい後悔するがいい。今、我をここで殺したことを!」


 魔王は高笑いをあげながら黒いローブだけを残して死亡した。


〇 〇 〇 〇


 二重詠唱の後遺症だろうか。私は膝をつく聖女さまに駆け寄った。


「大丈夫ですか。聖女さま!」


「大丈夫よ。それより、さっきの。愛してるって……」


 私は顔を熱くして聖女さまを抱きしめた。すると聖女さまは銀杖を手放して私を抱きしめ返してくれる。


「私も愛しているわ。ルーティア」


 私は聖女さまを抱きしめたまま目を閉じた。魔王を倒した今、聖女さまはきっとお役目からも解放されるはずだ。願わくば、それでも私とずっと一緒にいて欲しい。 


「おめでとう。ルーティア」


 目覚めた同僚たちが私のことを祝福してくれる。私が聖女さまを好きだということは知れ渡っていた。みんな気のいい人たちで、私を応援してくれていた。


 私も微笑みを返す。だけどその瞬間、同僚の一人の首が飛んだ。


「……え?」


 血が吹きかかる。私は聖女さまを抱きしめたまま、その光景をみつめていた。金属の鎧の音が聞こえてくる。彼らはみな、魔物殺しの剣を構えていた。でもその先にいるのは魔物ではなく、私たちと聖女さまだ。理解できなかった。どうしてこんなことを。


 同僚たちはいっせいに剣を構える。


 私も聖女さまから離れて、剣を構えた。


 聖女さまはとても苦しそうだ。そんなに二重詠唱は体に負担をかけるのだろうか? でもこの前、私に二重詠唱をみせてくれたときは、これほどまでではなかった。


「ルーティア! 聖女さまを連れて逃げろ!」


 同僚の一人がそんなことを口にする。


「でも!」


「私たちじゃこいつらには勝てない。時間稼ぎが精いっぱいだ。今すぐに逃げろ! せっかく結ばれたのに、こんなところで死にたくないだろ!」


 私は剣を納めた。そして聖女さまに告げる。


「私と一緒に逃げましょう」


 聖女さまはとても苦しそうにしているけど、頷いてくれた。私は聖女さまを背負って、走り始める。後ろからは金属のぶつかり合う音が聞こえていた。もう二度と、同僚たちと笑い合うことはできないのだろう。


 私は涙を流しながら、走った。


 魔殺騎士団が王国に反旗を翻したのか、あるいは王国が私たちを殺そうとしているのか。どちらか分からない。私は燃え盛る王都の外へと逃げ出した。


〇 〇 〇 〇 


 月明かりが照らすだけの暗い森の中で、私は聖女さまを木陰に下ろした。聖女さまの具合はとてもひどかった。脂汗を流し、息も荒い。熱まである。どうすればいいのか分からずにいると、追跡者の声が聞こえてきた。


「聖女を探して殺せ!」 


 もうすぐそこまで近づいてきている。聖女さまを背負って逃げるのは不可能だ。私は剣を構えた。


「……ルーティア」


 聖女さまが心配そうに私をみつめていた。


「聖女さま? どうしたのですか」


「聖女さま、じゃなくて名前で呼んでくれないかしら」


 まるで、死を覚悟したみたいな表情だった。


「どうしてですか? ……セレス」


「あなたは逃げて。私を背負わなければ逃げ切れるはずよ」


「そんなのだめです!」


 聖女さまは苦しそうに笑った。


「見てわからない? たぶん、私はもう長くないわ」


「だったら一緒に死にましょう」


 私はセレスにキスをした。セレスは嬉しそうにしていたけれど、悲しそうでもあった。


 その時、たいまつの明かりが私たちを照らした。一斉に剣を抜く音が聞こえてくる。


 私は振り返って、剣を構えた。魔殺騎士団の騎士たちが数えきれないほどの数で私たちを包囲している。どうやら、ここが私たちの墓場らしい。


「そこをどけ。聖女を殺さねば、世界が滅びるのだぞ?」


「セレスが死ぬくらいなら、世界なんていくらでも滅んでしまえばいい!」


 私が叫ぶと部隊長と思しき男はため息をついた。


「みな、やれ」


 一対一でも勝てるか怪しいほどの精鋭だ。この数を相手にするのは絶望的。それでも、この命が尽き果てるまでセレスを傷付けさせない。


「逃げて! ルーティア!」


「ごめんなさい。セレス」


 私は剣を振るった。でも多対一では隙をどうすることもできず、滅多打ちにされてしまう。幾筋かの斬撃は鎧が防いでくれたけれど、ついには首にめがけて、剣筋が迫ってきた。私は死を覚悟して、目を閉じた。

 

 でもいつまで経っても、死は訪れない。


 恐る恐る目を開ける。するとそこには信じがたい光景が広がっていた。鎧と剣だけを残して忽然と魔殺騎士たちが消滅していたのだ。


 まさか人造魔法を人間に? いやそもそも、人造魔法は「魔物だけ」を殺す魔法のはずだ。人間をこんな風に殺せるのは、魔王だけ。


 なぜ、こんなことが。


 だけどそれよりも私はセレスとまだ生きていられることの方が嬉しくて、勢いよく振り返ってセレスを抱きしめた。


「セレスっ。……セレス」


「ルーティア」


 涙を流しながら抱きしめた。でもセレスは私の肩を押して、遠ざけた。


「……私、人を殺してしまったのね」


「私を助けるためでしょ? いいんだよ。セレス」


「でもあの方々は私を殺さなければ世界が滅びるといっていた。もしもあれが本当なら」


「本当なわけないよ。セレスは確かに強いよ。でもそれは魔物に対してだけでしょ?どうやったら世界を滅ぼせるの?」


 セレスは無言で魔殺騎士たちの鎧と剣をみつめていた。


「これは私が殺した魔王と同じ力よ。原理は分からないけど、もしもそうなら」


 セレスは目を細めて告げた。


「私は人類にとって最大の脅威になりえる」


 セレスは立ち上がって、木々の隙間から覗く満月をみつめた。


「体調は大丈夫なの?」


「……理由は分からないけど、かなり良くなったわ。でも精神的には、最悪ね。もしも私の考えが正しいのなら、他の国も私を脅威とみなすはずだわ。私たちが逃げられる先は、魔物の領域だけね」


 人類に仇なす存在だと教え込まれていたから、セレスは魔物を殺し続けてきた。もしも魔物たちに魔王のような知性が備わっているのなら、私たちは歓迎されないだろう。それでも逃げられるのが、セレスと共に過ごせる可能性がそこにしかないというのなら。


「セレス。今度は私がセレスを守る。だから一緒に逃げよう。私、セレスと離れたくなんてない。例え可能性が低くても、諦めたくなんてないんだよ」


 私はセレスに手を差し出した。するとセレスは儚く微笑んで私の手を握ってくれた。


「私は人類の希望になろうと必死で頑張ってきたつもりだったけど、今では人類最大の敵。私の味方はルーティア。あなただけよ」


 セレスは涙を流していた。私はセレスを抱きしめて、キスを落とした。セレスは聖女として相応しいふるまいを徹底して来ていた。王国に忠誠を誓っていた。なのに人間を殺してしまったし、しかも自分が人類の敵になりえることも知ってしまった。


 私も心細かった。でもセレスの頼りは私だけなのだ。私は、私だけはしっかりしないと。私は強く、セレスを抱きしめた。


「私が絶対に守る。だから大丈夫だよ」

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